ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

きものばなし 素材その1「絹」

2010-10-08 12:56:12 | きものばなし
今日は繭が糸になるまでのお話しを中心に。

絹の伝来
絹が日本に伝わったのは弥生時代…といわれていますが、
大雑把過ぎるので、もう少しはっきりした記述…と考えますと
「魏志倭人伝」に「養蚕をしている」という記述があります。
卑弥呼は魏の国に贈り物をしていますが、
その中に「倭錦(やまとにしき)」という布を送った記述があります。
これは絹、麻と言われています。
いずれにしても、そのころから「繊維」として絹・麻などがあったということですね。
また、これは先日ご紹介した「きものという農業」にも出てくるのですが、
日本の皇室の特に「皇后」は、太古の昔から養蚕にかかわってこられました。
今でも皇居内には養蚕の施設があり、歴代の皇后は「養蚕」をなさっておられますね。
日本書紀には「雄略天皇と皇后」が、養蚕に関った記述があるそうで、
それはだいたいですが、AD500年くらいのことになります。
また歴史で習う「聖徳太子の憲法十七条」にも、養蚕に関する記述があります。
とりあえず太古の昔から、日本では中国から伝わった「養蚕」の技術が根付き
今に至るも行われている、ということですね。


蚕について
今「蚕」と呼んでいるのは「人間によって改良し作られたもの」です。
蚕の大元は「クワコ」であろうと言われていますが、はっきりしません。
クワコは蛾の一種で、繭は黄色です。
最初は「食料」ではなかったかと言う説もあります。
今でも様々な蛹や幼虫を蛋白源として食しますね。
蚕は長い年月をかけて糸をとるための蚕として改良されたので
「家蚕(かさん)」と呼ばれ、家畜に分類されます。
例えばヤギや馬、牛などは、人に飼われていたものが野生化しても
なんとか生き延びるすべを持っていますが、蚕は人によって育てられないと、
三日と生きていけません。

蚕は卵からかえって営繭するまでを「齢」という段階で管理します。
とても分かりやすい「飼育記録」のページを見つけました。
このHPでは、蚕の成育だけでなく、桑のことや途中の作業なども詳しく説明されています。
また動画もありますが、内容によって蚕丸々出ますので「虫系」の苦手な方はご注意です。

蚕は繭を作るときは必ず立体的な場所を選ぶので
蚕が一匹ずつはいれる「まぶし」という、蚕専用の小さい枠の並んだものに入れます。
現代のまぶしは折りたためる「回転まぶし」という便利なものが使われています。
これは昭和に入ってから考案されたもので、上のHPには「組み立て」の様子の動画もあります。
このまぶしができるまでは、藁製のものが主流でした。
古い「まぶし」の写真を探しましたところ、
かつて使われていた「藁」で作る「卵ケース」みたいなものと
近年になっての「回転まぶし」が、並んで写っているものを見つけました。
伊達市のページですので、スクロールして「第7回 藁まぶし」のところを見てください。
蚕は平らなところに置くと繭をつくれないので、そういう習性を利用して、
蚕を平らにひろげた面に離して糸を吐き出させ「絹ウチワ」を作ったりします。
「人の手によって作り出された」ため、羽は退化して飛べません。
種繭、といって、卵を産ませるために糸を取らず、そのまま羽化させる繭がありますが、
生まれるとすぐに相手を探し、交尾してメスは卵を残し、どちらも短い命を終えます。
まさしく「人間のために」命を削ってくれているのです。

「家蚕」に対して「野蚕(やさん)」と呼ばれるものがあります。
これは野生の「繭を作る蛾」の何種類かですが、
こちらは成虫になるとだいたい大きな蛾になります。ちっと怖いくらいです。
天蚕(てんさん)といわれる「ヤママユガ」という蛾の繭は、特に繭の色が緑色で珍重されます。
元々が野生のものですから、繭の大きさも不ぞろいだったり、
様々ダメージがあったりしますから、良い天蚕をたくさん集めるのは大変なわけです。
ただし、今は天蚕も飼育されています。
こちらに「天蚕センター」のHPがあります。

繭から糸をとる
蚕が作った「繭」から糸をとるには…です。
まず、蚕はそのままほっておくと、成虫の「蛾」になって出てきます。
雛鳥は、卵の殻を内側からくちばしでつついて割って出てきますが、
蚕は内側から繭を溶かして破って出てきます。
これは、元々絹糸というのが、拡大してみますと丸っこい三角形をしていまして、
その三角の中に二本の繊維があります。これが「絹糸」でフィブロン、
そのまわりにくっついて三角形にしているものを「セリシン」と言います。
これはいわば繭を作るときの接着剤や保護材の役目を果たします。
蚕が、繭から出るときにはこのセリシンを溶かす成分を分泌するわけです。
蚕が繭の端を溶かして出てきてしまうと、ぽっかり穴になり、
せっかく長くつながっている糸が、途中で切れてしまいます。
そこで彼らが外に出てくる前に命を終えてもらうわけです。

