写真はただいま準備中の「紬のはぎれセット」です。
できるだけ早くヤフオクに出したいと思っています。
昨日は中途半端で終了してすみません。なんせ私はいつも話しが長いもので…。
まず、昨日のお話、まとめて言うと、つい15年くらい前までは、
「浴衣は紺白」がもっともポピュラー、カラフルゆかたは「子供用」、
カラフル浴衣の出現とともに、いろいろ形の変わったもの、着物風の柄のものなど
今までの浴衣にはなかったものが現れ、それと同時に
「着方」についても「着物風に着る」…というような提案が、けっこう前面に出始めた…です。
あら、6行でおわっちゃった…昨日書いたことはなんだったんだ…。
あぁこれだから長いといわれるんだわ、シンプルに、簡潔に…と思っても、
ムリ、ゼッッッタイ無理だってば…なので、長文です。
まず着物を着る人間が減り、日常生活を洋装ですごすライフスタイルに
急激なスピードでかわったという事実があります。
原因の大きなもののひとつは「戦争」です。いよいよ戦争が始まると、
「男性は国民服」ということになり、女性は「もんぺ」が奨励されました。
着物を着るな、そんなゼータクしてる場合じゃないだろ、と、
国がそういったんですねぇ。上がブラウスでも着物でも、下はもんぺ、です。
このあたりのこと、過去記事「国民服」にありますので、
ぜひお読みください。戦争がなんとアホなことかというのも感じられます。
ともかく、やっと戦争が終わり、平和になっても建て直しに必死でいるうち
時がすぎてしまったわけで、着物と比べて活動的な洋服はそのまま着られ続け、
着物は特別な日に着られるもの、になってしまいました。
同時に、当たり前のようにみんなが知っていた「着物の基本」も「着物の作り方」、
そういったことが何も伝わらなくなってしまいました。
着物が売れなくなって、着物業界はき方などを「洋服風」にアレンジしてみたり、
ことさらのように「シャープ、スマート、モダン」などを強調してみたり。
それでも着物は元のようには復活しませんでした。
そこで次は…あぁ着物の崩壊の始まり…、
大手と呼ばれるところが国内の大事な職人さんたちを置き去りにして、
何でも安く作れる中国や東南アジアに、工場を構え、安い手間賃で、
いろいろなものを作らせて持ち帰り、それを売ったわけです。
そのあたりのころには、今度は買うほうが「何がいいものか、何をどう着たらいいのか」
いろいろなことがわからなくなっていました。
「カラフル浴衣」も「振袖浴衣」も、こうしたら売れるんじゃないかの、
必死の作戦だったのだとは思います。
私はいつもいいますが、昔がよかった、昔が正しい、とばかり
思っているわけではありません。
そういうものを作ること自体は悪いことだとは思いません。
社会が変わっていけば暮らし方もかわり、ニーズも変わります。
それにあわせての変化は仕方のないことだと思います。
問題なのは、売ることだけに必死になって、大事なことを
いろいろと置き去りにしたこと。職人さんが激減したのは、
国内での仕事がなくなったからです。
また着物を着る側だった私たちも、油断したんですねぇ。
せめて話だけでも、たとえ「特別な日」だけでも、着物について、
もっと伝えるべきでした。
昨日書きましたが…
「かつて着物が毎日のように着られていたときは、その暮らしの中で、
新しいものを向かえ、吟味し、その位置づけをきちんときめてきました。
ずっと継続してきた「着物での暮らし」から、それなりの知識もつみあがり、
また毎日が着物ですから、その中の経験上「これはどう着るといいか」などは、
自然と決められたわけです。
逆に、着物が特別なものになってしまった今、ある程度のマニュアルがないと
わかりづらい、そのマニュアルから外れることは迷う…なわけです。
昔々、ウールという素材がはいってきました。
ウールは洋服では高級素材です。でも着物では木綿とほぼ同列。
これは、ウールという素材の特性から、絹の着物と同列にはできないと
当時の着物の暮らしの経験の中で、判断されたからでしょう。
ウールという繊維は、その表面に「スケール」という
一方方向に伸びるトゲトゲがあります。人毛のキューティクルと同じような
うろこ状のものです。これがあの独特のちくちくやざらざらなわけです。
