着物は、男女ともに「右前」に着ます。
まずこの「右前」という言い方が、混乱を招きますね。
着物を少しでも知ると、この「右前」は、とりあえず「こっちむき」という形でインプットされます。
着物を知らない人は、えーっ着物って左前でしょう…と思います。
だって「左身頃」が前になってるじゃないの…です。
気持ちはわかるのですが、それは「前」ではなく「上」です。
つまり着物の場合は「どちらが先に、体の前にくるか」を基準としているので「右が先に前」で「右前」です。
着終わると「左上」になるわけです。
はい、ではここから「右前」のお話です。
先日、これもまたよそ様のブログでなのですが、(S様、お題いただいてます、すみません)
あるタレントさんが振袖の写真をブログアップした…胸元から上です。これが見事に「左前」…。
ブログ主様の記事によれば、そういう「アプリ」があるのだそうで、反転(左右をかえる)わけです。
鏡に写ったものを反転させるのだと思いますが、まぁ私も写真加工で反転を使うことはあります。
でも着物の場合、衿元がねぇ。
ところがそのタレントさんの記事のコメントは「キレイ、かわいい、すてき」だけで、
誰も前が逆だと指摘していなかったそうで…。まぁそれが今の着物の認知度…なのでしょうね。
さて、この時のコメントで「着物の柄ゆきによって、反対に着たいこともあったり」…とか、
「どちらでもいいようになっていくかしら」というような、そんなご意見も拝読しました。
実際、今のままでいったら、そのうち「どっちでもいいんじゃないの?」ってことになるかもしれません。
元々なぜ着物の着方は「右前」か、ということにはいくつか説があります。
大昔の話ですから、数学の公式のように「これでマチガイナシ」はありません。
「であろう」というお話ですが、まずは中国に倣った…で、
中国では紀元前から長く「匈奴」という騎馬民族(今のモンゴルからタリム盆地あたりの広域)が、
たびたび平地に降りてきての略奪、蛮行を行った…。
この侵攻を防ぐため、時の皇帝たちが「万里の長城」を築いたくらいですから。
この匈奴の最大の強みが「弓」でした。弓を射る動作では右胸が平らでないと、つっかかったりします。
着物の打ち合いは左前の方がいいわけですね。それで匈奴は「左前」だったそうです。
この「弓を武器とする匈奴と同じ左前に着てはイカン」と…。
それでまず中国の衣服の決まりとして「右前」にしなさいよ、が始まり、これが日本に伝わった…という説。
次に単純に「右利きが多くて、懐に何か出し入れするのに都合がよかったから」という説。
左利きの割合は、不思議と世界中どの地域でも変わらず、だいたい10パーセント前後だそうです。
もうひとつは「中国では、右より左の方が上、とされていたため、身分の高い人は左前、
低いものは右前、であったのを統一した」という説。
確かに「左の方が位が上」というのは、お雛様のお話の時にもしています。
帝の左には神様しかいないので、男雛は、こちらから見て段の一番上の右に飾る…関西式の飾り方ですね。
こんな感じでいろいろな説がありますが、要するに日本が中国の影響をたくさん受けていたことは間違いありません。
古墳時代とか飛鳥、天平と呼ばれる時代は、日本はとにかく「中国に倣え」で来ました。
それは服装も同じで、かの時代の服装や風俗は、中国風です。こんな感じ。
やがて奈良時代に入って「衣服礼」、「えぶくりょう」と読みます。これで、みんな「右前に着なさい」と、
お上からのお達しが出ます。それ以来の「右前」なんですね。
もうひとつ、日本には「仏教」が伝来しました。そこで葬儀の際には「生きているものとは逆」と
左前に着せることが慣例となっていきます。
これには「仏になればみな位があがる、そのため生きている人とは違う『左前』にした。
よって縁起が悪いわけではない」というお話も読んだことがあります。
もしかしたら本来はそういう意味での始まりだったのかもしれません。
でも私はそうかなぁと思っています。
元々仏教は「この世の苦しみから逃れる」…という教え。つまりは「あちらへ行ったら幸せになれるよ」…。
だから貴族などは、生きてるときから「極楽浄土に行かれますように」と、
りっぱなお寺を作ったり、芸術的な経本を納めたりりしたわけです。
どれだけ不幸が蔓延していたのか…とは思いますが、まぁ庶民は暮らしも大変だったでしょうし、
病気には打つ手なし、天災にはただひれふすのみ…そんな中で日々真面目に暮らし、善行を積み、
