
写真は以前ご紹介の菊の縫い取りお召し。
記事はこちらとその前日です。
着物の柄には、菊がよく使われます。
今日は菊柄のハギレをはさみながら…でいってみます。
こちらはじゅばんだったもの、菊作りでいうところの「厚物」というのがあり、
花びらが密集してこんもりした感じのもの、それの外側の花びらが、
長く広がってたれているものを「厚走り」といいます。たぶんそれ…。

菊は中国、唐の時代から渡来しましたが、当初は「薬草」、
万葉集には「菊」を花として愛でた歌はないそうです。
観賞用になったのは、しばらくたってからだったんですね。
しかも後年は菊の改良が進んで、最終的には中国に輸出するようになりました。
こちらはちょっと平面的、唐傘みたいに見えますね。

よく書いております「陰陽道」で、9という数字は「陽」の数字、
九月九日はそれが二つ重なるので「重陽」となります。
菊の咲くころ、ということで菊節句といわれるようになったわけですが、
平安雅の時代には、この日に菊の花びらを浮かべた「菊酒」を飲んだり
前の晩から菊の花に「綿」をかぶせておいて、朝露を含ませ、
それで身を拭うことで「病魔退散」や「長命」を祈ったり…
といった「行事」がありました。
「朝露を含ませた綿」ということで、コレではないかと思う図柄です。
集めてやんごとなきお方のところにもっていくところ…ではないかと。

この帯についての過去記事はこちら「丸帯」、写真は下のほうにあります。
そんなことから菊の柄も吉祥柄として装束に用いられました。
皇室のご紋は「十六八重菊」ですが、実は定着したのは鎌倉以降だそうです。
江戸時代、武家は家紋を大切にし、やたらと他人使わせたりはしませんでしたが、
皇室はそういうところ「鷹揚」なんですね。使用は庶民も自由でしたから、
京都の町では、菊の柄がさまざま使われました。
今でも和菓子や飾り瓦、仏具など、あちこちで使われてますね。
こちらは錦紗の着物でした。
ものすごっく赤くて、そばで見ていると眼がチカチカします。

本物の花のほうの栽培が盛んになったのは江戸時代です。
だいたい江戸時代というのは、植物の「品種改良」がやたらと行われた時代です。
今のような「遺伝の法則の知識」だの「バイオ化学」だのもなかったわけですが、
何年もかけて、菊や朝顔、撫子など、改良しやすいものはどんどん新種がうまれ、
「菊合わせ」とか「朝顔市」などで競い合いが行われました。
栽培については、本職、つまり今で言うところの「ガーデナー」のみならず、
実は「武士の内職」としてよく行われました。
身分の低い武士は、お上からいただく扶持米だけでは到底たりませんでしたから、
内職するのがアタリマエ、武の道で剣道を教えるとか文の道で字や書を教えるとか
いろいろやりましたが、趣味を生かして「盆栽」や「花」を作ることも
多かったそうです。
和之介のギャラリーに出ているもの(いいかげんとりかえませんとね)
糸菊、でしょうか、花火みたいですね。これは「管物」でしょう。
花びらの一本一本が「管」になっているものです。

ほんとならこの辺でお話を終らせれば、
「とんぼの記事はいつも長い」といわれなくていいのでしょうが、
ついつい思いついてしまうのです。
お付き合いしてくださるかた、お読みください。
毎年この時期になると思い出すのが「雨月物語・菊花の約(ちぎり)」。
ご存知のかたも多いと思いますが、義兄弟の契りを交わした「兄」のほうが、
かつて恩を受けた上司の敵討ちに国へ戻りますが、
頼りにしていた「いとこ」も、すでに仇にへつらう身。
ならばと、義弟との約束の9月9日までに家に帰りたいと申し出ますが、
新しい「主君」となった尼子経久はそれを許さず彼を閉じ込めてしまいます。
約束の日までに帰れなくなった「兄」は、人は日に千里を行くことはできないが
魂は日に千里を行く…という古人の言葉を思いだし、切腹して霊魂となって
約束の日の夜中に「義弟」の元に帰ります。
幽霊となった兄から話を聞いた義弟は、すぐに旅立ち、
身内でありながら「兄」を助けなかったいとこを討ち果たして逃げます。
事の次第を聞いた尼子経久は、二人の信義に感じ入り、
義弟の後をおわせなかった…というお話し。
走れメロス、などもそうですが「心から信じる」「互いに信頼しあう」
ということ、アタリマエなのに、なかなか難しいことです。
あるかたが「人間は自分が物体だから、物体を信じる。
形のないものは不安でなかなか信じられないものなのだ」と言いました。
なるほどねぇです。愛情とか友情とか信頼とか…、
眼にみえないだけに、これを貫くことはむずかしいけれど大切なこと。
おりしも「相撲界」で「(大麻を)吸った吸わない」「ぜったいやってない」
「信じているからどこでも検査すりゃいい」…。
結局、信頼もへったくれもありませんでしたが、
さて、そうなってから「責任とってやめます」だけで、
相撲を見る側への私たちに対して、あの「元理事長」さんは、
約束を果たした気でいるのでしょうか。
菊のねっこでもひたしたお酒飲んで、考えてもらいたいものです。
最後は、血がつながらなくても見事に「兄弟」として生きた二人になぞらえて、
「二輪の菊」です。錦紗ちりめん、ハギレなのが惜しいですね。

