これは「本」というよりパンフレットのようなもの、
京都の観光協会連盟というところが昭和32年に出したものです。
表紙の左上のほうに「京と 着物今昔」と金色の文字で書かれているのですが、
写真にはあまりはっきり写っていません。
内容は、京都の名所を紹介すると同時に、そこに着物の歴史も重ね合わせて・・
というような感じのものです。
たとえば平安神宮の前で、宮廷風俗の男女を配して・・といったような・・。
その中で、興味深いものがたくさんありました。
残念ながら全ページモノクロ・・カラーは表紙のみです。
ちなみに表紙は言わずもがなの「源氏物語」、大映の「浮舟」という作品で、
長谷川一夫さんと山本富士子さんです。
さて、興味深い写真のその一、
2枚とも「明治初期」、左は「祇園会物日の晴装」右は「京舞妓の夏の晴装」
「晴装」と言う言葉は広辞苑にも出ていないのですが、
ようするに「晴れ着」とか「盛装」の意味だと思います。
彼女たちは普段着で仕事をすることはないわけですから。
で、この着物の着方なんですが特に胸元、今とは違いますね。
元々芸妓さんや舞妓さんは、半衿を多く出しますが、
こんなには・・と言う気がします。
次の一枚・・こちらは醍醐・三宝院
ちょっと時代をさかのぼって・・太閤秀吉の「醍醐の花見」を模した風俗。
「安土・桃山」の頃と記述があります。カットしちゃいましたが、
この女性の右側には「秀吉」風の大名が略装で腰掛けています。
そこへお茶を運んでいるところ。つまり「侍女」という待遇の女性だと思いますが
なんともダボダボな着物ですね。
次はちょっと時代は飛んで、たぶん明治初期・・。
これは「八坂神社への七五三詣り」です。
以前お話しした「ほこりよけ」としての「角隠し」と「綿帽子」、
言っちゃなんですが、浮世絵のようなわけにはいかないですね。
右端のお姉さん、角隠しが「角」に見えてどーする・・・。
着物の衿の出し方、帯の締め方が特徴的、一番右の人の帯なんかシワよってます。
袋帯が丸帯のかわりに「盛装」にも使われるようになったのは、
昭和前後ですから、このころはまだまだ丸帯が盛装だったんですね。
しかも、帯締めを使っていませんから以前の「引き抜き」で結んでいるようです。
締めるときの幅も広いのが丸帯の特徴ですが、左の人おはしょりつぶれてる・・。
思うに、帯の締め方(お太鼓など)帯締めを締めるやり方が出てくるとか、
おはしょりが後からではなく先にされるとか、そういうさまざまなことが
からみあって、帯の前幅は半分になり、袋帯のような簡便なものが
主流になっていったのではないかと・・。それとこれだけ幅が広い帯だと
帯板なんて入れてまっ平らにしたら、お辞儀もできませんね。
次の2枚は、縦長でみづらくてすみません。
こちらは江戸後期「1818年前後」とあります。
その頃の江戸町家娘の略装、
こちらは同じ江戸後期ですが「1860年前後」
京都町家娘の略盛装。
いかがですか?両方ともゆったりした胸元、幅の広い帯、
大きなだぼっとしたものをぞろっと着て、
帯もゆったりしめていたんですね。
比較対象?に、昭和30年の着物の本から・・。
この写真を見たとき、なんか息苦しい感じがしたのですが、
よく見ると、衿元を思いっきり詰めて着ているのですね。
現代でも「若い女性は詰め気味に、中年以降はゆったりと・・」といわれますが、
昔は、それほど差がないように思います。
いかがでしょうか、こうして写真で見ると浮世絵より更に
リアルでよくわかりますが、本当に昔は「らく~~~」に着てたんですね。
以前は着物の身幅がいまより広く、室町から江戸初期ごろまでは
袖つけイコール袖丈で、「振り」はありませんでした。
ゆったり着付けて細い紐で結んでいた・・体にぴったりになるわけありませんね。
異国文化の流入が極端に少なかった時代、「着物」は国内だけで、
その地域や身分、職業、年齢などによってごくゆったりしたペースで
すこしずつ形を変えていったのだと思います。
下の写真は、どちらも京は島原の遊女。(ちなみに場所は、あの「角屋」です)
左は江戸中期1770年頃、右は江戸初期1683年頃、と記述があります。
80年と少しで、髪型やかんざし、着物の質(豪華さ・・といいますか)、
帯の幅、結び方・・そういったものがかわっています。
今、80年といったら、私の母が生まれた頃と今、ものすごい違いですね。
かわりようも、スピードアップしたわけです。
昔は流行の変わってゆくスピードだけでなく、
