着るのはどうかなー…。
なんて、わかりにくい言い方ですね。すみません。
えーと、先に写真の説明ですが、また無関係画像ですみません。
遅れていたかなという山茶花が、もう次々咲いて、ぱっぱと散ってます。
本日のお話…
実は、またまたよそ様のブログでお話ししたことなのですが…。
「着物から道中着を作ってほしい」といわれたが…、というお話しです。
できるかどうか…仕立ての腕があればできます。
ただ、作りにくいことは確かですが…。
たとえば大人の着物から子供の着物を作れば、当然サイズが小さくなりますから、
よほど傷みをよけるようなことがなければ、そのまま普通に作れます。
でも、着物から羽織・道中着を作るのは、どうしても「つぐ」ところが出ます。
羽織への作りかえでのネックは文字通り「ネック」、つまり「衿」です。
羽織の衿は長いものです。今手元に、丈が90cmの羽織がありますが、
衿は220cmあります。着物の通常の衿は200くらいですから、
そのまま衿にできません。そこで、衿の次に長いおくみをつなげて衿にする、
つまり衿の真後ろ部分に「つぎ」ができるわけですね。
(羽織丈をちょっと昔の短いのでいいわ…ならそのまま衿を使えます)
また繰り回しの時には、とにかくあるように使う…ですから、
足りないときはどこかでつなぐ…というのは当り前なんですね。
私の「吉原ほいかご道中着」は、下前につなぎ目があります。
本来の繰り回しは「なんとか無駄にしない工夫」ですから、
たとえば裾が傷んだら、後ろの揚げを解いておろし、そこでカット。
傷んだ部分のよほどのところはカットして、上下をひっくり返して縫います。
ただし、これをすると次に解いて別のものにするとき、
後ろ身頃は二つに分かれてますから、それこそ羽織にするなどはできません。
つまり、繰り回すときは、その着物を「次は何にするか」、
そこまで考えたりするんですね。
もし、できるだけ長いまま残したいと思ったときは、
「揚げ」を広げておろし、裾のいたんだところだけを切り落とします。
「揚げ」は、そういうことのためにもあったほうがいいんですね。
絵のように袖も同じです。袖口が傷んだら、袖口と袖付けを逆にするわけです。
ただ、袖の場合は生地の「色あせ」なんてこともかかってきますから、
中に入っていたところが鮮やか過ぎたら、ちょっと気になるところですね。
もし、それが気になるなら…ひっくり返しではなく「つぎたし」をします。
つまり、袖口から10㎝くらいを一気にカットして、
色合いや柄の合う別布をつぎ足して、ボーダーにする…
身頃のところどころにも、同じ生地をはめ込んで、
全部「もよう」のようにしてしまうわけです。
これの大掛かりなものでは、例えば二枚の着物を片身代わりのように、
一枚の着物に作り変える…なんてことになります。
時代劇などを見ると、長屋のおかみさんが、両袖だけ別の生地、
なんてのをきていることもあります。ものがない時代、家で着るものは、
そんな風にもして着ていたわけです。
さて、こんな風に着物というのは直線裁ちであることと、
パーツが全て長方形であることで、こういう繰り回しが可能なわけです。
モンダイは…これが今の着物を知らない人の目に、どう映るか…なのですね。
つまり、着物から作り変えた羽織の衿についであるところがある、
これを「気にしない」でいられるかどうか…です。
着物に慣れた人、というより、この場合はそれを知っている年代、ですが、
こんなことはアタリマエなので、「つぎ」も恥ずかしくもないし、
むしろ「ハデになった着物をまた道中着で着られる」とか、
「親からもらった着物、傷んだところとって羽織として着られる」とか、
そういう嬉しさの方が先です。
でも、知らない人は「普通はこんなところに縫い目はないのに、
縫い目があったらかっこ悪い」と思ってしまったり、
