具合が悪くなる前に入手しました「絞り」の名古屋帯です。
色はもう少し濃い目です。赤茶色ですね。
表は立涌模様の地に更に大きな立涌、その中に桐、菊、牡丹などの絞り柄。
あまり締められたようすはありません。柄は大きいのですが、
色目が落ち着いているので、締められる年齢幅は広いと思います。
実際より赤く写っちゃいましたが、
こちらがウラと手の部分の絞りのないところの地模様。
アンティークの「絞りの帯」は、よく見かけるのですが、
気をつけませんと、モノがモノだけによく締められたものは
どこか絞りが伸びていたり、またどうしても柔らかい地になりますから、
帯芯とあわなくてズレていたり、なんてこともあります。
この帯もタレの部分が少しウラに引っ張れる感じになっています。
さて、それでは「絞り」について。
絞りは要するに「染めたとき染まらない部分を残してもようをつける技法」、
日本固有のものではなく、古くから世界のあちこちで技法が考え出されています。
なんでもそうですが「最初に考え付く」或いは「気がつく」というのは、
とてもすごいことだと思います。きつく絞ったところ、つまり「くくり」ですね
そこには「染色液が染みない」、というのに、最初に気づいたのは、
どこのだれだったんでしょうね。もしかしたら、何かの失敗から気づいたのかも。
いずれにしても、日本では中国から伝来した「三纈」、
つまり「頬纈、臈纈、纐纈」、「頬纈(きょうけち)」は板締め、
板の間に糸を知れて締め染まらない部分を作る方法、
「臈纈(ろうけち)」は、今のロウケツ染め、
そして「纐纈(こうけち)」が、今の絞り染めの源といわれています。
カンタンにいいますと、当初この「三纈」あまり人気はありませんでした。
それは技術や染料の不足などの理由と、この技法が入ってきた時からあと、
つまり奈良から平安という時代は「染めより織り」の時代だったから。
よく、平安時代の女性の衣装といえば「十二単」といいますが、
実は日本国中の女性が十二単を着ていたわけでは、当然ありません。
あれ着て田植えはしんどいでしょー…。
つまり「身分の高い人の衣装」ということなのですね。
十二単は見事な「織り」の技術の集大成、といった感じです。
ですから、絞りの技法は稚拙ではありましたが、庶民の中に残っていったのです。
衣装の変遷では、だいたい「貴族・武士」の衣装が取り上げられますが、
実際にはそれよりはるかに数の多い、いまでいうところの一般市民が
たくさんいたわけですから、当然そちらの変遷もあるわけです。
大きくいうと、大昔は男も女も今の「作務衣」のような感じ、
つまり「短い上着にズボン」です。やがて女性は上着の丈を長くし、
ズボン(はかま)の替わりに暖簾のように何枚かがつながった
腰巻のようなものをぐるりと巻きつけました。
大原女の前掛けのような感じですね。着物丈がだんだん長くなるにしたがって、
これの枚数が減っていったのです。もともと「前掛け」としての目的ではなく、
裾の乱れで中が見えるのを防ぐ、つまり「ズボン」の替わりでしたから、
着物が足まで覆い、更に前の打ち合わせがしっかり深くなってからは、
腰みののようなズボンもどき、は用がなくなった、というわけです。
ただし、作業をするには不向きな場合(農作業など)にあわせて
結局はモンペ式のものが、後年新たに考えられたわけですが…。
一方貴族の女性の方も、袴に襲の上着であったものが、
女性が袴をはかなくなりました。貴族の間でも、庶民にとっても
女性が「ズボン(袴)」をはかなくなったということは、
衣装の歴史のなかでは、大きな一区切りであったと思います。
そのおかげで、今の着物の形態ができたわけですから。
さて、話がそれてしまいました。
「絞り」でしたね。結局最初は庶民のなかで細々と使われていましたが、
鎌倉のころには武士が使い、また「安土桃山」という
ファッションの一代変遷期になって、
ひとつの模様の作り方として、高価なものにも使われるようになりました。
有名なのは「辻が花」ですね。ただ、このころの絞りというのは、
「防染」の技術としての使われ方でした。つまり、絞っておけば
そこが染まらないから、先にそこだけ染めておいて絞って
あとの色が入らないようにする…です。
そのため、あの絞り独特のしわは無視されて伸ばしてしまうのが普通、でした。
のちに「糊を使う」など、「防染」の技術がいろいろ発達したことで、
防染としての役割では使われなくなりました。
「絞りそのもので柄を出す(一目絞り)」とか
「絞りを白く残し、その粒々やデコボコそのものを楽しむ(鹿の子)」という
現代の絞りの使い方になったのは、江戸に入ってからです。
絞りについては、これまたカンタンな説明ですが、
絹を絞るというのが高級なもの、とされ、
一方では木綿に絞る、というのが「庶民派」?となりました。
