まずは昨日のミニ・カツラをまたちょっと…。
トップ写真は「禿島田」、「かむろ」もしくは「かぶろ」、元々は平安時代の子供の髪型、いわゆる「おかっぱ」です。
しかし「禿」は「はげ」とも読む…私は毎度なんでやねん、と悩むのですが…。
古来の「禿頭(とくとう)」とは、いわゆる脱毛によるものではなく「剃りあげたスキンヘッド」のこと。
なにか共通項があるんだか、単に漢字の読みの別なのか…知ってる方教えてください。
「禿」は遊女の見習い、といいますか10歳前後で吉原に入り、花魁や振袖新造などの身の回りの世話をしながら、
将来遊女となるべくさまざまなことを学ぶわけです。このカツラと同じタイプの実際の写真がありました。
よそ様のブログですが、こちらです。
但し、元々は最初の説明どおり「禿」はおかっぱ頭でした。もっとも近いのがこの子かな。
(余分ですが、真ん中の人は京都ですから花魁じゃなくて「太夫」、帯も「まないた」ではなくて「心の字結び」ですね)
江戸も後期に入ってくると、禿も花魁と同じように島田を結い、子供らしく華やかにかんざしをつけたわけです。
トップ写真のように髷の後ろ側も、大きな絞りの飾りが華やかというより「子供」であることをあらわしています。
前から見た華やかなかんざしはこちら。
もう一枚は、ぐっと簡素な髪型、「天神髷」と呼ばれるもので、江戸後期の髪型、
これも実は元々は遊女の「位」の名前をとったといわれています。
つまりその筋の人が結っていまして、最初は真ん中の「あわび」みたいなカタチの両方にも
蝶ネクタイのように、横に張り出した髷がありました。
これが一般の若い女性にも結われるようになるにしたがって、左右の「羽」もなくなり、簡素なカタチになりました。
このカツラの真ん中の髷の周りには、名残のように髪が細く巻きつけてありますが、更に簡略化されて
このあわび型のまわりに手柄などをぐるりと巻いたものは「布天神」とか「輪なし天神」と呼ばれました。
明治くらいまで結われていたようです。どう見ても「粋」なのですが、一般の若い女性の髪型だったそうです。
島田髷、というのは島田の女郎衆が考えたとか、島田万七という女形が結ったとか、諸説ありますが、
「島田女郎衆が…」というのが通説になっています。実はこんなページを見つけまして、その名も「島田髷まつり」。
いやぁミゴトにさまざまな島田であることと、全員「帯締めナシの本式角だし」です。
背中のウチワには、それぞれの髪型が書かれています。いや楽しいですわぁ。
いつかぜひ思いっきりこの「結髪」を見にいきたいと思っているのですが…。
こちらが島田です。髷も小ぶりで手柄もかわいいので「乙女島田」。この髷がグンと高くなると「高島田」になります。
基本的な形を言うと、実にシンプルで、纏めた髪を元結の上で折り返す…なんですが、
これを基本とするなら、実は島田髷以前の髪型にも「折り返し」式の髷はあります。
しかし、「島田」と名前をつけ、形を決めて結われるようになってからは、爆発的に流行し、
娘も年増も、素人も玄人も結うようになったわけです。
そのかわり、とにかく元がシンプルなものですから、高さを変えるのどこをつぶすのと、あれこれアレンジされまして
「禿島田」もそうですが「奴島田」「投げ島田」「つぶし島田」「娘島田」「芸者島田」…と、バリエーションは一番多いです。
また「水車」とか「おしどり」と呼ばれるものも、原型は島田なので、分類上はそれに入る…。
分類ってナニ・・・いえ、別に化学式じゃないんですから、細かく規定があるわけではありませんが、
日本髪の「原型」は、大きくわけて4つ「兵庫」「島田」「先笄(さっこう)または笄髷」「勝山」であるといわれています。
この違いは、「根」、つまり前髪と両方の鬢、そして後ろの髱、これをまとめたところ、
早い話がポニーテールのゴムでしばるとこです。ここから先をどうするか…という違いです。
「兵庫」は、今に至るも「花魁」の髪型ですが、元々はやっと女性が髪を結い始めた室町ごろのもので、
唐輪といわれる大陸風の髷が基本、ポニーテールの先を立てて折って、その根元を残りの髪でグルグル…。
