
写真は「こんなふうに締めるのすき、ただし着物が違う~。
すいませーん、ついでに流用した着物でして…。
着付け教室に通うのも、それが「自分が着られるようになるため」だったら
ほんとにもったいないと、私なんかは思います。
そりゃアンタ自分で着られるからよ、といわれてしまえばそれまでなのですが、
実際自分で着られるものから見れば、基本的に着るだけなら、
ノウハウ本か、今ならDVDで十分着られるようになります。
でも、着物ってものについては、ほんとに先日書いた「洋装の情報」のように、
あらゆる情報がその辺にあふれている、という状態ではないんですよね。
周囲に「誰か着られる人」がいればなぁ…ほんとにそれなんですよ。
私に「とんぼ、教えて」と誰かがきたら、そりゃ喜んで教えます。
但しそれはあくまで「とんぼ流」なわけですが、
昔はみんなが家庭の中で伝える「それぞれ流」だったわけなんです。
それが今は「○○教室」「△△センター」など、
ある程度名前が知られてないと、習うほうも不安…これってやっぱり
着物情報がないからなんですね。
基本的にやることはみんな同じ…はずなんです。
昔、一時期「教室の特性」とか「教室のセールス・ポイント」みたいな理由で、
「そこで開発された特別な道具」みたいなものを買わされる、
という話がよくありました。その教室に入ってから
「これがないと、あれがないと」といろいろ買わされて、
それを使って着物を着たり、帯を締めたり…。
それが「なんかヘンだ、買わされる」といわれるようになると、
今度は「当教室は、道具を使いません」をセールス・ポイントにして、
「完全手結び」とか「道具を使わない着付け」など…。
確かに、それをシゴトとするには、それでお金をいただかなければ
成り立っていかないのですから、ある程度特徴的なワザとか、アイテムとか
そういうものの考案はあっても不思議はないと思いますし、
「道具」は便利に使えばいいわけですから、
それを考えたり使ったりすることは、悪いことばかりではないと思います。
ただそれを勧める「姿勢」の問題なんですね。
道具は本来、使っても使わなくてもどっちでもいいんですよ。
先日の「ボタンの留め方」で例えて言うなら、
まず最初に「普通にがんばってボタンの留め方を覚えましょう」です。
まぁボタンを留める道具なんてものはありませんが、仮にあったとしたら
できるようになってから「道具」を教え、どちらでもいいんですよ、と教える。
実は、道具を使わない方法、つまり面倒な方法が先にわかると、
道具の「どこが便利なのか」「どこがマイナスなのか」が明確にわかるんです。
それはつまり「自分で選択することができる」ようになるってことなのです。
「使わなくてもできるからいい」とか「ケース・バイ・ケース」とか、
「これは便利だからずっと使おう」とか…。
着付け教室に行った人の話で、一番気になるのはそこなんです。
道具のことばかりではなく何かの決まりごととして、
「~でなければならない」とか「~が、正しい」と
知らず知らずに思わせてしまう。
それ以外のことに対して否定しているわけではないけれど、
結果的に「こうします」「こうです」としか言わないから、
ほかはもう見なくなってしまう。
着物なんてあいまいなことがたくさんあるんです。
着物の基本で守らなければならないことなんて、そんなに数はないんです。
どんなにきれいなボタンでも、留めやすいボタンでも、
ボタン穴一つずらして留めちゃったら、そりゃおかしいです。
その「ずらさないように」ということがダイジで、
それが何かを教えてほしいと、思うんですよね。
ウールは寝巻き程度に考えなさい、といわれた人がいたり、
歩いていけるところまでといわれた人がいたり、
ちゃんと着れば、ホテルのレストランも大丈夫だといわれた人がいたり…。
実は全部マチガイではないんです。
ウールも「モノによっては」とか「一緒に使うほかのものによっては」とか
「柄行や素材のよしあしによっては」とか…そういう「応用編」があるわけです。
それをちゃんと、たくさん教えてあげてほしいのです。
数学や英語と同じで、実は「応用できるかできないか」が、
実践で一番モノを言うんですね。
きれいに着ることも大切ですが、実は「カッコよく着る」ことを
たくさん教えてほしいんですよね。
ちと休憩、同じかわいい目の紅型です。
左は20代向き、或いはかわいらしいイメージのヒト向き、
右は40でもいけますね。
半衿の色と出し方、半衿を多く出すと、衿アキも自然に開きます。
その分、帯を下げてゆったりめ、
色がわかりやすいように、右側も帯締めを多めに出していますが、
実際には、もっとひっこめます。真正面からは見えなくてもいいくらいに。


上は「年代」で変えてみましたが、実は若いヒトが、右側の着方をしても、
