やーっとです。すみません。本日、いつにもまして長いです。8000字越えましたので…。
写真は今年着ようかどうしようか迷っている浴衣です。
結局、昔写真を引っ張り出すことになって…。
先日コメントでお手持ちの木綿着物が「単衣、浴衣…どっちかな」というお話を頂きました。
先日の記事で、ゆかたは木綿着物の中の一種、と書きました。
これはつまり「素材」でいくと…です。
ではまず「木綿ってなんだ?」ですが、コレはもうそれだけで記事1本になってしまいますので、
詳細は過去記事「きものばなし」の中のこちらをどうぞ。
最近、と言っても着物本を見ると、ずいぶん前から「浴衣でもじゅばんを着て、着物風に」という記事を
見つけることがあります。時代からいって、なんとか着物離れを止めたい…という、
売り手側のキモチが、紗の着物のように?透けて見えたりして…。
そんなこと簡単に言わないでほしかったなぁ。
最初の木綿栽培が奨励されたのは信長さんのころ。(その前は一部地域にとどまりました)
軍需製品としての需要もあり、あっという間に木綿栽培が広がりました。
やがて世の中が落ち着いて、木綿は一般の需要にこたえる形で広まり始めたわけですが、
木綿はそれまでの衣服として使われていた「麻」よりも染めたときの発色がよく、
柔らかさや保温性も勝っていたので、革命的に広がっていったわけです。
木綿と一口に言っても、もともとの綿花の種類、糸を紡ぐ技術、染める技術、織る技術などの進歩、
更には「色柄の工夫」…そういった努力によって、さまざまな特徴ある木綿が作り出されたわけです。
ただの一色染めだったものが、糸を染めて織り柄にする、絞り染め、型染め、そして絣織り。
もちろん、一気に全部出来たわけではなく、長い時間をかけて少しずつですね。
江戸時代、庶民は縞か格子…と決められましたから、当然のように織りの縞柄木綿が作られました。
そしていつも言いますが、当時は「ほとんどビンボー」でしたから、新品を買わずに古着を買いましたし、
普段の着物は女性が「解き・洗い・仕立て」を一手にやっていました。
一枚の着物を、冬は中に綿を入れて袷にし、春になると裏も綿もとって単衣にし…です。
当時、庶民が綿を取って単衣にするのは4月1日とされていて、今でも「四月一日」と書いて
「わたぬき」と読む苗字が残っています。多少の季節の異変などあっても、
それはリチギに守られていたようですが、思えばいまよりずっと自然に近い暮らしです。
朝晩はまだ冷える日があっても、雪も消え桜も咲き…と、季節を過ごす中では、
「今日からさっぱりと単衣だ」というキモチは、とてもいいものだったと思います。
真冬にきゅうりやスイカが食べられる私たちは、実はシアワセなのかな…なんて思います。
さて、そんなわけで、本来「木綿の着物」は、袷にも単衣にもしたもの、です。
そして今、私たちは<絹物>を「普段着物」「ちょいとおでかけ」「よそ行き一張羅」と着られるようになりました。
でも、昔々はどんな場合の着物も、ほとんどが木綿だったわけです。
だから同じ木綿の着物でも、ゆかたは夏の暑いさなかだけに着るもの、
色柄も、さっぱり感も楽しむ薄手木綿の浴衣は、木綿着物でもベツモノの感覚だったわけです。
近代になって木綿の単衣は、社会状況が変わり、生活水準があがり、誰もが絹を着たり、
着物を何枚も持つことができるようになったり、化繊やウールが出てきたり…
そうなってきて、わざわざ袷と単衣の縫い直しを繰り返さなくてもすむようになったため、
木綿は単衣でざばっと洗って普段に着る、という位置に落ち着いたわけです。
つまり、木綿の単衣と浴衣は「同じグループ」ではあるけれど、別の用途・種類のものです。
元々着物として着られていたのは太い糸でしっかり織られた、縞や格子のもの。