絹のような、するりとすべるしなやかさを良しとする着物には、
暖かくてもすべりのないウールは、向かなかったわけです。
ウールは洋服にこそ、その利点を発揮できる素材だと、昔の人はわかったんですね。
またウールの暖かさと別に「粗」に織れば、逆にあのざらざらが、肌につかず離れずで、
夏の素材にはべたつかずに着られると気づき、夏物着物に使われたりしました。
なぜウールは単なの?たぶん、ですが、裏のつけようがなかったのだと思います。
当時の日本の素材では、ウールにつける裏がない…。
着物というのは微妙なもので、素材のあまり違うものをつけると、
表と裏で勝手に動いたり、妙なズレかたをしたり、結局は着づらくなります。
昔の木綿着物で、裾回しだけに絹がついていることがありますが、
あくまでおしゃれ心で、そういうものでも胴裏はほとんど木綿です。
絹は何にでもなじむものではありますが、今度は表が強すぎると、
絹だけが傷みます。そういう微妙なことをよく知っていたから、
おそらくウールには裏をつけないほうがいいと、
そういう方向になっていったのでしょう。
裏のない着物は、日本では「単」と決まっています。
だからウールは織りによってあたたかいものは秋冬、涼しいものは夏物として、
重宝に着られたわけです。時代が下がって色もきれいにのせられるようになると、
小紋柄として、絹物の小紋と似たように着られるようになりました。
でも、元の位置づけが「木綿と同列」ですから、
今でもウールはTPOを考えないと失礼に当たる…というものなのです。
母は冬物ウールには、後ろの腰から下だけ、とか後ろと右前だけとか、
洋服の裏地の古いものとか、古い胴裏などを「みやこ染め」で染めて、
縫い付けていました。「ウールは単」という決まりごとを重んじて、
外に着ていったときに?と思われないように、外から見えるところにはつけず、
中側につけたわけです。暖かいのと「すべり」がいいことが利点です。
もちろん「ふき」をだすようなちゃんとした裏ではなく、
ぶら下がった状態のようなそんな裏です。
こんなふうに、知らず知らずのうちに重なってきた先人の知恵が、
着物の常識の隠れた部分として、更に工夫され自然と伝わってきたんですね。
今はそういうものがありませんから「じゅばん着れば単になります」といわれたら
「そうなのだ」と、全部がそうだと思ってしまう。
おまけに「言ってるほう」にも、細かいことがわかってなかったりして、
受け売りで言ってしまう部分があります。店員さんも知らないのです。
たとえば「ポリ」という素材が出てきました。
「ポリの浴衣も浴衣ですか?」
非常に厳密に言うなら「ポリ」という時点で「浴衣」ではありません。
先日書いたとおり、浴衣の「出自」はバスローブで、湯上りや行水後のさっぱりした素肌に、
襦袢やたびナシで、さらりと着られる気軽さとさわやかさが受けて、
夏の宵着に昇格したもの、です。
そしてそれは、庶民という「絹には縁がなくほかには麻しかなかった」人たちに
「しなやか、丈夫、発色がいい」と、喜んで迎えられた「木綿」があったればこそ
湯帷子から昇格できたもの、です。
つまり、木綿だから浴衣になれたんです。木綿だから浴衣なんです。
ですから厳密に言えば「ポリの浴衣」は「ポリの浴衣風」です。
もちろん、木綿以後あれこれゆかたも出てきました。
綿麻もあれば、昨日の絹紅梅、また綿紅梅なんてのもあります。
でもそれは「基本」からうまれた別物、です。
綿と麻の両方の特性を生かしたら…とか、織りかたを替えたらもっと涼しく
なるんじゃないか、とか…。
絹紅梅は、昨日写真でご紹介しましたが、たいがい透けます。
あの着物もとても素肌に着られません。裾除けだけで着たらこの脂身ボデーでも
「ナントカ物陳列罪」で、即御用…。結局襦袢着るか、袖つき下着着るか…。
じゃなんで浴衣って売られてるの?すみません、そりゃ私にもわかりません。
たぶん、綿が入っている以上、絹物と同列にはできない、かといって
単着物、ときめてしまうとそれしか着られない、なら木綿も入ってるし
浴衣としておけば、どっちにも着られるという曖昧さが、
かえってウリのポイントになる?…かなぁと思っています。