小物の色を華やかにしたり、帯締めの高さなんかを工夫すれば、
着られる着方です。要するに「その人のイメージ」なんです。
単純に考えて、自分で着物をシャカシャカと着られていたのは、
今の年代で言うと、私の母か少し下、母は今年86、
私が59ですでに友人のほとんどが着られない…つまり、
せいぜいが70後半くらい、そのくらいの人までだと思います。
シャカシャカ着ていたということは、着方だけでなく、
基本からのアレンジもできたし、さまざまな着物の知識も応用知識も、
自然とわかっていたわけです。
今教室で「先生」となっている方は、
ご自身も、その教室で習った方…が多いのででしょう。
そうなると、ほんとは教えてほしいイロイロは、既に持っていないんですね。
ずっと着物に関わって、いろんなことをご存知のかたは別として、
何も知らない状態で、その教室のやり方で、ずっと教わってきたら、
やっぱり半衿の幅は何センチ…になってしまうんではないかなと。
これはまぁ、私の勝手なおもいこみかとも、思うのですが…。
外で出会う着物姿の方が、一律みんな雑誌からぬけでてきたような
おんなじ「きちんとした着方」をしているのを拝見すると、
ちと残念に思うわけです。
洋服だと「個性的」ということを大切にするのに、
なぜ着物だと「個性的」は「色柄の取り合わせ」だけになってしまうのか。
もっともだからと言って「片肌脱ぎ振袖」や「ミニ浴衣」は、
とてもお勧めはしませんけれど。
こういうことを書くと長くなります。
また続きと致しましょう。
すいませーん、ついでに流用した着物でして…。
着付け教室に通うのも、それが「自分が着られるようになるため」だったら
ほんとにもったいないと、私なんかは思います。
そりゃアンタ自分で着られるからよ、といわれてしまえばそれまでなのですが、
実際自分で着られるものから見れば、基本的に着るだけなら、
ノウハウ本か、今ならDVDで十分着られるようになります。
でも、着物ってものについては、ほんとに先日書いた「洋装の情報」のように、
あらゆる情報がその辺にあふれている、という状態ではないんですよね。
周囲に「誰か着られる人」がいればなぁ…ほんとにそれなんですよ。
私に「とんぼ、教えて」と誰かがきたら、そりゃ喜んで教えます。
但しそれはあくまで「とんぼ流」なわけですが、
昔はみんなが家庭の中で伝える「それぞれ流」だったわけなんです。
それが今は「○○教室」「△△センター」など、
ある程度名前が知られてないと、習うほうも不安…これってやっぱり
着物情報がないからなんですね。
基本的にやることはみんな同じ…はずなんです。
昔、一時期「教室の特性」とか「教室のセールス・ポイント」みたいな理由で、
「そこで開発された特別な道具」みたいなものを買わされる、
という話がよくありました。その教室に入ってから
「これがないと、あれがないと」といろいろ買わされて、
それを使って着物を着たり、帯を締めたり…。
それが「なんかヘンだ、買わされる」といわれるようになると、
今度は「当教室は、道具を使いません」をセールス・ポイントにして、
「完全手結び」とか「道具を使わない着付け」など…。
確かに、それをシゴトとするには、それでお金をいただかなければ
成り立っていかないのですから、ある程度特徴的なワザとか、アイテムとか
そういうものの考案はあっても不思議はないと思いますし、
「道具」は便利に使えばいいわけですから、
それを考えたり使ったりすることは、悪いことばかりではないと思います。
ただそれを勧める「姿勢」の問題なんですね。
道具は本来、使っても使わなくてもどっちでもいいんですよ。
先日の「ボタンの留め方」で例えて言うなら、
まず最初に「普通にがんばってボタンの留め方を覚えましょう」です。
まぁボタンを留める道具なんてものはありませんが、仮にあったとしたら
できるようになってから「道具」を教え、どちらでもいいんですよ、と教える。
実は、道具を使わない方法、つまり面倒な方法が先にわかると、
道具の「どこが便利なのか」「どこがマイナスなのか」が明確にわかるんです。
それはつまり「自分で選択することができる」ようになるってことなのです。
「使わなくてもできるからいい」とか「ケース・バイ・ケース」とか、
「これは便利だからずっと使おう」とか…。
着付け教室に行った人の話で、一番気になるのはそこなんです。
道具のことばかりではなく何かの決まりごととして、
「~でなければならない」とか「~が、正しい」と
知らず知らずに思わせてしまう。
それ以外のことに対して否定しているわけではないけれど、
結果的に「こうします」「こうです」としか言わないから、
ほかはもう見なくなってしまう。
着物なんてあいまいなことがたくさんあるんです。
着物の基本で守らなければならないことなんて、そんなに数はないんです。
