ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

大正時代の本 その2

2011-06-04 17:47:54 | 着物・古布

 

昨日の本の内容についての続きです。

写真はいちばんおしまいページの「広告」。「ヘルクレス洗濯機」…洗濯物ちぎれそうな名前です。

これは電気ではなく「手回し式」です。ハンドルは五つ六つの子供でも軽く回せるそう、単なら4枚洗える…

最近の大型洗濯機並ですねぇ。この下にはこんな広告も。

 

    

 

「伸子」もこうやってフツウに売ってたんですね。石鹸(どうやらウール用らしいです)が、一個50銭。

その時代に上の洗濯機は28円だそうですから、やはりかなりお高いものだったのでしょうね。

 

 昨日、ダイジなことを書き忘れたのですが、この本の発行は大正13年4月です。

もうお分かりですね、そう「関東大震災」の翌年、というより、震災は9月ですから半年です。

つまり、この時期は東京横浜は壊滅状態、だったわけです。

そんな時期でしたから、この本に載っている呉服屋さんの「企画」とか「方針」とか、

そういったものの中に「復興」と言う言葉が何度も出てきます。

この本文の書き出し部分…(現代語にちっとかえてあります)

「大震大火の災害によって荒涼の巷と化した帝都も、市民はもとより国民の全てが協力一致して、

その復興に努めたため、僅々四~五ヶ月を出でない中、すでにバラックとはいえ、

いたるところに軒を並べ建てられその外観内容共に、快復進展に近づきつつあることは、

お互いに歓びを禁ずることができないのであります。」

出版は4月ですが、当然そのまえに原稿は書かれているはずですから、たぶん、13年の初頭のことでしょう。

このあとさらにこんな文章が続きます。

「さて、この復興の生気みなぎる帝都の春向きの流行は、どう開展せらるるでありましょうか。

これは専門的に研究いたしましても、心理学の方面から解剖いたしましても、

なかなかに興味あることだと存じます」

もちろん、これは「商魂」が見え隠れする部分もあるわけですが、震災から半年でこんなふうに

「経済の面」で盛り立てようという意識があるのは、すごいと思います。

確かに今回の震災は、「帝都」ではありませんし、広範囲の上「津波」「原発」という三重苦です。

時代も違えば、社会状況もまるで違う…簡単に関東大震災と比べることはできませんが、

それでも「復興」にかける庶民の気持ちの熱さは、今も昔も変わりないのだなと思います。

それを後押しするのが政府のシゴトなのに…あっこういうお話は今回はナシで…。

こんな動画を見つけました。震災翌年の1月に、当時の東宮裕仁親王、つまり後の昭和天皇が、

ご成婚されています。震災で2ヶ月のびたのだそうですが、今なら1年くらいは延びるんでしょうか。

後の皇后さまが、被災者のために着物を縫われているのは、なんだかうれしかったです。

今上天皇皇后が、被災地をお見舞いに回られるのは、このお気持ちが受け継がれているということですよね。

 

今回の震災で「自粛」の考えようが取りざたされましたが、私は地元以外はいろいろ盛りたてるべきだと思います。

つまり「経済発展」という意味でです。隅田川の花火大会などは、自粛というより、

警備のための警察官などの人員が被災のため出せないとか、計画停電があれば、電車の停止、

道路の渋滞が起きる、その場合の安全が確保できない…そういう理由もあるのだそうですが、

それぞれの地域のお祭りや、個人の行事などは、おおいにやるべきだと思います。

鎮魂の思いを忘れずに、無事生きていることの感謝も忘れずに…それがダイジなだけです。

 

というわけで、この本に並ぶ着物の説明には、たとえばこちら

「優美な訪問服の令嬢姿」

 

        

この説明文の最後には「この色合いは若草の萌え出ずるような心地するまで

まことに復興気分がみなぎっております」と書かれています。

このころのメディアといえば、ラジオ、新聞、雑誌程度です。テレビがない時代ですから、

視覚として訴えるのは、こんな雑誌の写真であったでしょう。

まだバラックに、着のみ着のままで暮らしているのに、訪問着どころじゃないわよ、かもしれませんが、

逆に、こんな美しい色合いの着物や、粋な縞柄を見て「もう一度こんなのを着られるようにがんばろう」も、

あったのではないかと思います。

それにしても帯締めの貧弱なこと、おはしょりのデカいこと…。まだまだ明治を引きずっておりますねぇ。

 