「こういうのって、外に着て出てもかまわないのかしら」と思ってしまったり…。
また、見るほうも「なんでこの人の羽織、こんなところに縫い目があるのかしら」
なんてね。
知恵や工夫、着物の本質の伝わらなかったことって、こんなところでも
「あらら」のできごとになってしまうんですね。
以前の記事で「着物は見えないところで大嘘ついても、
外側が恥ずかしくなければそれでよしとするおおらかさがある」
というようなお話をしました。
更に、見えるところでも、こんなワザを使う、
これは「きちんと形になっていれば、恥ずかしいことではない」という
着物の暮らしでの暗黙の了解ごと…とでもいいましょうかねぇ。
ぱっと見て「あっお母さんの若いころの着物で、一つ身を作ったんだな」と
わかっても、それはそれで当たり前のこと「いいわねぇ」とは言われても、
「ケチねえ」とは言われることはない…。
羽織の衿が後ろでついであっても「きっと若いころの着物なのね」とか
「お母さんの着物だったのかしら」と思われても、
「こんなとこでついである、へんな着物」とは言われない…のですね。
みえないところでウソついたり、見えるところも「大切にしたいから」と
堂々とつなぎ目を見せる…。
着物って、とても自由で柔軟なものだと思います。
「何を大事にするか」、それが着物を着ることの積み重ねから、
だんだんわかってくる…それが実はほんとの「着物暮らし」なのだと思います。
本日のおまけ…
父が「こんなのがでてきたんだよ、とりあえず持ってきたんだけど…」
私が部屋に飾ったりしていた「ぬいぐるみ」でした。
「いらない」というのが、どうもうまく言えない私です。
ジャマなのはわかっているし、処分させるのも気が引けるし…。
というわけで、ありがたく受け取り、順番に「おふろ」に入ってもらいました。
洗濯機の中で、ぐるんぐるんと目を回すこともなく、無事きれいさっぱり。
このお三方は、中身が綿ではなくスポンジとペレットでしたので、
乾くまでブランコしてもらってます。
黄色いのは、真ん中のゴリちゃんの「ずぼん」です。
なんて、わかりにくい言い方ですね。すみません。
えーと、先に写真の説明ですが、また無関係画像ですみません。
遅れていたかなという山茶花が、もう次々咲いて、ぱっぱと散ってます。
本日のお話…
実は、またまたよそ様のブログでお話ししたことなのですが…。
「着物から道中着を作ってほしい」といわれたが…、というお話しです。
できるかどうか…仕立ての腕があればできます。
ただ、作りにくいことは確かですが…。
たとえば大人の着物から子供の着物を作れば、当然サイズが小さくなりますから、
よほど傷みをよけるようなことがなければ、そのまま普通に作れます。
でも、着物から羽織・道中着を作るのは、どうしても「つぐ」ところが出ます。
羽織への作りかえでのネックは文字通り「ネック」、つまり「衿」です。
羽織の衿は長いものです。今手元に、丈が90cmの羽織がありますが、
衿は220cmあります。着物の通常の衿は200くらいですから、
そのまま衿にできません。そこで、衿の次に長いおくみをつなげて衿にする、
つまり衿の真後ろ部分に「つぎ」ができるわけですね。
(羽織丈をちょっと昔の短いのでいいわ…ならそのまま衿を使えます)
また繰り回しの時には、とにかくあるように使う…ですから、
足りないときはどこかでつなぐ…というのは当り前なんですね。
私の「吉原ほいかご道中着」は、下前につなぎ目があります。
本来の繰り回しは「なんとか無駄にしない工夫」ですから、
たとえば裾が傷んだら、後ろの揚げを解いておろし、そこでカット。
傷んだ部分のよほどのところはカットして、上下をひっくり返して縫います。
ただし、これをすると次に解いて別のものにするとき、
後ろ身頃は二つに分かれてますから、それこそ羽織にするなどはできません。
