勝手にシリーズ化してしまいましたが、ほんとは、ただのおしゃべりです。
写真の説明はのちほど。
さて、またまた、またまたコメントから頂いたお題です。
「大島紬ならでも結婚式に着られるといわれる」…。
まず、紬ってなんだのお話は、昨日致しました。
つまり「その出身と育ち」ですね。
紬は「屑繭や規格外の繭から真綿を作り、そこから手で糸を紡ぎだし、それを使って織ったもの」です。
手で紡いだ糸だからつむぎ、と言います。繭から糸を直接引くのは「績む(うむ)」と言います。
紡ぐと績む、両方の作業で糸を作り出す産業をあわせて「紡績」といいます。
最近、奄美大島では成人式に大島紬の振袖を着られる方が多いです。
時々テレビでも流れますが…あれは要するに「土地の名産」であるから…という意味合いが主だと思います。
初めてあれを見たときは「よけいな報道をしたものだ」と思いました。
確かに着物業界は、タイヘンな時代が続いているわけですから、アピールして販売向上を
こういうものにかけているのでしょう。あの振袖、あのあとどうするのか、いつも気になります。
袖をつめて「紬の訪問着にする?」
しかし、あれは大島の地元だから容認されること、としておかないと、いいわいいわで
どんどん線引きがなくなっていきます。
私はいつもニュースでやるときに「紬は本来礼装には向かないものといわれていますが、
ここは本場なので、いわば島の民族衣装のような形で、このような振袖が着られているわけです」って感じで、
きちんと説明してほしいと思うのです。
何も知らない人が「私も振袖これがいい」なんてなってしまったら…。
はい、私は大島や結城は「最高級」でもなんでも「街着」であるべきだと考える方です。
下町で、おとっちゃんおっかちゃんに育てられた下町っ子が、突然良家だの名士だのの家に養子に行ったら、
思わぬ苦労をするでしょう。その子の育った環境や状況は、その子の人格形成に大きく影響します。
紬は紬であればいい、そのほうがシアワセだと、私はそう思うわけです。
「やはり野におけ れんげそう」…は、れんげそうは雑草なんだからという蔑視ではなく、
れんげそうが一番映えて美しく見えるのは、野の中だよね、ということです。
ただ、大島が元は生糸だ、ということを「披露宴でもいい」理由とするとなると??
「実はオマエはほんとは、あのお大尽様の隠し子でね。あたしたちは、ほんとの両親じゃないんだよ」かな?
そこをどう考えるか、です。
元々が大島紬は、本来の紬糸で織られていたものです。
江戸時代は薩摩藩などに支配され、自分たちは着られませんでした。
明治なって支配が終わり、自由に商いいができるようになり、そのころから生糸を使うようになったそうです。
その後、先の大戦で、壊滅的になった地元の織物を復活させるために始まった、
たくさんの人の努力によって無事再生し、またそこから育ったものです。
大島紬は、着物の分類上は「紬」ですが生糸を使っていますから、正確にいうなら「平織りの絣織り」です。
でも「紬」という名前で、絣織りとして世に出したのなら、糸はなんであれ「紬」は「紬」であればいいと
私はそう思うのです。オシャレな街着として着られたら、それでいいと思うのです。
昨日いただいたコメントで「自宅で織ったり染めたりしたものも…」とありました。
トップ写真はその「家紬」です。過去記事の写真です。記事はこちら。
こちら側が表。近くで見ると節がぽこぽこ。白い点は穴ではなく、でっぱりすぎて染まってない部分。
よく見ると、染そのものも手が粗く、ズレやにじみなどがあります。
一見、キレイな染ですが裏を見ると…糸の太さが不ぞろいで、織りムラやゆがみがあるのがわかりますね。
つまり「自宅用」ゆえ、商品として出ているものに比べたら「低レベル」なのですね。
元々は野良着として織られたのですから。
この家紬も、時代とともになくなってはいきましたが、作られていた時代でも、
大きな農家と小さな農家では、当然「家紬の中のランク」があったと思います。
豪農などではいい家紬を織り、町の染屋さんでいい染を施したと思います。
大島紬は、生糸を使っている段階で「紬」ではないのですね。
ただ、氏より育ち…じゃありませんが「大島紬」という名前が、とくに優秀で美しい紬として有名になり、
締め機という細かく面倒な技術や、泥染めという独特の染めが、高く評価されているため、
「高級品」の立場に立つことになっているわけです。
では大島だけが特別でしょうか。