「経」を唱えれば極楽浄土に行かれる、そういう教えでしたから、
亡くなって仏になりあの世へ行くなら「今より幸せに」という願いで、
着物を生きている人間とは反対の着せつけにした…というわけです。
当時は「死んだ人が成仏せず迷う」というのは、とても困るし怖いことでした。
まだまだ「人ではないもの」の存在も信じられていた時代ですから。
だから「迷わず成仏しておくれ。あなたはもうこの世の人ではないのだよ」と、死者にいろいろ施したわけです。
それにはいろいろなことを「反対」にすることが、生きているものの側として一番安心できたのでしょう。
逆水、は、普段は熱い湯に水を入れてぬるま湯を作りますが、仏様には水にお湯を入れます。
経帷子も、後年、縫うときには、1枚の着物を二人以上で縫い、糸のお尻の止め玉を作らずに縫いました。
打ち合わせも逆なら、黄泉の旅路用のわらじも、前後逆に履かせました。
今は変わりましたが、私の実父のころは、お棺に別の着物を着せかけるときは、
さかさまに掛けて、裾が顔に来るようにしました。
私は「最初は位が上がるための左前」であったかもしれないが、庶民にとってはそんなことよりも、
この世に思いを遺して、化けて出るようなことがあっては困る…というほうが切実だったと思います。
だから「反対に着せるのは死者の着方」で、縁起が悪い…になったのではないかと。
今の人は「幽霊なんてしんじなーい」のかもしれませんが、それよりもなによりも、
お棺に入れる人の着物は、左前だ…という事実を知る機会が少ないのだと思います。
葬儀も自宅ではしなくなったし、いざ行ったらもうお棺に入ってる、なんてことも多いし、
ご近所の葬儀の手伝いもなくなったし…私今回、主人の湯灌には立ち合いましたが、
いわゆる「おくりびと」のように、目の前で着物を着せつけるところまではありませんでした。
「このあと経帷子のお着付けをさせていただきます」で、おしまい。
つまり身近な親族でさえ、反対に着つけていることは、元々の着物の着付けを見慣れていなければ
気が付かないわけです。
以前、主人の友人からの年賀状の写真のお話を書いたことがあります。
毎年お嬢さんの写真が年賀状の図柄なのですが、その年、成人式の着物の写真で
これがみごとに「左前」でした。ナンタラアプリ…だったのでしょう。正直なところ、私の年代では「無礼モノ!」です。
正月早々、えんぎでもない…ですね。でもまぁ知らないのだなぁで、何も言いませんでしたが、
年賀状作りや宛名印刷には、当然親も関わっているはずです。
手を出さなくても「仕上がり」は見ているでしょう。その時に「これ逆だよ」と気づかない…のは年のせい?
たぶん当時でも50代前半から半ばと思いますが…。
もし私が「これは、死んだ人をお棺に入れるときに着せる着方です」とお知らせしたら、
どんなふうに感じたでしょう。「古いこと言ってる」「そんなもんどうでもいいじゃないか」どころか、
かえって「エンギの悪いこと言うな」かもしれません。
唐突ですが、今、戦争を知る年代の人がどんどん減って、実体験を話す人も
すでに「当時子供だった」人が増えてきています。
父は今年81才ですが、終戦の年は12歳でした。学童疎開や、食べ物がなかったことは覚えていますが、
戦争に行ったわけではありません。空襲も疎開していましたから、命の危険を感じる経験はないようです。
こうなってくると、もうしばらくしたら「戦争」を子供時代でも体験した人がいなくなります。
だから今「伝えなければ」と、今まで口が重かった老人たちが、話をしているわけですね。
着物も同じ…といったら語弊がありますが、話さなければ伝わらない。知ろうとしなければわからない…です。
これから先も、葬儀がなくなることはありません。家族葬だのなんだのと形態はかわっても、
死者に経帷子を着せるのは「左前」です。これを「見て知る」ことは必要だと思います。
また「柄によってはこっちを出したい」…の気持ちはわかります。
昔とはセンスも違ってきていますから。また古着などでは、前が汚れているのよね、もあるでしょう。
でも、着物はそれを仕立て直してなんとかする、という工夫のつくもの、であるわけです。
また絵羽や、附下小紋などは「こう仕立てると一番いい柄がでますよ」…と染めてあったりもするし、
浴衣などはあとで「こんなとこにこんな柄が来ちゃった」がないように、先に柄あわせというものをして、
