さてこれは何でしょう・・。大きさはライターと比べてください。
とんぼ、昨日「明日からまた和服の話し」って言ってたよねぇ・・
わっごめんなさいですー。お詫びにヒント??
中をあけると、こんなです。真ん中の板は、実は右側の「フタ」です。
もうおわかりですね、お弁当箱です。「入れ子式」ですね。
小さいですけど、けっこうはいります。
毎月の保護者会のときとか、連絡会のときなど、活躍してくれるのですが、
いつも「かわいいお弁当箱ネェ」のあとに「それで足りるの?」ってのがつく・・
たらしてるんですっ!!
買ったときついてきた「袋」ですが、今度ちりめんで作ろうかなと思っています。
なんでお弁当箱か・・ははは、今日ひさ~~しぶりに
横浜名物「シ○マイ弁当」を買ったんです。中身かわりませんねぇ。
お値段はかわりましたー。独身の頃は350円、今は倍です。
それでは・・と言うことでお弁当とはなんぞや・・。
いや私「干飯」くらいし知らないんですが、
とりあえず「干飯」はコメを炊いて(うるち米)洗ってぬめりをとり、
天日に干して乾かしたもの。そのままでもポリポリと食べるわけですが
もう一度水や湯に入れて食べることもあります。平安時代からありました。
この干飯を二つ割とか三つ割・・と荒く挽いて作ったのが「道明寺粉」です。
後年は「弁当」というより「戦の非常食」によく使われるようになりました。
世の中が落ち着くと、旅のお弁当といえば「おにぎりにたくあん」が
一番ポピュラーになり、通気性がよくないといたみますから、
竹の皮、或いは「竹の籠」や小さな行李などが考えだされ、
おかずも「梅干」が使われました。
また目的に合わせて作られる弁当もよくはやりました。
今に名を残すのは「芝居小屋」で、幕の間に食べた「幕の内弁当」です。
「花見弁当」「松花堂弁当」「駅弁」など日本にはいろいろなお弁当があります。
外国でも「お弁当」はあるのですが、日本のように彩りや器まで
いろいろ凝っている国は、そんなにないようですね。
最近は「コンビニ」が便利になって、温かいものも食べられるし・・と、
行楽でも昼食でも、重宝に使っていますけれど、
やっぱりいろいろなお弁当箱に、あれこれ詰め込む「自家製弁当」は
なくなってほしくないですね。
このところ暑さまけで息子の「休業」が多く、なかなか外にでられませんで、
今日久しぶりに買出し部隊・・というわけで、駅まででました。
それでお昼ごはんが午後4時、更に「シ○マイ弁当」になったわけですが、
旅の列車のなかでたべるのなら「ウキウキ」なのですが、
自宅で駅弁ってのは、どうも味気ないものですね。
今日はなんだか忙しくて、ゆっくりパソコンに向かえませんでした。
あしたこそ。・・和服のことを・・。
途中まで書いてあった原稿をちゃんと仕上げてアップ・・の予定です。予定!
ところで・・皆さんの時代はお弁当箱って「アルミ?」「プラ?」
ひょっとして「保温容器弁当?」私、今でも赤いアルミで
フタにバラの花が描いてあったお弁当箱、おぼえています。
今度実家へ行ったらさがしてみよう・・!
今日はいつにもましてオソマツさまでした。
入れ子になっていて、しかも内側のフタにウサギ柄があるなんて心憎い演出なお弁当箱ですね。
お弁当って自分で作ってもフタを開ける瞬間が楽しみなんですよね。一瞬ワクワクってします。
確か幼稚園の頃はアルミでした・・・同じ組の女の子が、おかず入れの側にご飯をいれて(だから少ない)ご飯側におかずをいれていて、見た目も鮮やかだし「おかずが多い=豪華な印象」でうらやましかったのを覚えてます。母にねだったら、あの子は食が細い子だからあれでいいので、あなたは駄目、といわれた気がします。確かに小さくて細い女の子でした。
お弁当の思い出ってたぶんみんななにかしら持っているのでしょうね。いろいろなお話を聞いてみたいです
思います。(年がばれる)
それまでアルミ製のお弁当で冬には
学年ごとに段を変えて用務員のおじさんが
お弁当を温めてくれました。
でも温かいご飯は嬉しいのですが、お漬物
まで熱くなっているのはいやでしたね。
なぜか自分で作っても、うれしいものですよね。
私のお弁当の思い出は、どうしても食べたくて、
母が作ってくれたお弁当に、そおっとナイショで
大好物の納豆をいれていったら、
お昼にはしっかりイタんで食べられなかったこと。
なさけなぁ~~!!
陽花様
幼稚園のときでしたか、廊下の奥に
お弁当の保温庫があったんですよ。
あったかいお弁当はうれしかったけど
ほんとにたくあんとか、においましたよね。
中学のときは、朝早くきたもん勝ちで、
ストーブの周りにお弁当を置いて温めてました。
お昼近くになるといいにおいがして授業どころじゃ
ありませんでしたね