トップ写真は、これまた再出。今ちょうどいい柄「花見の幔幕柄」、古い色留です。
この着物についてのお話は最後で…。
「大島の振袖」というものがあります。
本場奄美大島の成人式では、みなさん大島の振袖、をお召しになるとか。
さて…なんと申しますか…流通の詳細も知らぬド素人の私が言うのもなんですが、
「作り手、売り手」のキモチが…わかんない…。
紬の訪問着があるんだから、振袖もありでしょう…ですか。
訪問着は幅広いもので、礼装には向かない色柄のものもありますし、中年でも老年でも着られます。
でも振袖は未婚女性の第一礼装です。
昨日書いた理由により、私は紬の訪問着は礼装として着るべきではないと思っていますから、
「大島の振袖」って、どこへ着ていくんだ??です。
本場大島の成人式で…そりゃ多分に地域的なものでしょう。
問題は、そのことを着る人買う人がどれだけ理解しているかです。
あるサイトで、とてもモダンな絵羽柄の泥染めの振袖を着ていたお嬢さんは「お母さんが勧めたから」
「お母さんはあんまり着物のことは知らない」…。呉服屋の…責任者出てこーい(ふるっ!)。
昨日いただいたコメントで「刷り込み」という言葉が出てきました。
実は伝承されるということは、この「刷り込み」がダイジなわけです。
着物のことになると、ムキになって「いいじゃない堅苦しいこといわなくたって」とか、
「古いものをそのまま伝えることが、伝統を守ることじゃない」とか…そんなことを言われたりします。
そんなことは当たり前です。変わらないものはありません。
今出ているモダンな大島の柄だって、最近になって織られるようになったものです。
それは道具や機械の発達によるところも大きいわけです。
変わっていくこと事態は悪いことではないのですが、その「変えよう」は、なんでもいいわけではないと思うのです。
きちんと「元」というものを刷り込んだ上での変化、が必要だといつも言っているわけです。
ここへいつもきてくださる皆様には「耳タコ」ですが、ちゃんと積み重ねていっての方向決めでないと、
ただのファッションになってしまうと思うのです。
以前、なるほどと思う文章を見つけて、資料としてコピっておいたものがあります。
「民族衣装というのは、ある民族に固有の伝統的な衣装を指すのであり、
ファッションとしての時代性、流行性を持つものではないとされる。」
「民族」と言う言葉通り、たとえばヨーロッパの民族衣装…というと、それぞれの国や地方であります。
アメリカは?当然古いものはネィティブ・アメリカンの衣装といえます。
南アメリカのペルーなどでは、今でもふだんに民族衣装を着ている民族がたくさんあります。
中国もそうですね。他国の文明をちょっとずつ取り入れながら、基本は崩さない…。
日本はどうでしょう。全ての国と海で隔てられた日本は、維新まで民族衣装を着続けてきた国です。
島国であり、途中から鎖国という政策を採った日本は、良くも悪くも異国のものに席巻されることなく、
うまく取り入れ、変化させて日本独自のものを作ってきました。
そのまま進んでいたら、いつもいうように「和装洋装が混ぜ混ぜで進んできたら」、
今とは違う変わり方をしていただろうと思います。
自分の暮らしの中に「着物」というカテゴリーをほとんど持たない暮らしになってしまった日本人には、
着物を着物として知る立場からの変化を考えることができません。
ファッション性や、利便性、そして「利益」、それが当たり前のように変化の理由として出てくる…。
着物が売れなかったら、呉服が廃れてしまう…それはわかります。
だからと言って、呉服屋が「あいまい路線」を広げてどうするのかと思います。
呉服屋の奥さんが「仕入に行っても、問屋が『今の若い人はこれでないとダメだ』とか、
『今はこれでもいいんだから』などと言う。実は若いお客様が考えてそういうニーズを出したわけではない。
こうしないと売れないから…が先行している」と。
ハナシが飛びますが、あのマツコ・デラックスさん?と有吉さんという方がやっている番組があります。
たまたま始まってすぐのときに見たのでタイトルもわすれましたが、どうやら視聴者がメールで送ってくることについて、
いろいろ話す番組のようで、その時のメールの内容が、幼稚園児を持つ若いお母さんからのもの、
「幼稚園で学芸会をやるのだが、演目がシンデレラで、誰か一人だけだと差がつくから、と
女の子は全員シンデレラ、男の子は王子様…これって腹が立つ」というもの。