今日から突然の「秋」、気温は高いですが空気が乾いていて、
風が通るととても気持ちがいいです。
つけたり消したり冷房だの除湿だのと、リモコンがはなせなかったクーラーも、
本日は久しぶりのお休み…これから数日はこんな陽気だそうで、ありがたやー。
記事はこちらとその前日です。
着物の柄には、菊がよく使われます。
今日は菊柄のハギレをはさみながら…でいってみます。
こちらはじゅばんだったもの、菊作りでいうところの「厚物」というのがあり、
花びらが密集してこんもりした感じのもの、それの外側の花びらが、
長く広がってたれているものを「厚走り」といいます。たぶんそれ…。

菊は中国、唐の時代から渡来しましたが、当初は「薬草」、
万葉集には「菊」を花として愛でた歌はないそうです。
観賞用になったのは、しばらくたってからだったんですね。
しかも後年は菊の改良が進んで、最終的には中国に輸出するようになりました。
こちらはちょっと平面的、唐傘みたいに見えますね。

よく書いております「陰陽道」で、9という数字は「陽」の数字、
九月九日はそれが二つ重なるので「重陽」となります。
菊の咲くころ、ということで菊節句といわれるようになったわけですが、
平安雅の時代には、この日に菊の花びらを浮かべた「菊酒」を飲んだり
前の晩から菊の花に「綿」をかぶせておいて、朝露を含ませ、
それで身を拭うことで「病魔退散」や「長命」を祈ったり…
といった「行事」がありました。
「朝露を含ませた綿」ということで、コレではないかと思う図柄です。
集めてやんごとなきお方のところにもっていくところ…ではないかと。

この帯についての過去記事はこちら「丸帯」、写真は下のほうにあります。
そんなことから菊の柄も吉祥柄として装束に用いられました。
皇室のご紋は「十六八重菊」ですが、実は定着したのは鎌倉以降だそうです。
江戸時代、武家は家紋を大切にし、やたらと他人使わせたりはしませんでしたが、
皇室はそういうところ「鷹揚」なんですね。使用は庶民も自由でしたから、
京都の町では、菊の柄がさまざま使われました。
今でも和菓子や飾り瓦、仏具など、あちこちで使われてますね。
こちらは錦紗の着物でした。
ものすごっく赤くて、そばで見ていると眼がチカチカします。

本物の花のほうの栽培が盛んになったのは江戸時代です。
だいたい江戸時代というのは、植物の「品種改良」がやたらと行われた時代です。
今のような「遺伝の法則の知識」だの「バイオ化学」だのもなかったわけですが、
何年もかけて、菊や朝顔、撫子など、改良しやすいものはどんどん新種がうまれ、
「菊合わせ」とか「朝顔市」などで競い合いが行われました。
栽培については、本職、つまり今で言うところの「ガーデナー」のみならず、
実は「武士の内職」としてよく行われました。
身分の低い武士は、お上からいただく扶持米だけでは到底たりませんでしたから、
内職するのがアタリマエ、武の道で剣道を教えるとか文の道で字や書を教えるとか
いろいろやりましたが、趣味を生かして「盆栽」や「花」を作ることも
多かったそうです。
和之介のギャラリーに出ているもの(いいかげんとりかえませんとね)
糸菊、でしょうか、花火みたいですね。これは「管物」でしょう。
花びらの一本一本が「管」になっているものです。