乾繭(かんけん)
繭を乾燥させることで殺蛹する作業のこと。
温風をかける作業ですが、高温で一気にする方法、
やや低温で時間をかける方法などがあります。いずれにしても、熱をかけることで
中の蛹は死滅し、同時に繭本来の水分を調節することで、
その後の保存の際のカビ発生を防ぎます。

選繭(せんけん)
これは繭を定められた規格にあわせて、選んで分けるのですが、
これより先に、養蚕農家でも出荷前に「まぶし」の中の蚕を調べ、
変形のものや汚れているもの、小さなものなどは取り除く「選繭」をします。
そこから搬入されたものを、更に精密に選定して行くわけです。

煮繭(しゃけん)
繭から糸を引き出すために湯の中につけます。
いきなり糸は取れませんで、まず周りのもしゃもしゃとしたものから
少しずつはがすようにしていくわけ出すが、
これも「絹」ですから、集めてのちにこれからも糸を取ります。
これや、元々のくず繭と呼ばれる規格外の繭を使った絹糸を絹紡糸と言います。
富士絹などはこれを使うので安価なのです。

操糸(そうし)
もしゃもしゃを取り除いた繭のどこかに、長くつながる糸の最初の部分があるわけです。
この最初の一本を「正緒(せいちょ)」と言います。
これを探し出す作業が「索緒(さくちょ)」。
糸口を探すわけで「話しの糸口」なんてのはここから来ています。
たった一本をみつけるためにほぐすことを「抄緒(しょうちょ)」といいます。
わかりにくいですが、たとえばくるくると丸めた毛糸玉にたとえると、
そこから糸口をひっぱるとき、うっかり外側の何周かがまとめて外れたりしますね、
これが「索緒」の状態で、その中から最初のところを見つける作業が「抄緒」、
みつかった糸口が「正緒」です。
正緒が見つかったら、これを引いて糸を繰ります。
一本ではとても細いですから、太さの基準に合うように何本かまとめて引きます。
これを「繰糸(そうし)」と言います。糸繰りですね。
これらの作業はいまやみんな機械化されていますが、
まだ手で糸を繰る作業をする技術も、ほんとに細々とつなげられています。

一個の繭からは、だいたい1200~1500mの糸が取れるといいますが、
実際には、次々に繭から糸を取って切れ目なくつなぎ、更に長い糸にします。
これを巻き取って、更に決められた重さの枷にします。
よくねじりパンみたいなかっこうにねじられた絹糸の束がこれです。
これで生糸の出来上がりです。


蚕を育てるということ
養蚕農家ではまず蚕の卵を購入し、これを育てて繭を作るところまで行くわけですが、
蚕は生涯「桑」しか食べません。
それも、ただ桑の枝や葉をポンと置いておけばいいというものではありません。
成長過程によって、葉の柔らかさや量など、微妙に調整しなければなりませんし、
桑は常に新鮮でなければなりません。農薬もダメです。
遠くから飛んできた農薬に汚染されている桑に気がつかず使って、
蚕が死滅した…などということもあったそうです。
つまり養蚕農家は、桑畑の世話や管理も同時にやらなければならないのです。
毎日食べ残しやしおれたものは取り除き、フンや、途中で死んだものなども掃除します。
温度や湿度の管理などは言わずもがなですね。
また、蚕は生き物ですから、何千匹何万匹という数の蚕が、
同じ時間にいっせいに繭を作り始めるわけではありません。
そろそろ繭を吐き出すときを見計らって、まぶしを置いても、
全部が自分で棚に入ってくれるわけではありませんから、
時期が来ると蚕をまとめてお掃除し、それを人間の手で「まぶし」に
お引越しさせてあげます。
何によらず「晩生」な子はいるもので、なかなか繭を作ろうとしない蚕もいます。
そういう蚕をこまめに調べ、取り出して別のまぶしに移します。
そのまぶしはほかのものより遅れてみんな繭を完成させるわけです。
養蚕は、そういったきめの細かい作業の連続ということです。

