ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

今日の本は新・旧です。

2006-07-01 21:43:03 | 着物・古布

左側、古いほうは昭和8年主婦之友3月号の付録です。
右側、新しいほう(表紙の絵はレトロですが)は昨年初版、
先月「二刷」がでました「昭和モダンキモノ・抒情画に学ぶ着こなし術」。
こちらは「竹久夢二・高畠華宵・蕗谷虹児・加藤まさを」などの抒情画から、
着物と帯の組み合わせ、小物遣い、しぐさなど学んでみようという、
私たちの年代にとっては、懐かしく美しい挿絵をたっぷりと見られるという
二度おいしい?本でもあります。まだ出版されたばかりですので、
中身をご紹介することはできませんが、沢山の絵とともに、
銘仙、紗などの生地の紹介や、当時の流行、写真など盛りだくさんの内容です。
河出書房からの発行、お値段1600円です。

さて、古いほうですが、タイトルはこのところこればっかり・・の
「和服洋服衣類一切の繰り回しと繕い方」毎度おなじみの「リフォーム」本。
この中で、先日コメントをいただきました「襲」が載っておりました。
写真を先に・・・







上の写真では、それぞれのページの下の小さい着物は、
羽織やコートをリフォームして着物にした例、上が「襲」の下着です。
下の写真は、右ヘージの上、古い着物を下着にして重ねた・・とあります。

ここで今日はじめておいでのかたもいらっしゃるかもしれませんので、
「襲」についてカンタンに・・・。
「襲」は「かさね」、つまり重ねて着ること。これは元をたどっていけば
十二単にたどりつくわけてすが、着物が簡素化して、今の形になっても、
着物を重ねて着る、と言うことは形を残して続いてきました。
一つはしきたり、一つはおしゃれ、一つは防寒・・だと思います。
しきたりと言う点では、同じ襲でも、正装のかさね、これが一番「十二単」の姿に
近いのですが、要は「礼を尽くすときに着るものとしてかさねて着る」、です。
現代では留袖の比翼、振袖の「伊達衿」などがこれに当たります。
また「おしゃれ」と言うことでは、特に江戸時代、女性は重ねて着ることで
わずかに見える色柄を楽しみ、また自分をアピールしたわけです。
そして「防寒」、何度か書いていますが、日本の家屋は「夏」の暑さを
うまくしのげることを目的として考案されてきました。
西洋のように風の入らないきっちりとした石組みの家ではなく、
軒をさげ、柱の間をできるだけあけ、扉(ふすま・障子)を開け放つことで
部屋を広くし、風通しをよくする・・。確かに効果絶大ですが
かわりに冬はさっぶーい家になったわけです。
今のような暖房器具もない時代「重ねて着る」ことで保温をしたわけです。

さて、襲はそんなふうに時代とともに姿を変えて伝わってきましたが、
現在古着として出てくる着物でいうと、せいぜい戦前くらいまでのもので、
ほとんどが婚礼関係などの晴れ着か、花街関係、そして子供のものです。
私はたまたま昭和20年代の本しか持っておらず、実際着られていたのは
昭和の初期くらいまでてあろう(それも正装として)と思っておりました。
ところが、先日のコメントで「普段用の重ねの作り方が、
昭和初期の本に載っている」とお知らせいただきました。
そうなんだ~と驚き、その本をご紹介いただいて幸運にもすぐに入手できました。
そのときのツテで、この本も手に入れたのですがなるほど「普段用」とあります。
こうなると頼りは大正12年生まれの「おっかさま」!
最近のことは10分前のことでも忘れるのに、古いことはよく覚えています。
その母の話しによれば、母の6歳上の姉、つまり私の伯母ですが、
子供の頃に普段着で襲をきていたようだ、と。いろいろ聞いてみましたところ、
母の実家はかなり裕福だったようで、伯母が子供の頃はお嬢様だったようです。
しかし、お人よしの祖父があれこれだまされて、身上傾いたそうで・・・。
母が物心ついたときはすでにしっかり貧乏暮らしだったそうですので、
母自身は襲どころか、いつも伯母のお下がりだったといいます。
伯母の子供の頃といえば、昭和の3~4年です。
そのころまだ着られていた、と言うのはかわかりましたが、
伯母一人ではなぁ・・と思っておりましたところ、今日、母が来ました。
この本をみせたところ、古い記憶の扉がまたひとつ開きまして、
「ああ、こんなんは、えぇしの人のすることやわ」と。
「えぇし」と言うのは「裕福」ということ、実は、母が4歳の頃
母の実家の前に、ある大きな会社(今も一流企業)の社長の家が建ったそうで、
社長夫妻と子供たち、女中さんに下男下女・・と大所帯。
社長は毎日会社からお迎えの車が来て、奥様お嬢様お出かけのときは
「ハイヤー」が大きな門の中まではいったそうで・・。
そういうところの奥様お嬢様は、おしゃれな襲をきていたはずだ・・と、
まぁそんなことでした。母の育ったところは京都の片田舎、田んぼの真ん中です。
京都の街中では、まだまだそういうオシャレなかさねを着る人が
残っていたと思われます。

