これもまた、ネットのつながりでお付き合いしていただいているK様が、
「とんぼさんはこういうのお好きでしょうから」と、お貸しくださったもの。
トップ写真は、ずしりと重いその「ファイル」です。
写真撮り放題よ~と言っていただいたので、撮りまくりました。
本日も、写真がいーっぱいです。
K様が、お母様のご友人つながりで譲り受けたコレクションだそうです。
文通をなさっておられたらしく、おつかいになったものを一枚ずつ取って置かれたのでは…とのことでした。
古いものはたぶん大正期のものもあるのではないかと思います。
あまりの数の多さに全部はムリなのですが、私の好みで…何枚かご紹介させていただきます。
ファイルは中がこんな感じで、きれいに4枚ずつ整理されています。
季節に合わせて、お使いになっておられたんでしょうね。
このサイズのものだけでも200枚以上あります。
こんな粋なものもあり
バラのシリーズもあり
そして外国風のものも…右側はベニスのゴンドラでしょうか。
私のお気に入りはこちら、左は少し色を薄くして「クモの巣」が見えるようにしました。
ホンモノはもう少し真っ黒です。右のカワホリさんも、かっこいいですねぇ。
クルスにトランプ、モダンです。
秋のシリーズ、色目も薄いブルーや銀をうまく使っています。
こちら「京都名所シリーズ」、右下の意匠なんて「帯」にしたいところです。
こちらはもう一枚ずつでは多いのでまとめてですみません。もっとも華やかな「舞妓さんたち」です。
竹久夢二風、蕗谷虹児風あり…ほんとにみているだけで楽しいですね。
江戸時代の浮世絵は、その構図などが、ヨーロッパの芸術家たちにも、大きな影響を与えたといわれています。
この構図なんかは、もうひたすら「培われた感性」としか、いいようがありません。
この封筒、今のものと比べてとても小さいです。
郵便番号がまだ5桁のころの、今サイズの物が入ってましたので並べてみました。ミニでしょう。
こんなに小さくて使ったのかしら…とおもわれるかもしれませんが、
元々ハガキも、いまよりずっと小さいサイズが使われていました。
封筒や便箋も、小さくてもフシギはありません。
実際使われていたものが入っておりました。いただいたものを大切にとっておかれたのですね。
ちゃんと切手も貼られて使用されています。なんだか郵便ごっこのおもちゃみたいにかわいいですね。
封筒の色柄の濃いものは、あて先なども裏側に書いたのでしょう。
そういう融通が利いた時代ですから。
これらのコレクション、後ろを見ると「版元」が入っているものがあります。
こちらは「京都 さくら井屋」さんとたぶん「いせ辰」さん、それにデパート名、つまり販売元ですね。
着物でもそうですが、色柄は、明治期までは地味です。特に関東は…。
今「大正ロマン」などと、やすっけない言い方で呼ばれている華やかな色柄は、
確かに大正期に入って花開いたもの。
明治だけでも45年ありますから、江戸の身分の差、富裕の差が少しずつなくなり、
自由な気風が現れて華やかになっていったわけです。
それにしても…日本人というのはなんとすばらしい感性をもっているものかと、誇りに思います。
元々の和風のものはもちろんのこと、洋風のモダンなものも、ちゃんと日本人の感覚で完成させています。
まがいものや、ただのマネっこものではありません。
残念なことにさくら井やさんは、天保年間からの営業の大老舗でしたが、この1月に閉店しました。
経営不振…ではなく、元の版木を作る職人さんの激減が原因…。
あぁぁぁこうしてまた、日本のすばらしい技術がひとつ消えていくわけです。
こういうものなら、今の時代コピーで何百枚だってできますが、
「版画」を主たるワザとする以上、それは経営理念に反するわけです。
版画は、元の版木が傷めば、彫りなおさなければならないし、
古いものは伝統のままに、また新しいものを作り出す感性も、どちらも必要となります。
「人の手」によるものでなければ、版木のすばらしさは伝わりません。
今のコピー技術なら、1分間に同じものを何百枚も作ることは可能です。
でも、それはあくまで「コピー」で、小さな傷さえ、全て同じものが出来上がります。
版画は、同じ版木を使って、どんなに同じように絵の具を置いて、どんなに同じように力を入れて刷っても、
一枚ずつ微妙に違います。