次回は「木綿」のお話の予定です。

写真は、以前購入した「繭」です。


*参考文献*

「きものという農業」中谷比佐子著 三五館
「天の虫 天の糸」 長町美和子著 Rutles

*参考HP*
郡上の映像&情報発信サイト」(岐阜県郡上市)の「繭の里郡上」
伊達市」の「伊達市の文化財 伊達地方の養蚕関連用具」
信州とっておき情報」の「天蚕センター」

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (とんぼ)
2010-10-10 17:49:29
古布遊び様

日ごろ何気なく触っている布にも、
経てきた時間というものがあるのだと
つくづく思います。

素人のただの「好奇心」でやっています。
何かお役に立つことがあればうれしいです。
返信する
Unknown (古布遊び)
2010-10-09 12:37:19
先日は私の幼稚な質問に丁寧にお答えいただきまして本当にありがとうございました。
そうかあと~~よくわかりました。

絹のお話も興味深く読ませていただきました。
私の幼なかった頃養蚕農家で見た記憶が・・・
確か棚になっていてそこに沢山のお蚕さんがいたような~~~
大きな鍋の中でお湯につかった繭も見た記憶があります。おさな心に臭いなあと思いました。

私は東北の生まれですが、たぶんそんな光景をみた最後の世代かと思います。
懐かしいお話でした。
しかしこれだけまとめられるとは!
素晴らしいですね。本当に勉強になります。先が楽しみです。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-10-09 12:37:10
ゆん様

先に…蛹瓶詰め、送らなくていいですから(爆)。
ほんっとああいう系統だめなんです。イナゴの佃煮とか。

文章を書くのは難しいです。
どの程度書くか削るか…毎度悩んでます。
何か資料として使えるようなことがあれば
ありがたいですけどねえ。

あの「ゲルのときに透明」は、ほんとにフシギです。
なんで桑の色素がはいらないんでしょ。
ほかの繭は、緑や茶色とかになるのに…。
葉緑素の分解酵素があるんですかね。

まぶし、骨董ででないかと探しています。
組み立てるとこ見て「やってみたい」と…。
すぐやりたがる私です。


返信する
Unknown (とんぼ)
2010-10-09 12:30:22
うまこ様

私もこれはなんだったかの本で読んだのですが
「そーかぁ」と思いました。
たまたま蛹をだそうとして、
水の中に落としちゃったとか、
お湯で煮たらほぐれちゃったとか、
そのほうが納得できます。
発見ってそういうことの積み重ねと思います。

先日、スズメバチ捕獲のニュースで、
リポーターの俳優さんが「食べろ」といわれて
必死の形相でハチの蛹を食べましたが
「練乳みたいにあまーい」と言いました。
いくらおいしくても、私…ゼッタイだめです。
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Unknown (とんぼ)
2010-10-09 12:26:03
陽花様

私も映像でだけしか見ていないのですが
こんなこと毎日やるんだ…と、
その辛抱強さに驚きます。

野麦峠は、まだ機械と人の手がまざっていた
時代ですね。来る日も来る日も、
糸を取り続ける…つらかったでしょうね。
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Unknown (ゆん)
2010-10-08 20:22:34
義父が子どもの頃はいろんな虫の繭を使い分けていたようです。
 羅のような巻きの太い糸のものは釣り糸代わりにしたり。

 お蚕さんから絹糸までの道程をこんなに簡潔にまとめるのって大変な作業でしょう??社会科の資料にして、子供たちに読ませてやりたいです。

 私のお蚕飼いはお遊び程度のものですけど、それでも倒れてしまうほどの重労働です。昔の方の苦労を思うと 本当に切ないです。
 
 …お蚕さんそのものも、そして廃物ともいえる蛹も 信州では今も食べてはりますよね。かんづめで売ってましたよ~!送りましょうか?
 
 空気に触れてない、体内でのセリシンは無色透明なゲルです。なんで緑色じゃないのか、全く不思議…。
 まぶしの枠が手元にやってくるのはいつだろう…。きっといつかやってくる!という気がします(笑
返信する
そもそも (うまこ)
2010-10-08 19:24:45
最初に絹糸を見つけたというか思いついた人はエライ!
と今まで思っていたのですが、
確かにお蚕さんを食べる民族もいますから
ひょっとしたら廃物利用だったかも、とか、
茹でているうちに糸がもしゃもしゃとか
その方が考えやすいですね
返信する
Unknown (陽花)
2010-10-08 18:08:28
絹糸をとるために、これだけの手間と
労力が掛かるのですから、だてや
おろそかには出来ませんね。

工程には難しい聞いた事も無い言葉が
ありましたが、映画で見た野麦峠を
想像しながら読ませていただきました。
返信する

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