写真は、今日ドーナッツ買ったら、プレゼントでいただけたダイアリーノートです。
右の栞は、はいっていた箱から切り出しました。
クリームがついてたりしましたので、いいとこ取りで、リボンはクリスマス用のあまりもの。
私も母とおなじことをしています。
さて、昨日のお話。
唯一の生徒、Mさんに「こんな説明でわかるかなぁ」と言ったら、とてもわかりやすいです、と
言ってくださいました。それはよかった…なのですが
私が考える「着物が着られるように、なにを教えるか」は、やっぱり、よく耳にする教え方とは、
ちょっと違っています。なので最初に言ったのは
「元々着物というのは、昔はヨソで習うものではなく、親やおばあちゃん、おねぇちゃんに
教えてもらうものだったから、それぞれが『我が家流』だった。
だから私が教えるのは、私が母から教わった『とんぼ流』だよ」ということと、
もう一つは「私はやらないけれど実はこういうやり方もあるよ」ということ。
「これはこうします」というやり方だけではないから、わかりづらいかもしれない…と言ったのですが、
「自分で選ぶ、自分で経験する、ということが大事だと、よくわかったので、これでいってください」と、
言っていただきました。ほっとしてそれで続けているわけです。
昨日はじゅばんを着てみよう…で、まずは「じゅばんをどう着まわすか」…。
「訪問着や留袖は、ちゃんと絹の長じゅばんを着用する…のが基本。
そのほかの「街着」「オシャレ着」なら、二部式も、ポリもうまく使い分けるといい。
絹の二部式もあるし、袖だけ変えられるようにした半じゅばんもある。
今の人がなかなか着物の世界に踏み込めないのは「縫えない」「洗えない」があるからで、
なんでもクリーニングではお金もかかる。それをどうカバーするか、
だから知恵を使って、いつ、どこで、誰と、何をするか…で、じゅばんの使い分けをするといい」
こんな感じです。
手持ちのいろいろなじゅばん、半じゅばん、夏用の上は晒しで袖は付け替え自由、下は絽のじゅばんもどき、
あれこれ並べて見比べてもらいました。
そして実際身につけさせて、晒しの二部式は、使い勝手のいいものだけど、
更に着易くするために、脇の「馬乗り」を更に糸を解いて、スリットを大きくしておきなさい、と。
実際に身に着けてみると「ここがもっと開いていると、ここがひっぱれないんだー」と、わかります。
そのあとは「じゅばんにつける衿抜き」。
そもそも衿抜きはなんでつけるか…着て時間が経つと、後ろ衿のじゅばんが緩んで出てきたり、
ひいてはそのために衿元が崩れたりするから…。
実際私も、着物着てトイレに入ったときは、必ず後ろを引いて、衿の抜きを整えます。
でも、はっきり言うと、昔からこんなものがついていたわけではありません。
着物だけで暮らしていたころは、いまよりずっと全てに「鷹揚」でした。
洋装でもそうですが、外へ出てあたりを見回す…イマドキおっしゃれの若い人もいれば、
私くらいの人の目にも入らないジミ~な服の人もいれば、ジミでもモダンな人もいれば…。
華やかというよりケバケバしい人、そして、いくらいいものを着ていても、
なんだか印象がだらしない人、不潔な感じのする人。ほんとにさまざまな人がいます。
でも、そういう洋装の人に「あなた、ちょっとそのブラス洗濯してあるの?」なんてこと、ありませんよね。
着物だって同じはずなんです。それなのに、ちょっと衿が後ろから飛び出ていると
「あっ着方がヘンだ」「どこで習ったのかしら、ヘタねぇ」とか「あそこがおかしい」「ここがへん」と、
やたら言われたりする…きがするのですよ。ダレも言ってないのに(お直しオバサンは別)。
数が少ないから「着物姿」がめだっているだけです。
要するに、ダイジなことの最初は「人がカオをしかめるような不潔感」とか
「だらしなくて、そばいってぎゅっと締め上げたくなる」なんてことがないような着方です。
それをしていれば「私は私流」でいいはずなのに、いつの間にか「着物は崩れないように着ないと」が
大事なことになっています。着物なんて着崩れて当たり前のものです。
大きな崩れがないようにさえしておけば(帯が落ちるとか?)、あとはちょいちょい、修正しながら着ればいい…。
なので、衿抜きは、その修正をやりやすいもの…です。
