トンサンの隠居部屋

トンサンの日常記録です。2019.5.27以前の記録はこちらhttps://blog.goo.ne.jp/tonsan2

「小説らしきもの」 むかしトンサンが書いたもの 「デカルトにインタビュー」

2022年03月26日 01時06分59秒 | マック鈴木家










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「小説らしきもの」 むかしトンサンが書いたもの 「恋というもの」

2022年03月26日 01時02分20秒 | マック鈴木家
「恋というもの」

「・・・・遅かったのよ・・・・・・」と電話の向こうで関口さんは言った。
ああ、またか。何でオレはいつもこんなに馬鹿なんだろう。

研修の帰りに関口さんにあった。
あの後ろ姿は確かに関口さん、「関口さん!」と呼んだら振り返って「あらっ、鈴木さん、どうしたの今日は?」
「うん、研修で。今終わったとこ。」
「今日も研修?」
「うん、6ヶ月間ずっとだよ」
「えっ、ずっとこっちに来てたの?」
「いや、そうじゃなくて、こっちに来るのは時々」
実を言うとこっちに来るたび彼女のいる事務所に顔を出していた。
昔の友達に会えるからだが、関口さんに逢えるという楽しみもあったからだ。
ここの事務所で知っている娘(こ)と言えば関口さんくらいしかいない。
後は皆新しく入った人ばかりで顔も見たことがなかった。

「さっき事務所へ行ったんだけど誰も知っている人がいなくてさァ」
「あら そう・・・」
こんな帰り際に彼女に逢えたのも何かの因縁かもしれない。
いつもの社交辞令の冷やかしで
「関口さん、まだ関口さんだネ」と名札を指しながらオレは言った。
彼女はいつものからかいだと思いながら・・・だけどいつもと違って
「私もそろそろ適齢期だから・・・」と言った。
「関口さんいくつだっけ?」
オレは年頃の女性でも平気で聞いちゃうのである。
でも知りたいと思ったからでもあるが。
だけどよく考えてみれば彼女のことは古くから知っているのだから、当然普通の人間なら関心のある人の歳ぐらい知っている。
この辺無頓着で聞いちゃうのはオレの悪い点だ。改めなきゃいけない。
彼女、私の歳ぐらい知っているはずなのにと思いながらも顔には出さないで
「今週23になるの」と言った。
実際 関口さんは思いやりのあるやさしい人で、他人を傷つけるようなことは絶対言わない。
「今週23になるの」と言った関口さんはとてもきれいだった。
オレはきれいになったなあと思いながら
「関口さんきれいになったネ」と言った。
社交辞令ではなく本当にきれいになったと思った。
「細くなったネ」
「やせたでしょ」
彼女もうれしそうに言った。
「今週っていつ? オレも今週・・・」と言ったら、知っているわよと言う顔で「26日」と答えた。
「じゃ同じ蟹座生まれか」
関口さんは前からわかっているじゃないのと思いながらも、やさしいからそんなことは言わないで
「同じ星座はダメなんでしょ」と言った。
「いや、そんなことはない。同じ星座は相性がいいんだよ」とオレは言った。
実際彼女とはよく気が合う。別に何かしようと言ったときに彼女が賛成した訳じゃないが、顔を見ているだけで気が合うなと感じるのだ。

「関口さん、今誰か好きな人がいるの?」
「片思いの人がいるの・・・・」
片思いの人がいたってかまわない、この際関口さんとつきあってみようかなと思った。
しかし帰りのバスの出発時刻が迫っているので、オレはあわててジュースを飲み干し「じゃあまたネ」と言って別れた。
何か彼女が寂しそうな感じもしたので、振り返って
「元気でネ」と言ってやった。
彼女も「鈴木さんも元気でネ」と明るく返した。

バスに乗ってからもオレは彼女を誘いたいなという気持ちがだんだん募ってきた。
できれば関口さんと結婚したいとも思った。
バスが佐江戸の工場に着くともう4時45分だった。
今日は職場懇談会があるので帰れない。
自分の部署に戻ったとき、関口さんに電話したい気持ちでいっぱいだった。
ところが上司がいるのでそこの電話は使えない。
上司が離れるのを待って電話しようと思って気が付いた。
今は彼女仕事が忙しい時間なんだ。
もうちょっと待とう、職場懇談会が終わるまで待とうと思った。
ところが今度はなかなか職場懇談会が終わらないので、いつまでも話をしている上司が恨めしくなった。

