
写真は、「散歩の達人」という京都紹介の雑誌です。
八坂さんですね。門をくぐると幅の広い階段があります。向こうに見えているのが四条通。
古いものと新しいものが自然に融合している町、そこに着物姿の女性が普通にうつっている…
いかにも京都らしい一枚…ではあるのですが…。
どうにも気になったのが、このお三方の後姿、特に足元です。
着姿、というより「歩き方・物腰・しぐさ」、そういった類のことですね。
着物を着たときの歩き方…これもやっぱり「慣れ」でして、着慣れていると、
歩き方だけでなく、所作動作も「着物バージョン」に変わります。
着物を着ると足にまとわりついて歩きにくい…これは洋装仕様で歩くから。
着物はたとえばスリットがヒザまでくらいしかない、タイトスカートみたいなものです。
バッバッと歩こうとする方がムリな話なわけです。
私は洋装で歩くと、だいたい歩幅は50センチ前後です。背がひくいですから。
和装になると、元々足が開きませんから、歩幅は半分近くになります。
人によっては、前にだすのは草履1個分とか半分とかいいます。
チョコチョコ歩きでみっともない…と感じるかもしれませんが、洋服でそれならおかしいですが、
着物ではそのほうが「合って」見えます。
上の写真の真ん中の方、体の向きを考えるとやや「外また」のようですね。
着物を着るときは「内また」と言われますが、実際にはまっすぐでいいのです。
気持ちとして内また気味に歩くことは好ましいことですが。
元々靴のように足にびったりつかない履物を履いて歩くと、草履やゲタは鼻緒が真ん中ですから、
勝手に草履やゲタそのものが、つま先が内側に入ります、だから内またで歩いているように見えます。
そうならないわ、という方は、きっと草履もゲタも前坪しっかり指を入れ込んで履いているから。
元々草履もゲタも前坪はギリギリまで指を入れず、少しずらして履くとラクなものですが、
慣れないとずるだらと歩きづらかったり、ただひきずっているだけでだらしなくなります。
着物を着るということは、それに付随するものも「和装仕様」になることなんですね。
人間は、二足歩行をすることで立ち上がりましたが、その分小さな足の裏で、
大きくて重い体のすべてを支えることになりました。
なので、まっすぐに立った時、足を全部まっすぐに合わせると、実は不安定ですね。
だからきをつけ、をするときは、足の先を少し開きます。
また、何か軽い運動の説明で「足は肩幅くらいに開きます」といいますが、
あれも体がグラつかないように安定する体勢ですね。
つまり人間は安定感を感じ、負担がかからないようにしようとすると、ヒザは開きます。
妊娠の経験がおありになる方はお分かりと思いますが、おなかがせりだすほど、
背中は反り返り、足は開かないと歩けません。
つまり、外また…ではなく「ヒザ」が開くかどうか…です。
悲しいことに、私などは60過ぎて「万年妊娠6か月」みたいなおなか…これだと気を付けないとヒザが開きます。
女形の方は、ヒザに紙一枚はさんでけいこする…といいます。
和装の時は、実際に紙をはさまなくても「ヒザの内側が擦れる感じ」で歩けばいいわけです。
えぇ私の場合はヒザがすれるではなく「股がすれる」になりますともさ…。
ふくよかな方は「股ズレ」覚悟で?歩くことになります。ステテコはいてりゃモゥマンタイ。
今、着物を裾つぼまりに着ない…という着方がありますが、裾つぼまりは見た目も形よく、
実は袷などきっちりこれで着ると、いやでもヒザは近づけて歩かないと歩けません。
それで普通に歩こうとするから、着物の前がバッサバッサと翻るのです。
人は自分の歩く姿というものを、なかなか見られません。ビデオなど向けられると、ちょっと気取ったりしますしね。
後姿って、実はとても無防備なものです。見たことないからよけいです。
一度、着物でなくてもいいですから、草履など履いて自分の歩く姿を動画で撮ってみてください。
このとききどっちゃいけませんよ、モチロン。いつも歩いているように、歩きます。
家の中では履物がないのと、長~い廊下でもなければ、何十歩とは歩けませんから、
家の外で、誰かいればその方に頼む、いなければセルフタイマーでカメラを固定して、10メートルくらい往復します。
私は家の門柱の上に下向けて置いて、お向かいさんの家の角まで斜めに道路を横切って撮ってみました。
新しい発見があります。「こんなにお尻、おっきんだ…」いやいやそうではなくて…。
どう歩いているか、ではなく、まず「どう見えるか」、自分の歩く姿を客観的な眼で見るわけです。
そうすとる「修正箇所」もわかろうというものです。
もう一度出します。右の方は決して外またではありませんし、着物の着方だってひどいわけではありません。
それでも着物の後ろ幅が広がって見えて、なんとなくしまりがないのは、膝が開いているから…と、
私はそんな気がします。
それと、歩幅が広いと、足を前に進めるときの「蹴り」が大きくなります。
歩幅を縮めることで、草履の裏はもう少し見えなくなると思うのですが…。
歩き方というのは、科学捜査でも「個人の特定」に使われるほど、千差万別です。
カッコよく歩く前に、欠点を知って直す…なぁんて、人のことはいってられない私なんですが…。
この姿だと、モデルさんなら何故撮り直ししなかったのかなあと思う写真ですね。
右の方はともかく、真ん中の方は歩く方向を少し左に変えようとしている途中のようにも見えますし。
着物の時の歩き方、膝から下だけで歩く心持ちで、と言われました。
もちろん膝より上も動くんですが、そう思って歩くと膝と膝があまり離れません。
急ぐとついつい忘れて、洋服のときと同じように歩いたり走ったりしてしまいますけど…。
洋服のときは、しっかり腰から動かさないと歩き方が様になりませんし、どちらもきれいに歩くのは難しいですね。
和服の時の歩き方が気になると言う気持ち
良く分かります!