襲と言うのは、正装であれば、何枚重ねても外から見える部分は同じ柄、
もしくは関連のある続き柄、たとえば花嫁の襲なら「白・赤・黒」で、
「松・竹・梅」とか、全部「四君子」とか・・・。
訪問着クラスなら、中に着るのは胴貫で、袖口、振り、前裾のみ、
表着、つまり一番上に着る着物と同じもの、です。
普段用になると、こちらは上の写真のように、色あわせがいいもの、
同系色のもの、上が無地で中は小紋柄・・といった具合になるわけですね。

いつごろまでこの襲がおしゃれと防寒を兼ねた「美しいもの」として着られたか
私には、詳細を正確に知ることはできませんでした。
ただ、推測ですが日本の場合、明治維新以降の急速な洋装化と
もうひとつは「戦争」というものが、大きな原因となっていると思います。
開戦は16年ですが、その前から締め付けははじまっており、
この前紹介した本にもありましたが、木綿・絹を使うなぜーたくするな・・と
お上からのお達しがあったわけです。振袖など着られるわけもなく、
しまいに着物なども着られず「もんぺ」の暮らしになる・・。
そんな年月が続き、やがて終戦後は怒涛のように襲う?「洋式文化」。
そんな中で、襲は忘れられていったのではないかとそう思います。

さて、襲のお話はひとまず置きまして、上の写真の「下」の写真、
その左ページ(ややこしい・・)、立っている女性のくらしっくなこと・・。
着物から作った「アフタヌーンドレス」だそうです。
もう一枚、こちらは女物の袴から作った「婦人用事務服」、
この頃はまだまだ着物でお仕事・・だったんですね。





こちらは「繕い」の方、よく靴下の繕いに電球を入れてやっていた・・と、
そんな話しはよく母から聞いていました。
今じゃ「穴」がまず開きにくい!開くほどまではかない!開いたら捨てる!
ですよねぇ・・・。こんな記事は載せても笑われるだけ??




もうひとつ、これはいわば「アイデア」のお披露目・・なんですが・・。
汗ジミを落とすなど、部分的にぬらしたものを乾かすとき、
アイロンをかけられない縮む素材の場合、湯気を部分的に当てて、
「湯のし」をかける方法、まず薬缶に湯を沸かしますが、
薬缶の口に詰め物をして湯気が出ないようにし、
次に「漏斗(じょうご)」を薬缶のふたとしてかぶせる、そうすると集中スチームが
真上にでるわけで、ここに布を当てる・・と言うわけです。
なーるほどね・・なんですが、これって「火鉢」にかけた薬缶でないと、
イマドキのガスレンジだと、やってるうちにほかに火がついて燃えそうです。
スチームアイロンなんてない時代の知恵・・ですね。




本日はふるーいものにどっぷり浸かっていただきました。
おつきあい、ありがとうございました。

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9 コメント

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そういえば・・・ (とんぼ)
2006-07-03 10:07:22
Fujipi様

母もリボンなど、うちでは薬缶のボディを

アイロンがわりにやってくれてましたっけ。

自分でやろうとすると「ヤケドする」と

とめられました。今の女の子はリボンより、

いろいろついた「ゴム」の髪飾りですが、

あのころはリボンくらいでしたよね。
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湯のし (Fujipi)
2006-07-03 09:34:42
とんぼさま



 子供の頃、結び跡のついたくしゃくしゃのリボンを母が沸騰している薬缶の口にかざして、新品(子供の目にはそう見えた)のようにしてくれたことを思い出しました。手品みたい!って思ってワクワクしました。



 自分でも、アイロンを出すのが面倒なときにやっています。コーヒーやお茶を飲んで一息入れるきっかけにもなります。
返信する
慣れなのでしょうねぇ (とんぼ)
2006-07-03 01:28:06
百福様

それとやっぱり「体型」?