やっとの思いで職場懇談会が終わったので、さあ電話しようと思って電話帳を探しているうちにM君が来て「鈴木さん、俺ちょっと先に電話させて」とダイヤルを回してしまった。
恨むよM君、オレこのチャンスを逃がしたら、もう彼女とは結婚できないかもしれない大事な時なのに。
気を紛らわすため、あるいは落ち着けるためK君たちの運搬作業を手伝った。
K君が「鈴木さん汚れるよ」と言ったが、続けた。

やがてM君の電話が終わり(ホントに全くくだらない話が長いんだから)「鈴木さんお先に」と帰った。
オレはまだ気が落ち着かなくて、しばらく荷物の運搬で気を落ち着け、ダイヤルした。
男の人が出た。
自分の所属と名前を言ったら、関口さんとだれが話しているのかバレるからまずいかなと思ったが、先に名乗るのは電話のエチケットだし、恥ずかしいことをしているのではないと思って正直に名乗った。
彼女は帰っていないけど今はいないという返事だった。
そうかまだ居るのか、でもいつ戻るかわからないのならまた明日電話しようと思って切った。
だが少ししたら戻ってくるんじゃないかと思い、帰りの電車が一本ずつ遅れていくのを気にしながらも待った。

10分後に電話したらまた男の人が出た。関口さんは居るかと訪ねると居るという返事。
一瞬胸が騒いだが、必死でいつもの声が出るように努めた。
「はい」と彼女の声。
「やあ、どうも」
やあどうもの間にさっきはと言うつもりだったが、やはりあがっていた。
「鈴木さんよく居ることがわかったわネ?」と普通の声。
「何となく居るんじゃないかと予感がして」
彼女がこちらから言いにくい用件を言う前に一般的な会話をしてきてくれたので、気持ちが少し落ち着いた。
「ところで明日は給料日だね、関口さん明日予定ある?」
「やだァ困っちゃうなー、さっきも言ったように今ずっと習い事に通っているの」
「明日がダメなら休みの日は?休みもダメなの?」
「そう」
「どのくらい? いつまで?」
「今年いっぱいずーっと」
今年いっぱいずっとなんて何をやっているのかな、もしかするとデートしたくない口実で・・・・と思った。
「じゃ、逢えないならせめて文通だけでもしてくれよ、文通だって意志の疎通はできるからさ」
と性懲りもなく食い下がったら、彼女返答するのに困ってとうとうあきらめはっきり言った。
「好きな人がいるの・・・」
まさか、昼間聞いた片思いの人は冗談だと思っていたのに、まさか本当に好きな人がいるなんて・・・・
ショックだった。
でもオレはふられるのはなれているので、すぐあきらめた。
いや、彼女のためにすぐあきらめたという意思を表明してやりたかった。
お互いに気持ちの整理が着くだろうから。
「そうか、それなら・・・・」
しかしそれ以上もう言葉が出てこなかった。
それを悟って関口さんは「だから明日ダメなの、いいかしら」と言ってあわてて「でもいいかしらと言ってもどうしてもダメなんだけど」と付け加えた。
「うん、わかっているよ、そんなに心配しないで」と言ってやった。
オレも思いやりがあるなぁ ふられたのに相手の気の使いようまで心配してやって。
そんなこと言ってる場合じゃないんだ、本当にこれ以上関口さんとはつきあえないんだ。
今まで関口さんがオレのこと好きだとわかっていたくせに、なぜ彼女のすばらしさをわかって誘わなかったのだろう。
いつも誘いたいとは思っていたがそれは彼女にあっている時だけのことで、別れてしまうとすぐ忘れてしまっていた。