専門家の方、どなたかご存知でしたら教えてください。
元々絹紅梅の絹糸はとても細くて、それは「薄いセミやトンボの羽のような絹織物」を
織ったら涼しくていいだろうなぁだったのでしょうけれど、
そのままじゃとても耐久力がない、そこで間に木綿を入れてしゃきっとさせたもの。
絹紅梅は普通の浴衣のように、洗濯機でガラガラは危険です。
元々質の違う糸の組み合わせですしね。実は面倒なものなのです。
私は絹紅梅の歴史をしらないので、いつごろからあるのか知りませんが、
少なくとも母は知っていました。いわく「金持ちのお遊び浴衣」だそうです。
つまり、たくさんモノを持っている人が「こんなのあってもいいね」だと。
そういうことも、昔から知っている人はそれがなんであるか、どう使うのか、
積み重ねがあるから、理解できてるから、買うときも迷わないわけです。
さまざまなことで知識の伝承がとぎれてしまいました。しかも猛烈なスピードで。
だから年代によって「言うことが違う」なんてことになり、
しかも人間は年とともに頑固になって、新しいことをなかなか受け入れられません。
逆に若いヒトは「元」を知らないから、言われたことを丸呑み鵜呑みで、
「これでいい」「これもいい」と着てしまう。
どうしたらいいのかは、私にもわかりません。
だれもうそはついていないのです。浴衣だって、中に襦袢を着られるものもあります。
でもそれは「なんでも」ではありません。
今の呉服屋さんが、みんな物知らずだとはいいません。
そうでないところもたくさんあります。でも、「売れればなんでもいい」というところや、
とにかく「若い人に迎合」というところがあるとは思います。
売ることも大事ですが、浴衣売るなら「木綿着物」の土台から
せめて少しは勉強して、店員さんがちゃんと説明できるようにしてください。
私にできることは「知っていることをここで書くだけ」です。
私以外にも、着物の昔を知っている人が、臆せず、また自分自身も凝り固まらず、
若い方と一緒に着物について話していけたらいいなぁと思っています。
私だって、かたよっているところはたくさんあります。
まちがって覚えていることもいろいろあると思うんです。
ただ、好きだから…で、こんな暮らしをしています。
まず、本気で着物にほれてください。
ほれると知りたくなるでしょ?お店の人に言われたことだけじゃなくて
「じゃこういうときはどうなるの?」と知りたくなりますよね。
そのキモチを大事にして、いろんなこと知ってください。
昨日いただいたコメントに
>周囲との調和を大事にする。
それが時刻だったり、季節だったり、会う人や場所で按配するのが、
日本人の美意識だったのでは
という一文がありました。その通りだと思います。
「自由」は「勝手」とは違います。
お互いに近寄れば、その「距離」が見えてくる…そんな風に思います。
やーっぱり長くなって、それで何言いたいの…みたいな記事になりました。
最後までお読みくださって、ありがとうございました。ほんとーにお疲れ様でした。
できるだけ早くヤフオクに出したいと思っています。
昨日は中途半端で終了してすみません。なんせ私はいつも話しが長いもので…。
まず、昨日のお話、まとめて言うと、つい15年くらい前までは、
「浴衣は紺白」がもっともポピュラー、カラフルゆかたは「子供用」、
カラフル浴衣の出現とともに、いろいろ形の変わったもの、着物風の柄のものなど
今までの浴衣にはなかったものが現れ、それと同時に
「着方」についても「着物風に着る」…というような提案が、けっこう前面に出始めた…です。
あら、6行でおわっちゃった…昨日書いたことはなんだったんだ…。
あぁこれだから長いといわれるんだわ、シンプルに、簡潔に…と思っても、
ムリ、ゼッッッタイ無理だってば…なので、長文です。
まず着物を着る人間が減り、日常生活を洋装ですごすライフスタイルに
急激なスピードでかわったという事実があります。
原因の大きなもののひとつは「戦争」です。いよいよ戦争が始まると、
「男性は国民服」ということになり、女性は「もんぺ」が奨励されました。
着物を着るな、そんなゼータクしてる場合じゃないだろ、と、
国がそういったんですねぇ。上がブラウスでも着物でも、下はもんぺ、です。
