毎日、本をちょこちょこと眺めています。
まずトップ写真は「カメラの旅」という企画、この号は「良寛さま」、
つまり「良寛和尚」の過ごした越後の旅です。
この写真では後ろの山が「良寛が庵を結んだ国上山の遠望」だそうです。
カメラ好きのかたのために書き写しますと(?)
ローライコードⅣ F3.5 75ミリ 1/100秒
エクタクロームタイプAだそうです。(ワカラン…)
屈託のない笑顔、素朴な姿、なんか懐かしいです。
私もこの頃、1~2歳下くらいの年ですが、私の住んでいたところは
町場、というのでしょうか、下町でしたから、
とりあえず家で遊ぶときなんかは、こんなかっこうでしたが、
学校に行くときは綿入ればんてんは、なかったように思います。
かばんもランドセルでしたね。こういう白のズックカバンは、
中学校の男子生徒のものでした。一番前の子はもんぺのようですね。
それにしても「越後美人」です。この少女たちも、今は60くらい、
お元気でいるのかなぁ、そのまま越後で暮らしてるのかなぁなんて思いました。
さて、とんぼのブログでは「つれづれ」でもあんまり料理の話しを書きません。
わけは聞かないでくださいねぇ。
でも、今回の本には「料理満載」なので、ちょっとだけ…。
時節柄、おせちの準備を…?!
驚いたのは、この年、つまり昭和33年ですが、
すでに「現代風おせち」として、昔ながらの「黒豆・お煮しめ・伊達巻…」
なんてのにかわって、今風料理が紹介されていることです。
戦後、どんどん「家庭」というものも変わって、一軒に三世代、とか
舅姑と同居…なんていうのが、都会では減ってきたことや、
「友人たちを呼んで新年会」なんていうことが始まっていたのでしようね。
ただ、そういうのは都会の一部だったと思いますし、
親と同居ではできなかったろうし、新しいことよりやっぱりお正月は
昔ながらの…という料理を好んだ人が、多かったんじゃないでしょうか。
我が家も、私が結婚したあとくらいから「そろそろもう面倒だし」と、
父も伊達巻作りをやめて市販品の小さいのを買うようになり、
鬼殻焼きや昆布巻きは、好きな人が少ない…と、やめるようになりました。
すきなものがいいよね、と独自の「おせち」を作り始め、
「縁起」より「好み」になっていきましたね。
写真のものは「若い人好み」の「大皿盛りのお正月料理」と「中華風おせち」
いやこの「大皿」のほうに「リンゴ入りきんとん」があったのですが、
ありゃこんな昔からあったのかと、ちとおどろき…。
母はいつも普通の栗きんとんでしたが、私は結婚してから、
リンゴとサツマイモのこっち、さっぱりしてていいんですよね。
ついでに残ったら、トーストにぬってシナモンかけても食べられるし。
いろいろ工夫はしてあるのですが、一つには「写真の印刷技術」で、
とにかく「おいしそーじゃない…」、いやわかってますけどね。
それとこの時代、一般家庭に冷蔵庫はあっても「フリーザー」はついてません。
つまり「冷凍食品」がないんですよね。だから、広告のページはこんなのが…
まるは、あけぼの、はごろも、アヲハタ…こけしもかろうじて記憶にあります。
今缶詰なんていうと、ほんとに「非常食」という感じですけれど、
冷凍食品のなかった時代は、ほんとに便利な素材だったんですよね。
だから缶ケリもラクラクできたって…ちがうってば。
私は今でも「シャケ缶のあの白いグズグズの骨」すきですねぇ。
最近はみんな「シャケ缶」より「シー○キン」になっちゃいましたけど。
調味料も「マヨネーズ」とか「ケチャップ」なんてのが、
家庭で当たり前に使われるようになってましたが、
我が家は毎日「京のおばんざい」みたいなおかずが多かったですから、
この「シャケ缶」ときゅうりの薄切りにマヨネーズってのは、
私にとってのごちそうでした。母にしてみりゃ「手抜き」だったのかも。
アスパラガスも、初めて食べたのは缶詰でしたから当然「ホワイトアスパラ」、
ホンモノ?のグリーンアスパラをはじめてみたときは、
「まだ白くなってないじゃん」なんて、アホなことを考えました。
元々「おせち」というのは「日持ち」がするように、
蒸したり似たり焼いたり、そういうものですから、
冷凍素材もなく、缶詰と半生くらいのものでこんな風に作るのは、
やっぱり一般的になるには時間がかかったでしょうね。
さて、我が家のおせちは、もうず~~っと「手抜きおせち」です。
母が火鉢で黒豆をことこと煮ていたのを思い出しつつ、
「フ○っこのおおまめさん」でごまかし、なますは主人が嫌いなので、
大根サラダでごまかし、おもちも「パック」おそなえも「パック」…。
おーちゃく主婦のおせちは、こんなもんです。
まずトップ写真は「カメラの旅」という企画、この号は「良寛さま」、
つまり「良寛和尚」の過ごした越後の旅です。
この写真では後ろの山が「良寛が庵を結んだ国上山の遠望」だそうです。
カメラ好きのかたのために書き写しますと(?)