「もう遅かったのかな・・・・」
「そうよ・・・・遅かったのよ・・・・」
彼女もオレのこと恨んでいるような寂しそうな口調で言ってくれたのがうれしかった。
それは今でもオレのことが好きだと言っているようだったから。
ああ、これで3人目だ、どうしてオレはいつも・・・

関口さんとは「またそっちへ行った時事務所へ行くからね、お茶出してくれよ」と もう元気を取り戻して明るく言ったら
「ええ、コーヒーぐらいならいいわよ、ぜひ寄って下さい」と答え、お互いに元気でねと別れた。
しかし悲しいやら情けないやらで、しばらくまた運搬作業を手伝った。
悲しいときは力仕事をするのがいい。

帰りは足が重かった。
電車の中でしょぼくれているオレの方をみんながけげんそうな目で見ていそうなので、努めて平静を装った。
これからまた長い道が続くのか。
でも今年はぜひとも結婚相手を見つけたかった。
  ♪遅かったのかい  君のことを~
  ♪好きになるのが~  遅かったのかい
      (佐川ミツ夫 歌)
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「小説らしきもの」 むかしトンサンが書いたもの 「ボク」

2022年03月26日 01時00分47秒 | マック鈴木家

「ボク」

バクという動物がいます。
バクは夢を食べる動物です。
ある家にボクという動物がいました。
ボクは夢を作るのが得意な動物でした。
ボクはいつもああでもない、こうでもないと一人空想にふけるのが好きでした。
ですから食事の時などでも、母が何か言ってもボクは聞いてないで「ウンウン」と空返事をし、後で、「今なんて言ったの?」と聞き、母をウンザリとさせてしまいます。

ボクはギターが好きでした。8年も前からギターを買ってきて弾いていました。
そしていつも歌手のようにうまく引けたらなあと思っていました。
でも一人で弾いているとなかなかうまくならず、すぐ放り出してしまうのでした。
ギターの学校へ行って習おうかなあと思いました。
ギターの学校を覗いたら、クラシックギターばかり習っていました。
ボクはフォークソングを弾きたかったのです。
ボクはあきらめて帰ってきました。
そのうち友達が遊びに来て、ボクがギターを弾いているのを見て友達もギターを買ってきました。
ボクには仲間ができました、一緒に教本を見ながら習いました。
友達は指がずんぐりで短く、なかなかうまくなりませんでした。
でも歌がすごくうまいのです。味があるのです。
ボクはいつもこの友達と歌うのが楽しみでした。

やがてボクは、ガールフレンドにしたいと思っていた女の子と一緒にギターを弾けることになりました。
ボクの家のすぐそばがその女の子の家なのです。
家の前を通ると女の子がギターを弾いていました。
一緒に弾かないかと誘ってボクの友達と三人で弾きました。
そのうち女の子が友達を誘ってきて四人で弾きました。
でも女の子たちはすごくうまいのです。
おまけに自作の歌もバツグンにいいのです。
ボクたちはとても一緒に練習できないなと思い、いつの間にかギターを弾くのはやめてしまいました。

でもノートの回し書きだけはやっていました。
このノートの回し書きはボクが友達と二人でやっていたのですが、女の子二人が加わったわけです。
でもこのノートの回し書きも3ヶ月くらいでやめてしまいました。
女の子の頭と男の頭は違うんだとボクは思いました。
ボクには女の子の方が大人っぽい考え方をしているんだと言うことがわかりませんでした。

ボクはさびしくなってまたギターを弾き出しました。
その時ボクが女の子に負けたくないと思ってギターを一生懸命習えばうまくなっただろうに、ボクはそんなこと考えませんでした。

やがてボクの卒業の時が来ました。
ボクの友達は浜松の会社に就職し、ボクと会えなくなってしまいました。
ボクも会社に入り、しばらくはギターとお別れしていました。
ボクが学生時代から文通していた年下の女の子から毎月手紙が来ていました。
ある時その手紙の中に女の子が作った詩が入っていました。
ボクはその詩を見て、前の女の子の歌に比べるととても幼稚だなと思いました。
けれどもその中学生の女の子の作った詩がとてもかわいく思えました。
ボクはさっそく詩に曲を付けました。
ギターを弾きながらメロディを作り、音符に直しました。
ボクの弟がその歌にコードを付けました。
ボクはその歌を女の子に送ってやりました。
女の子はとても感激していたようでした。

