ひかりとしずく(虹の伝言)

勉強会や講演会、上映会のレポートなど主に載せています。

今、地球(ここ)でできること

2007-07-01 | 季刊誌なな色メールより
4月に夫と私にとって、とても大事な人が逝ってしまいました。
Sさんがいなかったら私は夫に出会っていなかったでしょう。
彼は夫にとって目標でした。

彼がなくなる前の約2年は事故、その後の発病と苦しい時期があったようです。
遠く離れた地で生活に追われ、十分助けることができなかった事が悔やまれてなりません。
 
彼と連絡を取るために始めたmixiがきっかけで、環境問題対策についてのコミュニティに入りました。

先月mixiに、夏至(6/22~24)のキャンドルナイトのことを書き込んだ際、温暖化対策が書かれた『豪快な号外新聞』を配布する“TEAM GOGO 2007”に誘われ、参加しました。
突然の活動開始に私自身もビックリでした。
この活動の発起人はてんつくマンという元芸人で、今は小豆島で農業しながら、中国に植林に行くなどの活動もしている人です。「天国はつくるもの」というのが信条だと記事にありました。
すごい!
 
丁度、時期を重ねてこの頃私は、『木を植える男 ポール・コールマン 4万2000キロ徒歩の旅』という本を読んでいました。
配布活動中に読み終えましたが、ポール氏の実際の活動ぶりに感動!触発され、本当に励まされました。

彼はイギリスで生まれ育ち、最初は商船のコックに就き、その後お金持ちのヨットのシェフ、カナダではお抱え運転手、を経た後、アース・ウォーカー(地球を歩く人)になった人です。
贅沢三昧の暮らしの中で、生きることへの虚無感を感じた彼は、アイスランドへ旅立ち、そこで美しい自然に触れ、今まで暮らしてきた場所との違いに愕然としました。
そして、大きな割れ目を見ているときに“地球の創造”のビジョンを見る体験をしたのです。
爆発、環境の変化、岩から様々な色の胞子が生まれたかと思うと、苔類・地衣類に始まり植物が茂り、動物、美しい自然の風景(虹や滝)そして、光り輝く人々。その後暗黒な世界・・・。
地球が美しい世界と暗黒な世界の分かれ道に来ていることを悟った彼は、地球のために生きていくことを決意したのです。
次に彼は子どもの頃から行きたかったアマゾンへ行き、森の破壊を目の当たりにし、『地球サミット』で訴えるためにリオへ向かうのですが、スポンサーの突然の降板で徒歩での旅となりました。その途中メキシコで偶然何度も木を植える活動をしている人々に出会い、「これはメッセージだ」と感じ、自分も地球に木を植えて歩こうと決心しました。

さらに驚いたことに、イギリスヨーロッパ・中東の旅の中で、彼はアボリジニの人々と同じ事を多く語っています。

∵彼に温かい歓迎(ホテルのベッドや、食事)を与えてくれる人々との出会いに感謝して受けるが、執着せず手放す潔さ。

∵野宿でのあまりのつらさ、苦しさに惨めな時、自分は“ホームレス”ではなく、地球全部が“ホーム”の“ホームフル”だと考えるところ。(自然や野生の生き物に励まされる。)

∵旅で困ったとき、助けることが可能な友人たちを思い浮かべると、テレパシーが送られるかのように数時間後に連絡が入ったなど・・・。

∵雪深い山を越えなくてはならないとき、雲の上を歩いているとイメージして歩くと深く沈まなかった!!(集中するのをやめると、沈んだとか・・・。)

∵悪天候を変える祈り方:「私は疲れ果て休む必要があります。もし、地球に雨が必要なら我慢します。でも、もし雨が止んでくれたら神に感謝します。」

∵信仰について(シリアにて)、「あらゆる人の中に信仰の心を見出すことは重要である。宗教は様々に差異があるが、その奥にあるものはすべて同じと悟れば、表面的な違いをお互いに祝福し合えるだろう。」と。

 ポール・コールマン氏は来日し富士山麓から広島・長崎と歩き、平和公園などでも植樹したそうです。
今(2007年3月頃の時点のことです)はアフリカを木を植えながら歩いています。
今後はこの本の執筆がきっかけで結婚した日本人の奥様とチリに地球環境型住宅を作って、できるだけ少ないものでの自然な暮らしを提案していく予定だそうです。 

さて、私は宗教にもマナーがあると思います。それでは、宗教って?最近私なりに勉強して考えをまとめたので、ここで書きたいと思います。

今日に至るまで、この地球上の人類の歴史の中に、一体いくつの宗教(神)が信仰されてきたことでしょう。
あるときは村の一致団結のための祭りを行って人々の志気を高めるもの。またあるときは政治的理由(国家的侵略に利用されていた頃)で他の宗教を弾圧して自分たちの宗教を押し付けるものとして。

今の日本では“宗教”と聞くと、怪しい宗教団体に勧誘されるのかと身構える人も多いと思います。あるいは自分の信じる神に出会い、正しい道を安らかに生きている人もいるでしょう。
日本は戦時中に、天皇を“神”だと教える教育をしてきたため、敗戦後に教育の場から宗教という倫理に関する部分が抜き取られました。
もともと日本には“神道”がその土地の自然霊を祭り、自然界に感謝して暮らしてきたことが伺えます。
そこへ中国大陸から仏教が伝来され、貧しい民が周りと力を合わせて、人との秩序を重んじ、いかに生きるべきかを学び、発展してきたようです。
日本の神道は、仏教・儒教のお陰で日本人の宗教観として受け継がれてきました。
今の一般的な日本の仏教の法事などは、江戸時代頃よりの決まり事のようです。
(お寺を守るために取り入れた檀家制度なども)
ですから、仏教が普通というのも、偏見だったようです。
常識は所(国)が変われば、あってないものです。

元に戻って、宗教とは、人がより良く生きようとするための心の拠り所なのだと思います。
倫理・道徳観念がしっかりしていれば必要ないのか、あるいはそのためには、大いなる存在への畏怖の念などを若者に教えるために必要なのか。
今の日本におけるスピリチュアル・ブームを悪く言われる方もいるでしょうが、この流れは良いものだと思います。
多くの人が目に見えるものだけしか信じない物質主義から、霊的な目に見えないものこそ大切にしたいと、気づき、現代社会の中での癒しを求めているのでしょう。

禅、ヨガのブームも必然だと感じます。
ポーズ(アーサナ)をとり、あるいは静かに座し、深呼吸をすると落ち着いてきます。
悲しい気持ちでいると息が浅く苦しくなりますし(悲しいと肺病を患うとか、怒ると肝臓に悪いとか、神経質は胃に悪いとか)心が乱れているとバランスをとるポーズで揺れまくります。
心と体って面白いですね。
そんな時は視点を決めて集中!無の境地へ・・・。
欲や感情的な心に囚われない本来の自分を取り戻せるのでは。
天国でSさんに会った時恥ずかしくないように今を生きなくては。

 シュタイナー(理想)に出会って、今の自分の置かれた環境と比べて嘆きたいときもありますが、実際に動いている人たちがいると知って、勇気付けられました。
温暖化で四季の移り変わりを感じられる暮らしが失われるなんて、とても悲しいですよね。
“天国はつくるもの!”てんつくマンのように私も天国作りたいです。
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