どんなにきれいなボタンでも、留めやすいボタンでも、
ボタン穴一つずらして留めちゃったら、そりゃおかしいです。
その「ずらさないように」ということがダイジで、
それが何かを教えてほしいと、思うんですよね。
ウールは寝巻き程度に考えなさい、といわれた人がいたり、
歩いていけるところまでといわれた人がいたり、
ちゃんと着れば、ホテルのレストランも大丈夫だといわれた人がいたり…。
実は全部マチガイではないんです。
ウールも「モノによっては」とか「一緒に使うほかのものによっては」とか
「柄行や素材のよしあしによっては」とか…そういう「応用編」があるわけです。
それをちゃんと、たくさん教えてあげてほしいのです。
数学や英語と同じで、実は「応用できるかできないか」が、
実践で一番モノを言うんですね。
きれいに着ることも大切ですが、実は「カッコよく着る」ことを
たくさん教えてほしいんですよね。
ちと休憩、同じかわいい目の紅型です。
左は20代向き、或いはかわいらしいイメージのヒト向き、
右は40でもいけますね。
半衿の色と出し方、半衿を多く出すと、衿アキも自然に開きます。
その分、帯を下げてゆったりめ、
色がわかりやすいように、右側も帯締めを多めに出していますが、
実際には、もっとひっこめます。真正面からは見えなくてもいいくらいに。


上は「年代」で変えてみましたが、実は若いヒトが、右側の着方をしても、
小物の色を華やかにしたり、帯締めの高さなんかを工夫すれば、
着られる着方です。要するに「その人のイメージ」なんです。
単純に考えて、自分で着物をシャカシャカと着られていたのは、
今の年代で言うと、私の母か少し下、母は今年86、
私が59ですでに友人のほとんどが着られない…つまり、
せいぜいが70後半くらい、そのくらいの人までだと思います。
シャカシャカ着ていたということは、着方だけでなく、
基本からのアレンジもできたし、さまざまな着物の知識も応用知識も、
自然とわかっていたわけです。
今教室で「先生」となっている方は、
ご自身も、その教室で習った方…が多いのででしょう。
そうなると、ほんとは教えてほしいイロイロは、既に持っていないんですね。
ずっと着物に関わって、いろんなことをご存知のかたは別として、
何も知らない状態で、その教室のやり方で、ずっと教わってきたら、
やっぱり半衿の幅は何センチ…になってしまうんではないかなと。
これはまぁ、私の勝手なおもいこみかとも、思うのですが…。
外で出会う着物姿の方が、一律みんな雑誌からぬけでてきたような
おんなじ「きちんとした着方」をしているのを拝見すると、
ちと残念に思うわけです。
洋服だと「個性的」ということを大切にするのに、
なぜ着物だと「個性的」は「色柄の取り合わせ」だけになってしまうのか。
もっともだからと言って「片肌脱ぎ振袖」や「ミニ浴衣」は、
とてもお勧めはしませんけれど。
こういうことを書くと長くなります。
また続きと致しましょう。
美容院とかで着付けてもらうとたいていきれいに着れます。でも補正だとかで胸やら胴回りやらにタオルいっぱい入れられます。ひももいっぱい使うので窮屈です。お見合い写真とかここ一番の写真撮るときはいいですけどそのままどこかに歩いていく気になれません。で、いろいろ試行錯誤して自分で着るのに慣れるとひもの数も減るし窮屈でない方法を考えるので胸元なんか多少ふがふがしてますがそのほうが着慣れてる、って感じでかっこいいと思います。歩いてどこまでも行けるし、車の運転もできるし電車でもバスでも乗れます。私はこのあたりまでですが、うちの師匠は家事もなんでもするし力仕事だってなんだってやるそうです。たまに洋服だと腰が痛くなるとさえ言っていました。
独断と偏見かもしれませんのでチェックよろしくお願いいたします。
呉服屋さんと提携していて買わなければ
ならない様になるとかよく聞きましたが、
今でもそういう所が多いんでしょうかねぇ。
同じ着物でも、半衿の出し方、帯や小物の
合わせ方で随分雰囲気が変わっていいですね。
付け加えると、私はけして着慣れているわけではないのですが、師匠の教えとしてこうすると着慣れてる人みたいに見えるよ、というポイントをちょいちょいアドバイスしてくれるので実践しているのみです。
呉服屋さんと提携して買わなくては済まない雰囲気にもっていく着付け教室はあるみたいですよ。友人はほとんど着物持ってなくてはじめて買う着物だというのに紬の付け下げをよってたかって「似合うわよ~~」と言われてその気になって買ったそうです。家に帰ってから冷静になっていかん、と思って江戸小紋と代えてもらうことに成功したそうですが一枚目に買う着物じゃないですよね、紬の付け下げって
すみません、「こういうの好き」って、帯が若干ずれててぐずっとしてるって感じの事でしょうか?