かなり前から運動会の徒競走で、ランク付けはいけない、みな平等にと手をつないでゴール…なんて
バカバカしいハナシがありましたが、今でもこんなのがあるのかと驚きました。
「格差社会」といわれますが、「差」と捉えるからおかしくなるところもあるのだと思います。
「差」ではなく「違い」だと思うのです。
紬っていったって正絹でしょ、ちゃんと絵羽柄になってるし、紬は普段着なんて差別よ…なのでしょうか。
差別ではなく「その違いを認める」と言うことだと思うのです。
大島は100万でも普段着だ…というのは、だからしょーもないものなんだ…ではなく、
普段着でも、手間がかかっているいいものは100万するんだよ、ということです。
その100万の普段着をサラリと着ることに、本当の憧れはあると思うのです。
あのモダン大島振袖では、あのあとどうなるのかと、それが気になります。
私は自分の振袖の袖を留めて訪問着にしました。
それは、そのままの振袖として誰かに残すという気持ちがなかったのと、
女の子が生まれたら、それを縮めて?七五三で着せる…つもりが男の子だったことで、留めたのです。
元々が振袖柄ですから、途中で柄は途切れ、紋ははいっていません。
だから、結婚式に呼ばれても着る気はありませんでした。それ用は別に作ってもらっていましたから。
息子の七五三に着よう、身内のお祝いだし、と、それで留めてもらったのです。
これまた以前だしの写真ですが、こんな感じ。
で、トップの写真ですが、これは明治のものと思います。すでに薄くなっていて、危なくて着られません。
もう一度出します。
この袖の部分のアップです。はっきり見えるように色を落としています。
矢印のところ、袖の内側に縫い目があるのです。
つまり、元は振袖であったものを、袖を留めたのでしょう。柄は袖の下の方に華やかにあったものを
柄の部分だけカットして、おそらく右袖と左袖も入れ替えたのではないかと思いますが、
ちゃんと紋は残して、袖の柄をなくし、なおかつつなげるには、内袖のここでつぐよりなかったのでしょう。
それでもこれでまた着られたわけです。
絵羽付け大島の袖の柄はどうなっているのか知りませんが、こうやって残すという知恵も使われないと、
振袖のままならおそらく1回着て終わりでしょう。
紬の訪問着は、いずれ100年200年先には「昔はダメだったんだけどねぇ」とか言われながら、
堂々と披露宴で着られることになるのかもしれません。
それは、かつて女が着られなかった羽織が、紋付に限り「略礼装」で着られるようになったように、
自然の流れとしてかわっていくのなら、それでいいと思うのです。
そういうことの一つ一つが民族衣装としての歴史です。既に民族衣装がイベントでしか着られない国があります。
日本もそうなりつつありますが、まだまだ日常の暮らしの中で民族衣装を着るという稀有な現象が残る国です。
残すなら確実に積み上げて残して伝える…それが民族衣装というものに誇りを持つことだと思うのです。
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、着物にも流行や変化は
あって当たり前だと思っております。
明治時代にあった紬の訪問着や留袖は、
たぶん「地」のことで「染」のものだと思います。
状況も違いますから。
紬については、この記事の前日に、
私の気持ちや考えを書きましたので、
ここではかきませんが、ひとことで「戦後の文化」とは、
いきれないのではないかと、思っています。
お気に障りましたらすみません。
あんまり年月を経てない気がします。
明治時代には結城紬の留袖もあったようですし。
昔を知ってる人には「昔は紬の礼装もあったのにねぇ…」って言われそうですね。
そうです、ちょっと高価な「オシャレ着」です。
デパートにお買い物…だって着ればいいんですよ。
楽しんでください。
そして 好きな紬
でも これって訪問着の様だけれど
いつ着るのかなぁ・・・
と思いつつ 買い求めてしまったのですが
紬のお洒落着と位置づけて 楽しんで着る事にしますね
ありがとうございます
カラオケですかー。
そりゃいいですね。そういう場所では、それこそ、
オバサマが振袖着たってOKでしょうから。
そういう「あれこれうるさくない」ところで着るのが、
紬らしくていいとおもいます。
めったにありませんからね。
紬の訪問着も箪笥の肥やしでは
もったいないです。
姉の話では最近カラオケで舞台で
歌う時着物を着る方が増えている
のだそうです。
こういう場所で紬の訪問着を着られる
のがいいと思いますけどね。