このあたりのこと、過去記事「国民服」にありますので、
ぜひお読みください。戦争がなんとアホなことかというのも感じられます。
ともかく、やっと戦争が終わり、平和になっても建て直しに必死でいるうち
時がすぎてしまったわけで、着物と比べて活動的な洋服はそのまま着られ続け、
着物は特別な日に着られるもの、になってしまいました。
同時に、当たり前のようにみんなが知っていた「着物の基本」も「着物の作り方」、
そういったことが何も伝わらなくなってしまいました。
着物が売れなくなって、着物業界はき方などを「洋服風」にアレンジしてみたり、
ことさらのように「シャープ、スマート、モダン」などを強調してみたり。
それでも着物は元のようには復活しませんでした。
そこで次は…あぁ着物の崩壊の始まり…、
大手と呼ばれるところが国内の大事な職人さんたちを置き去りにして、
何でも安く作れる中国や東南アジアに、工場を構え、安い手間賃で、
いろいろなものを作らせて持ち帰り、それを売ったわけです。
そのあたりのころには、今度は買うほうが「何がいいものか、何をどう着たらいいのか」
いろいろなことがわからなくなっていました。
「カラフル浴衣」も「振袖浴衣」も、こうしたら売れるんじゃないかの、
必死の作戦だったのだとは思います。
私はいつもいいますが、昔がよかった、昔が正しい、とばかり
思っているわけではありません。
そういうものを作ること自体は悪いことだとは思いません。
社会が変わっていけば暮らし方もかわり、ニーズも変わります。
それにあわせての変化は仕方のないことだと思います。
問題なのは、売ることだけに必死になって、大事なことを
いろいろと置き去りにしたこと。職人さんが激減したのは、
国内での仕事がなくなったからです。
また着物を着る側だった私たちも、油断したんですねぇ。
せめて話だけでも、たとえ「特別な日」だけでも、着物について、
もっと伝えるべきでした。
昨日書きましたが…
「かつて着物が毎日のように着られていたときは、その暮らしの中で、
新しいものを向かえ、吟味し、その位置づけをきちんときめてきました。
ずっと継続してきた「着物での暮らし」から、それなりの知識もつみあがり、
また毎日が着物ですから、その中の経験上「これはどう着るといいか」などは、
自然と決められたわけです。
逆に、着物が特別なものになってしまった今、ある程度のマニュアルがないと
わかりづらい、そのマニュアルから外れることは迷う…なわけです。
昔々、ウールという素材がはいってきました。
ウールは洋服では高級素材です。でも着物では木綿とほぼ同列。
これは、ウールという素材の特性から、絹の着物と同列にはできないと
当時の着物の暮らしの経験の中で、判断されたからでしょう。
ウールという繊維は、その表面に「スケール」という
一方方向に伸びるトゲトゲがあります。人毛のキューティクルと同じような
うろこ状のものです。これがあの独特のちくちくやざらざらなわけです。
絹のような、するりとすべるしなやかさを良しとする着物には、
暖かくてもすべりのないウールは、向かなかったわけです。
ウールは洋服にこそ、その利点を発揮できる素材だと、昔の人はわかったんですね。
またウールの暖かさと別に「粗」に織れば、逆にあのざらざらが、肌につかず離れずで、
夏の素材にはべたつかずに着られると気づき、夏物着物に使われたりしました。
なぜウールは単なの?たぶん、ですが、裏のつけようがなかったのだと思います。
当時の日本の素材では、ウールにつける裏がない…。
着物というのは微妙なもので、素材のあまり違うものをつけると、
表と裏で勝手に動いたり、妙なズレかたをしたり、結局は着づらくなります。
昔の木綿着物で、裾回しだけに絹がついていることがありますが、
あくまでおしゃれ心で、そういうものでも胴裏はほとんど木綿です。
絹は何にでもなじむものではありますが、今度は表が強すぎると、
絹だけが傷みます。そういう微妙なことをよく知っていたから、
おそらくウールには裏をつけないほうがいいと、
そういう方向になっていったのでしょう。
裏のない着物は、日本では「単」と決まっています。
だからウールは織りによってあたたかいものは秋冬、涼しいものは夏物として、