とんぼさんよりは数年若いですが、丹前に足袋の父を見て育ちました。五年ほど前に一念発起し、1か月本を見ながら毎日練習して、出歩いても大丈夫なくらい着られるようになりました。(なったと思う)
私はいつも帯の一巻目が右手の方に見えてしまって、普段は全然気にしてないのですが、甥っ子の結婚式の時は黒金の帯の一巻目の黒が目立ったらしく、兄に「それずれてる。直らないの」と言われました。袋帯で厚手だったので、いつもよりたっぷり見えていたのかも知れません。雑誌の写真のようにぴったりそろえたいと思って、帯を後ろで留める金具も買ってきて試したのですが、何回使い方を聞いてもうまくできませんでした。教室に行ったら、こういうのってわかるのかしら、とちょっと憧れています。そのコツだけわかればいいんですけど。
周りの着物達人は「いいのよ~」と言うんですが、兄(その他の人々)にはきっとぴったりした方がかっこいいってイメージがあるんでしょうね。
その結婚式の時は母は色留でしたが、80過ぎですし、もう曲がってようがぐずっとしてようが、天下御免って感じでした。着方よりも「黒留じゃない」という方を気にしてました。(レストラン挙式でしたが。)
40代です。
3年ほど前、ある日突然「着物が着たい!」と思い、着付け教室に通いました。
最終のクラスまで進み、講師も他装のお免状も持っています。
が、教室も仕事としてもやる気はありません。
面白いので今でも研修に参加していますが、去年の振袖の時に講師の先生が「今年は裾線をまっすぐにするのが流行りのようです」とおっしゃいました。
着物の柄の流行は感じていましたが、着方にも流行があったとは・・・
コメント二つ、あわせてのお返事です。
ちっともえらそーじゃありませんよ。
着付け教室といってもいろいろありますし、
師匠もいろいろです。
元々を知っておられる方は、
基本のあと、ちゃんと応用も教えられるものです。
元々日本人は着物で一日中過ごしていたんです。
私も動作は鈍くなりますが、
たすき掛けたり、ちと裾はしょったりして
なんでもやりますよ。車の運転の時は
降りて「運転用の靴」履いたまま現場へ
ってのをやってしまいましたが…。
つむぎにスリッポンはないでしょー…。
着付け教室は、必ず呉服屋さんと関わりがあります。
当然ですよね。その関わりをどう使うか、
なんですね。今でもツアーで展示会、
なんてのをチラリと耳にします。
紬の付け下げは、しょっちゅう着物で
お出かけやお付き合いのある方の、
何枚目かの付け下げ…ですね。
なんでそんなものを勧めるんでしょ。
似合うことも大切ですが、その人の着物ライフを
豊かにすることを考えてあげるのが、
一番大切なんですけどね。
あるみたいですよ、まだまだ。
結局道具は使わなくなった、とか
担当の先生の紹介で買わなかったら、
あとで対応が悪くなったとか…。
なんのために先生してるんでしょうね。
本日の記事で、帯について書きました。
おっしゃっているお悩みの解決になるかどうかわかりませんが、読んでみてく下さい。
実際には、そーんなにキッチリと着なくても、
普段はいいと思います。
ただ、礼装の場合などや、着物をあまり知らない方は、
なんか出てる、とか、引っ張れてる、とか、
おもうのでしょうねぇ。
お母様の「黒留じゃない」というほうが、
ずっと「当然の思い」でしょうね。
最近は結婚式もいろいろですから。
お母様の天下御免、好きですー。
こちらこそ、はじめまして。
ようこそおいでくださいました。
実は、むかーし友人にもひとり
「体験してみる」と行った人がいるのですが、
「いやいやわからん」と。
いろいろ変わってきていることもありますから、
極端に「それは違う、これは違う」と
言うつもりはないのですが、
「裾がまっすぐがはやり」というのは、
いったい誰がはやらせたのでしょう。
そこがおかしいんですよね。
実は、私も「文句つけに」ではなく、
いったいどういうことを、
どう教えてくれるのか、一度入学してみたいと
密かに思っているんです。
もちろん「きられませーん」って行くんですけど。