前述しました「いろいろな木綿」ですが、例えば会津木綿などはしっかり硬くて丈夫です。
藍染の暖簾などもそうですね。一方浴衣は薄手で柔らか、体にもよく馴染みます。
染が施される木綿は「晒し木綿」ですが、この薄手で柔らかく肌ざわりのよい木綿が売り出されたために、
それにきれいな染めを施して、手ぬぐい、浴衣などの文化が育ったわけです。
当然肌着や褌用としても重宝されました。
その後いろんな規制が解かれ、技術が発達し、染の絹物のような柄行のものが出来たり、
絹との交織、麻との交織など、バリエーションが増えました。みんなまとめて「夏着物にいかが?」です。
さぁこうなってくると…木綿の浴衣を着物のように着ましょう…の境目ってどこ…。
たぶん、今の方は昔のそんなことはご存知ないでしょうから、
単純に「浴衣を木綿の単衣着物みたいに着て楽しむ」…というそれだけではないかと思っているのですが。
しつこく言ってますが、浴衣は浴衣であることが魅力だと…私にはそうとしか言えません。
先日出したこちら、糊がバリバリです。洗ったらきっとへにゃるでしょう。柄はどう見ても浴衣柄。
でも薄青の地色ですし、昔は大柄小紋なんて当たり前でしたから、単衣としても着られたタイプだと思うわけです。
前述のように元々違うものなのですから、まずは単衣に着られるかどうかのポイント。
色柄…で「いかにも浴衣」は、やはり浴衣として着るほうが落ち着くと思います。
例えば大きな朝顔や桔梗といったもの。
こんなのですね。嫁入りに持ってきたもの。
じゅばんを着て、つまり半衿を覗かせ、袖の中にじゅばんというベツモノが見え、足袋を履く…。
「浴衣って一枚で着るからいいんだよね」という感覚がないと、
カタチが同じなんだから、中にじゅばんを着れば単衣と同じだ、という論理だけの結論になるのでしょうか。
例えば、こちらは私のちょっと色のついた浴衣です。
お絵かきで、じゅばんや帯締めをたしてみました。じゅばんのかわりに、袖口裏も塗ってあります。
いかがでしょう、確かに大柄ですが、色目からいって「総柄の着物」と見えなくもありません。
いわゆる上の桔梗のような「浴衣柄」ではありません。
でも私は、これを単衣着物として着ようとは思いません。その理由は後で書きます。
主観ですから、なんとも表現が難しいのですが、例えば母は、
白地に紺とか茶色などの柄の小紋など見ると、いつも「浴衣みたいに見える」と、好みませんでした。
この「浴衣みたいな柄」というのが「クセモノ」表現です。
先日出しましたこちら、これは紅梅です。そのせいでちょっと厚みを感じます。
柄も小紋の着物には有りそうな柄です。でもコレも私は浴衣以上に着ようとは思いません。
色が紺白で、いわば「浴衣色」だから。
難しいですよね。好みも感性もそれぞれありますし…。
私は、よそ様が浴衣の下にじゅばんを着て、足袋はいて…という写真を拝見すると、
あ、これはいいなと思う場合と、どう見ても浴衣でしょ、と思う場合とあるわけです。
でも、ご本人はきっと、先にかいた、単純に「浴衣を着物風に着たいの」だと思うのですが。
さて、もうひとつ、私は色柄よりも、こちらを知っていただきたいと思っています。
前述しました「木綿の歴史」、最初はみんな似たり寄ったりの太物でしたが、
実は「知多」で作られた晒し木綿が「薄手で使いやすい」と、そこからゆかたや手ぬぐいの染めに、
重用されるようになりました。つまり最初から「厚手のしっかり木綿とはベツモノ」として誕生したのです。
知り合いが「吊るしの浴衣なんだけど、5000円で帯もついててお釣りが来る。
とりあえずコーマ糸使用って書いてあるから、悪いものじゃないよね」と。
悪いものってのが微妙な言い方ですが…。たしかにコーマ糸は「高級糸」です。
