写真は「ココロに鍵」の簪。まぁタイトルが「留守」なもんで、シャレです。
あの「江戸KIMONO展」でのこと、若い方は少なかったのですが、
親子ではなくて…年の離れたお友達のような、そんな感じの女性二人連れがいらっしゃいました。
「松滝模様小袖」という、ちょっと濃いグリーンの着物がありまして…。
コレがまたいい色だったんです。腰から下辺りに青も冴え冴えと「滝の流れ」がありまして、
周りに松の木や草花があります。その下の方にさして目立つ風でもなく、
「ひょうたんと杯」、少し上に「鎌と柴の束」が描いてあります。
その説明に「留守模様」という言葉がありました。
私がその説明を読もうと前に出たときに、お二人は私の横から先へ進まれました。
離れていくとき、若いほうの女性が小声で「留守模様ってなんでしょ」と言いました。
既に向うに向かって歩き始めておられたし、なにしろ館内は静か~なんです。
話すときもみなさんひそひそ・・・なので、お連れの方が教えられたかどうかはわかりませんが…。
そういえば「留守模様」という言い方なんて、このごろ聞かないよなぁと。
留守模様、というのは、何か物語とか、伝説などのお話しを絵の題材としたとき、
その主人公を直接描かずに、関連のある情景、或いはその人の持ち物を描いて、
その人や、その物語を連想させる柄…です。
つまり、この「松滝模様」は、ひょうたんと杯ですから「養老の滝」の物語です。
説明にもそう書いてありました。
私は最初は滝ばかり見ていて、読んでからあらひょうたんあるんだ…で見直したんですが。
息子が年老いて眼の不自由な父親のために、唯一の楽しみのお酒を買うのに山仕事に励んでいた。
ある日山の中でお酒の匂いがするので行ってみると、とうとうと流れ落ちる滝の水がお酒だった。
喜んでそれを汲んで父親に飲ませると、眼が見えるようになった…というお話。
鎌や柴は働き者の若者を表し、ひょうたんと杯は、父親に持っていくお酒…ですね。
つまり、どこにも「養老の滝伝説」とは書いていないし、水を汲む若者の姿はないけれど、
絵を見れば誰の話か、何の物語かわかる…というわけです。
単純に道具が置いてある柄は「器物紋様」ですが、
こんなふうに主人公の代わりに置いてある道具は「留守模様」というわけです。
しゃれた図法であり、またそれを「留守」というあたり、心憎い命名だと思います。
この手法、着物の柄だけでなく、煙草入れとか矢立、茶道具などにも使われました。
何かいいたとえはないかと探しましたら、こんなのを見つけました。
こういう「留守」とか「見立て」とか「判じ物」とか、これは日本人独特のセンスではないかと思います。
例えば、江戸時代の店の看板には「判じ物」が多くて楽しいですね。
元々は字の読めない人のために、見てすぐわかる「絵看板」にしたのが始まりですが、
ちょっとひねったシャレとか見立てとか…描くほうも見るほうもわからなければなりませんから、
つまりはしゃれっけやお遊びのアタマがないと通じないわけで…つうじないのをヤボと申します…。
最近、食べ物屋さんの「営業中」の看板が「商い中」となっているのを見かけます。
「営業中」より優しくていい感じですが、ちょいと昔風に「春夏冬中」ならもっとオシャレ?
春夏冬で「秋」がないので「あきない中」ですね。今その看板出してもなかなか通じないでしょうねぇ。
江戸時代の役者の浴衣柄などは、今も受け継がれてその名前を継いだ方の柄になっていますが、
まさしく判じ物オンパレード。当て字もこじつけも含まれていますけれど、
「これをこうして、こう読ませる」というのは、難しくも楽しいものです。
着物を着るとき、母は細かくはいいませんでしたが「アタマ使って着たらおもしろい」と言いました。
それはちゃんと言葉で言うと「物語を作るのもオシャレだよ」ということで、
昔から「梅に鶯」というように「コレにはこれをあわせる」というもの。
例えば着物が海岸の風景で網干柄なんて感じだったら、帯は貝あわせの蛤とか。
母も私も、どちらかと言うと小紋より紬が好きでしたから、そうそういつも「コレにはこれで、意味はこう」なんて
やっていたわけではありませんが、着物というのは「柄on柄」であればこそ、
そういう楽しみもあるのだと思ったりします。
また色目でいけば、最近は洋風のイベントも当たり前になってきていますから、
10月はハロウィンで、黒地の着物にオレンジの帯…というだけでも「季節」ですよね。
だれにわからなくてもいいのです。自分が密かに楽しむ、聞かれて答えたら「なるほどねねぇ」といわれる、
そういうのも楽しいものだと思うのです。
着物の柄には、これでもかというほど細かく名前がついていたりします。
最近のショップやヤフオクで「いい加減な名前のつけ方」をしているのを見ると、がっかりするのは
日本の柄は「名前ごと柄なのだ」と、そう思うからです。
秋がようやくやってきました。
秋向きの紅葉を散らした小紋なら、帯に水の流れを持ってきて「韓紅に 水くくるとは」としゃれてみたら…。
そんな着物も帯もないっての…よしっヤフオクだっ?!(待ちなはれ…)。
こういうことこそ、「日本の伝統文化」なんだと思います。
私の場合は「スチャラカ」方向ですが・・・でへへ
近頃しゃれ とか 粋とか 通じない世の中になった気がします。 皆心が狭くなったのでしょうか。
長屋の貧乏人はそれらしく 智恵を働かして暮らしていましたよね。
昔のよきものを 段々 失って行くような気がします。
留守を知るには 博学で無くてはいけませんねぇ
判じ物も 頭の回転が良く無くてはいけないし
面白いですね。
頭のネジを巻かなくては
犬を連れて(抱いて)お散歩中 だから 留守?
と 思いきや 心に鍵 でしたか
理解する、読み取るとは知りませんでした。
桃太郎さんがいなくても犬、猿、キジなどが
描かれていれば分かる程度の私では、とっても無理ですね。
いえいえ、いつも楽しい「取り合わせ」に、
ほぉぉへぇぇなるほど…
感心しておりますです。
こういう文化は、廃れてほしくないですね。
なんでも「リアル」に「まんま」で、説明しなくてもわかる、
そういうことがいいことのようになっている現代が、
ちょっとこわいなぁと思っています。
庶民の間で、こんなことも広まっていて、
けっこう楽しかったんじゃないかと思います。
昔の人は、いろんな意味で「マメ」でしたね。
なんでも「便利」優先の今は、考えることが減っていく気がします。
なるほど、抱っこした犬に見えますね。
それもまた面白いです。
番犬散歩中につき…あはは。
この簪、江戸時代の意匠のようです。
だいたい有名な物語「源氏物語」とか、
あと謡曲などが多いようで、
私もおんなじ程度ですよ。
たぶんこれとこの柄がヒント、でも答えがわかんない…なんてね。
犬を散歩させているから 家は留守!
なんて 頭に浮かんだ私。
やっぱり 学 無い事を再確認
犬に見えるあたり、すごいですよ。
いわれて私もほんとだって思ったんですから。
ちょっとライトの関係で変な陰影ついてますし。
いや、ほんとに「テリヤ」みたいなワンちゃんに見えますがな。
そういう言葉があるのですね~~
勉強になりました。
まさに日本文化の様式の極みですね。
良い言葉を教えていただきました。
ありがとうございました。
日本の柄は奥が深いです。
今は「判じ物」と言っても通じないし、
パズルとかトリックとか横文字ばかりです。
寂しいことですね。