重宝に着られたわけです。時代が下がって色もきれいにのせられるようになると、
小紋柄として、絹物の小紋と似たように着られるようになりました。
でも、元の位置づけが「木綿と同列」ですから、
今でもウールはTPOを考えないと失礼に当たる…というものなのです。
母は冬物ウールには、後ろの腰から下だけ、とか後ろと右前だけとか、
洋服の裏地の古いものとか、古い胴裏などを「みやこ染め」で染めて、
縫い付けていました。「ウールは単」という決まりごとを重んじて、
外に着ていったときに?と思われないように、外から見えるところにはつけず、
中側につけたわけです。暖かいのと「すべり」がいいことが利点です。
もちろん「ふき」をだすようなちゃんとした裏ではなく、
ぶら下がった状態のようなそんな裏です。
こんなふうに、知らず知らずのうちに重なってきた先人の知恵が、
着物の常識の隠れた部分として、更に工夫され自然と伝わってきたんですね。
今はそういうものがありませんから「じゅばん着れば単になります」といわれたら
「そうなのだ」と、全部がそうだと思ってしまう。
おまけに「言ってるほう」にも、細かいことがわかってなかったりして、
受け売りで言ってしまう部分があります。店員さんも知らないのです。
たとえば「ポリ」という素材が出てきました。
「ポリの浴衣も浴衣ですか?」
非常に厳密に言うなら「ポリ」という時点で「浴衣」ではありません。
先日書いたとおり、浴衣の「出自」はバスローブで、湯上りや行水後のさっぱりした素肌に、
襦袢やたびナシで、さらりと着られる気軽さとさわやかさが受けて、
夏の宵着に昇格したもの、です。
そしてそれは、庶民という「絹には縁がなくほかには麻しかなかった」人たちに
「しなやか、丈夫、発色がいい」と、喜んで迎えられた「木綿」があったればこそ
湯帷子から昇格できたもの、です。
つまり、木綿だから浴衣になれたんです。木綿だから浴衣なんです。
ですから厳密に言えば「ポリの浴衣」は「ポリの浴衣風」です。
もちろん、木綿以後あれこれゆかたも出てきました。
綿麻もあれば、昨日の絹紅梅、また綿紅梅なんてのもあります。
でもそれは「基本」からうまれた別物、です。
綿と麻の両方の特性を生かしたら…とか、織りかたを替えたらもっと涼しく
なるんじゃないか、とか…。
絹紅梅は、昨日写真でご紹介しましたが、たいがい透けます。
あの着物もとても素肌に着られません。裾除けだけで着たらこの脂身ボデーでも
「ナントカ物陳列罪」で、即御用…。結局襦袢着るか、袖つき下着着るか…。
じゃなんで浴衣って売られてるの?すみません、そりゃ私にもわかりません。
たぶん、綿が入っている以上、絹物と同列にはできない、かといって
単着物、ときめてしまうとそれしか着られない、なら木綿も入ってるし
浴衣としておけば、どっちにも着られるという曖昧さが、
かえってウリのポイントになる?…かなぁと思っています。
専門家の方、どなたかご存知でしたら教えてください。
元々絹紅梅の絹糸はとても細くて、それは「薄いセミやトンボの羽のような絹織物」を
織ったら涼しくていいだろうなぁだったのでしょうけれど、
そのままじゃとても耐久力がない、そこで間に木綿を入れてしゃきっとさせたもの。
絹紅梅は普通の浴衣のように、洗濯機でガラガラは危険です。
元々質の違う糸の組み合わせですしね。実は面倒なものなのです。
私は絹紅梅の歴史をしらないので、いつごろからあるのか知りませんが、
少なくとも母は知っていました。いわく「金持ちのお遊び浴衣」だそうです。
つまり、たくさんモノを持っている人が「こんなのあってもいいね」だと。
そういうことも、昔から知っている人はそれがなんであるか、どう使うのか、
積み重ねがあるから、理解できてるから、買うときも迷わないわけです。
さまざまなことで知識の伝承がとぎれてしまいました。しかも猛烈なスピードで。
だから年代によって「言うことが違う」なんてことになり、
しかも人間は年とともに頑固になって、新しいことをなかなか受け入れられません。
逆に若いヒトは「元」を知らないから、言われたことを丸呑み鵜呑みで、
「これでいい」「これもいい」と着てしまう。
どうしたらいいのかは、私にもわかりません。
