トップは以前ご紹介した本「日本風俗書大成 徳川時代後期」の中の絵、
大名行列かと思ったら、町人ばかり…これは「東照宮祭」という名古屋のお祭りの行列だそうです。
男性の着物…ということで。
最近は、普段に着物を着る男性は、ほんとに少なくなりましたね。
お正月でも、ほとんどみかけません。
毎度言っておりますが、需要が少ないから品物が少ない、というより作らない…。
粋な羽裏もしゃれた襦袢も、ヤフオクで探しても、最近はなかなか…。
で、今気になっているのがこちらです。価格がちっと気になるのですが、
もし落札できたら、またご紹介するつもりです。
トップ写真の古い本ですが、中にこんな絵があります。
説明は要するに「お金持ちの息子、着ているものは信州植田縞(上田じゃないかとおもいます)」だそうです。
襲らしき着物をぞろりっぺぇと着て、丈も長い羽織をでろりんと重ね、ちょいと脇差など差して…。
髪は世に言う「本多髷」、大流行し、種類もさまざまできたそうですが、正直「どこがいいのか」と…。
本多髷というのは時代劇で見慣れたあの髷とちっと違います。
簡単に言うとこんな感じ。左か一般的といいますかよく見る髷ですね。
右が本多髷、できるだけ月代を大きくするために剃りこみ、ゆったり束ねてできるだけ髷の先を細くする。
その先をペタンと曲げないで、うしろに一度反らせてアタマに残りをちょーんと乗せる…。
髷のまがったところから向こうが見えたわけです。
流行モノの常で、髷の曲げ方だの、元結の締め方だの、月代の剃り方だの、さまざまなバリエーションが生まれ
「金魚本多」「団七本多」「厄病本多」など、わけのわからん名前のものもあります。
まぁ、美的基準は時代とともに変わりますからねぇ。
こちらは、もーちょっと年を増した「通人」とよばれるタイプ、つまり吉原じゃいいオトコ…ですね。
重ね羽織、とあります。
絵からすると、本当に羽織りを二枚着ているようです。こんな着方もあったのですね。
ちょいとはだけた着物から見える「襦袢」の派手なこと。モノクロなのが残念です。
どちらの男性も「脇差」を差していますが、この「脇差」は、届けを出せば町人などでも持つことができました。
旅に出るときなどは護身用に使われたそうです。長さや拵えは「武家諸法度」で決められていましたので、
町人もそれに倣いましたが、いわゆる「やくざ」など渡世人が持つ「長ドス」は「長脇差」、
つまり「脇差だよ」といっていて実は一番長いサイズ…ほとんど本差(ほんざし)だったわけです。
それでも「脇差」ですから、それ以上差せませんから、渡世人は「一本だけ」差してたんですね。
今、たまに着物を着る男性がいても、大体は縞か絣…まぁそれでもいいですから、
襦袢とか羽裏に、もっと凝ってほしいものです。あっ羽織り、長めでオネガイしますね。
男性のゾロッとした着物の着方、見慣れない
せいか好きではありません。
亡くなられましたが、元野球監督の大沢親分と
呼ばれていた方の着物姿が好きでした。
男性が一人着物で出席していました。
女子では私だけ。くたびれかかったおやじ(失礼)がほとんどの中でちょっと風流人みたいですてきでした。
知り合いの同世代の独身女性に最近恋人ができて、その方も着物大好き男子だそうでデートはいつも二人そろって着物でお出かけだそうです。
ちょいちょいいらっしゃる着物男子、応援したいですね。
今見るとヘンな形ですね。
大沢親分、いつも言い着物をお召しでしたよね。
柔らかモノをさらりと着ている男性はめったに見ませんけれど、時代劇などでみると、
かっこいいなぁとおもいます。
この絵のようだと、ホンモノだったらちとヒキますねぇ。女々しく見えます。
私も去年の秋、中学の同窓会があって、
いかれなかったので写真を見せてもらったのですが、着物はナシ。
というより、その時の会は「一泊」だったので、
男性の何人かは「宿のじんべセット」…。
さみしかったー?!
さらりと大島でも着ていたら、すてきですねぇ。
洒落た柄がたくさんありますね~
あれで自分の長襦袢が作りたいです。
反物の幅が広くて無理ですかねぇ。
色目が渋いですが、なかなかいいのがありますね。
巾が大きいのは大丈夫ですが、
柄によっては袖まで続いてたりするものが
つながらなくなる…なんてことはありますね。