写真は、新しいものです。
この前「片方分、1枚だけ残っていたはず」と言っていた「昔のレースの袖口布」、
話題にしたからかしら、突然、ハギレの中から出現しました。ミステリアス…でもないか。
懸命に探しているときは、影もみえないのにねぇ。
ともあれ、やれやれで、片方でも替えにはなるかと思い、先日購入した袖口と同じ箱に入れようとして…
えぇぇーっ?なんでこんなにちっさいのぉ…もちろん、古いほう、洗ったりしてません。
しわくちゃですんません。色は自然変色です。
やっぱりいろんな変化によるもの?体格的にも今の人は大きくなっているし…。
もしかすると昔は肌じゅばん用と、半じゅばん用で、サイズが違うものがあったのかな?
これは肌じゅんばん用の小さいもの、なのかな?
昔は自分で肌じゅばんにつけていたのに、こんなに違ったかなぁ…と首をかしげていたら、
ちょうどいつもの呉服屋さんの奥さんから電話で「レースの袖口あったから持ってってあげるー」と…。
問屋さんには、電話すればあるけれど、昔のように常時お店には置かなくなっているのだそうで…。
ほしがる方もいらっしゃるかもと思い、2組お願い…と頼んでおいたのです。
上の左が、ネット買いのもの。下の二つが呉服屋さん持参のもの。
ちなみに、下の二枚、左は800円、右は1848円…なんでこんなに違うの?と聞いたら、
レースの細かさ…だそうです。それと同じメーカーではなくて、
高いほうは「どっかで聞いた名前」…のメーカー。そんなところでも違うのですね。
それでも、上のネット買いが700円でおつりがくることを考えると、
こういうものにも「ピンキリ」があるのねと、お勉強になりました。
で、聞いてみました、昔のものとの大きさの違い…呉服屋さんにも判らないそうです。
洗って縮んだんじゃないの?…これ洗ってない…えっ…
とうとう「子供用もあったとか…」と二人で四苦八苦で考えましたが、結論は出ませんでした。
たぶん、昔はみんな小さかったからねぇ…と。私はふと、母がこれをそろえてくれたころは、
たっぷり裕福というわけではなかったから、安いものは小さかったのかな、なんて思いました。
で、呉服屋さんの言うことには、やはり絽の着物で絽のじゅばんのときは、肌じゅばんにつけると、
「べたべたしないのよー」でした。私、実は「絽」の肌触りがあんまり好きではありません。
絽が嫌いだというよりも、暑いさなかに絽を着ると、特に腕あたりの独特のくっつきかげんといいますか、
それがよけいに暑く感じるのです。なのでやっぱりこれだわ…です。
とりあえず新品が4組そろいました。似たようなものだろう…と思っていたのですが、
言われて比べてみると、なるほど違う「柄の細かさ」…袖口から見えるのに、
繊細がいいか、あっさりがいいか、そんなことにも、昔の人の気配りであり、楽しみだったのでしょうね。
レースの袖口について、最近はたまに「袖口の奥に安っぽいレースが見えるのは…」というようなご意見もあるとか。
でもね、先日の「節子さん」じゃありませんが、グローバルに…あ、おおげさ…まぁ視点を変えて、
といいますかね、安っぽい…というのがどこから来るか…と考えたらわかると思います。
確かに、本物の刺繍ではなくミシンでつけた柄ですし、木綿ですし、
イメージ的に、カフェカーテン、キッチン用カーテンのイメージとか感じるかもしれませんが、
じゃあたとえば着物の世界でウールの位置づけは?