ローライコードⅣ F3.5 75ミリ 1/100秒
エクタクロームタイプAだそうです。(ワカラン…)
屈託のない笑顔、素朴な姿、なんか懐かしいです。
私もこの頃、1~2歳下くらいの年ですが、私の住んでいたところは
町場、というのでしょうか、下町でしたから、
とりあえず家で遊ぶときなんかは、こんなかっこうでしたが、
学校に行くときは綿入ればんてんは、なかったように思います。
かばんもランドセルでしたね。こういう白のズックカバンは、
中学校の男子生徒のものでした。一番前の子はもんぺのようですね。
それにしても「越後美人」です。この少女たちも、今は60くらい、
お元気でいるのかなぁ、そのまま越後で暮らしてるのかなぁなんて思いました。
さて、とんぼのブログでは「つれづれ」でもあんまり料理の話しを書きません。
わけは聞かないでくださいねぇ。
でも、今回の本には「料理満載」なので、ちょっとだけ…。
時節柄、おせちの準備を…?!
驚いたのは、この年、つまり昭和33年ですが、
すでに「現代風おせち」として、昔ながらの「黒豆・お煮しめ・伊達巻…」
なんてのにかわって、今風料理が紹介されていることです。
戦後、どんどん「家庭」というものも変わって、一軒に三世代、とか
舅姑と同居…なんていうのが、都会では減ってきたことや、
「友人たちを呼んで新年会」なんていうことが始まっていたのでしようね。
ただ、そういうのは都会の一部だったと思いますし、
親と同居ではできなかったろうし、新しいことよりやっぱりお正月は
昔ながらの…という料理を好んだ人が、多かったんじゃないでしょうか。
我が家も、私が結婚したあとくらいから「そろそろもう面倒だし」と、
父も伊達巻作りをやめて市販品の小さいのを買うようになり、
鬼殻焼きや昆布巻きは、好きな人が少ない…と、やめるようになりました。
すきなものがいいよね、と独自の「おせち」を作り始め、
「縁起」より「好み」になっていきましたね。
写真のものは「若い人好み」の「大皿盛りのお正月料理」と「中華風おせち」
いやこの「大皿」のほうに「リンゴ入りきんとん」があったのですが、
ありゃこんな昔からあったのかと、ちとおどろき…。
母はいつも普通の栗きんとんでしたが、私は結婚してから、
リンゴとサツマイモのこっち、さっぱりしてていいんですよね。
ついでに残ったら、トーストにぬってシナモンかけても食べられるし。
いろいろ工夫はしてあるのですが、一つには「写真の印刷技術」で、
とにかく「おいしそーじゃない…」、いやわかってますけどね。
それとこの時代、一般家庭に冷蔵庫はあっても「フリーザー」はついてません。
つまり「冷凍食品」がないんですよね。だから、広告のページはこんなのが…
まるは、あけぼの、はごろも、アヲハタ…こけしもかろうじて記憶にあります。
今缶詰なんていうと、ほんとに「非常食」という感じですけれど、
冷凍食品のなかった時代は、ほんとに便利な素材だったんですよね。
だから缶ケリもラクラクできたって…ちがうってば。
私は今でも「シャケ缶のあの白いグズグズの骨」すきですねぇ。
最近はみんな「シャケ缶」より「シー○キン」になっちゃいましたけど。
調味料も「マヨネーズ」とか「ケチャップ」なんてのが、
家庭で当たり前に使われるようになってましたが、
我が家は毎日「京のおばんざい」みたいなおかずが多かったですから、
この「シャケ缶」ときゅうりの薄切りにマヨネーズってのは、
私にとってのごちそうでした。母にしてみりゃ「手抜き」だったのかも。
アスパラガスも、初めて食べたのは缶詰でしたから当然「ホワイトアスパラ」、