実はほかにも、有名な紬なのに、紬糸でないものがあります。
「牛首紬」、これは「玉繭」を使うことで知られています。
「玉繭」というのは、蚕が繭を作るとき蚕が「私アナタとはなれたくない」…とくっついて、ウソです、
とにかく、本来一匹で一つの繭を作る、つまりワンルームに一人で、のはずなのに、
だいたい全体の2~3パーセントの割合で、ワンルームに二人でシェアしてしまう蚕がいるわけです。
部屋と違って、大きさは当然かえられますから、大きくなります。
この「玉繭」は、検査ではじかれます。一つには規格外の大きさだから。
もうひとつは「糸が絡まっているから」。
一匹の蚕が吐いた絹糸は、ずっと一本で、それがぐるぐると回って繭の形になるわけです。
玉繭は、二匹が同時に糸を吐いて一緒に繭のカタチを作りますから、二本の糸が絡まるわけです。
これだと糸をとりにくいし、ムリに引っ張れば切れてしまいます。だからはじかれるんですね。
牛首紬は、この玉繭を使っているわけですが、割って真綿にするのではなく、この取りにくい糸を、
時間をかけて2本ずつきれいに解いていくのです。
この作業は「のべびき」と言われる、というのは最近知りました。
この厄介な作業で取り出した糸を、何本かまとめて撚りあげて糸として使うわけですね。
つまり、取り方はたいへんでも、牛首紬も「生糸」と同じ糸の取り方なのです。
牛首には糸をとったあと、節こき、という作業もあります。
玉繭の糸は、元々が節が多くあったりする均一さに欠ける糸だからだそうです。
なんにでも例外はありますねぇ。
だから「糸がなんであれ、最初が紬だったら、紬でいいじゃないか」と思うわけです。
元々の紬というもの、最初からあんなにキレイな柄ができていたと思いますか?
紬で織ったものは、元々「野良着」として作られたものです。白いままでは汚れも目立つし、
より丈夫にするために、木綿と同じように藍で染めたり草木染したり…。
おそらくは無地や簡単な縞程度がせいぜいで、地ももっと硬く、最初は着づらいものだったと思います。
着込むほどに柔らかくなり、丈夫であたたかい…。それが人の口にのぼり、やがて町の人が
「野趣に飛んでいてステキ」とほしがるようになる…そんなら商品にしよう、だったらきれいなほうがいい…
その需要と供給が、いろいろな絣織りの技術や、糸染めの技術を育てたわけです。
文化は変化していくものです。でも、変化は何でもアリではありません。
ブラックフォーマルの方が、むずかしくなくてラクよねぇ…と言いますが、
では、洋装の喪服では、ナニをしてもいいですか?そうはいきません。
黒だけどバックレスのドレスでもOK?服はいいけど靴が黒のスニーカーだったら?
ナニにでも「越えてはいけない垣根」もあれば「越えないほうが平穏の元の垣根」もあれば、
「越えても何の問題もない垣根」もあれば…です。この「垣根」が何であるかが問題なわけです。
それは本来、みんなが着物を着ていれば、当たり前に繰り返され、その中から変化がおき、
年とともにマジョリティだった人たちが減って、マイノリティがふつうになって、と、
緩やかに変化していくはずのものです。そして必ず「理由」というものがあります。
その理由が、とってつけたような、誰かだけの考えが先行したような、ただの思い込みのような、
もっとひどいと「お金」のためだとか…そんなものだと、それを肯定したり否定したり、
説明したりできる人がいないと、ほわほわとただひろがってしまうだけなわけです。
人はラクな方へと流れるいきものですから。
また長くなりました。どうもまとまりがなくてすみません。
あしたもまた思いついたこと、続ける予定です。
毎日のコメント、とても役に立つというか勉強になります。
着物の値段についてや格についていろんなこと書いてください。
着物の世界は謎だらけです。
良い悪い別で流行りだからという
感じで生まれや育ちが変わっては
ほしくないですね。
お礼メールをもしかしたら、ちゃんと送れていないのでは…と今頃思いだしました。
以前金ワシの草履が一人一足2980円なので一緒についてきてってことで某関西悪徳着物屋の催事場へ行きました。
茶髪のおにぃちゃんに牛首紬の訪問着に礼装用のキンキラキン袋帯をセットで70万円でどうですかとすすめられました。
この金額もどうかと思いますが…
「式と名の付くものは何でもOK、もちろん結婚式も!」
「なんたって天下の牛首紬ですからね~なんなら染め抜きの日向紋入れたら完璧ですよ!!」