私は版画は実はすべて1枚ずつがオリジナルといってもいいんじゃないかと思っています。
さくら井やさんは、昔のお店は木造で狭くて小さくて、修学旅行の生徒があふれ、押し合いへし合い…。
ずいぶん長いことご無沙汰して、何十年後かのある日行ってみたら、あの古い店舗はきれいに改築されて、
ガラス張りのモダンな建物になっていました。昔の建物のほうがよかったのですが、
売っているものはかわりなし…なんと30年前に買った柄がまだちゃんとあって、感激したものです。
世の中の「回転」が、めちゃめちゃ速くなり、なんでもぱっと出てきてすぐ古くなって、あっという間に消えてゆく …
新しいものをどんどん追いかけることも、必要なことだとは思いますが、
古いもの、アナログなもの、手間ひまのかかるもの、そういうもののよさも忘れたくはありません。
この封筒は、いずれ然るべきところに寄贈される予定だそうです。
何もかもが博物館や民芸資料館にいかなければ見られなくなったら…
まだ存続が可能なものだけに、もったいなくて残念な気がしてなりません。
追記 : 先日、コレクションの持ち主様からお知らせいただきました。
「伊」のロゴは「いせ辰」ではなく「銀座 伊東屋」産のロゴ、ということです。
訂正してお詫び申し上げます。
こんなに多色使いの版画の封筒を見るのは
初めてです。
素晴らしいですね。
手仕事ならではの温かさがいいですねぇ。
版画のものは、手作業の感じがモロに伝わってくるのが素晴らしいです。
こういう技術がなくなっていくのは、ホントに悲しい。
広告のデザイン・印刷関係の仕事を長くしておりましたが、勤め初めのころは、クライアントに出す見本(カンプ)は手作業で作ってました。
そのうちパソコンが導入され、写植屋と版下屋が仕事をなくし、デザイナー自らパソコンで作業するようになったら、仕事単価が安くなりました。。。こうして首をしめた結果が今。自分たちの仕事に、江戸末期の浮世絵事情を重ね合わせます。
浮世絵版画は、写真にとって変わられた、気がするのです。
。。。仕事の愚痴?!になってしまいました。
便利を求めた結果・コスト削減の結果。
広告業は仕方ないにしても、美しい手作業のものがなくならないことを願ってやみません。
こういった手作業がすたれたのは、そこにお金が流れなくなったからでは。
手技とそのよさをを伝えるのが広告だったのに、金額だけ提示されても…「高い」でした。
お金の意味や本質もかわってしまったのかも。
印刷や動画はいまや共有の時代、こういった「味わい」に感動して
現代におりあわせてくれる才能が出てくれないかな~と思います。
じふんでなにかをつくりだすことができないなら次に引き継ぐことだけでも・・・とおもっているのですが、それすらもままならず、残念です。
ほんとうに「手仕事」のよさですねぇ。
和紙という素材もあって、やわらかく暖かい感じがします。
私もいろいろもっていたのに、みんな使っちゃいました。
とっときゃよかったー、です。
きれいなコレクションですね。
送ります、とは言われたのですが、ドーンと大きいのがついてビックリ。
まさかこんなに大量とは思いませんでした。
すばらしいコレクションですね。
私も和文タイピストでしたが、やめても下請けで、
内職できる…なんておもっていたのに。
あっという間にワープロパソコンの登場で、内職もやる前になくなりました。
会社の編集部にいた版下作りや写植の人たちも、失職したんですよね。
便利、コスト…それだけを追いかけると、なんだかダイジなものを、
どんどん置いてきぼりにする気がします。
価値観の変わりようには驚きます。
今はとにかく何でも「安い」「手間がかからない」「人出がいらない」、
そればっかりです。
それで便利なところはそれでいいけれど、残すべき「人手」は、残さないと、
無味乾燥な世の中になりますわ。
実物は紙の質感も手触りもわかりますから、
本当に優しくて美しいコレクションだと思います。
手仕事の世界では、引き継ぐ人がいないのも問題ですね。
せめて今残っているものだけでも、大事にしていこうと思います。
キカイは便利だけれど、カンタンにできるものは、やっぱり「それなり」ですね。
手仕事のよさっていうのは、言葉では言い表せないけれど、
「温度」がある気がします。
版画は真似できないけど、せめて縫い物で、手仕事は続けたいと思います。