洋服でウール100パーセントといったら高級服になりますが、着物の世界では木綿と同列です。
つまり、別の視点で見ると、意味合いもかわってくるということ。
身の回りから、着物が消えた暮らしの中でずっといると、気が付かないうちに、
洋服のセンス、洋服の常識、洋服の感性を、そのまま着物に持ち込んでしまうことがあります。
若い人がジミーな色柄を着るのは、洋服でもあることですが、洋服にはデザインがあります。
色柄だけ取ったら、おぱぁさんが着るような色柄でも、かわいいデザインにしたらちっともおかしくない、
むしろ「シックな色にそろえたミニのスカートとベストが大人っぽさを見せて…」なぁんて
キャプションがついたりします。
これを着物に持ち込むと、着物の形は老若ありませんから、色柄に気を遣わねばならないのに、
帯もジミ、小物も着物に合わせてジミ、八掛もジミ、草履の鼻緒までジミ…になってしまう。
着物の小物、および八掛は、着物や帯に合わせると同時に、その人の年代やイメージをアタマにおくものです。
だから同じ着物と帯でも、小物がドーンと華やかにしたり、八掛にチラリと「赤」がきただけで、
「おばーちゃん色柄」が、ぐっと若向きになるのです。
洋服のスーツの裏地は、通常表地の色とできるだけ近い同系色を使います。透けて見えない素材でも。
でも着物の八掛は、近い色、同系色とは限りません。むしろ、薄い色の着物には同系でも濃い色、
おしゃれにするならまったく違う色、柄の中の一色…など、違うことをメインにします。
ちと話がそれましたが、木綿のレースの袖口…は、ヨーロッパの田舎の少女のブラウスの袖とは違います。
若い女性がカジュアルに着る木綿のブラウスとも違います。
素朴とか、牧歌的とか、或いはプリミティブなイメージとか…そんな感じがどうしてもしてしまいますが、
着物の袖口からのぞくとき、それは素朴でも牧歌的でもありません。
和の中に、チラリと見せる「異国の香り」です。
若くない年齢の女性が、ブラウスで着たらかわいすぎるレースを袖口にチラリとのぞかせる…。
かわいいという印象ではなく、清潔感と大人のおしゃれ…の感覚です。
洋風の暮らしできた年代にとっては、あのレースはどうしてもスリップやブラなどの「下着につくもの」
というイメージもあるのでしょうか。特に綿レースはどちらかというと昔風の「シミーズ」なぁんて
古いイメージがあるのかな?一緒にしてはもったいないですよ。
元々着物には「表着」と「下着」の間に「中着」という位置づけのものがあります。
洋装では、表着の下は「下着」で、原則として「見せるものではない」ものです。
でも着物って、ほんとに人に見せないのは肌じゅばんと湯文字だけで、
裾除けさえ「赤い蹴出し」として、わざと見せたりするわけです。
「中着」の一つとしてレースの袖口は、ちょっと覗くヨーロピアンなオシャレ…と考えたら、
さてこの着物にはどのレースがあうかしらん…という楽しいお悩みが増えると思います。
いやそれにしても、柄選びに困るほど、種類も数もないというのが…あららです。
本日のおまけ、アジサイです。どうも育ちがあまりよくなくて…ちいさいのです。
せめてアップで大きく…。
なるほどなるほど!
>和の中に、チラリと見せる「異国の香り」です。
私は、若い子たちのは「可愛い」というイメージもあるようにも思いますが、「清潔感」ですよね!
袖口からチラリと覗く清潔な白の綿レースって普及品でも高級品でも決して不快なものではないと思うんですけど。
と感じるのは、昔お稽古事の時、周りで着ていた人たちが皆綿レースの袖口だったからなのかもしれません、
最近の人たちが抵抗を感じるのは「他の人が着ているのを目にしない」「お店で売っていない」からというのが大きいのでしょうねぇ。
夏の暑さももちろんですが、冬でも室内の気温は昔とは比べ物にならないほど暖かくなりましたので寒いという事はなくなりました。
そんなこんなで着物は着ている人にとっては暑い衣装になったと思います。
主人は仕事柄着物を着ますが、前はつまり二重になるからとにかく暑いと申しております。真夏は袖に籐の筒を入れています。
私も冬でも暑いと感じるほうで、レース袖の半襦袢が大好き。
でもこれでどうなんだろうといつも悩んでおりました。。。。
高いものは土台の木綿生地も
違うのかもしれませんね・・・
さすがにゴージャスです。
ネットの商品は
結構お買い得に感じますが
使用感のレポートを楽しみにしています。
特に夏場の白って、清潔に見えますしね。
「周りにいない」「見たことがない」って、
実はほんとに困ると思います。
今度、それについても書いてみようと思っています。
ご主人様は、特に「重ねて」お召しですものね。
クーラーなくてもなんとか暮らしてた昔…
遠い話になってしまいましたわ。
ほんとにまだまだ暑くなるのでしょうか。いやですねぇ。
写真にはうまく出ていませんが、ほんとに細かい
ステキな柄です。
木綿そのものは、出してみないとわからないのですが、
やはりそういうところでのレベルもありますよね。
昔と同じ使い心地だといいなぁと思っています。