それから裁ちます。つまり、「こっちを出したい」は、着方だけで変えなくてもなんとかなる場合もあったり、
どうしてもだめな場合は、着方を買えるのではなく、別の方法を考える…というものだと、私は思っています。
相変わらず長くなって申し訳ありませんが、洋装の前は男性と女性で違いますね。
男性は着物と同じ、女性は反対です。つまり男性は「右前」、女性は「左前けです。
これの起源はそれほど古くありません。
元々前の打ち合わせは、どっちもあった…というのがヨーロッパの歴史だそうです。
洋服の場合の打ち合わせは、ボタンの発達によって決まってくるわけで、
ボタンそのものの歴史は、紀元前からありますが、今でいうピンズや徽章のような使い方だったり、
どこかを広がらないように止めたりという使い方。
今の洋服の前を合わせたり、袖口をきっちり締めたり、そういう目的で、小さなボタンを並べるようになったのは
、ヨーロッパで14世紀ごろ…だったと思います。
当然、最初は貴族から…で、なんで男女で違うのか…これがまた着物よりあいまいでして…。
男性は剣を左に下げるので、抜くのに右前の方がいい…、ま、これは日本でもそうですからね。
女性は…自分で着るより召使に着せてもらっていたから…。その召使は誰に着せてもらってたんだ…。
とまぁいい加減でして、実際のところ、どちらもあったようですが、
18世紀あたりから「仕立てのための記録」といいますか、いわゆる「洋裁本」などが残され、
やがてファッションを紹介する本が出始めたころから、定着していったようです。
一着ずつ仕立てていた時代は、お好みでどちらでもよかったと思いますが、
少しずつ「大量」に作れるようになってくると、同じ裁ち方、同じ作り方の方が、効率がいいですから。
けっこういい加減…と言ってはなんですが、そんな新しい時代の出来上がり方でも、
今、それが定着して、オーダーで作っても「私はこっちがいいから」と、女性が右前には作りません。
これってそれを「見慣れている」からなんですね。ほんとはどっちでもかまわないのに、
もし反対の打ち合わせを着ているのを見たら、洋服に慣れた私たちは「あ、男物なんだ」って思うでしょ。
歴史の浅い洋服の打ち合わせさえ、それなんです。
洋装とは違う「縁起」というものを含む理由であることもあわせて伝えていくためにも、
着物はしっかり右前で着ていただきたいものだ…と思っているのです。
左前…そうですね…今の方達は 分かっていない 目にもしてないかも知れません。
父の 装束は 葬儀屋さんが用意したもののも有りましたが… 近所のオバチャン達が あれよあれよと言う間に ハサミは使っちゃダメだの 糸結びはダメだの… と テキパキ指示が飛び交い 私も縫いました……洋服の左右さえ 若い人わかっていない場合も有りますよ。
羽織は背中に帯の丸みがないと、
平坦で形がよくありません。
なので半幅を結ぶときは文庫にするといいです。
和裁どころか、ボタンつけもどうかという人もいますしね。
女性のボタンは、実は右利きには「とめにくい側」です。
それでも子供のころからそれだと、
ちっとも不自由を感じないのが「慣れ」なんですね。
あらぁこちらこそ、勝手に書かせていただいてすみません。
問題の…なんて、そんな問題発言ではありませんし。
歴史が長いものって、その下にたくさんの人の思いや、
暮らしのさまざまなことが積み重なっているものだと、
つくづく思います。
葬儀も結婚式も、最近は様変わりです。
どうなっていくのでしょうねぇ。
お母様を最近失くされたのですね。
ご愁傷様です。私は5年に亡くしました。
故人にして差し上げることは、ご本人が言い残していない限り、
生者の思い、だと思います。
今年主人の葬儀の時も、あまりに急で何も言い残しませんでしたから、
祭壇もお棺も、骨壺も、みんな私が「主人ならこれかしら」と、
私が選びました。
クリスチャンという宗教上のこともあるなら、なおさら、
ご本人の意向を汲んで決めて差し上げることは、
一番いいことだと思います。
ただまぁ私は「死者は左前」にこだわっているわけではなく、
生きている日本人のかたなら、日本の文化を理解して
着物を着てほしいと、
そういう気持ちなんです。
お断りもせず、お題に使ってすみませんでした。
母が「着物」というカテゴリーを、私の暮らしの中に、
作っておいてくれたおかげで、興味関心を
ずっと持ち続けています。
深いですねぇ着物は…。