だれもうそはついていないのです。浴衣だって、中に襦袢を着られるものもあります。
でもそれは「なんでも」ではありません。
今の呉服屋さんが、みんな物知らずだとはいいません。
そうでないところもたくさんあります。でも、「売れればなんでもいい」というところや、
とにかく「若い人に迎合」というところがあるとは思います。
売ることも大事ですが、浴衣売るなら「木綿着物」の土台から
せめて少しは勉強して、店員さんがちゃんと説明できるようにしてください。
私にできることは「知っていることをここで書くだけ」です。
私以外にも、着物の昔を知っている人が、臆せず、また自分自身も凝り固まらず、
若い方と一緒に着物について話していけたらいいなぁと思っています。
私だって、かたよっているところはたくさんあります。
まちがって覚えていることもいろいろあると思うんです。
ただ、好きだから…で、こんな暮らしをしています。
まず、本気で着物にほれてください。
ほれると知りたくなるでしょ?お店の人に言われたことだけじゃなくて
「じゃこういうときはどうなるの?」と知りたくなりますよね。
そのキモチを大事にして、いろんなこと知ってください。
昨日いただいたコメントに
>周囲との調和を大事にする。
それが時刻だったり、季節だったり、会う人や場所で按配するのが、
日本人の美意識だったのでは
という一文がありました。その通りだと思います。
「自由」は「勝手」とは違います。
お互いに近寄れば、その「距離」が見えてくる…そんな風に思います。
やーっぱり長くなって、それで何言いたいの…みたいな記事になりました。
最後までお読みくださって、ありがとうございました。ほんとーにお疲れ様でした。
むしろ元下着のキャミソール、元作業着のデニム、素足にサンダルでほとんどどこでもOKの時代、もう小細工なしに普通に浴衣で朝からでも、木綿・ウールでどこへでもOKと認めたほうがいいと思っています。
それでも、ついつい例外で小細工したくなる困った私、例外にあこがれる気持ちもわかるのです。
洋装のカジュアル化と呼応するように頭を切り替える必要がある、浴衣はもはやサマードレスと思ってはいるのですが、実際には早朝の番組で浴衣の女子アナを見たりすると違和感を覚えます。例外普遍化の着物風の提案なんてのも、ちょっとわかる気がするのです。でも、本当にそのあたりは難しいですね。
しかし、次々出てくるとんぼさんの浴衣、全部見せていただきたいです。浴衣、お好きなんですね。よくお似合いです。
ですが、綿が入っていても襦袢を着なければ
ならないような透け感のある生地は、ゆかた
より着物でいいんじゃないかと思うんですけどね。
とんぼさんの言いたい事は良く判って居ますよ。
こんな叔母さん近くにいたらさぞかし心強いでしょう・・・でも深入りし過ぎると・・・なんでも決められちゃいそうで怖いけど(所が間違っていない事が多いのね、普通子供に醜く見える服を選ぶ親いないからね、親の言う事は聞けって言うんだよ子供達)!
さて浴衣ね~~??先に結論言うと・・・好きにさせたらですね!!こと浴衣に関しては、真夏の夜の夢なんだから!!!お気楽お手軽&チープに自己表現してるんだから・・・大人が眉ひそめてもね~~多くの叔母ちゃん達も嘗ては親泣かすようなカッコしたんじゃないの???命の根源から湧き上がってくる衝動だから止められないよ!!!!!とんでもないきもの屋で呆れられちゃうかも!でも考えるよすがに成ればなんてね?
さてここから独断と偏見・・・今貫頭衣とか水干着てる人いないわけね。服飾史見ればすぐ解るよ、習俗も時代時代に変ってきたの、訳わかんないけど実は合理的と考える事に、ほぼ多数決・・・理由は数多に有るのですが。
確立した文化に対する帰属性は、きちんと教える事が望ましいが(集団の美とか)、余に是駄目あれ駄目って言うのも進歩の芽を摘むよね、いくら言っても止められないのが普段着の世界ですが。
自分の教えられた価値観から外れると、耐え難い苦痛と悲しさを感じることも有りますが、所詮諸行無常です。但し、ほっておけと言う事とは違いますからね、私異端者では有りませんごく平凡な男のつもりです(弁解弁解…)。
ぽんぽん着物用語が出てきてびっくり。
この子たち被服科か?
