トップ写真の「酒布」を見ていて、ほんと、いろんな「茶色」があるなぁ…と思っていて思い出したのですが。
子供のころ、のお話です。
「茶色」っていうけど、お茶のはっぱって緑じゃん、入れたお茶だって緑だよ、
なんで「茶」の色があの色、つまり「ブラウン」なの?と…母に尋ねたことがあります。
さすがの母も、これは知らなかったらしく「紅茶みたいに茶色いのもあるやん!」で、チョン。
お茶が日本に伝わったのは奈良時代といわれていますが、
そのころのお茶は「纏茶(てんちゃ)」、半発酵、つまり今のウーロン茶と呼ばれるタイプのお茶です。
当然元のお茶の葉も「茶色」…煎じたお茶も「茶色」…それが茶色の始まりです。
「お茶」が日本に入ってきたときは「薬」でした。今でも「健康的な飲み物」とされていますね。
たいへんな貴重品でしたから、庶民は「茶」なんてものがあることすらしらなかったでしょうね。
鎌倉のころに、茶祖といわれる「栄西」というお坊さんが種や苗木を中国から持ち帰ったそうです。
国内で栽培されるようになって育ててみたら「お茶って緑色やんか」…いや、ソレはなかったと思いますが、
私たちは「茶畑」といえば、茶色のうねうねではなく、緑のうねうねを思い浮かべますし、
お茶入れて、といえば「緑茶」ですね。よくよく見れば「緑の茶」ってのもおかしな書き方です。
緑茶は、緑の状態で加熱して発酵を止めたもの。
だからもし「その色の感覚だけ」で呼んだなら、日本茶は「茶」でなくて「緑」だったんですね。
「静岡茶」じゃなくて「静岡緑」「宇治茶」は「宇治緑」「八女緑」「狭山緑」…なんか劇団女優の名前みたいだ…。
日本人の眼には「緑」という感覚も残りましたから「抹茶」とか「お召し茶」とか「利休茶」など、
「緑系」を含む色にも「茶」という字がが入っています。おもしろいものです。
日本では、半発酵のウーロン系も、完全発酵の紅茶系も文化としては育たず、
結局「発酵させない緑茶」が浸透していきました。
元が薬で始まっていますから、お茶を飲めるのは裕福な人たちだけ。庶民は「白湯」で当たり前。
庶民が当たり前に「お茶する」ようになったのは江戸時代です。
ミクシの方で「西洋と東洋の違い」という話で、ヨーロッパではお茶について「ティー」の発音が多く、
アジア圏では「チャ」の発音が多い…。これはなんで?というお話しでした。
元々お茶の始まりは中国雲南省といわれています。東南アジアとの国境近くの森林地帯。
ここでお茶が始まって、各地へ広がったわけですが、交易というカタチで外国に伝わったとき、
はじめは広東からシルクロードを通る陸路を行きました。
ご承知のように中国は広大で、同じ国でありながら、同じ漢字の発音が違います。
広東では「チャ」と発音して「茶の荷」を送り出しました。
だからシルクロード沿いの国は今でも「チャ」の発音が多く残ったといわれています。
後に大航海時代がやってきて「海路」が開け、お茶は海を渡ってヨーロッパに運ばれました。
このときの交易の窓口が「福建」で、ここではお茶を「テ」と発音しました。
だから届いた先でも「テ」の発音が残って「ティー」が多い…ドイツ語だとまんま「テー」だそうです。
さて、着物とは全然関係ないお話ではありますが、
私はこういう「伝来していく」お話を見聞きするたびに、「着物」というものの独創性を思うのです。
確かに、日本の最初は大陸文化の恩恵をヤマほど受けています。
しかし、日本は、そのあとはそれを栄養として、日本独自のものをたくさん生み出し育ててきました。
「日本」という国が、たまたま大陸の一番はしっこの、しかも手漕ぎ舟でひょいと渡れる距離ではない
独立した島国だったからこそ、そうなった…わけです。
世界史にも物流の歴史にも詳しいわけではありませんが、