コーマ糸というのは、糸の加工方法のことです。コーマとは「コーム」から着ています、つまり「櫛」。
コーマに対してカードというのがあります。
カーディングといいますが、フェルト細工をなさる方などはご存知でしょう。
ハンドカーディングは、ブラシみたいなので、綿を一方向に撫でて梳く作業。
これをすると繊維の方向が揃ってきれいに糸が引けます。
木綿の糸は、綿の実のあのモシャモシャから糸を引いて作ります。短繊維ですから、当然ケバが出ます。
毛糸を明かりに向けてみると、糸の両脇に、細かい毛がもしゃもしゃでていますね。アレと同じです。
コーマ糸は、目の細かい櫛のような機械に糸を通して、ケバをできるだけとりのぞいたもの。
だから絹糸のようにするんとした感触に近くなるので、織りあがった布も薄手に仕上がる…です。
あとは糸の太い細い、反巾の打ち込み数、そういったもので、布の薄さや感触が違います。
やすーい浴衣は、ぺらぺらです。
また最近の浴衣は、最初から反物ではなく「和風プリント」のブロード地なども使われているようです。
よく保育園に行くときのコップ入れ…みたいな生地です。
じゃブロードと晒し木綿の違いは?ん~すみません、同じ平織り木綿ですが私には詳しいことはわかりません。
ブロードは元々ウールのことを言ったものが、いろんな繊維の呼び方にも使われるようになりました。
確か、糸の撚りが双撚りではなかったかと思います。つまり「糸の作り方」が違うわけです。
友人からもらった娘さんの浴衣は、しっかり綿ブロードで、おくみは「つまみおくみ」でごまかしていました。
綿ブロードは、薄いですが目がつんでいて、風通しもよくありません。
反物は巾が狭く、最初から着物用にしか作られません。
服地として売られているプリント生地は、巾も広く1メートル380円なんてのもあります。
大きな広幅の生地に型紙を置いて裁断し、ミシンで縫い上げる。元々着物は直線裁ちですから、
生地から裁ちだすのも、ムダが少なく経済的でしょう。
そうでなければ、帯も下駄もバッグもセットで3980円…なんて、できるわけがありません。
コーマ糸使用としてあっても、打ち込み数がすくなければ薄くてぺらぺらになります。
薄さというのも文字では表しにくいのですが、同じ白地でも透けて見え方が違います。
「晒し」を売っているところでみると、同じただの白い晒しなのに、価格がいろいろありますね。
長さはほぼ同じ…ということは、使われている糸の質や織り方の違いです。
浴衣も同じ、竺仙の浴衣と、帯つき5000円の浴衣を並べてみればわかります。
だから、じゅばんを着て名古屋帯締めて…なんてのに、ぺらぺら浴衣はやめたほうがいい…
ということなのです。
私は浴衣は安くてもいいと思っています。イマドキは特に何年も着たり、寝巻きにしたり、
いずれ壊してオムツにしたりはないのでしょうから。
縁日や花火大会用浴衣コスチューム、着物風アイテム…そういう着方で単衣と同じように着るなら、
それはひとつの「ファッション」であって、浴衣本来の着方とはベツモノ、と、私は思っています。
最近は単衣着物の袖口に口布をつけたり、単衣でじゅばんは着ないけど足袋は履く、
ちょっといいゆかたにおたいこ、でも素足に下駄…など、多用な着方がされています。
いいんじゃないの?と思うものも多々あります。
私自身は年齢からいっても「昔ながらの」がすきなので、自分はそういう着方をしようとは思いませんが、
ステキだと思うものは、それは決まりごとから外れてる!などと目くじら立てる気はありません。
何をしても色柄だけでなく、さまざまなものの「使いよう」、着方など、
「センスが問われるのが着物というものだ」と、私は思っているのです。
もし私が、Tシャツに今はやりのジーンズ風ウエストゴムパンツだったら…。
