つまらない写真ですみません。我が家で一番お気に入りのバケツです。
「オーバル型」なので、水を入れて運ぶとき、体側に沿いやすく運びやすいのです。
またNHKの番組なのですが「和の極意・宿坊」というのをやっていました。
俳優の勝村政信さんと「テラタビスト」つまりお寺専門に旅して歩くかたですが、
吉田さらささんというかたのお二人で、あちこちの「宿坊」に泊まるというもの。
当然お寺によっては「修行」もあるわけで、それにもチャレンジするわけです。
木曜日が最終日でした。まぁ全部熱心に見ていたわけではありませんで、
この日もチャンネル合わせたら、もうおしまい近くでした。
そこで「おそうじ」の場面があったのです。
広いお座敷、なんというか修行するのに使うような…普通の大広間みたいな感じです。
日本家屋ですから、畳敷きで障子があったり柱があったり…。
当然お掃除も修行のうち…で、使わせていただく部屋を感謝の気持ちを込めてきれいに…。
したがってソージキはナシ、全部「雑巾がけ」です。
さて、その順番なんですがねぇ…いきなりたたみを拭き始めました。
ちとそれますが…
今のように掃除機だの、掃除用洗剤だの、モップだのダ○キンだのがなく、
家もたたみに障子にふすま、たんすや茶箪笥、ちゃぶ台にざぶとん…の暮らしの時代…。
掃除のやり方も今とはぜんぜん違いました。
道具は「はたき、ほうき、茶殻かちぎって固く絞った濡れ新聞紙、ちりとり、雑巾、バケツ」
掃除は上から下へ、奥から外へ。お屋敷であれ、我が家のような二間の家であれ、
基本はかわりゃしません。まずは上からはたきをかける…。
今なら「そんなことをすれば、はたいたほこりは舞い上がって、また下に落ちてくる」
なんでしょうけれど、そんな情報も知恵もない時代は、まず窓を開け放ち風通しをよくする、
目に見えて落ちるホコリは下へ行くから、上からはたいてみんな下に落とす、です。
手の届かないたんすの上は大掃除のとき、だから背の低い茶箪笥だの本棚だの、
ものを置いた棚だのをパタパタとはたきではたいてほこりを落とす。
次に湿った茶殻やちぎった新聞紙を奥のほうにぱらぱらと散らし、
部屋の奥から、それにほこりやごみを絡め取らせて、少しずつ広げつつ掃き寄せる。
たたみの目に沿って順番に掃きよせていくと、掃き出し窓とか縁側とか廊下とか、
表に出られるところに茶殻は集まる。それをちりとりで取って捨てる。
次に雑巾がけも「上から下」、いくらはたきではたいても残っているものがあるから、
下から拭くと、後から拭いたところから残りが下に落ちてくることがあるから。
障子の桟は、障子紙を貼るときは下から上だけど、掃除のときは上から下。
柱も上から下へ拭き、一番汚れる足元は一番最後。
そして建具や道具の拭き掃除が終わったら、最後にたたみを雑巾がけ。
奥の畳から、目に沿って、そして拭きながら後ずさりして、
拭き終わったたたみには、踏んだり乗ったりしなくていいような順番に、
最後は拭き終わったらお尻は廊下に出ている…と、これが母の教えでござんした。
これを毎日やってましたからねぇ、昔のヒトは…。手伝わされましたよ雑巾がけ。
で…ハナシは元の「修行のお掃除」に戻りますが、これがねぇ…めちゃめゃでした。
まずたたみを拭き始める…そして最初の畳は拭きながら後ろに下がりましたが、
となりの畳になったらそこから横に移動して、今度は拭きながら前に進む…。
母がいたら「拭いたとこ、汚い足で乗ってどないすんねん、ダァホ」ですわ。
あっ「ダァホ」は「ド・アホ」です。
たたみ拭いてから障子の桟を、これまた下から上へ…。
雑巾の使い方ももちろん途中で洗っては絞り、はしているのですが、
拭くときになると、なんか適当にひっくり返してあちこち使ってるし。
男はともかく、その「さらささん」は、たぶん50手前くらいです。
でも年を考えて、あぁそうか、もう雑巾がけなんか知らんわな、と思いました。
私が子供のころといったら、彼女まだ生まれてませんもんね。
母は、息子が布オムツのころ、仕上げに「お酢」を入れました、
漂白とにおい消しと柔軟剤の役目です。
最近この暑さで熱中症が、毎日話題になり、予防のために「水を飲みましょう」の連呼です。
水もいいけど水だけじゃだめなわけです。
子供のころ、夏休みに外で遊んで汗べしょべしょで帰ると、
母はいつもの夏の飲み物の麦茶に、塩ひとつまみ入れて私に飲ませました。
「汗なめてみ、しょっぱいやろ。塩気も出てんねんで、飲んどき」と。
「おばぁちゃんの知恵袋」とか「おばぁちゃんの…」と名前がつく昔からの暮らしの知恵、
