よく着せたらしく、まぁ見事によごれているんですが…。
薄い紬地に鈴の柄。色目だけ見れば大人のじゅばん柄ですね。きっとそうだったのだと思います。
揚げは全部解かれていますので、実際にこれを着たコは、3歳くらいですかねぇ。
前部分のアップです。衿から胸にかけてのカーブ、わかりますね。
わざとカーブさせてぬってあります。
何でこんな形かというと、体の形に合わせた?のでしょうね。
子供は大人ほど体にメリハリはありません。キューピー人形と同じですね。
そういう形だと、大人のように作って着せるより、こうして体に添うように作った方が、
よく動く子供にとっては、前がはだけない…。親なればこその工夫です。
これなら紐をうしろで結んだだけで、帯をしなくても大丈夫ですね。
じゅばんの裏地のところでも書きましたが、ある程度の基本はあっても、
都合に合わせての工夫はいいんじゃないの?なんですね。
柄のアップです。
見ているとシャンシャンと鳴り出しそうです。
では「鈴」のお話。
鈴の歴史は縄文までさかのぼると言われています。
太鼓の昔から、自然が作り出す、たとえば獣のほえ声や、風の音、水の音は、人間が安全に暮らしていくためには、
耳を澄まして気をつけるべき「音」でしたが、人が作り出す音、たとえば何かをたたく、振る、吹く…
そうやって作り出す音は、時には獣を遠ざけたり、また何かを伝達したり、
さらには見えないものや気配から身を守る力のあるもの…でありました。
今でも、熊よけの鈴をもったり、キケンを知らせる笛を吹いたり、人のすることはあまりかわっていませんね。
大昔はもうひとつ、音を立てることは、あがめるもの、見えないものへの合図や挨拶でありました。
今でも巫女さんは鈴を振りながら舞を奉納しますし、私たちも大きな鈴をガランガランと鳴らしてお参りします。
また仏壇ではおりんをならしてご先祖さまに挨拶し、お坊さんは木魚や大きな鐘をならして経文を唱えます。
また、いわゆる「音楽」は、大切な祈りの方法でした。雅楽や猿楽もみなそこからはじまったものです。
そんなわけで、鈴というのはとても身近な「大切な音の道具」だったわけです。
元々は自然の中の、たとえば木の実を振るとカラカラと音がするものなどから始まったものといわれています。
やがて土器を作るようになると「土鈴」がつくられ、金属が使われると金属の鈴が作られていったわけです。
神様へのご挨拶に使われたり、舞の奉納のときの楽器として使われたりする鈴は、
着物の柄としても神様に守っていただく、神様と向き合う、そういう意味で縁起のいいものであったのですね。
子供の着物や、女性のじゅばん、着物につけるのは「守り」という意味が深いわけです。
英語では鈴と鐘の区別はないと聞いていますが(どっちもベル)、
日本では基本的には「音を出すものに手が触れないもの」を「鈴」と言います。
鈴の中にある音を出す玉には、触れられませんね。
そして音を出す部分に触れることで音を出せるものを「鐘」と言っています。
昔の学校で始業のときにならされた鐘は「舌(ゼツ:鐘の中にぶら下がっている金属の板など)」についている
紐をゆすって音を出しますし、お寺の大きな鐘などは、撞木をあてて音を出します。
では風鈴は?…実は風鈴の構造は「鐘」と同じですね。外から音を出す部分に触れることができます。
でも、風鈴を鳴らすのはあくまで「風」…つまり人間がさわれるけれどさわらないで、音を出させます。だから鈴…。
着物の柄の由来などを調べていて、こんなオハナシにたどりつくたび、私は「日本語」の細やかさに驚きます。
魚の名前が大きさでかわっていったり、月の呼び名が日ごとにかわっていったり…。
日本には元々美しい自然がたくさんあって、それらは「季節」と言うめぐりの中でさまざまに姿をかえる、
そんな一瞬、一刻、一日、ひと月をとてもよく観察して、とらえてきたのだと思います。
真夏に氷、真冬にスイカが食べられる今、これでもやっぱりシアワセなのかなぁと、ふと思ったりしています。
ゼータクな話ですが…。
実家のアマリリスです。父が「つぼみが八つあって、五つまで咲いたのを見たから、
残りは持っていって家で楽しむといい」といってくれました。今咲いているのは四つ目と五つ目。
六つ目から先はまだまだつぼみです。
大きいのを見ていただきたいので、画像をクリックしてください。
なにしろ現物はこんな大きさです。
アマリリスってとても丈夫なんですよね。
私は友人にいただいて、花がおわってそのまんまほったらかし、何年も表に置き忘れていました。
それがある年、突然また咲いたのでびっくり…。
以来、鉢もかえて大事にして咲かせたのですが、去年はまたしてもほっておいたので、
今年は大きなハッパしか出ていません。
実家のものは私が母に贈ったのですが、最初の年は確か花3つくらい…。
あちらは手入れがいいので、どんどん大きくなって、今年は八つです。
私も手入れして、来年は我が家のも咲かせたいと思っています。
娘が赤ちゃんだった頃にはまだこういう
着物やおでんちを着せていました。
着物も肌着もおむつもみんな重ねて、
お風呂上がりに打ち合わすだけは便利で
した。今はどうなんでしょう。
鈴と鐘、いい事をお聞きしました。
なるほどですね。
アマリリス見事です。
こういうものを着せられたり見たりして育って、日本人の色の感性って研ぎ澄まされていっていたのではないでしょうか?
女の子には赤!ピンク!!これではねぇ・・・
なんだか眺めているだけで気持ちがほっこりします。
アマリリスのお話。
とても素敵ーーお父様のやさしさが伝わってきました。
きっと心の柔らかな方なのでしょうねえ。
羨ましいですー私も見習わなくては!
まだ胴着なんて着せているんでしょうかねぇ。
あかちゅんのときから洋装が当たり前って、ちょっとさびしいですよね。
アマリリス、つぼみの育ちを心配する天気になってしまいました。
台風も近いし、梅雨に入っちゃったし…。
今年はへんですね。
昔の人って、元は大人ものでも、実にうまく使いますよね。
逆に子供の着物をつないで襦袢にしたり…。
それが単なる有り合わせに見えないところが、鋭いナァと思います。
子供の着物姿ってかわいいんですけどねぇ。
それにゲタっていうのが、子供の足には良いそうですから、
ほんとは着物、もっと着せてほしいですわ。
アマリリスは、ゆりの好きだった母にとってもお好みの花でした。
それにしても、よく育つものだと驚いています。
父も、母がなくなって、自分も病気をしましたから、
少しずつ植木鉢も減らしていくと言ってました。
それも仕方ないと思っていますが、母の好きだったものは、手入れしていますわ。
アケビは今年もなりそうです。あとはお天気ですねぇ。