木綿のほうで、今に残る名産地は「有松」ですね。
鹿の子というのは鹿の子供の背中の模様、からつけられた名称ですが、
絹に細かく並べるものは「京鹿の子」と呼ばれ、
疋田と呼ばれる絹の細かい絞りの総称です。いわば高級絞りの代名詞。
何度もお話しておりますが、私は伯母の「鹿の子絞り」の手仕事を
実際に何度も見ていますので、「人間業とは思えない」技術であると思います。
それをいわば「誇り」にも「ウリ」にもしたわけで、その証として、
あの細かい「デコボコ」の粒をつぶさずそのまま残すようになったわけです。
また江戸時代はなにしろ装飾品に「規制」の多かった時代で、
鹿の子絞りも「ぜーたくだからだめぇ」という規制はかかったのですが、
その規制をすり抜け潜り抜け、技術は今に伝わりました。
残念ながら、現代の「絞り」の多くは「およその国」で絞られたもの…ですが。
ところで、絞りをするには下絵が必要です。
絞りの下絵はどうやって描くのか…、粒で柄を埋めるわけですから、
たとえば四角なら「縦何十個・横何十個」と決めて、そのとおり絞れば、
四角い鹿の子もようが出来るわけです。
ではその絞る1個ずつは?と申しますと、これは「アオバナ」という
草の汁を使って、予定の柄の中に「必要な数の点々」を染めておくのです。
これは私も伯母の手仕事で見ておりまして、子供心に沸いた素朴な疑問、
「おばちゃん、青いとこくくってったら、あとでそこが青く残っちゃうじゃん」
伯母は「そうか、アンタはしらへんわなぁ、アオバナで描いたもんは、
水であろたら(洗ったら)消えてまうんやで」と答えました。
伯母が手にしていた反物は、あちこちに「甕覗き」よりは少し濃いかと思うような
薄い青で豆絞りの手ぬぐいのように行儀よく、ちっちゃな○が並んでおりました。
その○行儀よく並んで、花やら蝶やらの形を埋めているわけです。
そのときの伯母の話しで「アオバナ」というのは「ツユクサ」の仲間であること、
それの汁を紙にしみこませたものを乾燥させておき、
使うときはその紙を水に浸して使うこと、などを教えてもらいました。
確かその後に、夏休みの自由研究かなんかで調べなおした記憶があります。
「オオボウシバナ」という名前で、花の形はツユクサそっくりですが、
もっと大きくて、ちょっと花びらにフリルはいってます。
これを花びら部分だけ摘んで青い汁を出し、これを和紙にしみこませるわけです。
しみこませるといってもズボッと漬けるわけではなく、
一枚ずつ刷毛で塗っていく、という作業だそうで、たいへんな手間がかかります。
この紙を天日に干して出荷するわけですね。滋賀県では今も作られていますし、
滋賀の大津の市花でもあるそうです。
この「アオバナ」が水につかると消える…という性質は、
友禅の下絵描きにはたいへん便利だったわけですが、
後に「化学染料」ができてからは、アオバナ栽培も衰退したわけですね。
いまや国産の手絞り、なんてものは高価なものになってしまいました。
この帯、確かに手絞りであると思います。
さて、この帯を入れたとき同時に入手した六通帯、
こちらはふつーの織りの帯で芯なしのようです。たいへんしめやすいかと。
折りたたみのシワがお太鼓にも残ってしまっていますが、
表はちょっと沈み加減の金で幾何学模様を織り出してあり、
ウラは地色と同色で紬のようにわずかに細かい節の見える生地。
普段使いにいいと思います。
でもちょっとヨレ気味ですから、お安く販売…ですかねぇ。
どうもうまく色があわせられませんで…べんきょー不足です。
実際の色目は左が近いです。
「着物の着方」についての原稿は書いているのですが、
書けば書くほど長くなれそうで、もう少しちゃんとまとめてから、
と思っています。私の着物への思い…でもありますので、
じっくり書かせていただきますね。
でもまだ余りご無理はされませんように・・・
絞りの帯は珍しいですね。絞りの技法も何度も
聞かないと頭に入らないものですっごく助かります。
それにしても、絞りもそうですが昔の人は植物で
染料を採るなどよく考えたものですね。
絞りの帯なんて初めて拝見しました。帯だけ拝見すると、これはどんな着物に合うんだろうって想像してしまいます。
服飾史の講義を拝聴しているようで、勉強させていただいています。毎日楽しみです。
風邪は治りかけも大事ですから、どうぞご自愛くださいませ。
ご心配かけました。
食欲も出ましたので(食べすぎてる)大丈夫です。
絞りは最近ではありませんね。
しめにくいかもしれません。
先陣の知恵、もーかないませんねぇ。
人形屋様
コメント書くところ間違えてすみませんでした!
この帯は若い方なら少し沈んだピンク系の小紋や紬
ちょっと年齢いっていたら、グレー系とか
このまま薄くした薄い赤紫とか…。
どっちも無地っぽいほうが帯の柄が生きますね。
カゼはやっとやっつけまして、あとは体力回復です。
ご心配かけました。