ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

きものばなしの裏話その2、です。

2010-11-29 02:07:58 | きものばなし

 

写真はいよいよ赤くなりつつ、どんどん風に散っている「シャラ」です。 

 

 

「きものばなし」、ただいま「染」ということについて書いております。

それを書きつつ、ふと考えたことを綴ってみようかと…ただの横道おしゃべりですがな…。

 

染の話ですから「色」のお話しもでてくるわけなんですが、

ふと思ったのが「生き物の進化」ということ。全く唐突ですみません。

私は考古学とか、科学とかが苦手ですので、あくまで勝手な想像…なのですが…。

 

この夏、NHKで「恐竜絶滅 ほ乳類の戦い」という番組がありました。

細かい説明は長くなりますので省きますが、哺乳類は恐竜が絶滅したのに、さまざま過酷な状況を乗り切り、

今に至るも哺乳類という種を存続しています。その中の1種が「ヒト科・ヒト属・ヒト種」の人間です。

 

よく「○○は生き延びるために、体がこうなった」というようなお話しがあります。

例えば、肉食の大型動物は、体に見合った大きな獲物をとるために、

鋭い牙やツメがある、とか、その餌食となる動物は、かわりにものすごく足が速いとか…。

それぞれの個体によって、生き延びるための器官や体の一部が発達してきたわけです。

では、人間という生き物は、ナニを持っていたか…元を正せばおさるさんの一族ですから、

確かに身は軽かったかもしれませんが、二足歩行を始め、木から下りて暮らすことになったとき、

ほとんど何もない…でも一番重要な「知恵」を持つことができたのですね。

その知恵で「火」を征し、道具を使い、生き延びた、つまりすごい牙も、一撃で骨を砕く力も、

時速100キロなんていう足も、空を飛ぶ翼も、なんにもなかったけれど、

「ヒト」は知恵という一番大きな武器を持ったわけです。

その人間の進化のなかで、ほかの動物と違うところで大切なところがあります。

それは「眼」です。視力ではありません、そりゃ動物に負けてます。「色の識別能力」です。

よく、犬やネコの目は色を識別できないモノクロの世界だ、と言います。

近年の研究で、全くのモノクロではないことが分かってきましたが、それでも犬は「信号」の色を見分けられません。

だから盲導犬は、周りの様子を見て判断して、信号を渡るのです。

 

人間の目は、様々な色を識別できます。

元々、光の三原色、学校でやりましたね、これは「赤、緑、青」、絵の具だとこれを混合すると黒になり、光は白になる。

混ざり方もちょっと違うのでこちらの絵を参考になさってください。

そしてこの光の色の様々な割合によって、薄い紫とか、黄色みの強い緑とか、細かく色ができるわけです。

そして、これを感じることのできる組織が「錐状体(すいじょうたい)細胞」とよばれるもので、

人間はこれを三つもっています。だから三色の一色ずつを感知し、全ての色を感じることができるわけです。

人間以外の哺乳類ではほとんどが二つです。だから似たような色は分かりません。

定かではありませんが、動物は「紅葉」のあの様々な色合いや、常緑樹とのコントラストはわからないそうです。

 

この「錐状体」を三つもつことができる体に進化した、ということで、

ヒトは「色彩」というものを大切にするようになったのだと思うのです。

まだ原始的な時代から、ヒトは「絵」を残しています。遺跡などで発掘される「壁画」ですね。

また長い年月をかけて、布を染めたり織ったりする技術を積み重ねてきました。

ヒトは布を身にまとうことを始めたときから、色というものには関心があったと思います。

このお話しについては「きものばなし」の「染め編」でいろいろ書きますが、

とにかく、人間だけが「たくさんの色」を感じとり、意味を持たせ、暮らしの中に取り入れてきたわけです。

 

もし、ヒトの眼も錐状体が二つしかなかったら、今の世界はこんなにカラフルではなかったし、

素晴らしい綾錦の織物も、鮮やか染めちりめんも、ポップな銘仙も、何も生まれなかったわけです。

それどころか、文明そのものの発達も、当然今のようにはならなかったでしょう。

たった一つの違いが「ヒト」という種を、知恵の生き物としてこの世に継続させた…と、

大げさに言えばそんなことも言えるのではないかと、思ったりしたのです。

 

毎朝、鏡をのぞいて顔色を見たり、服に合わせて口紅の色を決めたり、

食卓の真っ赤なトマトや、ピンクの塩鮭にニマニマしたり、

外に出れば真っ青な空を見てキーンと寒さやさわやかさを感じたり…色あらばこその世界なのに、

それがアタリマエだと、見えること、色を感じることのありがたさを思うことが、あまりありません。

ご近所の道で、ごくたまにですが盲導犬を連れた方と出会います。

その人には命を預けている犬の顔は見えません。犬にはご主人の着ているものの色がわかりません。

それでもいつも何の問題もなく、信頼という眼に見えないつながりで、私たちと同じように歩いていかれます。

そのかたと合うたびに、私は「目の見えないヒトは最初から色がない、そんな暮らしの中で、

きちんと自分の立ち位置を持ち、一人の人間として世の中をちゃんと生きていらっしゃる。

それは実は障害者であるというより、私たちよりひとつ上の感覚を持つ、高みにいるヒトではないか」と、

そんなふうに思い、メガネがあわないの乱視でボヤけるのと、文句を言ってる自分を恥ずかしいと思うのです。

 

それでも合わないメガネはモンダイなので、色や形がちゃんと見分けられることに感謝しつつ、

そろそろ眼鏡の取替え時です。 フレームの色で悩むのも、悩めることがシアワセなのですね。

 


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2 コメント

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Unknown (陽花)
2010-11-29 12:44:29
よく動物や魚など、そこで生き抜く為に
進化したって聞きますね。
人間が生き残ったのは、知恵と色を見分ける
眼があったからだったんですね。
最近とみに目が悪くなったと感じますが、
眼鏡をかければ見えますから、本当に幸せな
ことだと思います。
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Unknown (とんぼ)
2010-11-30 00:57:55
陽花様

人間は長くても100年くらいの命ですから、
何万年なんていう長さは実感としてわかりませんが、
ものすごい時間をかけて変化してきたんですよね。
私も年年歳歳「目」にきます。
頭痛や肩こりまでつながりますから、
メガネもちゃんとあわせて、
大事にしていきませんとね。
返信する

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