この本の中に「東西婦人の容姿風俗粋(すい)競べ」という企画があります。

その最初は「震災で東京人はこっぱ微塵にやられてしまいました。

それですからこの際、東西人の比較というようなことは少し無理な注文でしょう。

無論東京方はあきまへんから」というとんでもない書き出しです。

わかってたらやるなよ、と思うのですがこの企画、それでもやっておりまして、読むと面白いです。

いきなり「東京の鈴なりの電車のなかへ、どうして着物など来てでられましょう。

砂は立つ、路は凸凹、白足袋の履き替えを持たなければヒトのうちへも行かれない」

(そりゃま、震災のあとですから、当然でしょうねぇ)

それに比べて「大阪は道もきれい下水も完備、道路には水もまかれ、東京より具合がいい、

よって婦人の着物もきれい、お化粧がきれいは当たり前」…何を言いたいのやらと思ったら

「それなのに大阪は足袋と下駄はオソマツ…」上げたり下げたり忙しいです。

こんな感じで、着物、半衿、長じゅばん、帯、髪の形まで、東西を引き比べています。

元々比べようがない文化の違いがあるんですけれどねぇ。

書いているヒトが関西人らしく、どうも全体に「西びいき」なのですが、

これを読んで私は、関東人の着姿、みせてやろーじゃないのよ…なんてチラッと思い、あっこれが目的かいと…。

つまり、購買意欲をあおってる…??いや、さすが関西人…。

いずれにしても、震災からまだ半年のこの付録本、当時としては、着たいわーと思える普段着と、

こんなのすてきーという礼装と…見ているだけでもシアワセだったかもです。

 

現在の「震災後」は、文明が進んでいる割には、かえって足の引っ張り合いといいますか、

いや進んでいればこその、手かせ足かせみたいなものが見え隠れする気がします。

東北応援セールで「かもめの玉子」買いました。おいしかったです。

今週はお味噌を買おうかな…東北がんばれっ!

 

この本には、まだおもしろいページがありますので、近いうちにまた「その3」を…の予定です。 

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大正時代の雑誌 | トップ | 母の好きだった花 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (古布遊び)
2011-06-04 19:20:55
関東大震災の画像は初めて見ました。
なくなった祖父が当時、東京で大震災にあって、その話を良くしていたことを思い出しました。。。。

そして当時の着物の着方、いやあ~~面白いですね。興味シンシンで拝見しました。
このグズグズの着方、いいなあ。これって帯板は入っていないのでしょうか?
楽なのか苦しいのか判らないですね???
返信する
Unknown (陽花)
2011-06-04 23:13:22
大震災で何もかも無くして、片付けが
大変で、着物どころではないだけに、
呉服屋さんも必死ですよね。

着物の着方もきっちり、かっちりじゃなく
ゆるゆる感で、今とは随分違いますね。

返信する
Unknown (とんぼ)
2011-06-05 08:59:15
古布遊び様

関東大震災は、今ほど「動画」がないにしても、
もっと放送した方が防災意識向上の後押しになるのではと思います。
私の実の父は、震災当時13くらいでしたので、以来「地震恐怖症」になったそうです。
話を聞いてみたかったと思います。

昔の帯は柔らかくて幅広でしたから、そこから幅の狭い帯になってきて、
まだうまくこなせてないみたいですね。
わりと今のように細かいことに気を使わない部分も、けっこうあったりします。

キチキチになったのは、戦後ですね。ゆったり着ればいいのに~。
返信する
Unknown (とんぼ)
2011-06-05 09:07:44
陽花様

東京より横浜の方が全滅状態だったと聞いています。
神奈川沖が震源地でしたからねぇ。
ほんとに、今の東北と同じで商売の再開はたいへんだったでしょうね。
こんなふうに、本に書くことも復興の手助けになったのかもです。

着物の着方は今の言葉なら「しまりがない」感じもずいぶんしますね。
今これで歩いたら、みんな振り返るでしょうねぇ。変わればかわるものです。
返信する

コメントを投稿

着物・古布」カテゴリの最新記事