まぁなんのひねりもなく「菊柄」です。
紋錦紗のハギレ、袖3枚分くらいしか残っていません。黒に近いほど濃い紫地に、カラフルな菊。
こっちの万寿菊もかわいいでしょう。時々柄の名前を間違えて売られていますが「みかん」ではありません。
こちらは小菊、こっちもかわいいです。
ではまず「重陽の節句」を含めて「節句」のお話から。
一年のうちに「節句」とつく日は、5回あります。1月7日の「人日」、以下3月3日、5月5日、7月7日、9月9日…。
「人日(じんじつ)」と言うのはあまり聞きませんね。暦を見れば載っていますが、元々は中国の…、
これを書くとほんとに日本という国は、どれだけ大陸文化のお世話になっていることかと思いますが…。
とりあえず、かの国も大きいことと歴史が長いことで、さまざまなものが生まれては消えたり混じったり…。
そんなわけで、伝わってきた暦の元「陰陽五行説」なども、元は別々そのうち交じり合って…が、
日本に渡りますとこれがまた日本の風土や思想にあったように…という変化があるわけです。
元々「人日」は中国の古い習慣、1月の1日から7日間、それぞれの日によって動物を当てはめて占いをする…
だったそうです。1日は「鶏」だったと思いますが…とりあえず羊だの牛だのを当てはめて占い、
その日はその動物の殺生をしない…つまり、元日にはケンタのフライドチキンは食べられない…コラコラ。
で、7日が「人間」、この日は罪人の裁きや刑罰を行なわなかったそうです。
今の日本では、1月7日と言えば「七草」、お正月のご馳走に疲れた体をいたわって…ですね。
次の3月3日、桃の節句といいますが、これは桃の花が咲くころ…のことで
元は「上巳(じょうし)の節句」、上巳は本来は3月の最初の「巳(み)の日」のことをいいます。
つまり、本来「日」は固定されていなかったのですが、これを「魏」のころに3月3日と決めたそうです。
でもって、日本では最初は要するに「無病息災」を祈る宮中の行事であったと言われています。
桃は「生命の源」と言われる木ですので…。
同じように端午も、本来は5月の最初の「午(うま)の日」、これも魏のころに日が固定されたそうです。
こういうことというのは、元をたどっていくと…というのがあって、実はまったく違うお話だったりするのですが、
いきつくところ、人の願いは「無病息災」「不老長寿」「家内安泰」「子孫繁栄」…なんですね。
特に、乳幼児の死亡率の高かった昔は、まずは子孫繁栄のためにも「子供を守る」ことが、
大切な行事となっていったわけです。
7月7日は「たなばた」といいますが、実際には「七夕」とかいて「しちせきの節句」
これがまた、いろんなものが融合しております。本来は7月7日の夕方から夜にかけての、「盆」の行事、
「たな」は「棚」で「精霊棚」のこと、今もちゃんとやるところでは(ウチはちゃんとやってないもんで…こそこそこそとカクレル)
お盆に棚(机など)に飾り物やお供え物をして、盆ちょうちんや灯篭をまわしたりしますね。
あの棚や中国などではよく見かける「幡」、あれを飾って、先祖供養をすることでしたが、
それに女性が裁縫や「機(ハタ)」の上達を願う祭りも合わさりーの、
物語の「織姫・牽牛」の話が合わさりーの…という、実は「元はなんだったんだい…」の節句です。
牽牛や織姫なんて関係ないじゃん、みたいに思いますが、農耕民族の日本では、
牛使いは「農耕」、織姫は「養蚕」にも通じるわけで、要するに豊作豊穣の祈りも合ったわけです。
さぁやっときました9月9日、これはまたまた陰陽道で、奇数が「陽」、偶数が「陰」、
9はひとけたの奇数のなかで一番大きい数字、それが重なってめでたい…で「重陽」です。
本当は、重なって重すぎて悪い日…だったのだそうですよ。まぁ「大吉は大凶に通ず」みたいなもんでしょうか。
それがやはり「めでたいでいいんじゃないの?」になったそうで…。人間っていいほうに考えたいイキモノですもんねぇ。
これも今の暦ではなく旧暦で言うと「菊の盛りのころ」 。
菊はこれまた中国で交配によって作られたもので、野生種はありません。(イエギク、という種類になります)
豪華で美しく、気品がある菊が中国から伝来して、宮廷でもてはやされたわけです。
菊の花びらを浮かべる菊酒や、きせ綿(被せ綿ともいう)は、日本独自の風習といわれています。
きせ綿は、9月8日の夜のうちに菊の花に綿をかぶせておき、翌9日の朝、菊を露を含んだ綿を集めて、
これで顔や体を拭くことで、不老長寿になる…というもの。
元々「菊」には「菊慈道」などのお話が伝わるように「不老長寿」の霊力があるといわれるところから、
そういう風習もうまれたのでしょう。
今、菊節句は、ほかのお節句より忘れられて何もしないようですが、
