トップ写真は「ちょっと昔風美人」と「今風美人」?左は岡田茉莉子さん、右は浜美枝さん。
美的感覚とは「美しさを感じ取る感覚、美的センス」と出ていますが…。
これってねぇ…こうですって言い切れないことですよね。
美的、ということからしてあいまいといいますか、人によって違うわけだし。
いえいえ、大部分の人が「きれい、美しい」と思うことは、やはりきれいで美しいのでしょう。
但し、周囲の状況…というものは、大きく影響します。時代や国、地域、社会状況等々。
いちばんわかりやすいのは「美人」の条件。
よく言いますね、日本では平安時代の美人の条件は「しもぶくれ・引き目・鉤鼻」…。
正確には「貴族のカオの描きかた」です。つまり高貴な方の象徴ですね。ついでに女性は長く黒い豊かな髪。
これも美人の条件でした。「天パ」の人はカオは美人でもそれだけで「醜女」だったんですね。
その後の例えば洛中洛外図や、ぐーっとさがって浮世絵などを見ても、
おめめパッチリで、まんまるの顔立ちは「子供」くらいです。みんな細い眼ばっかし。
かわりに下膨れが「瓜実ガオ」といわれるようになりました。
この「ウリザネ」は「瓜の実」と書きますけれど、「実」ではなく「種」のこと。
瓜そのものはいろんな形がありますが、種はほとんどあの「スイカの種」みたいな要するに「しずく型」。
私のカオは、ウリの仲間のスイカ型…んなこた、どうでもいいですが。
昔は前髪を下げることがありませんでしたし、顔の輪郭をモロに出しましたから、
元の形がよくないと、四角いカオはまんま四角、まんまるガオは、まんまるに見えるわけです。
今ほど「小顔に見せる」とか「鼻を高く見せる」なんてワザも化粧品もそんなにはなかったわけですから、
カオの形がいいということだけで、すでに美人?それでギョロ眼大口だったら、やっぱりダメだったでしょうね。
で、眼はあくまでも細くて引いたような眼、なんですね。浮世絵以降の美人画でもそうです。
黒々としたたっぷりの髪や髷、むき出しの輪郭には、細くてスッキリした眼や、
「紅を挿した」と言う程度のおちょぼ口が、ピッタリだったんでしょうね。
鼻は、江戸っ子の夫婦喧嘩にも「こんの鼻ベチャがぁ」なんてセリフが出てきます。
やっぱり鼻筋はあくまで「通っていること」…。
先日ご紹介した「中原淳一」氏の本、昭和40年前後の少女は洋風な顔立ち、と書きました。
違和感があるんですね、あのカオで「着物」は…。
それはたぶん、実際にそのカオが合う合わないではなく、見慣れないから、というより、
着物には「うりざねに細い眼、小さい唇」が似合うというものがインプットされているからでしょう。
でも時代が下がって目のクリクリとした丸顔や、アイラインくっきりの女優さんが着物ででてきても、
かわいいとかきれいとか、それが先で、別にこれおかしい…とは思いません。
いまや茶髪で着物ですからねぇ…。
元々日本人は、今と違って体も小さいですから、なんとなくアンバランスに見えますが、
背が小さくて、頭デッカチなのが、日本の着物姿なんです。
昔、髪を結わずに(垂髪)いたころは、頭のボリュームはそれほどでもありませんでしたから、
着物は身幅が大きくてブカブカ、帯は前がはだけない程度…今見るとなんかブサイクですが、
それが当時の「美の基準」だったわけです。以前出した写真です。お茶を出す侍女。
少しずつ「美的意識」が高まって、着物の身幅は細くなり、髪を結うだの、帯が存在として重要になるだの…
そうなると、頭に対して首から下の小ささはアンバランスです。
だから着物ははでに、袖も長くの、帯は太くの…結びも大きくなって…と、どちらが先か後かではなく、
その時代によって「全体がきれいに見える」方向へと移っていったんですね。
