これは「国民服儀禮章(こくみんふくぎれいしょう)」というもの。
もうきれいな状態ではなかなか出るまい、と思って入手しました。
国民服も、今知る人はずいぶん減っていると思います。
国民服について、はこちらに、記事があります。
要するに、戦時中男性に対して「みんなこういうの着なさいよ」と決められた服です。
改まった席には「礼服」として着られました。
これは勅令、といって会議にかけずに天皇が直接決めること、として決まった政令ですが、
発布されても、一度に全員が着始めたわけではなく、徐々に広がり、
戦争がはげしくなってから、みな着るようになりました。
戦意高揚といいますか、そういう意味もあったわけですが、実際物資不足が深刻になってきたとき、
みんなおソロで…というのは、経済などを考えても都合がよかったわけです。
さて、この「国民服儀禮章」は、国民服を「礼服」として着用するときに胸に着けるもの。
過去記事の写真はまだ加工がうまくできませんで、撮りなおしました。
本の表紙です。ペラペラの小冊子ですが、作り方が書いてあります。
とてものことに簡単ソーイングではできませぬ…。
この写真の向かって左が「甲號(号)」、右が「乙號」、甲の方が襟を止めてあの「章」をつければ、
礼装になるタイプ、乙は、いわば一般着、です。
そしてこちらが、この「甲號」で礼装に装ったもの。
下がこの「章」ですね。胸ボタンにつ押して、右胸に飾る…。トップ写真のものは真ん中に「家紋」が入っています。
箱のフタにも書いてあります「八紘一宇」とはなんぞや…。
これ、とても難しいので、ものすごく大雑把に言いますと、元々は日本書紀の中の文から作られた「言葉」。
天下をひとつにして「一家」のように…というような意味なのですが、
結局戦争においては、日本の戦争目的を現すといいますか、うまく戦争に使われてしまった…
つまり「アジアという国をみんなまとめて、一家のように…で、その父親は日本だよ」みたいな。
この箱の中には小さな説明書が入っておりまして、最初にはこんなことが書いてあります。
単なるグループ・バッジじゃないよ、といっているわけですが、何かにむかって心をひとつにする…
それそのものは、今の時代にこそほしい思いではありますが、戦争のため…であってはなりません。
組紐の飾りとしては、なかなかのものですが、こういうものが二度とできないほうが、いいですね。
毎年、終戦記念日ごろに、いろいろ書かせていただいていますが、
珍しいものが手に入りましたので、書かせていただきました。
国が定める服と言うのは、だいたい似通うものです。
私は戦後生まれですが、まだまだリアルタイムで、
戦争の話を聞いてきました。
今は平和すぎて、特に最近は「ダレでもいいから」と殺したり、
あまりにも身勝手です。
苦しい時期を耐えて、がんばってこの国の礎になってくれた先人たち、
焼け野原からここまで復興してくれた人たちは、
今を見て嘆くでしょうね。申し訳ないことです。
一握りの人間たちの考えで、国民が右往左往…。
つらい歴史ですが、ちゃんとそれを見なければいけませんね。
こんなときも、親の昔話は役に立ちますわ。
「国防色」なんて母が色喪母から教わりました。
その母は、高齢になって「迷彩柄」が、お気に入りでしたわ。
つらくていやな時代ではありますが、なんというか、
危機感のせいでしょうか、人が今よりどこかぴしっとしていた気がします。
もうあってほしくないことですが、こんな組紐での飾りはいいなぁと。
でも、戦争の間は仕方なかったんですね。
忍ばなければならない時代をしのんでこられた人達のお陰で、今の平和があるんですから。
(あんまり平和過ぎるのもダラケてしまうのか、自分より若い人らの言動にはムカムカしますが)
戦勝国から見れば
相手国の「黒歴史」でしょう。
八の曲解をめぐって、どれだけの人々が…。
封印された言葉です。
胸が痛みます。
今日も ただただ 感心して読ませて頂きました。
よく聞きますが、国民服儀禮章が
組紐で出来ているのは知りません
でした。
昔の人は難しい言葉を使いますね。