「染める」というお話しをするには、まず「色」と「染める材料」のお話しです。
まず、「色」というものは元々「布」のないような時代から意識されていました。
世界中でみつかっている「壁画」をみれば分かりますね。多く使われているのは赤や黄色、白や黒。
では布はというと…実は「布」というもの自体が「時」を越えて残ることが難しい物質です。
太古の昔のことは、遺跡での布の切れ端や糸の残りのようなもの、あるいは染料に使われたであろう植物の種、
そういったものの発見によって、推測するよりないわけです。
つまり「布を染める」ということそのものの歴史が、布を染める材料の歴史ということになって、
あまり古いことはなかなかわからない、ということです。
世の中にきれいな色はたくさんありますが、例えばクリスマスイルミネーションのきれいな光で
洋服を染めることはできません。また青花の汁の青などは、水に入ると消えてしまいます。
つまり「染められる」ということは、そこにきちんと「色を移して、定着できるもの」ということです。
この「染められるもの」には「染料」と「顔料」があります。
染料は水や油に溶けるもの、昔なら花や実のしぼったものなど。
顔料は水にも油にも溶けません。絵の具として使う場合は、細かく砕いたものを膠などで練って、
染めるというより貼り付ける(接着する)感じです。だから布につけても裏まで通りません。
日本画で使われる岩絵の具は、この「顔料」になります。
近代になるまで、染料は全て「天然」でしたから、人々は、何をどうすれば美しい色を手に入れることができるか、
それを布やそのほかの物質に移して、定着させられるか、それはそれは苦労してきたのです。
「色」の使用は石器時代…約35万年前といわれています。
これはもちろん「顔料」です。これは地球の「じべたの生まれた歴史」によるわけですが、
土(岩)には、多くの鉄分が含まれます。苦手な化学ですが「酸化鉄」を含んでいるわけです。
酸化鉄…学校で習いましたが、記憶は風とともに去ってます。
要するに酸化鉄は1種類ではなく、その中の成分によって表に出る色が変わります。
早い話が一番身近なのは「金属のさび」ですよね。主に使えた色は赤、黄色系。
その土地の土や岩の成分によって、出る色が違うわけですが、
古代人はこれを使って壁画を描いたりしたわけです。
また少し文明が進むと「色」は意味を持ち始めます。呪術的とか宗教的とか…。
祭祀のときやシャーマンのような立場の者が、顔や体に赤土で模様を描いたり、
死者に呪文を施したり、葬る場所に色を塗ったり…。
時代が進むと、それまでそこにあったものをそのまま使っていたものが、
例えば火にかけるとか、何かと混ぜるとか、それによって「別の色」が見つかります。
これがいわゆる「錬金術」ですね。
一色ずつの説明は長くなりますので致しませんが、ラピスラズリの青とか、ヒスイの緑とか…
鉱石、貴石などからの色も生み出されました。
実はこうして様々な色を出せるもの、その技術は、単に服飾の歴史にページを加えただけでなく、
その原料となるものの交易とか、それによっての莫大な利益とか、
その利益の争奪とか…政治や戦争ということまで、かかわりを持つものになって行きました。
一方、布に染めるほう、つまり「染料」の方ですが、一番身近なのはやはり「植物」です。
また古い時代には動物の血も使われたそうです。
古代の染は「摺り染め」と言われています。
今「摺り染め」というのは、ひとつの技法ですが、太古の「摺り染め」は、そのまんま「摺り込む」もの。
石の上で植物の実や花をすりつぶし、その上に布を置いてたたいたりこすったりする…。
自然のそういった色素というものは、それだけでは定着があまく、
時間とともに褪せたり、水で落ちたり、また変色したりします。
やがて大陸から伝わったのが「媒染」の技術。まだ古墳時代…と呼ばれたころですから、
かなり古い話ですが、大陸ではすでにそういう文化があったわけですね。
日本という国は「大陸」には、ほんとにお世話になっているわけです。
それまで生成りの色のない布に、「色」をおくことができるようになって、
ヒトはどれほどうれしかったことでしょうね。
いつも言いますが、何かひとつだけが進んだわけではなく、いろんなことが同時に進化するわけで、
時代の進行とともに政治の体制なども進化して、行政や身分制度なども形作られてゆく…。
染色だけでなく、当然織りの技術や縫製なども進み、そのなかで、これもまた当然のように
「身分高きもの」は「高貴なもの」で、衣服も高価なものを身に着ける。
宮中においては、身分によって使っていい色がきまったり、庶民には使わせなかったり…。
その後、平安時代には染色を生業とするものたちは、御所の周辺に住み、
それぞれの色を作り出す専門職人として、宮中の人たちのために、染色にいそしんだわけです。