つまり、繰り回すときは、その着物を「次は何にするか」、
そこまで考えたりするんですね。
もし、できるだけ長いまま残したいと思ったときは、
「揚げ」を広げておろし、裾のいたんだところだけを切り落とします。
「揚げ」は、そういうことのためにもあったほうがいいんですね。
絵のように袖も同じです。袖口が傷んだら、袖口と袖付けを逆にするわけです。
ただ、袖の場合は生地の「色あせ」なんてこともかかってきますから、
中に入っていたところが鮮やか過ぎたら、ちょっと気になるところですね。
もし、それが気になるなら…ひっくり返しではなく「つぎたし」をします。
つまり、袖口から10㎝くらいを一気にカットして、
色合いや柄の合う別布をつぎ足して、ボーダーにする…
身頃のところどころにも、同じ生地をはめ込んで、
全部「もよう」のようにしてしまうわけです。
これの大掛かりなものでは、例えば二枚の着物を片身代わりのように、
一枚の着物に作り変える…なんてことになります。
時代劇などを見ると、長屋のおかみさんが、両袖だけ別の生地、
なんてのをきていることもあります。ものがない時代、家で着るものは、
そんな風にもして着ていたわけです。
さて、こんな風に着物というのは直線裁ちであることと、
パーツが全て長方形であることで、こういう繰り回しが可能なわけです。
モンダイは…これが今の着物を知らない人の目に、どう映るか…なのですね。
つまり、着物から作り変えた羽織の衿についであるところがある、
これを「気にしない」でいられるかどうか…です。
着物に慣れた人、というより、この場合はそれを知っている年代、ですが、
こんなことはアタリマエなので、「つぎ」も恥ずかしくもないし、
むしろ「ハデになった着物をまた道中着で着られる」とか、
「親からもらった着物、傷んだところとって羽織として着られる」とか、
そういう嬉しさの方が先です。
でも、知らない人は「普通はこんなところに縫い目はないのに、
縫い目があったらかっこ悪い」と思ってしまったり、
「こういうのって、外に着て出てもかまわないのかしら」と思ってしまったり…。
また、見るほうも「なんでこの人の羽織、こんなところに縫い目があるのかしら」
なんてね。
知恵や工夫、着物の本質の伝わらなかったことって、こんなところでも
「あらら」のできごとになってしまうんですね。
以前の記事で「着物は見えないところで大嘘ついても、
外側が恥ずかしくなければそれでよしとするおおらかさがある」
というようなお話をしました。
更に、見えるところでも、こんなワザを使う、
これは「きちんと形になっていれば、恥ずかしいことではない」という
着物の暮らしでの暗黙の了解ごと…とでもいいましょうかねぇ。
ぱっと見て「あっお母さんの若いころの着物で、一つ身を作ったんだな」と
わかっても、それはそれで当たり前のこと「いいわねぇ」とは言われても、
「ケチねえ」とは言われることはない…。
羽織の衿が後ろでついであっても「きっと若いころの着物なのね」とか
「お母さんの着物だったのかしら」と思われても、
「こんなとこでついである、へんな着物」とは言われない…のですね。
みえないところでウソついたり、見えるところも「大切にしたいから」と
堂々とつなぎ目を見せる…。
着物って、とても自由で柔軟なものだと思います。
「何を大事にするか」、それが着物を着ることの積み重ねから、
だんだんわかってくる…それが実はほんとの「着物暮らし」なのだと思います。
本日のおまけ…
父が「こんなのがでてきたんだよ、とりあえず持ってきたんだけど…」
私が部屋に飾ったりしていた「ぬいぐるみ」でした。
「いらない」というのが、どうもうまく言えない私です。
ジャマなのはわかっているし、処分させるのも気が引けるし…。
というわけで、ありがたく受け取り、順番に「おふろ」に入ってもらいました。