しかも、和服に合う歩き方講座つき。
素晴らしいです(>y<)
自分の事は横に置いといて(笑)
私としては特に着物ファッションショーの
モデルさんの歩き方が気になって気になって。
この前、お知り合いの方から御譲り頂いた
着物ファッションショーの券に
去年のファッションショーの写真が
印刷されてました。
ええ、とと様のブログ写真と同じような
裾広がりの方が何名か・・・。
せっかくの美しく素晴らしい着物が・・・。
誰か注意してあげて下さいと毎々思うのですf^_^;
ファッションショーの裾広がりは
洋服のモデル歩きの初歩と言いますか
基礎的な歩き方をしているからだと思います。
昔、昔、大昔、私が洋服販売員のアルバイトを
していた時、販売員は生きたマネキンとして
歩き方の初歩の初歩を教わりました。
習った歩き方とモデルさん達の歩き方は
ほとんど同じです。
とと様がご指摘と和服の歩き方を書いて下さり、
とっても激しく頷き納得しスッキリしました。
ありがとうございます。
な
若い方たちは特に、和服でも「洋服歩き」でアラアラ・・・と思いますが「人の振り見て・・・」と、慌てて背筋を伸ばして見たりして。
特に後ろ姿や、何気ない立ち姿は油断していますから気をつけたいですね。
若い方が着物を着ているだけで嬉しくなってしまうのですが、中には目を覆いたくなる時もあります。
そういう時はどうすれば良いのかと、考えてしまいます。
いわゆる「お直しおばさん」になって直してあげるのが良いのか、見ないふりをした方がよいのか。
それも、言い方なんでしょうね。
決して上から目線にならないように気をつけて声をかければ良いのでしょうか?
…なんて考えてるうちに、通り過ぎてしまうんでしょうね。
せめてわが身だけでも、傍目に見苦しくない姿で居たいと思います。
ポーズも洋服のポーズだし(これは女性も同じ)、これじゃ美しくない・カッコ悪いという感覚が、もう無いのでしょうか?…
着付け本やきもの雑誌の着付けは、補整ガチガチで隙がなさ過ぎて苦しいのはわかりますが、ファッションとして着るなら、やはり見てガッカリするような着方はしないほうがいいなぁ~、と、これは自戒も込めて思います。
横はショーウインドーなどに映るのを
チラッと見ている事もあるのですが・・
・
草履はふかく履く癖直りません。
なのでどの草履も不格好になってしまいます。
ここはいつも人がたくさんのところですから、
向こうの道路の車の好き具合と、人のいない様子から、
かなり早朝の撮影かしらと思っています。
モデルさんには見えませんが、
例えば普通の人に普通に歩いてくださいと頼んだのかもですね。
着物は帯のおかげで猫背にはなりにくいものですから、
異性は比較的よく取りやすいと思うのですが…。
とにかく大股ですね、今の人は。
闊歩する感じです。
私はずっとハイヒールでしたので、それはなんとかですが、
逆に今、かかとの低い靴でモタモタ歩いてます。
そりゃあもう「お元気」にお歩きになるので…。
手もやたら振ったりねぇ…。
着物モデルは、それなりに洋服とは違う練習をすると聞いたことがありますが、腰に手を当てたりしないだけじゃないの、
なぁんて思ったりするのです。
いわゆるキャット・ウォークは、一本線の上を歩くのですが、
着物はそれをやると腰が振れてしまうのに…。
着物には着物の「見せ方」があるとおもうのですけどねぇ。
すくなくとも週に一度とか、二度とか着ないと、
なかなか体が覚えてくれないものですよね。
気になってもほんと、教えるのは難しいです。
太鼓のたれがはねあがってるなんてとき以外は、
私も「あのーあぁ、あ、行っちゃった」です。
あるブロガーさんが、やはり「余計なお世話」と
書いてらしたのですが、文の中では相手の方は
「○○○になってるわよ、せっかくの着物が…」
みたいな、その文だけ読めば、
決して上から目線の言い方ではないと思いましたが。
どうなっていようと好きなように着てるんだから、と
そう思われたら、上から目線も何も
ありませんからねぇ、結局見送ってしまいます。
余計なお世話と言われても、おかしいことはおかしいと
言ってあげるのが着物歴の長いものの務めなのかなとか
私もいまだに悩んでいます。
身近に着慣れた人がたくさんいるわけではないので、
眼が養われないのでしょうね。
接高く着るのにもったいないことです。
あのバカボンだけは、ほんとに何とかならないかと…。
我が身も振り返りつつ、気を付けて着たいものです。