これはひとつには「宮中での公式行事」という意味合いが強かったから…といわれています。
つまり、桃の節句や端午の節句のように、ショミンまで届いて広まらなかった…ということなんですが、
実際には廃れたのは明治のころ…といわれています。江戸時代なんかは結構やっていたみたいです。
実は、明治で暦がかわったら、菊節句のころに「菊はまだ咲いてないし~露も降りる時期じゃないし~」
という、現実的なことも起こったから…なんて事じゃないかという説もあります。わからんでもない…。
私はこっちの「きせ綿」がいいなぁ…。
今じゃ逆に、真夏でも菊、あるし…若い友人が「菊って仏様のお花でしょ」…あらら、専用ではないんだけれど、
あの豪華な白菊なんかはそんなイメージも定着しつつあるんですかね。お正月にも飾るんだけど…。
まぁ厳かな菊より、華やかなスプレー菊や、ポットマムなんかのほうが今の暮らしにはあっていますかね。
我が家の「菊」、ムーンライトは暑さでへたってましたが、ここへきてようやくつぼみがつき始めました。
なるほど菊節句には間に合わんねぇ。
イエギクのほうの菊は、江戸時代の「ガーデニング・ブーム」のときにも、さまざまな菊が作られました。
ずらりと並んだ大輪の一本立ての菊を見ると、すごいなーと思うのですが、
やっぱりごちゃっと咲いてる小菊のほうが、私にはあっている気がします。
さて、なんもせずにおわりそうな、本日重陽の節句ですが…せめてハギレ眺めて「夏バテ退散」を祈りましょう。
小学生時代は「菊は香りが良い、好き」と言う祖母に、やだ~、嫌いと答えていたのに、[もってのほか]という名のピンクの食用菊を好きになってから、黄色もふくめて天ぷらーおひたしで毎年パクパク、菊は眼によいとも聞き益々…
最近は何かと祖母のことが、納得-同感しております……年齢的なものですよね~~
小菊を少々育てていますけれど、花はまだ。
おかげさまで、とんぼさんのこのページで重陽の節句が叶いました、心なぐさめていただきました、m(_ _)m
昨日の蹴鞠、透かして見ていらしたとのこと、楽しい (^_^)/ 元気をいただきました。
は、はずかし~~~~!
いただきものの帯揚げが、クリーム色に橙色の万寿菊なのです。これは…だって…みかんに見えても仕方ないですよね…?(おそるおそる)
重陽の節句、勉強になりましたー! いつも有り難うございます♪
5節句はかろうじて言えても、いわれまでは
とても説明出来ません。
とんぼ様は何でもよくご存じといつも感心
しています。
万寿菊は何故か知ってましたが、あまり好きじゃないので、着物にも帯にもありません。
日本では(4)とか(9)は忌む数みたいに言われるようですよね。
それが中国ではメデタイ日になるんですね。
節句って皆奇数の重なりですね。
省略され忘れられた習慣が多いんだなぁと、詳細に記された歳時記など読んだりするとき思います。
同じ ころっとした私には 柄としては 合わず という事で
避けていました
菊のお浸しは大好きで 季節を感じつつ 頂いています。
「重陽の節句」
またここで 季節が一区切りですね。
饅頭菊でも、間違いではありません。
饅頭では…と、かえたというような経緯です。
光琳菊という呼び方もあります。
以前友人が毎年「もってのほか」をくれたのですが、
私はちょっと苦手でして…。
大人の味…と主人に言われて(お酒のアテにはいいらしいですね)
どうせ私はおこちゃまよと…。高級食材、ただいまは友人が遠く離れてしまい、
いただくことができません。
あの鞠、どうにもフシギですよねぇ。
これと橘は、よく「みかん」と間違えられます。
大丈夫、プロでも「とんでもマチガイ」がありますから。
日本の四季の歳時には、いろんな意味や背景があって、
面白いこともたくさんあります。
消えてしまったり、廃れてしまったりすることが増えてきて、
ちょっと残念に思っています。
本当は、こんな色の菊はありませんけれど、
柄にするとかわいくてきれいですよね。
いろんなことが忘れられていく日本、止めたいことも多々あります。
どうしたものかと…。
光琳菊は、これだけまとまると、またかわいいものですよ。
中国の偶数好きは、そんなに古いことではないようですね。
たまたま今日の記事にそんなことを書きました。
4と9は、根強く日本では言われます。
つい最近まで、病院には4階がなかったり、4のつく病室がなかったりしました。
今でもあると思いますよ。
外国では13階がないビルとかがあるそうで…。
なんでもこだわるとキリがありませんが、だからといって無視できないのが、
人というものなのでしょう。
菊は見るほうが好きですわー。
もう重陽の節句…と思ったのに、なんなんでしょ今日の暑さ。
七夕のころだってこんなに暑かないわい…と、毒づいてました。雨、ほしいですねぇ。