「おばぁちゃん」と言うのは、それを親が教えるとき
「おばぁちゃんが言ってた」とか「おばぁちゃんが教えてくれた」とか、
つまり「自分も親から教わった」ということで「それをアンタにも伝えるよ」です。
今は母親が子供に教えることもかわりました。
というより、電化製品の使い方なんて親が子供に教わったりしてる、あははな時代…。
うっかり湯飲み茶碗を重ねて、すっぽりはまっちゃったときのはずし方、とか、
生卵を落として割ったときのきれいな始末の仕方、とか、
かまぼこを板からはずすときのきれいなはずし方とか…。
そんなことを毎日の暮らしの中、お手伝いの中で、伝えてもらいました。
今はネットで探せば、何でも情報は満載ですが、
言葉として、親子とかおばちゃんと孫とか、そういう中で伝わっていくものも、
とても大切ではないかと思います。ボタンつけひとつにしても…です。
たとえそれが今は役に立たない情報であったとして、
「お母さんが子供のころはね」と…そんなお話でも…。
あれれの「雑巾がけ」の場面から、遠い昔にタイムスリップした私でした。
「オーバル型」なので、水を入れて運ぶとき、体側に沿いやすく運びやすいのです。
またNHKの番組なのですが「和の極意・宿坊」というのをやっていました。
俳優の勝村政信さんと「テラタビスト」つまりお寺専門に旅して歩くかたですが、
吉田さらささんというかたのお二人で、あちこちの「宿坊」に泊まるというもの。
当然お寺によっては「修行」もあるわけで、それにもチャレンジするわけです。
木曜日が最終日でした。まぁ全部熱心に見ていたわけではありませんで、
この日もチャンネル合わせたら、もうおしまい近くでした。
そこで「おそうじ」の場面があったのです。
広いお座敷、なんというか修行するのに使うような…普通の大広間みたいな感じです。
日本家屋ですから、畳敷きで障子があったり柱があったり…。
当然お掃除も修行のうち…で、使わせていただく部屋を感謝の気持ちを込めてきれいに…。
したがってソージキはナシ、全部「雑巾がけ」です。
さて、その順番なんですがねぇ…いきなりたたみを拭き始めました。
ちとそれますが…
今のように掃除機だの、掃除用洗剤だの、モップだのダ○キンだのがなく、
家もたたみに障子にふすま、たんすや茶箪笥、ちゃぶ台にざぶとん…の暮らしの時代…。
掃除のやり方も今とはぜんぜん違いました。
道具は「はたき、ほうき、茶殻かちぎって固く絞った濡れ新聞紙、ちりとり、雑巾、バケツ」
掃除は上から下へ、奥から外へ。お屋敷であれ、我が家のような二間の家であれ、
基本はかわりゃしません。まずは上からはたきをかける…。
今なら「そんなことをすれば、はたいたほこりは舞い上がって、また下に落ちてくる」
なんでしょうけれど、そんな情報も知恵もない時代は、まず窓を開け放ち風通しをよくする、
目に見えて落ちるホコリは下へ行くから、上からはたいてみんな下に落とす、です。
手の届かないたんすの上は大掃除のとき、だから背の低い茶箪笥だの本棚だの、
ものを置いた棚だのをパタパタとはたきではたいてほこりを落とす。
次に湿った茶殻やちぎった新聞紙を奥のほうにぱらぱらと散らし、
部屋の奥から、それにほこりやごみを絡め取らせて、少しずつ広げつつ掃き寄せる。
たたみの目に沿って順番に掃きよせていくと、掃き出し窓とか縁側とか廊下とか、
表に出られるところに茶殻は集まる。それをちりとりで取って捨てる。
次に雑巾がけも「上から下」、いくらはたきではたいても残っているものがあるから、
下から拭くと、後から拭いたところから残りが下に落ちてくることがあるから。
障子の桟は、障子紙を貼るときは下から上だけど、掃除のときは上から下。
柱も上から下へ拭き、一番汚れる足元は一番最後。
そして建具や道具の拭き掃除が終わったら、最後にたたみを雑巾がけ。
奥の畳から、目に沿って、そして拭きながら後ずさりして、
拭き終わったたたみには、踏んだり乗ったりしなくていいような順番に、
最後は拭き終わったらお尻は廊下に出ている…と、これが母の教えでござんした。
これを毎日やってましたからねぇ、昔のヒトは…。手伝わされましたよ雑巾がけ。
で…ハナシは元の「修行のお掃除」に戻りますが、これがねぇ…めちゃめゃでした。
まずたたみを拭き始める…そして最初の畳は拭きながら後ろに下がりましたが、
となりの畳になったらそこから横に移動して、今度は拭きながら前に進む…。
母がいたら「拭いたとこ、汚い足で乗ってどないすんねん、ダァホ」ですわ。
あっ「ダァホ」は「ド・アホ」です。
たたみ拭いてから障子の桟を、これまた下から上へ…。
