Top写真<発地の石仏群>
実施日 2018/12/6(木)曇り 参加者11名
軽井沢町追分宿から東側の「借宿」にある女街道入口の案内看板には、
・・・江戸時代には「入り鉄砲」「出女」といって当時恐れられていた武器鉄砲の動きや江戸屋敷に住ませていた諸大名の奥方は人質的意義をもっていたので女人の出入り厳重に取り締まった。したがって女人は関所をさけて裏街道を通るようになった。これを女街道、または姫街道ともいう。
この街道はこれより本街道と分かれ油井釜ヶ淵橋を渡り風越山、荒漠たる地蔵ヶ原をよこぎり和美峠または入山峠を往来したものである。
「関所を避けて女人が多く往来せし女街道と いふは寂しも」
軽井沢町教育委員会
軽井沢町文化財審議委員会
・・・と掲載されている。
<ルート>
借宿散策→女街道分去→<しなの鉄道と道路で分断>→(中軽井沢カントリー付近)石仏→油井集落→甌穴(山之神明神)→鳥明神→発地石碑群→風越公園脇→(ゴルフ場内)→浅間山荘顕彰碑付近→旧馬越集落跡→和美峠入口まで
<Map>
上図丸印部分「借宿」を拡大した略図Map ↓
借宿の馬頭観音群・・・借宿の半数は中馬稼ぎをしていたという
街道脇の湧水の洗い場
名主の土屋家
遠近神社
軽井沢町のマンホール
女街道分去
路傍の石仏・・・街道があったことを標す
草藪に残る石仏
甌穴
甌穴・・・不思議な穴ですね。
泥川ダム・・・鳥明神から大きな池のような水面が見えましたので、裏に回ってみました。
湯川(上部)と泥川の合流点
発地の石仏群
この後、ゴルフ場の脇の道(実際の街道はゴルフ場の中を通っていたらしい。)を抜け、浅間山荘事件顕彰碑、和美峠の分去まで移動したが、濃霧で殆ど視界が効かない状態でした。・・・写真は撮りませんでした。
まさに、霧にまかれた旅でした。
帰りながら、食事に寄らせていただいた「風越アリーナ」の展示コーナー