世の中、真に受けて着ていく人がいるんだろうなぁとなんだか可哀相になってきた記憶があります。
紬って倹しい(解っていただけるかしら?)美しさっていうのがあるように思っていたのですが今は違うんですねー
詳しく教えていただいてありがとうございます。
小学校の同級生の家に遊びに行くと、お父さんが締機を織っておられる家や、川端で長く糸を渡して絣模様の印をつけているお兄さんお姉さんなど沢山の人が、奄美の主要産業である大島紬に繋がる仕事に就いておられました。
ですから、奄美の娘さんが成人を迎えられるときには、丹精込めて作った大島を「ハレ」の衣装として着せてやりたい。という親心がとてもよくわかります。
江戸時代、将軍家への献上品であることから薩摩藩が奄美の島民に「紬着用禁止令」が出されたと聞きます。
娘に着せてあげられる世の中になったことをご両親は「有難く」思われたことでしょう。
「振袖」のあとは、袖を留めて「大切なおしゃれ着」になる様な気がします。
奄美では、旧暦の三月三日に、浜にお重を持って集まり雛祭りを祝います。そんな「ハレ」の日の大切な着物になるのではと思います。
悲しいのは、ブランド育ちの兄ちゃんが証紙付の着物(結城、牛首、大島)をブランド品として販売していること。
着物が、成人式と浴衣しか出番がなくなったこと。
のような気がします。
大正時代に柳宗悦が提唱した民芸運動のように「用の美」を着物にも見つけたい。
そして、いつも身に纏っていたいと思っています。
コメントありがとうございます。
私と同年くらいですね。
着物の価格は、もうたいへんややこしくて難しいものです。
私も針の穴からちょっと覗いた程度のことしかわからなくて。
細かく書くことは出来ませんが「ナゾ」の部分は、考えていきたいものと思っています。
よろしくお願いします。
着物がハヤリもののように言われるのは、悲しいですね。
その上勝手にファッション化してしまう。
ナニを大事にするか、を、考えてほしいものです。
私、結局裾から8センチくらいで春になっちゃいました。
羽織になるのは10年先か…です。
展示会は、ほんとにいやな思いをすることの方が多いですね。
ただの販売員で、ちゃちゃっと説明だけ受けて「コレは何にでも使えるといって売れ」みたいな
そんなことしか教えてもらっていないんですよね。
売らんかな…が見え見えですから、怖いです。
つむぎの「険しさ」、わかりますよ。どんなかわいい花柄でも、
小紋の花柄のハンナリとは違います。
あのちょっとひんやりした風のような気持ちよさが私も好きです。
いえいえ、こちらこそ、ありがとうございます。
単なる個人的な思いもたくさんありますので、
柔軟に受け止めていただけたらと思います。
こちらこそ、よろしくお願いします。
あぁまたやってしまったと思い、自分の思い込みで、詞の使い方を間違えたと、
ただいまちと書き直しました。
ほんとにすみません。
「よけいなことを…」というのは報道のことです。
私は大島ダイスキです。
大島に限らず、土地にあるすばらしいものを誇り、それを子供のためにと思うのは当たり前のこと。
大島でそれを使うことは、おかしいとは思いません。
ただ、おっしゃるとおりちゃんと教えられていない店員さんが、
「何にでも使えますよー」みたいなことを言って、とにかく売れればいい、
という姿勢で、販売戦略として使うのは危ないと思っています。
紬というものに対しても失礼だなと思いますし。
それをバックアップするような、中途半端な紹介は悲しいです。
昨年でしたか、大島の振袖の娘さんにインタビューがあって、
「お母さんが着なさいって言ったから」と、ちょっと不服そうな人がいました。
みんなが着るような、華やかな友禅が着たかったようです。
親もただ与えるのではなく、教えて伝えてほしいものと思います。
人が故郷から移動することが多くなった今、大島の振袖は、
その人と一緒に土地を離れていくのでしょうか。
そうなっても、子供から孫へと、そういう「思い」や「歴史」みたいなことは、
伝えていってほしいものと思いますが、おっしゃるとおり、
振袖と浴衣しか着られない今は、箪笥のこやしですかねぇ。
柳宗悦氏の言葉は、時代を超えて、というより、時代とともに、
忘れてはならないことを、教えてくれる気がします。
氏の本で、存在を知って「あっこれほしい」とおもうものがあって、
あぁ消えていったものもたくさんあるのだなぁと思います。
今後とも、ご意見よろしくお願い致します。