(名古屋市立某高校の被服科では
某着付け先生が講師をされている)
でも違っていて、単に浴衣を買いに行く
相談をしているだけでした。
なんだかふわ~っと感動。
着物を着る人どんどん減って
着物用語がどんどん外国語になりつつありますが、
浴衣ブームのお陰で首が繋がっている感じがします。
着る物はどんどん変わるし(ex.奈良時代、中国風→平安時代、日本風など)
古文書の中だけの民族衣装(ほとんどの西欧諸国はそう)になって欲しくないです。
ミスユニバースの下半分忘れているよ皮製着物は、
アニメ・オタク文化の申し子であっても、
もとじさんなど、ある意味
ちゃんとした着物を知っている人が関与している。
私は別の意味ですごいことだと思いました。
江戸時代から明治に入った時点で、すでに、
相当着物は変わってしまっているので
どんな形であれ、洋服とは違う服装が
何となく同じ世界で生きていくためのすりあわせが
現在行われつつあるとすれば
それは、すごいことだと思います。
今着られている派手派手なアレは
浴衣ではなくユカタ、そういうアパレル(服飾)だと言う人もいます。
迎合するだけではみっともない。
でも、批判するだけでも寂しい。
この先どんなすりあわせが進行するのか
見守りたいです。
ちなみに私は試行錯誤派です。
数日前から、浴衣と木綿単について、たっぷりと勉強させていただいています。
職人が置き去りにされているという一文には
おもわず、そうだ!そうだ!!と、うなずいてしまいました。
和裁で、立派に独立して食べていけている人は
日本にどれくらいいるのでしょうね。
仕立て代などは土地によっても異なりますが
田舎では、今でも内職に毛が生えたくらいではないかと思います。
それでも、確定申告の時は自営業扱いなので
たしか、所得が38万円以上で扶養家族扱いされず、
28万円以上で税金を納める必要があります。
さほど収入は変わらないパートの奥様達の方が
はるかに優遇されている気がします。
以前ネットで、浴衣と単の着物は同じ単なにの
どうして仕立て代がかなり違うのか
全部浴衣と同じ料金にすればいいのに
というような書き込みを見てがく然としました。
私のところで浴衣は8000円。
水に通して地直しして、仕立てて、仕上げして
どんなに頑張っても2~3日かかります。
他の用事(家事など)があれば4日はかかるでしょうか。
すべての単の着物をそんな値段でやっていたら
食べていけません…。
しかも、浴衣と薄物の単とでは
仕立て方がまったく異なります。
確かに仕立て代は高額だと思うかもしれないけれど
ひとりひとりの寸法でお仕立てする
完全なるお誂えで、
職人が頑張って仕立てているということを
頭の隅に置いていただきたいなぁんて
とんぼさんのところで、思わず愚痴ってしまいました。
ごめんなさい<m(__)m>
知らないことがいっぱいで、知りたい事もいっぱいなんです。
たとえば花嫁さんのウエディングドレス・・・私が結婚する頃は花嫁さんは襟ぐりを大きくしすぎないとか、肩は出さないとかいわれましたけど今のレンタルドレスのカタログなんかみるとほとんどビスチェ型で肩も背中もドバーッと露出大会ですよ。
何も考えず流されるだけの人もいるのはしかたがない。けど、ちょっとでも疑問をもったら調べたり聞いたりして本来の形を知って、その上で変わっていくものを自分で見極める力をつけたいとおもいました。そして、昔ながらの知識をお持ちのとんぼさんみたいなかたはどんどんその知識を公開してほしいですよね。
受け継がれていくものも大事ですもんね。
ここだけの話ですが、私の親の世代、ちょうど戦争で疎開だなんだってころに子供から娘時代だった世代の人って案外何にも知らないんですよね。母親とお姑さんに同じこと聞いてもなんか両方ともとんちんかんで・・・。その娘の私も自分の娘に教えてやれることはなにもない。
とんぼ様のことはこと着物に関しては『母』と呼ばせていただきたいとおもいます。よろしゅうに!
ほんとに昨今の「なんでもあり」は、ビックリ。
楽といえば楽ですけどねぇ。節操ないです。
ハズして着ていても、元がみんなにわかっていれば、
それをまた学んでいくわけで、
知っててハズすことがひろまるだけですが、
何も知らずにハズしていくと「何でもあり」に
なっていくのだと思います。
私はそれがもったいないと思うんですよ。
知識の積み重ねと、おもいつきの寄せ集めは
ちがいますもんね。
平凡社の世界大百科事典(1988年初版)より引用
-----
人前で着るものとして扱われなかったゆかたが、男女ともに外出にも着る用になったのは明治中期以後、上物ができたからである。現在でも女物の紅梅、綿絽、綿縮などの中形染や長板本染中形の高級ゆかたは、八寸名古屋帯をお太鼓に締めて街着とする。
-----
執筆者は山下悦子さんです。
絹紅梅についてはわかりませんが、紅梅織自体は江戸時代末の浮世絵にもあるようです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yamaguchikomono/4753061.html