やがて「染色」の技術が進み、庶民にも十分使われることとなりましたから、
例えば江戸時代には「染屋」という職業が、一般的にありました。
もちろんその間に「絞り染め」とか「ろうけつ」とか、染料ではなく「染め方」の工夫も
また染めた糸で織って柄を出すなど、さまざま新しいものが生まれていったわけですね。
ものすごい駆け足の説明になりましたが、「布・糸」の染色は、自然の中の「動植物」から多くの「色」を取り出し、
媒染という技術によって「染の技術」が確立されていったということです。
化学染料が日本に入ったのは、当然「維新後」です。
天然の染料と化学染料では、安定性や染色の状態などがいろいろと変わります。
天然染料の時代は、職人のカンで、気温や湿度、材料の状態などを判断材料にしていましたが、
染料や染の技術が「化学的」に分析されるようになり、また化学で作り出せるようになっていったわけです。
更には「化学繊維」もでてきました。大正から昭和、更には戦前戦後、と、時間の流れとともに、
「堅牢染」など、色だけでなく、製品後の高品質を考えての技術なども急速に発達し、
また「機械」というものの導入で、大量に安定して染める・・・という近代の染物へ移行していったわけです。
元々錬金術師のやっていたことも、職人のカンも実は化学変化の応用なわけですが、
それを書式としてあらわしたり、計算して色を作り出すことが可能になり、
また更には写真、印刷という技術が発達し、いまや布に様々転写できる時代です。
「染」ともいえない「印刷」が、染の世界に食い込んできています。
色が「モノ」から作られていた時代は、色だけでなく、温度、匂い、手触り、重さなども、
全て色の持つ素材であったわけです。
私たちは、きれいに染められた布を見ても、その染料の作られる工程までには思いがいたりませんが、
例えば昔の着物で、これは完全に天然染料と思われる染は、どこか違う気がするのです。
柄についても同じで、型紙を置いて染められたもの、手描きのもの、そういうものは、
機械でパッとプリントされたものとは違うものを感じます。
本によれば、人間が識別できる色の限界は10万色だそうです。
今、作り出せる色はそれをはるかに越えるでしょう。写真やインクジェット、テレビやパソコンのモニター、
平面的で無機質の色と向き合う暮らしで、私たちは何をみつけ、何を失うのでしょうか。
先人たちが気の遠くなるような時間をかけて探し出し、作り上げてきた色の数々は、
化学合成で作った色とは「生まれも育ちも違う」ということを、私たちは知るべきだと思います。
適材適所、そういう色を使うに都合がよいところでは使えばいいのです。
伝統を知り、守るということは、古いことに固執して頑なになることではありません。
あたらしいものを受け入れつつ、それぞれの価値と先行きを考えていくべきことだと思います。
参考文献
* 「色彩 -色材の文化史」 著者 フランソワ・ドラナール&ベルナール・ギノー」
監修 柏木 博
訳 ヘレンハルメ美穂
発行 創元社
参考HP
* グラフィックス参考資料 「染料と顔料」
写真はよく使う「色鉛筆」、私物です。「赤」「黄色」などの名前のものはありません。
「鳩羽色」とか「若菜色」とか…。色の和名はきれいです。
紫色に指先が染まったりしますよね。
これが沢山あれば布を染める事が出来る
のかなと思う事があります。桜の葉も
玉ねぎの皮も煮出せば染料になりますからね。
でも、土や石からも染料になる事を見つけた
昔の人はエライですね。
トップの色鉛筆、微妙な色まで揃っていて
いいですね。
きもののお話シリーズ、いつも「なるほど」と思いながら拝見しております。
写真の色鉛筆、私も中学生の時分から愛用?しております。
小さい頃から古典好きで、きっと色の名前に惹かれて買っただけで、美術の成績は万年「アヒル」(2)。
何に使ったのかさっぱり憶えていませんが、今も2階の物置部屋に眠っています。
洋裁をするようになって最近また鉛筆を使うようになりましたが、とんぼさんのようにイラストが上手だったらブログの幅も広がるのになあ、と、いつも私は写真ばかりです!!
子供のころ、木の実をつぶして
ツメにぬってみたりなんてやりました。
自然の色ってきれいですね。
毎年南天や、花蘇芳の枝を切ると
これで煮出したら、どんないろかなーなんて
思っています。やってみたいです。
この色鉛筆、シリーズで出ているんですが、
とても使いやすいし、いい色が多いです。
ちょっと水をつけた筆でこすると、
水彩画みたいになります。
きものばなしは、簡潔にと思いつつ、毎度長くなってます。
何かひとつでもお役に立てることがあるといいのですが。
この色鉛筆、今でもあるので、シリーズを
増やそうと思っています。
私のイラストは、ほんとに手抜きです。
さらさらっと描けたらいいですねぇ。