これも何度か出していますが、体は小さくても髷の大きさや着物の長さ、帯の太さ、バランス取れてますね。
半衿も大きく出しています。これで対丈の着物に細帯だったら…ちと下が貧相でしょう。
今の時代は大きな髷は結わないし、引きずっての着物も着ません。
袖丈も年齢変わらず尺二寸くらいだし、帯も前に来るのは半幅程度です。
おまけに「着る人」の体型がすっかり西洋型で、背は高い、手足は長い、腰のくびれははっきり…。
それがここ50年くらいの間ですから…。
それで美しく見える着姿ってなんだろう…むちゃくちゃ洋風に腰を締め付けての着物姿は、
元々の着物をまとうという、洋装との全く違うところを無視しています。
あの中原氏の表紙絵のように、洋服っぽくきつけたところで、苦しそうに見えるだけ…。
「シャープな印象」ということだったのでしょうけれど、元々着物って、昔から着るより「まとう」で、
あちこちグズグズなものなのです。あーきつそー、な写真です。
確かに江戸や明治のころのような「グズグズ」は、今の時代はいくらなんでもだらしない印象ですが、
「和装には和装のよさ」があります。そこは残したほうが着姿は美しく見えます。
中原さんの本の文に、着物の美しさは「シワ」…と言うところがあります。
「シワ」というと、なんだかアイロンしてない木綿のハンカチのイメージですが、
シワも含めて決まったところにできる「ギャザー」とか「ゆるみ」とか「ドレープ」とか、そういうことです。
それは体の形に作っていない着物だからこそできるもの。
きっちりシワなく着ることは、一瞬キレイに見えても、着物としては不自然です。
補正をしてできるだけ寸胴に、胸はできるだけ平らに…。その上でそこにまとって紐や帯で締めたときに
あちこちにできるでっぱりや引っ込みのためのシワやドレープのライン…
それが動くことによってでるシワやドレープの変化、
それがいわば形の決まった着物というものの作り出すデザインではないかと思っています。
昔は適当にたくしあげていればよかったおはしょりは、体型変化で腰から下が長くなった現在、
めだつ部分になりましたし、長すぎず、短すぎず…の人差し指一本くらい…というような基準ができていいとおもいます。
そのあたりが「変化」だと思うのです。
帯だって、別に少し太くても少し細くてもいいのです。袋帯を半分に折らずに、少し太めにまく人もいます。
対丈っぽく気楽に着るのに半幅より少し細いものを締める人もいます。
自由に着る、ということは、勝手にすきなようにする、ということではなく、
「知って」「選ぶ」と言うことだと思うのです。
時間がなくなりました。またちょっと、こんなお話し続くかな。
となりにいそうなねぇちゃんへ、の変遷は
とんぼさんなら、ご存知かもしれません。
あの「宮崎美子」さんのCMからとか。
…Gパン脱ぎの。
鑑賞が「のぞき」主体になってるんですね。
そうなると、今のミニスカとか、ファッションというには
あんまりな露出度のデザインも,
へんに理解できます。
和服がそれにかなっているかというと、
動いて見えるチラリズムが主体。
色気の演出定義が違うのではないかと思いました。
次のお話、おまちしてます。
輪郭がきれいで小顔に生まれたかったわ。
一番下の写真、まるで詰襟を着ているよう
で苦しそうですね。
どこにでもいるおねえちゃん…みたいな。
美人の定義はともかく、なんとなく
お化粧法も髪型も、着るものまで
にたりよったりなので、個性がありませんね。
私もこのまんまる顔が、太るとよけいに丸くなって…。
あんまり詰めすぎたり、ぴしっとしすぎたりは、
着てて楽しくありませんよね。
年齢のおかげで、帯も胸高に締めなくていいので、
最近はよけいグズグズですー。
大切なことって、案外単純なことなのですよ。
だから長いこと続けていかれるのですから。