みなさん、福島はとても美しいところです。3.11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。 大混乱のなかで、私たちにはさまざまなことが起こりました。すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。毎日、毎日、否応なくせまられる決断。
逃げる、逃げない。食べる、食べない。 洗濯物を外に干す、干さない。子どもにマスクをさせる、させない。 畑を耕す、耕さない。 何かにもの申す、黙る。さまざまな苦渋の選択がありました。
そして、いま。半年という月日のなかで、次第に鮮明になってきたことは、真実は隠されるのだ。 国は国民を守らないのだ。事故はいまだに終わらないのだ。福島県民は核の実験材料にされるのだ。ばくだいな放射性のゴミは残るのだ。大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ。私たちは棄てられたのだ。
武藤類子さんは、教員を終えた後、福島県の山の中に自家発電も備えたカフェを自宅で営んでおられました。
. . . 本文を読む