それが「キティちゃん柄」…のようだけど、実はモドキでビミョウに違う柄、
しかも、このでっぷりオナカで、Tシャツの裾をパンツの中に入れて、ウエストゴムのギャザーが
しっかり丸見えだったら…。
若い女の子は、ぶっと噴出して「いっしょけんめやってんだろーねー。でもあれキティじゃないよね。
しかもゴムパンだよ、せめてシャツ外にだせっての」…なぁんていわれるでしょう。
つまり、そういうことなのですよ。
オバサンがキティちゃんもどきでも、それが好みで、自分が「コレはホンモノではない」とわかっていて、
ウエストゴム丸見えでも、それが自分できゅっと締まってる気がしてすきなんだったら…別にいいでしょう。
だから私も…
何もゆかたにレースの衿つけて暑苦しぃせんでもええやんか、しかも袖口までレースつけたはる。
黒地に赤とピンクの薔薇柄、暑そやなぁ、あららー風吹いたらぺらぺらがよぅわかるし…
金髪盛り髪、みんなよう似た「外国女性ふうに見えるおめめドデカメイク」、料理ゼッタイできなさそうな爪…
でもま、本人がよけりゃそれでえぇのんちゃう?です。
物事は、順当に伝承されると、そのなかで「是」も「否」も出るし、反発や逆風も起こります。
そのなかで淘汰されて、最初は「えっ」というようなことも認められるようになったり、
昔のものに新しい味付けがされたり、でも本筋は変わらないまま新しく伝承されていくものだ…と思うのです。
着物には、ボコッと伝承がすっぽ抜けています。
だから、新しいことが考え出されても、それは「ほんとに新しいこと」で、踏まえるものがないまま、
積み重ねられようとしていることです。
まだまだ浴衣はすっきりサッパリがいいよね、というご意見があるうちは、異端もNewも「もどき」も、
納得できなくても理解は出来ます。
今が…ゆかたにとっても瀬戸際の時間なのですよ。
50年100年経って、みんながぺらぺらゆかたをコスプレのように着るのが夏祭りの定番…に。
そうならないことを切に祈っている私です。
長くなりまして、お疲れ様でした。
上の紫系は着物でも浴衣でもいいですね。
今年も浴衣売り場にはレースのついた
着物ドレス?が出ていました。
六歌仙か三十六歌仙か、わかりませんが、大勢おられるので三十六かな?
中盤の紫系の浴衣なら、私は長襦袢着てお稽古事くらいは行ってしまうかも。
古い朝のドラマ「澪つくし」で夏場は昼間に長襦袢で浴衣を着て(当時ですから刺繍半襟とかも)普段着にしていて、何となくそのくらいはいいのかなあと。
浴衣と木綿着物の区別、私は木綿着物は基本的に先染め、と思っていたのですが、片貝とかで後染めもあって説明が難しいですね。
特に最近のいいものは、綿コーマでも目が詰んで着ていて暑いくらいですし。
元々は晒だったとは…確かに糸の質は違いますが、同じくらいの感じですね。
手拭いで浴衣を作る方もいる、というのも同じ生地だからだったんですね。そういえば子供のころのお下がりの浴衣はもっとざっくりした感じの生地でした。
浴衣に限らず、着物全体、難しいですね。
やはり、一度途絶えかかったためでしょう。
戦後、余裕が出てきたらみんな着物を揃え始めたんでしょうが、十数年は開いてしまってますから。
田舎だった母の実家なんかは古い着物も残っているんですが、祖母は新しい物好き、母は着物とか古いものも好きですが高校を卒業したら大阪に出ていますので、興味を持って聞きたくなったころには、親からの伝承を受け継いでいた曾祖母はもういない、という感じだったのだろうと思います。
長年、大島は伊豆大島で作っていると思ってたそうですから…岡山ですから、大島はいい着物の代表みたいなものなんですが。
なーんとなく思っていたことが、ああそういうことだったのかと納得。
