羽裏です。最初は「手紙」を散らしたものだと思ったのですが、
よくよく見れば・・・手紙は手紙でも「選挙」の手紙・・。
ここまで柄にするか??と、びっくりですが・・。
アップをどーぞ。
歴史、とくに近代に関しては霞も霧もいっしょくたにかかっているとんぼには、
はてさて、どういう趣旨の手紙であったのかさっぱりわかりません。
とりあえず「政友会」は、明治後期から昭和まであった「大政党」、
作ったのは「伊藤博文」、そして「立憲民政」の方は、昭和にはいってから。
結局戦前は、この二大政党だったわけです。
「昭和三年」の文字が見えますが、当時は中国との関係を積極的に進めた時期、
そのあとあの「5・15事件(昭7)」で犬養首相が暗殺されて、
軍部のチカラが強くなっていったわけです。
この羽裏は、そういう「政治」にかかわりのある人が作らせたものか、
それとも、ごく普通の庶民がいつの世も持つ「しっかりしてくれよ」
の思いで皮肉って作ったものか…。
こういうものを着ているだけで、何かいわれたかもしれません。
ひそかに着て、溜飲を下げてた?…とまで言ったら勘ぐりすぎかもしれませんね。
ともあれ、明治維新以降、日本は急激に変化しました。
そして戦争があり、ぎりぎりと締め付けられるような暮らしが続き、
やがて、一気に「自由」になった…んですがねぇ、
どうして着物はだんだん堅苦しくなっちゃったんですかねぇ。
めげずに着ましょう。確かに「約束事」が多い、と言う感覚はあるのですが、
実は洋服にだってルールはあるわけで、これは先日も言いましたが、
着慣れているから苦にならないだけ。
着物だって、よくよく知れば何にも難しいことはないのです。
江戸時代は、さまざまな「禁止令」が何度も出されて、
庶民は今よりずっと「規制」のある中で着物を着てきました。
今たとえていうなら、一般庶民はウールを着るな、とか、
ラメ入りだのブランドものだの、ハデで高価なものはいかん、とか、
そういうことをいろいろ言われたわけです。
そんな中で、それを無視して着る、或いは、よれよれのコートのしたに
ブランドもののTシャツを着る、とか、表は綿だけど裏地シルク、とか…。
そんな風にちょっとあぶなくても、体制に逆らってオシャレを楽しんだわけです。
考えてみると、そういう規制がなくなったら
なんか心意気みたいなものが薄れてしまった??
おかしな言い方かもしれませんが、スリルがなくなったらつまらなくなった、
なんていう感じです。もちろん、着物離れによって、
着物を楽しむ、着物で遊ぶ、着物で競う…というようなことがなくなって、
とりあえず、特別の日に着るものが一通りあればいいわ、というような、
そんな風になってしまったのも、着物の面白みを薄れさせてしまった
原因だと思いますが…。
辛うじて着物を知っている世代は、自分の見たものしか知らないために、
「とまって動かない自分の中の着物文化」を尺度にしてモノを言います。
だからよけいにややこしいことになる。
ずっと時間は動いていたし、着物文化も動いています。
昨日の「羽織」ではありませんが、今の羽織はこういうサイズ、で
止まってしまわないで、いろいろあっていいんじゃないの?と、
柔軟になること、そしてその中で「でもこれだけは譲れない」というところを
きちんと残していくこと、今着物を辛うじて知っている年代は、
そういう努力をして、次の世代に「着物」を託したいものだと思います。
ところで、先日「政治家は使い捨てられると覚悟せよ」と、
アノかたがおっしゃいましたねぇ。
まぁ、時が時ですから、ハッパかけたつもりかもしれませんが、
「使い捨て」って、元から「捨ててもあんまりきにならないもの」
のことですよね。「使い捨カイロ」とか「ラップ」とか…。
「捨てたくない」と思われるようになれ…なのか、
それとも「今の国民は使えるものでも捨てちまうていどだぞ」なのか。
どっちもどっちー…か?
歴史には弱い私も、この柄を描いた人、羽裏に
使った人、それぞれがどういう思いで・・と考える
のも面白いですね。
なーんでも柄にしちゃう、すごいですね。
だれがきてたんだろーとか、
ひょっとしてこれ着て選挙に行ったのかな?とか、
いろいろ想像すると楽しいですね。
麻の葉様
ほんとに細かいですね。
手紙の散らし具合も絶妙ですし、色数が抑えてあって
まとまりがある…こういうのを「わざ」と
いうのでしょうね。
昔の着物って、、、本当に楽しいというか凄いですよね。生活と着物の密着度合いが、今とは比べ物にならない・・。きっとみんな色々楽しんでたんでしょうねえ・・。いや~~すごい。感嘆しました!
昔の人は、着物をと密接だったから、
上手にいじれたんでしょうね。
そんなふうに楽しみたいものです。
お互いにいい着物づきあいをしましょうね。