全てにゆったりとしていたのではないでしょうか。
それだと「そのときそのとき必要なものが、ニーズにあうようにかわってゆく」
ということが当たり前だったのではないでしょうか。
新しいものがでてきても、パッと生まれてパッとすたれていくのではなく、
それを必要とする人たちの中では広まり、こなれ、もっともいい形に
少しずつ変化してゆき、必要のないものやその時代にそぐわないものは
いつしか消えてゆく・・・。丸帯とか、留袖の左右両方同じ柄とか、
そういったものが少しずつみられなくなっていったのが、
そういう「ゆったりとした流れ」の、最後のものだったのではないかと
そんなふう思います。
全てがハイ・スピードで進んでいく現代、私たちは新しいものが出てくると
いいか悪いかわからないうちに、乗り遅れまいととりあえず乗ってしまいます。
あるいは、乗りたくなくても、それしかなくなってしまうから仕方がない・・、
そういう場合もありますね。なんだかいつも急いでいる気がします。
走りながら使ってみたり、着てみたり、それで「いいわ」と思っても、
やがてペットボトルやプラ容器などのように「便利だ便利だ」と言ったけど
今頃になって「ゴミ処理」に四苦八苦している・・・。
何をそんなに急いでいるんですかねぇ。スローライフでいったら、
着物はもう少し着られるようになる・・ってのは言いすぎ?
角隠しにはブッと吹きだしてしまいました。こわいです~。埃よけにしていたとは、こんなのかぶる手間より払うほうが楽なんじゃねえの?と思っちゃいますが、洗う・結う手間が大変だったからでしょうか。これは上方の習慣でしょうか。江戸でもこんなのかぶっていたのでしょうかね。江戸の人はしょっちゅうお風呂にはいってたんでしょう?質問だらけでスミマセン。
こうしてみると、やはり着物は、短足胴長・きしめん体型に合うようにできてるんですね。杉浦さんの本に書いてあったけど、手長足長は、かっぱらい体型として嫌がられたとか。
100年後の昭和30年代になると、モデルさんとはいえかなりのかっぱらい体型-手長足長になっちゃっているのに驚きます。私は170近くあるデカい女ですが、今のお嬢さん達も大きくて、着付けの先生達は着付けをする時蝉みたいになっちゃって大変だとこぼしてました。着る人がこう大きくなると、柄も変っていくんでしょうか。縞とか横段がまた流行ったりして。
きりっと衿を詰めた現代人、
顔小さく、手足も長い、
着方と体型の関係って密接ですね。
卵が先か、鶏が先か
興味ある着物姿の変遷でした。
面白い連続写真、雄弁に着物歴史を語ってました、
面白かったです。ありがとういございました。
ほんとに笑えます。いや、笑っちゃ失礼なんですが、もう一冊、別の本に、昭和初期の道を歩いている女性のスナップ写真があるんですが、今に比べれば「ずるーぞろー」で着方も人それぞれ・・。洋服のように、体のサイズに合わせているわけじゃないから、着方でずいぶん見た目もかわるんですよね。
江戸の女性も角隠しは、けっこう利用していたようです。舗装されていない道路の上、宇美皮があると風がふきますから、ほこりつぽい町だったようです。ちょっとおでかけのときは角隠し、特に庶民は近場は「手ぬぐいのあねさんかぶり」じゃないでしょうか。
江戸時代の美人は「胸は小さく、手足は華奢で、すらーっと『胴』がながい・・です。(あたしだ・・・)男性の平均身長が150ちょっとですからねぇ。百福様が当時の江戸にいらしたら、お気の毒ですが嫁の貰い手がなかったですね。洋風の暮らしになって、手も足もスラリと長い今の人、そういえば振袖の柄なんかも、バーッと派手で、大柄ですね。横段とか大きな水玉とか、今の人ならOKかも。時代はかわる・・ですね。
ほんとに、写真って雄弁ですよね。まぁ近代の和服の本は、モデルさんにきっちりきせて、洋風文化におくれを取るまいと、モダーンにシャープにしていますから、余計「ムリ」してる感じですね。私は幸いにも?昔体型だもんで・・でも、あそこまでスルズルゾロゾロはできませんねぇ。
帯の上ぐらいまで着物の衿開いていますね。
確かに今の着方の写真より昔のほうが見た
感じ楽そうに見えますね。
またこういう着方が流行るようになるの
かしら・・・
これだけ長襦袢の衿が見えたら半襟に凝る
ようになるのでは思ってしまいました。
確かに今の半衿じゃ模様たりないでしょうねぇ。
私なんか、ものすごく凝りそうな気がします。
右から左へ「物語」になったりして?!