雑巾の使い方ももちろん途中で洗っては絞り、はしているのですが、
拭くときになると、なんか適当にひっくり返してあちこち使ってるし。
男はともかく、その「さらささん」は、たぶん50手前くらいです。
でも年を考えて、あぁそうか、もう雑巾がけなんか知らんわな、と思いました。
私が子供のころといったら、彼女まだ生まれてませんもんね。
母は、息子が布オムツのころ、仕上げに「お酢」を入れました、
漂白とにおい消しと柔軟剤の役目です。
最近この暑さで熱中症が、毎日話題になり、予防のために「水を飲みましょう」の連呼です。
水もいいけど水だけじゃだめなわけです。
子供のころ、夏休みに外で遊んで汗べしょべしょで帰ると、
母はいつもの夏の飲み物の麦茶に、塩ひとつまみ入れて私に飲ませました。
「汗なめてみ、しょっぱいやろ。塩気も出てんねんで、飲んどき」と。
「おばぁちゃんの知恵袋」とか「おばぁちゃんの…」と名前がつく昔からの暮らしの知恵、
「おばぁちゃん」と言うのは、それを親が教えるとき
「おばぁちゃんが言ってた」とか「おばぁちゃんが教えてくれた」とか、
つまり「自分も親から教わった」ということで「それをアンタにも伝えるよ」です。
今は母親が子供に教えることもかわりました。
というより、電化製品の使い方なんて親が子供に教わったりしてる、あははな時代…。
うっかり湯飲み茶碗を重ねて、すっぽりはまっちゃったときのはずし方、とか、
生卵を落として割ったときのきれいな始末の仕方、とか、
かまぼこを板からはずすときのきれいなはずし方とか…。
そんなことを毎日の暮らしの中、お手伝いの中で、伝えてもらいました。
今はネットで探せば、何でも情報は満載ですが、
言葉として、親子とかおばちゃんと孫とか、そういう中で伝わっていくものも、
とても大切ではないかと思います。ボタンつけひとつにしても…です。
たとえそれが今は役に立たない情報であったとして、
「お母さんが子供のころはね」と…そんなお話でも…。
あれれの「雑巾がけ」の場面から、遠い昔にタイムスリップした私でした。
男の子でも、お手伝いってしましたよね。
友人などは、よく弟妹の面倒をみていました。
五右衛門風呂、おばのところがそうでした。
ちょっとぬるくても、なんか申し訳なくて、
我慢して入ったり、逆にものすごく熱くて、
なかなかは入れなかったりしましたっけ。
「温度設定」なんて、ありませんでしたからねぇ。
昔の子供って、だいたい一度や二度は、
継子かと思ったり、橋の下に捨てられていた、
なんてのを信じたりしましたねぇ。
親は優しくも厳しいものでした。
外国生活の経験のおありになる方は、
よく「日本のよさがわかる」とか
「あらためて何も知らないことに気づく」とか
そうおっしゃいますね。
ほんとに「昭和は遠くなりにけり」ですが、
一番いい時代ではなかったか…
なんて思っています。
そうでしたねぇ。湯沸かし器もなくて、
冬でも冷たい水でしたよ。
叱られ叱られ、雑巾の絞り方まで、
教えられたものです。
今はお手伝いもあまりないみたいで…。
親子のつながりとかコミュニケーションということでも
いいことじゃないかと思いますねぇ。
毎日と思ったのはひょっとして被害妄想で一日おき位だったかも知れません。
ある寒い日に下の弟と一緒に入った母から思いっきり大きな声で呼ばれ風呂を暖め直せと言われました。
五右衛門風呂に近い風呂で外は冬、湯加減を見た母が上の部分だけ触れてわいていると思ったのです。
入れば下は冷たい水状態で、出れば弟が外の寒気に風邪を引くと思ったのでしょう。
怒られながら風呂を沸かした後、何故か良くやったと誉められたのを思い出します。
厳しい母親に自分は継子だと信じていたのは、自分を物語の主人公にしたかったのかも知れません。
不思議なものでどこで教わったのか、私もちゃんと拭きながら下がっておりましたね。へへへ。
そして本格的にひとりでおせちを作るようになったのも、アメリカ生活のためでした。
今や染織という、和の根本のようなところに携わっておりますが、私が日本の良さに気づいたのは、アメリカ生活あってこそ、です。
私は40代にのっかったところですが、まだかろうじて昭和の記憶がかすかに残る世代でもあるようです。
そうそう、以前ご紹介してくださったきもののお手入れの本、拝見しましたです!
じゃなかったですから、女の子はお嫁に行って
恥をかいては・・という思いがあったのでしょうか、結構きっちり教え込まれ手伝わされまし
たね。
今は便利でいいなと思う反面、そんな経験が
出来た事がかえって幸せだったのではと思います。