ボクはそれから一曲作りました。
作りながら作曲って大変だなあと思いました。
何でもホイホイ作ってしまう作曲家がうらやましくなりました。
そうしてボクは一人で河原などへ行って時々ギターを弾いて歌うのですが、あまりうまくなりませんでした。
ボクは弟の使っていたガットギターが欲しくなり買いました。
でもうまくなりませんでした。
ボクは弟の使っているフォークギターも弾きました。
けれどもガットギターより難しかったのでやはりうまくなりませんでした。
ボクは会社の先輩が持っていたエレキギターを買いました。
でもうまくなりませんでした。
こうしてボクという動物は、いっこうにうまくならないのを気にもせず、いつもうまく引けるようになることを夢見ていまでも時々ギターを弾くのです。
読者の皆さんは真剣に練習したらボクだってうまく弾けるようになるのにと思っていらっしゃるでしょうね。
でもボクはだめな動物なのです、なぜってボクは浮気性の動物なのですから。

ボクは絵を書くことも好きでした。
中学生の時に写生大会で三等をもらってから、ボクは絵の才能があるんじゃないかと密かに思っていました。
特にイラストを書くのが好きで、女の子の漫画雑誌を見て女の子の絵も書きました。
喫茶店に入っては「ああこんな絵が書けたらな」といつも思っていました。
ある時新聞にイラストの通信教育の宣伝が載っていました。
ボクはどうせやるなら本格的にと思って始めました。
でもなかなか進みませんでした。
ボクは前に速記の通信教育もやっていました。でも途中で止めてしまったので、今度こそ卒業したいと思い、期間を延長してもらいましたが、やはりくじけてしまいました。
ボクはだめな動物なのです。根性がないのです。
でもボクの図案が良くて、推進活動のシンボルマークとして会社で採用してくれたこともありました。
それだもんだから、ボクは今でも いつかすてきな絵を書いてみんなを感心させてやるんだと思っているのです。

ボクは小遣い帳を付けました。
でもいつの間にか止めました。
ボクは写真に懲りました。
でもいつの間にか止めました。
ボクは卓球を始めました。
でもいつの間にか止めました。
ボクは旅の記録を付けました。
でもいつの間にか止めました。
ボクはオーディオに懲りました。
でもいつの間にか止めました。
ボクは海に潜りました。
でもいつの間にか止めました。
ボクはスキーに懲りました。
でもいつの間にか止めました。
ボクは長い間日記を付けていました。
でもいつの間にか止めました。
ボクはハーモニカを吹きました。
でもいつの間にか止めました。
ボクは車の改造に懲りました。
でもいつの間にか止めました。
ボクは読書に懲りました。
でもいつの間にか止めました。
でもボクはいつの間にか止めたことでも時々思い出してはやっているのです。
相変わらず、いつかうまくなるだろうと夢見て。
真剣にやればうまくなるだろうに、だめなボク。
ボクは今思っているのです、こんなだめなボクでもいつかは好きになってくれる人が現れるだろうと。

夕焼けが好きなボク。潮騒が好きなボク。道ばたの名も無い花が好きなボク。
こんな純情なボクをだれか愛してやって下さい。

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「小説らしきもの」 むかしトンサンが書いたもの 「初恋」