ちょっとやってみたーい。
帯のしわしわに惹かれました。この当時帯芯て入れていたのでしょうか。古い帯に重くて厚い芯が入っていることがありますが、それではこの写真のような柔らかなしわはできないように思うのですが。帯板も帯締めをしめた時にしわができない為にと聞きましたが、しわってそんなにいけまいことなんでしょうかねえ。
「しっかりした兵児帯だ」と思えばしわも気にならないし、今度から自信を持って帯板なしで「古いやり方ですねん」と澄ましていよう。
明治にはいって「袋帯」というものが考案されるまでは、みなこの「丸帯」だったわけです。ただし、全部織の豪華なものは「盛装」用で、普段は染め帯のようなものであったと思いますし、上の「町家の娘」の写真をみても、りっぱな帯ですがやわらかそうですよね。きっとさらしをまく感覚・・だったのではないでしょうか。それと、これだけ幅広く巻いていると「猫背」になりようがありません。今よりみんな姿勢は自然とよくなったんじゃないでしょうか。服飾研究の教授が日本人は「帯」をしめることで、たいへん健康によいことをしていた、と言う説をとなえています。つまり骨格や筋肉だけでなく「内臓」にもいいと。そういえば、ひどい胃下垂の人はコルセットするとかありましたね。なにより「冷えません」し。
話しがそれました、ともかく、今見かける「厚手の丸帯」は、けっこう年代がさがっていて、もう花嫁さんとか留袖にしかしない帯なので、あれだけ厚手で重いのだと思います。上の七五三の帯の人も、そんなに固い帯にはみえませんよね。舞妓さんの帯は丸帯です、柔らかいし、あの幅のままではなくて、確か上を少し折って締めたと思います、やわらかいからできるんですよね。帯板をいれず、帯締めをしなきゃいいんです。帯締めで締めると「わら束縛ったみたい」に帯の真ん中だけしまって縦ジワができて、上下がひろがるからかっこわるいんですよ。横向きのシワはそれこそ「幅広の兵児帯」と思えばいいと・・。もっと自由でいいと思います。
まずは表紙の極彩色の写真に「ぶっ!」と噴出してしまいました。これが、美男美女と言われていた長谷川一夫さんと山本富士子さんなのですか?名前しか知らなかったのですが・・・・
そして次々出てくる着物姿の写真。
ゆる~
だら~
と、脱力系ですね。帯も確かに柔らかそうですね。これならかがんでも苦しくないかもしれません。それと襟元も半襟を思い切り見せていますね。
常々思っていたのですが、刺繍や柄の入っている半襟を持っていても、見せる部分は本当に少しで「せっかくの模様がもったいない」ですよね。半分に折ってしまうし。この時代のようにもっと見せて着たいです。
それにしても面白い。古本って楽しいですね
長谷川一夫サマは林長二郎といいましてね、私の母くらいの人のアイドルだったんですよー。
雑誌の古本は写真が多いですから。、一気にその頃にタイムスリップしてしまう感じです。
着物については特にここ100年くらいでものすごくかわっていますから、写真は貴重です。まだまださがしますからね。