おとといは、どさっと出してきて、ざっとたたんだまま写真撮ったりしたんですが
一応、きちんと畳んでしまっておこうと広げてみましたら…なんかやっぱり長い、
これやっぱり「お舞台用」らしいですね。
長いと思ったら175センチくらいありました。
ついでてすのでお福ちゃんに着てもらいました、ふつーに着せてます。
前と後ろ…
但し、共八掛ではありますが、両褄柄ではありません。
私は「お引きの着物」の仕立て方、よくわからないのですが、
たしか衿の長さと、お引きは下に少し広がってる…じゃなかったかと思うのですが
よくわかりません。とりあえず、いくら絵羽仕立てでも、
身丈175は「お引き」でしょう、と思った次第です。
柄もハデこいしねぇ。
こちら、トップ写真の「胸元」です。
衿の一本線、一瞬染めムラかとハッとしたのですが、
実はそうではなくて、あの金閣寺の壁だとか、金屏風などに使われている
「金箔をぴっちり並べて貼って、埋め尽くす」手法、
あれを模しているんですね。みれば全体がそうです。
とにかく、何か特別な目的で作られた着物のようですが、
とうとう一度もスポットライトをあびることなく、
なぜかとんぼんちの引き出しのなかで、おったたまれて眠ってるというわけで…
聞くも涙の物語ですなぁ…どーするよコレ…。
さて、きんきんきらきらのあとは、グッと庶民的にこちら…。
何の生地かお分かりでしょうか。
そう、布団の側生地、です。懐かしいでしょう、こんな布団側。
これはまんま「布団やさんで使われていた、側の見本生地」。
一枚30円値札が貼られて、束で売られていたそうです。
大きさはB4よりちょっと大きいくらい。
これは友人が「掘り出して」きたもの。もちろん木綿、コットンサテンですね。
質が良くてテカリもあってしなやかできれい、でも木綿…。
こんな布団で、私寝てましたよ。母の布団は濃い赤紫に、細かい白菊の花、
私のは赤地にペーズリーかなんかだったよーな…。
先日も書きましたが、まだ小さいころに「マットレス」たらいうものが出て、
その上に布団も敷いて、ちっとモダン柄になってたような…。
先日の銘仙みたいな布団は、やはり母のイナカで見た気がします。
なにやら赤紫の木綿の額縁仕立てだったような…。
布団については、以前書いた記憶があるのですが…。
かなり前だと思うので、もう一度カンタンに書いてみましょう。
まず、寝るときに布団を敷く・掛ける…という状況になったのは、
江戸時代に入ってからで、それももちろん最初は「身分の高い人」でした。
「寝具」というものは、元々そんなに形が作られていたわけではなく、
薄畳(うすじょう)を敷いて、着ていたものを掛けて寝る…が基本。
昔は畳みの部屋はなく床張りで、身分の高い人が畳みをしいて座っていました。
寝るときも身分の高いひとほど「薄畳」を重ねていたわけです。
つまり、寝るときに何かを「厚く敷く」のは、身分と権力の象徴でした。
庶民はござ、むしろの類です。
木綿が国内で栽培されるようになったのは、安土のころ、
つまりある種「軍需産業」として木綿の栽培が盛んになり、
そのため「綿」が作れるようになったことが布団に変化をもたらしたわけです。
但し、綿が作られ始めても、布団に入れるよりも着物の中に入れられることが
多かったわけです。そのほうが綿の量も少なくてすみますからね。
元々「敷く」ことの方が重要でしたから、布団といえば「敷布団」のこと、
上は「夜着」といったようです。かいまきみたいな形。
アタリマエのように上下綿を入れた「ふとん」を使うようになったのは、
ずいぶん近代に近くなってからのことです。
昔、母が古くなった着物などのことを「もう布団側にしかならへんなぁ」などと
そんな言い方をしました。
布団は長方形ですから、着物の反幅をついで作るのは当然のリメイク。
正絹の着物なら、たとえツギハギであっても「絹布団」ですもんねぇ。
さて、この「布団の側見本」きれいなんだけど使いようがない…、
と思って、とりあえずミニバッグなんか、ちょこっと縫ってみました。
手抜きでまだ「持ち手」をつけてません。
出来上がるとこんな感じ…で見てください。横が23センチくらい。
サイフとハンカチくらいしか入りませんが…
うまく表と裏で、色がはっきり分かれましたけれど、1枚の生地です。
中は別の花柄のものを使ってみました。
近頃は「倹約」のためのお弁当持参が増えているそうですから、
お弁当いれにもいいかもしれませんね。
作り方は以前「トート」を作ったときと基本、同じです。
今日は一日雨、西の方は台風のようだったんですね。
その雲がこちらにきているわけで…今夜はこちらが土砂降りかな。
手入れを怠っている我が家の「ちっぽけガーデン」、
今年はどくだみの当たり年です。
きれいなんですけれど草取りしなきゃなんですが、
この雨で、また喜んで育つんだろなぁ…。
一応、きちんと畳んでしまっておこうと広げてみましたら…なんかやっぱり長い、
これやっぱり「お舞台用」らしいですね。
長いと思ったら175センチくらいありました。
ついでてすのでお福ちゃんに着てもらいました、ふつーに着せてます。
前と後ろ…
但し、共八掛ではありますが、両褄柄ではありません。