これのさまざまな変形が、あのドハデ大型、になったわけです。
「島田」は、元は若衆髷が基本、上記のように「元結のところで折り返し」です。
「先笄(さっこう)」は、唯一「上流社会」から出た髪形、宮中でも髪型に変化はありました。
これは笄を横に倒して、それに髪を巻きつけてまとめる形。
元々は「笄髷(こうがいまげ)」で、一般に浸透してからは笄を使うものの、島田の要素もあり…という
分類が難しいものでもあります。大元は武家の髷…で、後年「上流」に戻った髪型も考案されました。
それが「大奥」などで見る「片はずし」です。
「勝山」はポニーテールを後ろから前、つまり下から上にぐるりと輪にして、
残りは髷の中におさめ、手柄など結んで隠す…。
今回の「ミニカツラ」には、残念ながら「勝山系」がありませんでしたが、写真はこちら。
元々は輪の部分は巾の狭いままでしたが、それを広げるようになりました。
そしてこれがだんだん変形して最終的にこちらになりました。
そう、女性アコガレの「丸髷」です。上のペタンと細かった部分が広がったわけですね。
元々は4つといわれていますが、実際に同時に4つ原型ができて、ヨーイドンで進んだわけではありません。
お互いにいいとこ取りで影響しあったりしていますから、島田で勝山の要素など、
どちらともいえる髪型もたくさんあります。
髪型の話を始めると、なんかまたとまらなくなりそうです。
もう一回くらい…髪型のお話しになってしまうかもです。
スライドショーができるというので…やってみました。デカイ…。
あらまぁ、うらやましいお話しですー。
島田髷まつり、ぜひ行ってみたいです。
地毛で文金高島田なんて、ステキですねぇ。
私、新日本髪でしたから、そんなに本格的ではなかったのですが、
それでも「結えるヒト」でしたから、
「ホラ、寝ちゃわないのよ」なんて叱られながら
結ってもらってました。油つけたり、梳いたりされると、
首や頭が持っていかれて首疲れましたよ。
でも楽しい時間でしたねぇ。
今じゃ結ってくれるところを探すのが大変です。
はい「間諜」、「しのび」のことを言ったというそうですね。
その場合は「かぶろ」であったという記述を読んだことがあります。
おっかないですよねぇ子供の風情で…。
あの「大五郎」カットですよね。
着ているもののかわいさとのギャップがねぇ…です。
なるほど、そこから出たのだと考えると納得ですね。
ありがとうございました。
日本人は顔つきも体型も変わりましたわ。
それでも黒髪なら、まだ着物に合うと思うのですが、
最近は金髪茶髪で、てんこ盛り…。
なんか外国人が着ているみたいで…。
昭和は遠く…なんて思ってましたが、
日本人も遠くなる??おぉぉぉ。
書けないし読めないし…です。
島田髷まつり、行ってみたいですねぇ。
いろいろと「品評会」みたいになったりしそうですが。
島田市には住んでいたこともあり、島田髷祭り見に行きましたよ。
髪結いさんは前日から相当忙しいそうです!
ちなみに、島田市で結婚の記念写真を撮ったので、市内の髪結いさんに高島田を結ってもらいました。
鏝を使い、固形の椿油を使い、資料で見ただけのいろいろな道具を使い、ここはこうなっているのか!ここはこうするのか!と思うことばかりで、それはそれは幸せな楽しい時間でした!
禿=かむろ
のようです。
時代は忘れましたが、髪を切りそろえたこども姿の間諜をさして言う言葉でもあったと聞いたこともあります。
(この場合「かぶろ」だったような)
うっかり雲上人のうさわも言えなかったとか(^▽^;)こわいですね。
大河を見ていて、髪の結われ方でどうやって結髪してるか????
の時があります。
とても参考になります。
ありがとうございます。
そこから来たのではないでしょうか?
色んな日本髪の形を見せていただいて思ったのですが、日本人の顔って変わったんですねぇ。
今、こういう髪形して似合う人ってなかなかいませんものねぇ。
これって見慣れない所為ばかりでは無いと思うんですけど。
ひらがながなければ読めない字の多い事。
島田髷まつりはほとんど地毛で結っておられる
のですね。角だしも色々で楽しい!
実際に見に行きたいですね。