先日ネットで古い浴衣とタイトルがあったものを購入しました。
届いたものを見ると織で模様をだしているもの。
絣なんですよね。
でも、いつも(私の場合いつも古いものですが)手にする木綿の着物と比べるとかなり薄手。
んんん、、、と思っておりました。
これはやはり薄手の木綿の着物とみるべきなのですね。
私が特に悩んでいるのは、絞りの浴衣と綿絽の浴衣ですが、紺地の浴衣らしい柄かどうかが1つのヒントになりそうですね。
いつも丁寧なお話をありがとうございます。
ただ、私が読んだ本には「きもの風に着られる浴衣と、浴衣らしく着たほうがよい浴衣がある」とありました。やはり、綿コーマや藍白の大柄などは、きもの風に着るには向かないかなと思います。
それに綿コーマは襦袢を重ねて着たら暑いですよね。竺仙の綿コーマ浴衣と有松絞り浴衣は襟なし最小限の下着で着ると、ほんとに気持ちいいのです。これは襦袢着たら良さが半減するなと思います。
花火大会の時の浴衣集団なんか見てると、みんな同じ浴衣・同じ髪型に見えて、目立ちたいならかえって古典的な浴衣を着たほうが個性的?と思うくらいです。たまに母親か祖母のお下がりなのかも?と思う古典的な浴衣姿も見かけますし、以前知り合いの呉服屋の若い人が「ショッピングセンターなんかは今風浴衣しか売ってないから、仕方なく買うんじゃないかしら?竺仙とか置いてあると、そちらを選ぶ人多いですよ」と言ってました。竺仙もよく売れているそうですし、意外と安心していいのかなと感じています。
今は浴衣販売してないユニクロ、物はともかくセットで安くてあれはあれでいい、と思っていたのですが、以前花火大会の後で脱ぎ捨てられた浴衣がゴミになっていたという話を聞いたことがあり、とても悲しかったです。ただ安いだけのものは浴衣に限らず大事にしないんだな…と思うと、庶民は高いと困りますが、やたらと安いのも考えものだなと思いました。
記事が長いのは全然かまいません。いつも楽しんで読ませていただいていますm(__)m
ありがとうございます。
先日着物の古着屋さんで居合わせた70才くらい?女性が
「浴衣は衣紋は抜くものではない、だから繰り越しはつけない。襟足を見せる必要ないし襟合わせは喉のくぼみ。最近の子はホントにはしたないわ!」
と話されていました。
「衣紋抜かないから半襟付けて着るなんて常識を疑う」的なことも…
固くなに時代に逆行?しなくてもなぁ~と思うのですが。
しかし、あんまりガッツリ襟合わせしたら暑苦しく見えるし、自分も暑いんじゃないかと思うのですがいかがでしょうか?
麻の葉の浴衣、お色も柄行きもいいですねー
ありがとうございます。
あの「ドレス」、なんとかならないものですかねぇ。
かわいいきれいが最優先なのでしょうけれど、
実際には集団で着ていると、どれもみんな同じで、
個性がないんですよね。
「六歌仙」です。これは東京ゆかたで、
この柄、と依頼すると、それから染めてくれるんです。
紅梅なのでちょっとハリがあります。
きちんと伝わらない間に、品物の方が
多様化してしまいましたから、
これはどういうものか、という判断が
つかなくなってしまったんですね。
コーマは、実はしっかりしていますが暑さを感じます。
だからこそ素肌に着たいもの、なんですけどね。
ほんとに難しいです。
竺仙などは、浴衣です、と明言していても、
これなら単衣に着られそう…というものも多いですから、
その判断をする目は、やはり培われないと…なんですよね。
柄…なんですけれとねぇ。
今の浴衣は昔の浴衣と柄行も変わりましたから、
小紋風柄…なんて桜が染められたりしていると、
中途半端だなぁと思ってしまいます。
絞りや綿絽は難しいですねぇ。わかります。
綿絽の細かい小紋柄なんて、離れてみると
絽の着物に見えたりしますしねぇ。