今、二部式など買うと、後ろに最初から衿抜きがついています。
私も最初はこれ便利だ…と思ったのですが、何度か使ううちこれはどうもなぁ…と思うようになりました。
まず、衿抜きについてくる紐、というのがあります。(ついていないものもあります)これが短いのですね。
後ろのえり抜きの、通し穴に通して引くと、前でしか結べません。
後ろの衿抜きの高さと水平に結ばないと、紐が脇で斜めになって、だんだんあがってきてしまいます。
バストの下辺りなどに、余分な紐結びが増えます。
なので、これを使うなら、紐を普通の腰紐にかえ、前で一度交差して腰の高さで結ぶ。
この説明をしましたが、私は元々できるだけ紐や伊達締めなど、体に巻きつけるものは、
少ないほどいい…という考え方なので、これがとりあえず「衿抜き」がついている場合のやり方。
このあと、私は「よけいな紐を使わない方法として、私は母がやっていたのと同じように、
晒しを7センチ幅くらいにカットしたもの(もちろんフチ縫いはします)を、後ろ衿の際から、
腰を越えててお尻の途中まで、これを縫い付けている」と教えました。
トイレにはいったとき、これをちょっと引っ張って、顔を出しそうなじゅばんの衿を元に戻す…と。
これだと、別に紐を結ぶわけでもありません。
母は「衿を抜くには、トイレでじゅばんを引っ張ればすむことだけど、
お太鼓の下で、じゅばんの真ん中だけ引っ張るのは、帯があがったり、他まで引いたりするから、
この晒しをさぐって、これだけ引いたらええねんで…と、言ってました。
Mさんも、成人式の振袖のときみたいに「胸紐」とかいろいろかけるのはイヤだなぁ…で、
晒しつけます…といってました。
昨日は、とりあえず二部式の上だけ使って、襟元を合わせるコツ、といいますか、
例えば衿の重ねの角度。「Ⅴ」の字が鋭角か鈍角か…若い人は詰め気味の方が初々しい、
それだけのことなのですが、若い人が私のように衿合わせをゆったりすると、ふしぎとだらしなく見えるものです。
また半衿の出す分量も、基本的にはこの程度…はあるけれど、別にキマリがあるわけではない、
あくまでその人のイメージだから、きりっと見せたかったら減らせばいいし、
色柄半衿なら、それを見せる分量も「センス」を問われる、まずは白半衿で、
自分が見て「ウン、これくらいがいい」というものを自分で決めなさい、と言いました。
これだけで、二時間です。少しゆっくりすぎかなと思いましたが、
次回は、じゅばんを着て、着物を着て、いよいよ帯…です。
ちょっと時間があったので、伊達締めをしめるときの説明もしました。
後ろで交差すると、そこがうまくおさまらなくて、下に巻かれているほうが飛び出たりします。
また彼女のは新しいので、まだ硬くて余計です。
なので、これは帯を締めるときにも使うことだから、後ろに回した手の感覚で、
伊達締めを三角に織り上げる、それで締める…これを手に覚えさせてね、と。
アタマの中で、今、後ろで、伊達締めや帯がどの位置でどんな風になっているか、
ちゃんと想像しながら「ならばここに手を入れて、こうして」と、手の先に目がついているようにする…。
Mさん即座に「すみません、今の状態で、ベストの折りあげをして触らせてください」…。
「こんなかな?」「…あっこんなに折るんだ…ここのあたりで…こうかな」…実にいい生徒さんです。
実践あるのみ、と最初に言ってあるので、何度でもやって見ます…と、がんばってくれています。
いずれ半幅でもお太鼓でも、後ろ手の作業は見えないから、頭の中の3Dと連動させる…
と言ったら、牧野さんは慣れてるからぱぱっとできるんでしょうねぇ…
「アタシ?手が後ろにまわんなくなってるから、前で結んでクルリンコよ」…なぁんだと大爆笑。
ここまで来るのはたいへんだからね…と、嘘っぱち言っておどかしました。
自分のやり方、が正しいのかどうかはわかりませんが、元々着物の着方に「これが正しい」は、
ほんとに数少ないことだと思っています。昨日は、以前、これも頂き物の、
たぶん十日町あたりの紬で、紺地に赤い花柄のもの、これを練習に、と差し上げました。
紺がよく似合う方で、背も高くすらりとしていますから、着映えがするのです。
私も、着物の繰り回し先が増えたので、ばんざーいなのです。