ホンモノ?のグリーンアスパラをはじめてみたときは、
「まだ白くなってないじゃん」なんて、アホなことを考えました。
元々「おせち」というのは「日持ち」がするように、
蒸したり似たり焼いたり、そういうものですから、
冷凍素材もなく、缶詰と半生くらいのものでこんな風に作るのは、
やっぱり一般的になるには時間がかかったでしょうね。
さて、我が家のおせちは、もうず~~っと「手抜きおせち」です。
母が火鉢で黒豆をことこと煮ていたのを思い出しつつ、
「フ○っこのおおまめさん」でごまかし、なますは主人が嫌いなので、
大根サラダでごまかし、おもちも「パック」おそなえも「パック」…。
おーちゃく主婦のおせちは、こんなもんです。
この時代に、、というかんじです。
缶詰ですが、、最近うちのいえであった笑い話を。。
外国製の缶詰を貰いそれを下の息子に空けさせよう
とするも缶切りの使い方がわからない。。(汗)
そう、最近はあのワンタッチであける缶詰ばかり
なので出来ないのでした。。(未経験らしい)
そのうち栓抜きを使えない子供もでてくるかな??
言われていますけど、年末の大掃除が
済んだ後の大晦日にいく品も料理を作るのって
本当に大変ですよね。毎年長時間台所に立って
いては腰痛を起こしていました。
でも、最近は元旦からお店が開いているんです
からね~。うちもどんどん手抜きになっています。
この先頭を行く女の子、なんとも利発そうで可愛いですねぇ(笑)
こんな写真を見ると何故か嬉しくなっちゃいますよ。
昭和三十三年といえば私が十歳の頃ですから、この子等は私より一つ二つ年上かな?
『花は散り・星は移りていつしか五十年・・』この子等も
この位の年頃の「孫」を持つ身となりました(笑)
小さいころの記憶の片隅に・・氷の塊を入れる木製の冷蔵庫、が・・・・・・・・・
今でもモダンに感じますね~おせち。
おせちは生まれた頃からなぜか「ハム」と
「酢だこ」「にしんの昆布巻き」だけ^^;
友人のところで「くわい」を見た時は
かなりカルチャーショックでした。
ほんとにビックリですね。
なんか「なんとかして、モダンに」という
洋風文化へのアコガレなんでしょうか、涙ぐましい!
着物の世界でもそうだったんですよ。
そういう時期だったのでしょうね。
「缶きり」使えない子、たくさんいるそうです。
栓抜きとか缶きり、ダイヤル式電話…、
みたことなーいなんて、
そんな時代がすぐくるかもです。
陽花様
だいたい、お店がお正月は長期に休むからっての、
ありましたよね。
イマドキは、そういう理由もなくなったわけで…。
お説だってパックでドン、なんての人気だそうです。
なんのためなのかなーなんて、
寂しい気もしますけどやっぱり手抜きはいいなぁ!?
伊藤様
なんとも無邪気な顔ですね。
私もこんな頃あったなーなんて、
ついついじっくり眺めています。
ヒロをぢ様
我が家も「お好みおせち」、
お雑煮も人気ないんです。関西は白味噌ですよね。
実家にいるころは元日は白味噌、二日目は吸い物、
三日目は多数決…でした。関西料理はおいしいけれど
あの甘い白味噌だけは、どうしても…です。
蝸牛様
ほんとに、とってもいい時代に、
子供のころをすごせたなぁと思っています。
冷蔵庫、毎日氷やさんがきてましたね。
その氷やさんは、夏は「カキ氷」冬は「今川焼き」
売ってまして、お風呂帰りの寄り道が楽しみでした。
えみこ様
地方によっても違いますが、
私はお雑煮にあんこってのを友達にきいて、
ゼッタイ親戚になりたくないと思ってしまいました。
酢だこににしんの昆布巻き…要は「アテ」?
ウワバミぞろいでしたか?