私は「お引きの着物」の仕立て方、よくわからないのですが、
たしか衿の長さと、お引きは下に少し広がってる…じゃなかったかと思うのですが
よくわかりません。とりあえず、いくら絵羽仕立てでも、
身丈175は「お引き」でしょう、と思った次第です。
柄もハデこいしねぇ。
こちら、トップ写真の「胸元」です。
衿の一本線、一瞬染めムラかとハッとしたのですが、
実はそうではなくて、あの金閣寺の壁だとか、金屏風などに使われている
「金箔をぴっちり並べて貼って、埋め尽くす」手法、
あれを模しているんですね。みれば全体がそうです。
とにかく、何か特別な目的で作られた着物のようですが、
とうとう一度もスポットライトをあびることなく、
なぜかとんぼんちの引き出しのなかで、おったたまれて眠ってるというわけで…
聞くも涙の物語ですなぁ…どーするよコレ…。
さて、きんきんきらきらのあとは、グッと庶民的にこちら…。
何の生地かお分かりでしょうか。
そう、布団の側生地、です。懐かしいでしょう、こんな布団側。
これはまんま「布団やさんで使われていた、側の見本生地」。
一枚30円値札が貼られて、束で売られていたそうです。
大きさはB4よりちょっと大きいくらい。
これは友人が「掘り出して」きたもの。もちろん木綿、コットンサテンですね。
質が良くてテカリもあってしなやかできれい、でも木綿…。
こんな布団で、私寝てましたよ。母の布団は濃い赤紫に、細かい白菊の花、
私のは赤地にペーズリーかなんかだったよーな…。
先日も書きましたが、まだ小さいころに「マットレス」たらいうものが出て、
その上に布団も敷いて、ちっとモダン柄になってたような…。
先日の銘仙みたいな布団は、やはり母のイナカで見た気がします。
なにやら赤紫の木綿の額縁仕立てだったような…。
布団については、以前書いた記憶があるのですが…。
かなり前だと思うので、もう一度カンタンに書いてみましょう。
まず、寝るときに布団を敷く・掛ける…という状況になったのは、
江戸時代に入ってからで、それももちろん最初は「身分の高い人」でした。
「寝具」というものは、元々そんなに形が作られていたわけではなく、
薄畳(うすじょう)を敷いて、着ていたものを掛けて寝る…が基本。
昔は畳みの部屋はなく床張りで、身分の高い人が畳みをしいて座っていました。
寝るときも身分の高いひとほど「薄畳」を重ねていたわけです。
つまり、寝るときに何かを「厚く敷く」のは、身分と権力の象徴でした。
庶民はござ、むしろの類です。
木綿が国内で栽培されるようになったのは、安土のころ、
つまりある種「軍需産業」として木綿の栽培が盛んになり、
そのため「綿」が作れるようになったことが布団に変化をもたらしたわけです。
但し、綿が作られ始めても、布団に入れるよりも着物の中に入れられることが
多かったわけです。そのほうが綿の量も少なくてすみますからね。
元々「敷く」ことの方が重要でしたから、布団といえば「敷布団」のこと、
上は「夜着」といったようです。かいまきみたいな形。
アタリマエのように上下綿を入れた「ふとん」を使うようになったのは、
ずいぶん近代に近くなってからのことです。
昔、母が古くなった着物などのことを「もう布団側にしかならへんなぁ」などと
そんな言い方をしました。
布団は長方形ですから、着物の反幅をついで作るのは当然のリメイク。
正絹の着物なら、たとえツギハギであっても「絹布団」ですもんねぇ。
さて、この「布団の側見本」きれいなんだけど使いようがない…、
と思って、とりあえずミニバッグなんか、ちょこっと縫ってみました。
手抜きでまだ「持ち手」をつけてません。
出来上がるとこんな感じ…で見てください。横が23センチくらい。
サイフとハンカチくらいしか入りませんが…
うまく表と裏で、色がはっきり分かれましたけれど、1枚の生地です。
中は別の花柄のものを使ってみました。
近頃は「倹約」のためのお弁当持参が増えているそうですから、
お弁当いれにもいいかもしれませんね。
作り方は以前「トート」を作ったときと基本、同じです。
今日は一日雨、西の方は台風のようだったんですね。
その雲がこちらにきているわけで…今夜はこちらが土砂降りかな。
手入れを怠っている我が家の「ちっぽけガーデン」、
今年はどくだみの当たり年です。
きれいなんですけれど草取りしなきゃなんですが、
この雨で、また喜んで育つんだろなぁ…。
そうそう、木綿なんだけど
するするして…きれいなんですよね。
でも、やっぱり「ふとん柄」、
独特ですねぇ。
なんとも重いです。
豪華ですが、着たら肩凝るかも…。
どんな経緯で作られたものなのか、
フシギいっぱいです。
小物は、というより小物だけは作るんです。
たまにはちゃんとしたものを…と
何年言っていることか。
肌触りいいんですよね^^これ。(うっとり)
ミニバックにむいていると思います。
全面に箔を引いて擦って剥がす「引き剥がし」です。
生地目に箔が残るいぶし銀の様な風合いでした。
この着物はもっと派手な箔の様に見えます。
それなりに豪華ですね。
相変わらず器用ですね。
小物作りの名人。
京都のお土産品の様です。