私「まんなかデブ」なので、きっと妊婦みたいに

なってしまうのではないかと・・・。

次の冬に「ひそか」に試してみよ・・。
返信する
Unknown (百福)
2006-07-03 00:48:32
私の友人は、冬になると袷を二枚かさねて着てます。これが、かっこいいのです。けど、二枚も着ているとさぞ動き難いでしょと聞くと、そんなことないよ、暖かいしとこともなげにいいます。彼女は細身で、ずっと日舞をやっているためか鍛えられていて、所作も美しいのですね。まるで薄物を着ているかのようになめらかに動くので、目を丸くしてます。私がやったら打掛けみたいになっちまいますね。

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Unknown (とんぼ)
2006-07-02 16:03:18
蜆子様

襲の、たとえば三枚襲などの場合は中着、

つまり2枚目の寸法を基準にして、

上下を作るのだそうです。

特に大事なのは「袖口」だったようで、

このかさなりを綺麗に見せるために、

ほんの少しずつの調整をしたらしいです。

着るのにも苦労しますね。

「標準服」、確かに本にも

そう載っていました。なんか見覚えがある、

ような気もする・・郵便局のおばさんとか。

洋風ひっぱり、というところですね。



うまこ様

なるほど・・分厚い着物ですか、

そうなると私のばあい「分厚いおなか」を

なんとかせねば・・・



繕い、昔は電球を多く使ったようですが、

イマドキ使い古しの電球というのも

あんまりありませんから、

湯のみのほうが手っ取り早いですね。

私もけっこう繕ってはくほうです。
返信する
白下着 (うまこ)
2006-07-02 09:38:07
私の留め袖も白下着をかさねて着ます。

いつもと違った方に着付けをお願いした時に、

むっとされて、いきなり糸針を持ち出して2枚合わせて縫ってから、着付けをして頂きました。

おやおやこれでは忙しい時にむっとされるはずだと思いました。

でも、自分で着るようになって、それほど難しくないことが判明しました。

サイズが合っていれば分厚い着物という程度です。



ところで、湯飲みを入れてソックスを繕うのはグッドアイデアですね!

今穴の開いたのが一足あって、気に入っている物なので、やってみます。
返信する
かさね (蜆子)
2006-07-02 06:21:53
嫁入りの時の留袖かさねです。

着るときは、おくみの立て褄の上部分を、高さはきっちりあわせて、幅はかさねの下になるほうを3分控えて縫い付けて着ました。絹同士でしたら大丈夫でしたが、かさねをテトロン、ナイロンにした人は丈があわせにくかったですね。

そのかさねの下の白は、当地、葬儀の喪主、喪主夫人が着るもので、私も二回きました。

比翼仕立てに直されたかた多いと思います。



着物でこしらえた事務服、

あれは標準服と呼ばれていまして、戦後、婦人会の制服みたいな扱いでした。母は新しいサージで作っていましたが、あんな事務服、信用金庫で着物の上に着てらしたかた見かけました。おしきせの制服は支給されてなかったと思います。
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そうでしょうねぇ (とんぼ)
2006-07-02 01:59:06
陽花様

私は留袖も比翼仕立てで、ホンモノではないので、

襲というのはきたことがないのですが、

単純に考えても、2枚の着物を綺麗に着るのは

なかなか難しいと思います。

特に柔らかモノの場合は、よけいに・・。

昔は、着方そのものがルーズだったから、

けつこう平気だったんでしょうね。
返信する
Unknown (陽花)
2006-07-01 23:13:00
とんぼ様



襲ってよく聞きますが私は実際に

見たのは留袖の下に着る白い着物

だけです。

重ねて着せるのは、意外とむつかしい

ものです。
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