2022年03月26日 00時59分51秒 | マック鈴木家

「初恋」

初恋には五つある。
幼稚園の時の初恋、小・中学校の時の初恋、高校・大学生の時の初恋、社会人となっての初恋、配偶者が亡くなってからの初恋、の五つがある。

僕は幼稚園へ行かなかったからではないが、幼稚園の時の初恋はない。
僕は幼稚園の頃何をしていただろうか。
僕の家は小田急線の線路のそばにあり、家と線路の間は花菖蒲か何かの花でいっぱい埋まった庭でつながっていた。
庭には屋根付の大きな井戸があり、そばの柿の木によくぶら下がったような記憶がある。
そして近所の子供たちもこの庭に来て一緒に遊んだようだ。
祭り半天を着て、長靴を履いて三輪車に乗った写真がある。
弟と二人で写っている。
弟はこの写真が初めて写った写真のようだ。
僕は赤ちゃんの時、丸裸で母親に抱かれている写真がある、これが初めて撮られた写真らしい。かわいいオチンチンが写っている。
男であるという唯一の証拠写真だ。
よく撮ってくれたものだと親に感謝している。
このころはまだ写真など一般家庭には広まっていなかったが、親父がかつて新聞記者で写真班をやっていた経験があるので、写真機など家になくても写真だけは撮っておいてくれたのだろう。
実際この頃鈴木家は苦労していたらしい。
お袋が体が病弱でいつも寝込んでいたので、親父が働きに出られず、二人のお姉さんに家の一部を飲み屋に改造して貸し、その収入だけで食いつないできたが、赤字続きでとうとう家を売ることになった。
二人のお姉さんは家を売ったときに店をたたんで引っ越したのかそれともまだ店を続けていたのか、この辺のことは親に聞いていないのでわからない。

さて、あ、何の話を書くんだっけ、どうも脱線してしまったようだ。

僕は小学生の時は模型ばかり作っていて、女の子には感心がなかったようだ。
というのはうそで本当は二人好きになった子がいる。
四年生の時 チューリップのようなかわいい女の子の後を追っかけたことがあった。
彼女は足が速く、渡り廊下のところで見失ってしまった。
それからのち彼女とは中学生の時同じクラスになったことがあったが、僕には他に好きな子がいたので関心はなかった。
きれいでおとなしい子だなと言うことだけが印象として残っている。

五年生になって『あの先生のクラスに入りたいなあ』と思っているクラスに組替えになり、僕は張り切った。
この先生は若くてハンサムで、行動力のあるバリバリした先生だった。
5点法の採点を野球に置き換え、一塁打、二塁打、三塁打、ホームラン、アウトとハンコを作り、作文や絵の採点に使った。
そして僕も張り切って勉強し、成績がクラスの中位から上位に上がり先生から一学期の殊勲選手としてほめられた。
ところが二学期はみんなが頑張ったのか、僕がさぼったのか成績は元の中位まで下がってしまった。

落胆して三学期を迎えたとき、東京から女の子が転校してきた。
何か変な顔の子である。
この辺では見られないようなちょっと変わった表情の子だ。
先生は彼女の転入を祝って、みんなで歌を唄ってあげようと言った。
このクラスでは朝礼と夕会の時に、日直が前へ出て唄い出しをリードし、みんなで歌を唄っている。
先生は「今日の日直 前へ出て唄いなさい。」と言った。
今日の日直は僕ともう一人、二人でやっている。
僕は朝礼の時唄ったので、僕は唄わなくていいだろうと思っていたら、先生は僕の名前を呼んだ。
仕方なく前へ出て歌い始めたが、一度唄ったからもういいだろうと思っていた気持ちと、初めて会う女の子の前で唄う恥ずかしさで僕は真っ赤になった。(歌も「赤トンボ」だったが)
僕の赤面症はこの頃から始まったらしい。

一通り唄い終わったが、僕はまだ上気していて先生が彼女の紹介をしている言葉など耳に入らなかった。
彼女は僕より少し背が高く、後ろの方の席に座った。
その日の昼休み、僕が赤くなったのを彼女と結びつけ「鈴木真っ赤になったぞ、大松のこと好きなんだろう」とクラスの悪童連中がはやしたてる。
この頃の小学五・六年生は異性に関心を持っているが素直に表面に表せないで、異性と遊んだり話したりすることをいやらしいとして、だれか異性と話したりするとすぐみんなでイビった。
実は僕も今まではそうだったんだが、イビられるといやなもんである。
僕と一緒にイビられている彼女もかわいそうになってきた。
ところが彼女は平然としているのである。
僕はだんだん彼女に興味を覚えてきた。