さて、今日は…目のクシャクシャも一晩でOK。午後から息子も久しぶりに施設にいけたので、
何ヶ月ぶりかで駅まで出ました。思えば、車を変えてから初めて…えぇっ何ヶ月よぉぉ。
行かなかった間に、駐車場の料金のやり方は変わってるし、銀行のATMのキカイもかわってるし…。
ATMのコーナーが、宇宙船の操縦席みたいな感じになっていて、びっくらしましたがな。
しばらく行かないと、あったはずのお店がなくなったりしていますが、幸いお目当てのお店は健在でした。
たまには…と、ダンキンでドーナッツを買って…その後がまずくて、いろいろがさばる物ばかり買ったので、
エコバックが小さい…ドーナッツの箱をタテに入れるという暴挙に出ました。
えぇ家に帰ってあけたら、ドーナッツが二階建てになっておりました。あっちのクリームがこっちについて…。
ま、二度おいしいってことで、いいや(とんぼ、こういう人間ですので)…。
でも、かわいいノートもらえてよかったでーす。中はこんなですよー。
1月はスヌーピーが、雪かき…ゲンジツにはなってほしくない光景ですが…。
お母様が残された、最高の遺産が「トンボ」さんですね。
トンボさんももちろんですが、お母様の実生活から湧き出た知恵と知識、それを伝えるために選ばれた言葉が、なんとも素晴らしいと、いつも感心しております。
いいなあ、こんな先生がそばにいたら、着物を着るのが楽しくなるでしょうね。
私もトンボさんの様に、娘に伝える事が出来るでしょうか?
お母様のように、実のある言葉を娘の記憶に残すことが出来るでしょうか?
着物の日々を見慣れている娘の目に、私はどんな風に映っているのかなあと思うことがあります。
今一度背筋を伸ばして、凛とした母でありたいと思いました。
習った事や実際にしてみて感じた事
など全部教えて頂けるのですから
もう至れり尽くせりの先生ですね。
目のしょぼしょぼ早く治まってよかった
ですね。
普通に受け継がれてきたことを普通に教える、希少なでも一番有難い教え方なのではないでしょうか?
こういう動きがどんどん広まって欲しいものです。
尤も・・・「ただ着られればできる」ってことではないのですよね。
お母さまから受け継いだことにプラスしてとんぼさんの深く広い造詣があればこそ!なのだと思います。
臨機応変に教えてくれればいいのに…。
私もとんぼ先生に習いたいです。
母からも浴衣程度しか教わらず、自己流で
着ているので、着崩れた時など慌ててばかり。
親元から離れていると、不便が多いです。
と 数年前から思ってはいたものの
実際に 解いたのは 1ヶ月ほど前の事。
お陰様で 衿が幾分抜ける様になりました。
些細な事で 着易くなるものですね
着付け教室の多くは、実際に着るためというより「お稽古」って感じですもの。
とんぼさんの教室は実践的ですね。
一通り終わって、テキストが整ったら、有料でいいので分けていただけないかしら?
そのときは気がつかずにいたことが、
今になって貴重な体験だったのだと、
つくづく思っています。
教えながら、そうだった…と思い出すこともあり、
私も「繰り返して学ぶ」をやっています。
女の子がいないので、何かしら、誰かしらに
伝えられたらいいなぁと、思っています。
親の姿って、覚えているものなんですよねぇ。
おかげさまで、しょぼつきはラクになりました。
母がいろいろ持っていたものも、
なくなった後見たのですが、自分で工夫して作ったものも
いろいろありました。
みんなそうやって着ていたんだなぁと思います。
下町のおばちゃんの知恵を、残したいですねぇ。
親が伝える、ということのいろいろが、
今は減っていますよね。
料理や掃除もスイッチ一つになったら、
教えなくてもできるだろ…なのでしょうねぇ。
母親から教わる…という、当たり前のことが、
どんどん減っているような…。
寂しいと思います。
教えられると、またそこから広がることも、
たくさんあるのですけどねぇ。
ちゃんと教えることができているのかさえも、
定かではありませんが、何も知らない方なので、
ひとつひとつ「なるほど」と、聞いてくださるのです。
「何がわからないのか」がわかると、
着物離れを、改めて思います。
私はほんとに幸運だったのだと思っています。