ほんとならこの辺でお話を終らせれば、
「とんぼの記事はいつも長い」といわれなくていいのでしょうが、
ついつい思いついてしまうのです。
お付き合いしてくださるかた、お読みください。
毎年この時期になると思い出すのが「雨月物語・菊花の約(ちぎり)」。
ご存知のかたも多いと思いますが、義兄弟の契りを交わした「兄」のほうが、
かつて恩を受けた上司の敵討ちに国へ戻りますが、
頼りにしていた「いとこ」も、すでに仇にへつらう身。
ならばと、義弟との約束の9月9日までに家に帰りたいと申し出ますが、
新しい「主君」となった尼子経久はそれを許さず彼を閉じ込めてしまいます。
約束の日までに帰れなくなった「兄」は、人は日に千里を行くことはできないが
魂は日に千里を行く…という古人の言葉を思いだし、切腹して霊魂となって
約束の日の夜中に「義弟」の元に帰ります。
幽霊となった兄から話を聞いた義弟は、すぐに旅立ち、
身内でありながら「兄」を助けなかったいとこを討ち果たして逃げます。
事の次第を聞いた尼子経久は、二人の信義に感じ入り、
義弟の後をおわせなかった…というお話し。
走れメロス、などもそうですが「心から信じる」「互いに信頼しあう」
ということ、アタリマエなのに、なかなか難しいことです。
あるかたが「人間は自分が物体だから、物体を信じる。
形のないものは不安でなかなか信じられないものなのだ」と言いました。
なるほどねぇです。愛情とか友情とか信頼とか…、
眼にみえないだけに、これを貫くことはむずかしいけれど大切なこと。
おりしも「相撲界」で「(大麻を)吸った吸わない」「ぜったいやってない」
「信じているからどこでも検査すりゃいい」…。
結局、信頼もへったくれもありませんでしたが、
さて、そうなってから「責任とってやめます」だけで、
相撲を見る側への私たちに対して、あの「元理事長」さんは、
約束を果たした気でいるのでしょうか。
菊のねっこでもひたしたお酒飲んで、考えてもらいたいものです。
最後は、血がつながらなくても見事に「兄弟」として生きた二人になぞらえて、
「二輪の菊」です。錦紗ちりめん、ハギレなのが惜しいですね。

今日から突然の「秋」、気温は高いですが空気が乾いていて、
風が通るととても気持ちがいいです。
つけたり消したり冷房だの除湿だのと、リモコンがはなせなかったクーラーも、
本日は久しぶりのお休み…これから数日はこんな陽気だそうで、ありがたやー。
九九からキクとなったのでしょうが、こじつけとは言え良いものです。
菊の柄は工房でも良く使います。
でも一番好きな菊の柄は乱菊。
柄の形を美しくするのは可成り絵の才がないと出来ません。
緩やかな曲線と先っちょの返りのバランスが一枚づつ様になっていないと形が収まりません。
難しいから好きなのかも。
菊の日に因んだ「雨月物語」も考えさせられます。
国民に対する「義」を忘れた輩が多すぎますね。
政治家も理事長さんも、社長さんも。
着物の柄に多い菊も色々種類がありますね。
ちなみに私は花火のように見える糸菊が
好きかも・・・
真っ赤な菊は彼岸花かと思うぐらい真っ赤
ですね。
全く頭にありませんでした。
とんぼさん、さすがです!
菊って日本人に愛されてきたのですね。
いろんな種類があるなあ~と感心しました。
昨日の重陽は、これといったこともしなかったのですが、なんとなく、「今日はお節句だな。」と念頭にあると、それだけで少し華やいだ気分で過ごせました。
きっと、我知らず、根っこに沁み込んでいる「ケとハレ」遺伝子のなせる技!ですね~。
下戸の身としては「菊酒」もにおいだけで
ご利益なさそーですー。
季節の行事っていいものですね。
菊は花を選べば清楚にも豪華にもなりますね。
気品のある花で、私も好きですが。
「義」とか「恥」とか、
みーんなわすれちゃってますねぇ。
陽花様
糸菊って、線は細いのに華やかですよね。
あの赤は、ほんとに目がおかしくなるんです。
よくきたものだと思いますね。
言われてみれば、菊の色ではありませんよね。
ほんと彼岸花みたい…こわいですー!
てまりばな様
暦にあわせて暮らしていた日本人にとって、
季節を感じることは大切なことだったんですね
菊はほんとにいろんな種類かあります。
菊人形なんての、昔見に行きましたわ。
ゆん様
今日は何の日、ではありませんけれど、
何か意味があるって楽しいですね。
そうそう「にっぽんなでしこDNA」ですよ。
平安柄って今物にも結構あるのですが、絵がイマイチな物が多いんですよねぇ。
とんぼさんも書かれていますが、この帯の絵は良いですねぇ・・・・
裏のタレの上の馬上の貴人の絵!
先日オークションに織りの帯で出ていた図柄と一緒です。
ああ、こういう絵を見て由来が分かる人になりたいですわ。
肝心の菊の柄ですが・・・・
こういうびっしり菊のような柄っていつまで着て良いんでしょう?
私、着物は持っていないのですが、羽織であるんです。
今はあまり押し詰まらない年内に着ちゃってるんですけど。
この帯はほんとに「出会い」だったと
今でもそう思います。
結局「黄変」はとれず、髪のメッシュなどだけ
直してもらいました。
物語のある柄はステキですねぇ。
菊柄だけびっしり…というのは、
やっぱり11月、でしょうね。
まぁ正月の花だって菊使いますからねぇ。
でも季節間でいうと「秋・晩秋」までだと…。
以前1月に菊柄を着ていた人がいて、
別の人が「菊って秋じゃない?」といったので
「ありゃきっと電照菊だよ」と言った私です。