写真はその「わらしべ」の元「藁束」の現物です。
わらしべ長者のお話では、観音様の言葉に従って、転んだ時に手にしたわらしべを持って…
そのあと、ブンブンうるさいアブをわらしべに結び付けて…という順序。
まぁこの辺にはアブもいませんし、いたところで私はそれを捕まえてなんてことはできないし…
やっぱ地道に行くのが一番…。
などというつまらない前フリはともかく、先日京都からきたイトコが「約束の藁束」を
たーんと持ってきてくれました。なんと二束で一束は一抱えあります。
元々あれこれ作りたいなぁと思っていて、例えばリースとか、タペストリーの中の素材とか、
そうそう藁人形も…えぇーっ、あ、でも調べたら「売ってました」…怖いことです。
で、届いたのはいいんですが、まだ新しくて、入れてあったポリ袋の内側にくもりが…。
そのまま置いておけば、いい肥料になる…では困りますので、
お天気のいい日は、玄関先で「藁干し」してます。ほとんどカラカラになりました。
イトコの話では、最近の農業機械はおりこうさんで、稲刈りをしつつ、同時に刈った稲を脱穀し、
更に残った藁束をザクザクと切り刻んで、今稲刈りの済んだ後ろ側の田んぼに、
バラバラとまき散らす…そのまま肥料になるわけですね。
なので「藁がほしい」と言ったら「昔の機械を使っている農家があるから頼んでおいてあげる」と
この夏前から「予約」しておいてくれたのだとか。
最近は藁なわも、むしろも、わらじも…用がありませんからねぇ。
で、こちらが藁のアップ。ジグザグしているところにお米の粒が付いていたわけです。
いくつか籾も残っていたので丁寧にとっておきました。来年は稲作する?
これを束にしたものが「稲穂箒」というもの。実がたくさん付いているものもあり、
「実子(ぬいご)箒」ともいうそうです。神棚のお掃除はこれでしたね。
写真をネットでお借りしてきました。
これは手作りとのこと、昔は家に大きいもの小さいもの、1本くらいはあったものです。
実はこれ、繭から糸をひきだすときにも使われます。
湯につけた繭の表面を、この箒のミニサイズでちょいちょいとなでると、
このちくちくとしたでっぱりに、糸の端がひつかかってばらけ、
そこから「正緒」(繭から糸を出す最初の1本)を探り出すわけです。
確か「索緒箒」と言ったと思います。索緒は、糸の最初のところを探るという意味です。
それから「洗い屋」という職業があります。古い家屋がある京都では、まだまだ健在です。
「洗い」というだけあって、家一軒から箪笥など、なんでも洗う…という仕事です。
この仕事にも稲穂箒は欠かせないものだそうです。昔ながらの京壁や建具などの掃除には
柔らかすぎず固すぎずのこれが一番いいのだとか。
ただのまっすぐな素材より、ジグザグしている小さなでこぼこが、モノを引っかけて拾いやすいので、
小さいものは、例えばパンくずを掃き寄せるなどにも便利です。
今は箒で掃除をすることもなくなりましたし、いろいろな素材が出てきて「静電気」でゴミを集めるとか
新しい箒もたくさんあります。でも、自然素材を相手に使うには、やはり自然素材がいいなぁと
私なんかは思っています。はい、ウチにはフツーの箒もあって、けっこう使っています。
余談ですが、江戸時代、旅をするにはわらじでした。
丈夫なものではありますが、長旅では当然紐が切れたりしますから、旅する人は必ず
予備を腰につるして歩きました。そして宿場や途中の茶店には「わらじ」を売っており、
そこで履き替えた人は、履き古したわらじをすぐそばの決まった場所に捨ててゆく…。
捨てられて山になったわらじは、雨が降り、発酵していい肥料になるわけです。
その肥料は、近くの田んぼに撒かれ、またそれで稲ができ、稲刈りがすんだら、
藁束を叩いて柔らかくして、夜なべ仕事にわらじを作る…完全リサイクルですね。
さて、稲刈りもすっかり終わったでしょうか。
キレイに晴れた空の下で藁を広げながら、昔、母の実家の広い土間で、
伯父が縄を綯ったりしていたのを思い出していたら、
道行く人に「めずらしいものがありますねぇ」と声を掛けられました。
ほんと…私もこんなにたくさんの藁束を見たのは久しぶりでした。
お米がおいしい季節だわぁ…あ、やっぱり話はそこへゆく…天高くとんぼも肥ゆる秋…。
もうすぐ稲刈りです。
家庭菜園で使うので藁も籾がらも頂いています。
テレビで繭の糸とり見ていたはずなのに気が
つきませんでした。
おそくなってすみません。
イマドキは、藁束もやたらとない…
そういうご時世なのですね。
お正月のお飾りとか、神棚にとか、
ほんの一束ほしいと思っても、
手芸材料で買わなきゃならないですから。
たくさんもらってびっくりしています。
畑には、霜よけにいいですよね。
私も余ったら細かく切って、鉢植えや庭の木の
根元に撒こうと思います。