「陸続き」で、よその国がある、ということは、関係さえ悪くなければ、物流は順調に行われるわけです。
いろんなものが行ったりきたり…それだけで、独自の文化がまた変わります。
そのかわり政情が不安になれば、国一つ飲み込まれたり滅ぼされたり…。
またその時の征服者の考え方ひとつで、それまで培われてきたものが、すべて壊されて失われたり、
吸収されて変化したり、中には「いいものだから」と残されたり。
だから、ある国のある街では、○○時代の建物のとなりに△△時代の建物が、とか、
征服されたために、元の文化に○○風の色合いが加味されて…とか…。
そういうのが結構ありますね。
また、昔は何が伝わるにしても長い時間がかかりましたから、その行程でまた変わったりもするわけです。
仏像一つ取ってみても、時代と国によってお顔の形や色合い、お姿もずいぶん違います。
日本の歴史の中で、攻め込んできた外国は「元寇」だけ。
それも幸運にも追い返しましたから、外国に蹂躙されることも、征服されることもなかったわけです。
だから「着物」という衣服は、独自の文化のまま「国内の事情による変化」しかなかったんですね。
外国との交易によって変わったのは「素材」や「色柄」に刺激を受けての、技術的な発展がほとんどです。
私は着物の形、というのは、奇跡的な文化だと思っています。
明治維新以来の西洋文化の流入と、その後の外国との戦争によって、
いつの間にか日本は「西洋の服を着る東洋民族」に入りました。
いわゆる戦争による政治的な征服はなかったけれど、日本は文化的に征服されてしまったんですねぇ。
特別な日にしか着られなくなった着物、習わなきゃ着られなくなった日本人…
着物文化よどこへゆく~~~。
私は若いころから、コーヒーよりも紅茶よりも、コーラよりも「緑茶」。
20歳くらい年上の職場の先輩に「あんた茶飲みばーさんだね」といわれても、
「えぇそうですともさ」と開き直って、湯のみの底が見えないような、
濃ぉ~いお茶をすすっておりました。
静岡は、やっぱ「茶の香り」、いつも静岡茶を頂いてます。
今静岡、川根、知覧、八女…と並べておりますでぇ。
私はコーヒーがダメで、洋風?なら紅茶です。
「相棒」の杉下氏みたいな入れ方して、
飲んでみたいですが、ゼッタイこぼす…。
洋服を着て、畳も襖もない家にすんで…。
それでも玄関で靴を脱ぐことだけは止められないし、
やっぱり「ご飯に漬物」…がなくならない以上、
まだまだ大丈夫…とはおもっているのですが…。
美意識や感性は、ずっと受け継いで伝えたいものだと…これまた思うだけ。
お茶摘みって、みているだけで指先が痛くなりゃしないかと…
それくらいチャッチャッとつみますよね。
機械でざーっと刈り込んでいくのを見ると、
ちょっと味か落ちる気がしたりして…。
手摘み微妙に違うと思いますねぇ。
紅茶も好きですけど、やっぱりお茶どころとは遠くても静岡育ちとしましては緑茶に軍配が上がります。
でも、お茶の為に戦争さえも起こったりもしてるんですよねぇ。
侮るなかれ、嗜好品・・・・
インドには陸路で伝わったから、あの甘い甘いミルクティーは「チャイ」?
イギリスは何を食べても不味いけど、紅茶だけはどこで飲んでもとっても美味しい~!
日本は文化的に征服されちゃったでしょうかね、やっぱり。。。
価値観とか、東アジアの方々よりアメリカさんの方が納得できちゃうんですもん。。。でもまだ美意識は、残ってる、はず!と思いたいです(ーー;)
茶摘みを手伝った事があります。
教えてもらってもなかなか上手く摘めませんが、母の手は機械のように両手ですばやく摘んでいました。今でも目に浮かびます。
美味しいお茶もこうして伝わってきたんだと
勉強させて頂きました。