みんなのイビりもなくなって、僕たちのことが忘れられた頃、僕は逆にますます彼女にひかれ、ある日、家はどこなんだろうと思って下校するとき後を付けた。
踏切を越え、南へ向かって歩いていく。僕の下校する道と同じではないか。
なおも後を付けていくと、ますます僕の家の方へ向かって歩いていく。
おかしい、変だ、僕の家の近所には最近引っ越してきた人などいない。
もしかしたら彼女、後から僕が付けているのを知って、わざと僕の家の方へ歩いていくのかなとも思ったが、彼女が僕の家がどこにあるかなど知っているわけがないし、
などと考えながら歩いているうちに、僕のうちに行く露地を通り過ぎてしまった。

少し先に十字路があり、亀屋という酒屋の角を曲がっていく。
あっ、そうだ、この先に新しくできた県営住宅がある、そこに彼女の家があるんだなと気づいた。
彼女は右に左に路地を曲がって歩いていき、公園の近くまで行くといなくなってしまった。
しまったどこの家に入ったんだろう。
家の表札を一軒一軒覗いてみようかなと思ったが、近所の人に『この子ども何をしているのだろう』といぶかしげな目で見られるといやなので、あきらめて帰ろうとした。
その時公園の隅にある住居表示板が目に入った。
これはいいものがある。「大松、大松・・・・」(言い忘れたが彼女の名前は大松ゆりという)
大松という家は二軒ある。しかも一軒おいて隣である。
こんなに近いところに二軒もあるんじゃ、どっちの家が彼女の家か分からない。
とにかく彼女の家がこのどちらかの家だということは分かった。
これだけでも大きな収穫だ、今日は帰ろう。

それから僕は友達とエンジン飛行機や、ラジコンボートをやりに(もっとも僕の家は貧しかったので、もっぱら友達の手伝いばかりしていたが)行ったりして、それに夢中になり、大松さんのことはあまり気にしなくなっていた。

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「小説らしきもの」 むかしトンサンが書いたもの 「手紙」

2022年03月26日 00時58分00秒 | マック鈴木家

「手紙」
和君、元気ですか?
今 何をしていますか。
僕は相変わらずで弱っています。
急に何の手紙だろうと思うかもしれないけど、別に用があるわけでもありません。
ただ何となく、今頃 野口どうしているかなあと、二人で能登半島をドライブしたときの写真を見て君の様子が知りたくなったのです。

いつも時々、いろんな人に手紙を出したり、会いに行きたいなあと思っているのですが、面倒くささが先に立って、結局何もしないうちに また忙しく仕事の続きに追われてしまうのです。

春になったので、どこかへ行きたいなあと思う気持ちが少しずつ沸いてきました。
まだいくらか若さが残っているのかもしれません。
今年6月にはもう27才、こんな精神年齢で外観だけ27才とはあまりにもチグハグでどうして良いかわかりません。
3月22,23日は一泊で会社の研修があります。
年がほとんど同じ仲間の中には、もう親父になった人も何人かいるでしょう。
なんだか差を付けられた感じです。

社内にも良く思っている娘(こ)は何人かいます。
でも恋人にしようとか、嫁さんにしようとかいう気持ちは起こりません。

いつも若い格好ばかりしているけど、もう心の中は若くないのかもしれません。
このごろは時々アルバムを開いて見てしまいます。
楽しかった数々の思い出を繰り返して見ています。老化現象の始まりです。
松下幸之助さんは いつも心の若さを保てと言っています。
僕もあの人のように生きたいと思っています。

人間生きていて何が楽しいのか、うちの親父、お袋も毎日仕事に精を出していますが、まるで生きる理由など考えないかのように。
でも死ぬ思いをして戦争などの苦難を越えてきた人達は、そんなこと考える必要がないのかもしれません。

僕が手紙を書くときは(今は寝床で書いています、万年筆を取りに行くのが面倒なので鉛筆で書いているのですが)こんな深夜なので若干、感傷的になっていますがいつもこんなじゃないので心配なさらないように。
日中の僕はいたって元気です。
車は今もR-2に乗っています。
恋人もいません、前からずっと変わっていません、君は?

きっとここでは相手にも同じように変わっていないで欲しいという気持ちがあったのでしょうね。
まわりが変わっていくのに自分だけ取り残されるような寂しさがあったのだと思います。

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