洗濯機の中で、ぐるんぐるんと目を回すこともなく、無事きれいさっぱり。
このお三方は、中身が綿ではなくスポンジとペレットでしたので、
乾くまでブランコしてもらってます。
黄色いのは、真ん中のゴリちゃんの「ずぼん」です。
着物としては派手になったけれど、羽織や
道中着にすればまた着られる、それとも
染め変えて違う着物として着て見る。
色んな選択が出来ますもんね。
何でも器用に出来れば楽しいでしょうね。
どうしても知りたい着物が一着ありまして…。
やっと得心しました^^もちろん堂々と着ます。
着物のすばらしさをまたひとつ教えていただいて感謝です。
お風呂上がりのモンキーさん…ほしいです(爆笑)
ヤフオク出ませんか?特に真ん中の白いお方^^
ホレました。
トンボさんの着物に対する 知識の豊富さにいつも勉強させてもらっております。
わたしも なおしてます。 おばからもらった
臙脂色の大島紬 着物ではちょっと無理だったので 道中着にしました。 大いに役立っております。
ただいまは 母の単衣の小紋を一枚は羽織に、もう一枚は袷に仕立て替えしようと思って洗い張り依頼中です。 なぜか母は単衣の着物を結構な枚数もっていて 私は 一生 単衣はつくらなくても 間に合ってしまいそうです。
母いわく 裏がいらないし とりあえず単衣でつくったのかも だそうです。
何の苦労もなく欲しい着物柄を選べましたが、
私や娘は背丈がありますので、先ず、用尺の長い反物探し
からはじまります。
今は娘の着物でも白地から染めるものはよいのですが、
訪問着などは限られてしまいますが、よい品、柄があるのです
が、普段着などは困ります。
私は接いであるのは気になりませんが、娘は納得しないでっす ね。 着物の本当のあり方、楽しみ方、工夫などは
洋服と違って素晴らしいものだとおもいますが...。
難しいですね。
とてもよく理解できるそして文化を愛しむ心が溢れている
お話しをうかがってとても嬉しいです。
へんに納得しています。は、間違いで失礼しました。
納得できる私ですに訂正します。ごめんなさい。
継がなきゃ繰り回しできませんのに~。
羽織の襟の継ぎなどは全く恥ずかしいと思いませんけど、羽織の後襟が立ってるのは恥ずかしいです。
っと・・・それはまた別の話ですね~。
えへへへへ
長い歴史のあるものだけに、
すばらしい知恵ですよね。
昔は「もったいない」だけだったかもしれませんが、
見習いたいと思います。
自分で縫えれば文句ないんですけど、
ほんとに「やっときゃよかった」です。
陽花様、尊敬します。
ときどきすんごいのに出会いますが、
日本人のすばらしさ…感じます。
どこか「こうでなきゃ」というのから、
うごけなくなると、せっかくのものが、
そこで止まったりしちゃいますよね。
白さん、実は息子がきにいってしまい、
せっかく洗ったのにすでに噛みまくってます。
ごめんなさいですー。
こ、いっとき、はやったんですよ、確か。
はじめまして、
どうぞよろしくお願いします。
繰り回してお召しとのこと、ステキですねぇ。
お母様の単も、変身するんですね。
嬉しいお話を聞かせていただきました。
着物って、楽しいですよね。
わざわざのご訂正、ありがとうございます。
今のかたは体が大きいからたいへんです。
普段着でつぐ場合は、最初から「胴」部分の
おはしょりで隠れるところに、
別布をはめ込むという方法があります。
これだと外からは全く見えません。
問題は「裄」ですね。
以前、ひょっとして関取さんかい、と
考えてしまうほど横幅の大きな着物がありました。
裄も足りなかったらしく、
同じ布で、袖付けのところに扇形の
はめ込みがありました。
ゴチャゴチャした柄でしたから、
よくみなければわかりませんでしたが、
すんごい苦労しただろうなというのと、
いや、きものってすごいわ、というのと、
両方で感動?しました。