
普通は木綿の衿芯が使われるんですが、こんな絣木綿が入ってました。
羽織もけっこう古いもので、羽裏をはずした後、
「衿」を例の「帯の裏地にどうだろか」…と思って洗ってみました。
でもねぇ…まんず縮んだこと縮んだこと…。
まぁお召しでしたから縮むだろうとは思っていたんですが、
なんだって「あんた、半衿だったの?」っていうくらいに縮みました。
だもんで、久しぶりに「伸子トンネル」になるほど細かく打ちました。

さすが伸子、ちゃんと幅はある程度出たんですけどね…
干してからわかるダメージってあるんですよー。
羽織だったときに見落とした小さい穴とか…これは穴じゃなくて、
なんというか「織ムラ」みたいな感じで、よーく見ると、
なんとなく横にダンダラの太い縞…黒なんですが、濃いところと薄いところと…。
おめしではありますが、元々上質品ではなかったようです。
でも、帯の裏にしてしまったらきっとわからないと思います。
ちょっとヒケもあるので、普通の帯より細くなるか半幅か…ですね。
「絣」のほうですが、こういう風に「はぎれ」を利用して衿芯にするのは、
古い着物ではよく見ますが、たいがいははぎれのツギツギ…か、
無地木綿の足りない分だけ柄のはぎれ、というのが多いです。
これは丸々、一枚で使われていまして腰紐とか、
前掛けの紐くらいには、十分使えます。いいものみっけた?!
これだけありましたー。

柄のアップです。赤い色が入っていませんから、
野良仕事にも年季が入りつつある「中堅どころ」の女性のものかしらん。
途中でついでありませんから、着物だったものでしょうねぇ。

とりあえず洗いました。衿本体のお召しは、そりゃあもぉ汚れていまして、
つけた水が、昔見た「雨上がりの水たまり」みたいなまっ茶色になりましたが、
この衿芯の木綿のほうは、もう青い水は出ませんでした。
それだけ使い込まれて、洗いざらしってことですね。
薄くはなっていますが、状態は悪くありません。
というわけで、本日も「伸子と張り板」並んでお仕事してもらいました。

今はモノもお金も豊ですから何でもありますし、
着物自体の「繰り回し」のわざも、
和裁をする人や着物を好む人以外は、あまり知られていません。
衿を解いたら、通常は木綿の芯がでてくるところが、
こんな絣木綿が出てきたり、じみ~な着物の掛け衿はずしたら、
とても華やかな錦紗が出てきたり…これもまた楽しいものですが、
昔の人の「思い」や「わざ」を感じます。
昔の人は「キマリごとはキマリごと」として、
それができるときはそれでする。でもできないときは、工夫する。
その工夫は「えっ?」というようなものであっても、状態であっても、
「着物」として、或いは「羽織」として、「帯」として、
ちゃんと通用するものであれば、気にしない。
このおおらかなところと、しぶといところ、律儀なところ…いいなぁと思います。
とかく「マニュアル」時代で、マニュアルにないことはわからない、とか
書いてないからしちゃいけないとか…そういうことの多い時代ですが、
ハズす楽しみを味わうことも、たまにはいいんじゃないかと思います。
必要は発明の母、といいますが、ないときはこれでいこう…という
昔の人の知恵や思いつきは、このエコの時代にも、十分使えるワザですねぇ。
この絣、藍染無地とか会津木綿とかの前掛けの紐にしたら、
いけると思いませんか?
羽織もけっこう古いもので、羽裏をはずした後、
「衿」を例の「帯の裏地にどうだろか」…と思って洗ってみました。
でもねぇ…まんず縮んだこと縮んだこと…。
まぁお召しでしたから縮むだろうとは思っていたんですが、
なんだって「あんた、半衿だったの?」っていうくらいに縮みました。
だもんで、久しぶりに「伸子トンネル」になるほど細かく打ちました。

さすが伸子、ちゃんと幅はある程度出たんですけどね…
干してからわかるダメージってあるんですよー。
羽織だったときに見落とした小さい穴とか…これは穴じゃなくて、
なんというか「織ムラ」みたいな感じで、よーく見ると、
なんとなく横にダンダラの太い縞…黒なんですが、濃いところと薄いところと…。
おめしではありますが、元々上質品ではなかったようです。
でも、帯の裏にしてしまったらきっとわからないと思います。
ちょっとヒケもあるので、普通の帯より細くなるか半幅か…ですね。
「絣」のほうですが、こういう風に「はぎれ」を利用して衿芯にするのは、
古い着物ではよく見ますが、たいがいははぎれのツギツギ…か、
無地木綿の足りない分だけ柄のはぎれ、というのが多いです。
これは丸々、一枚で使われていまして腰紐とか、
前掛けの紐くらいには、十分使えます。いいものみっけた?!
これだけありましたー。

柄のアップです。赤い色が入っていませんから、
野良仕事にも年季が入りつつある「中堅どころ」の女性のものかしらん。
途中でついでありませんから、着物だったものでしょうねぇ。

とりあえず洗いました。衿本体のお召しは、そりゃあもぉ汚れていまして、
つけた水が、昔見た「雨上がりの水たまり」みたいなまっ茶色になりましたが、
この衿芯の木綿のほうは、もう青い水は出ませんでした。
それだけ使い込まれて、洗いざらしってことですね。
薄くはなっていますが、状態は悪くありません。
というわけで、本日も「伸子と張り板」並んでお仕事してもらいました。

今はモノもお金も豊ですから何でもありますし、
着物自体の「繰り回し」のわざも、
和裁をする人や着物を好む人以外は、あまり知られていません。
衿を解いたら、通常は木綿の芯がでてくるところが、
こんな絣木綿が出てきたり、じみ~な着物の掛け衿はずしたら、
とても華やかな錦紗が出てきたり…これもまた楽しいものですが、
昔の人の「思い」や「わざ」を感じます。
昔の人は「キマリごとはキマリごと」として、
それができるときはそれでする。でもできないときは、工夫する。
その工夫は「えっ?」というようなものであっても、状態であっても、
「着物」として、或いは「羽織」として、「帯」として、
ちゃんと通用するものであれば、気にしない。
このおおらかなところと、しぶといところ、律儀なところ…いいなぁと思います。
とかく「マニュアル」時代で、マニュアルにないことはわからない、とか
書いてないからしちゃいけないとか…そういうことの多い時代ですが、
ハズす楽しみを味わうことも、たまにはいいんじゃないかと思います。
必要は発明の母、といいますが、ないときはこれでいこう…という
昔の人の知恵や思いつきは、このエコの時代にも、十分使えるワザですねぇ。
この絣、藍染無地とか会津木綿とかの前掛けの紐にしたら、
いけると思いませんか?
母もそうでしたが、洗ってアイロンした
古い布がいっぱい入っている箱がありました。
何かするときは、そこから使えるものを
さがして使ったんですよね。
「もったいない」は、いい心がけだと思います。
たすきがけの紐もかわいくていいですね。
はしっこに赤い糸房をつけましょか。
ですね。創意工夫が出来るほど昔の人は
手仕事をされていたんですね。
絣木綿、本当に前掛けの紐やたすき掛けの
紐などに素敵ですね。