慶長7年(1602)に中山道の制定により宿場が成立しました。
板橋から28番目の宿場で、真田氏の給人(きゅうにん:領地支配を任せれた人)である永井氏の本陣・問屋、羽田氏と翠川氏の脇本陣2軒が中核となっていました。寛永7年(1630)には、旅籠が28軒と比較的大きな宿場でした。
ここから、京都方向への隣の宿場、下諏訪宿までは5里12町(約22km)、また、途中の和田峠は標高約1,600mと和田宿との標高差約800mと険しい道のりであったため、逗留する旅人が多かったようです。
現在も本陣、脇本陣、問屋や旅籠が保存されている。これは、文久元年(1861)の大火災後に再建されたため比較的、新しい建物であったことにもよるのではないかと思われます。(出典:和田中学校「地域の歴史学習」和田宿、長和町教育委員会の中山道和田宿マップ)
①②
③
①本陣内玄関外より ②同内部より
③軽量の篭(大名や身分の高い人が乗る篭は多く保存されているが、このような軽量の篭は珍しい。)
④⑤
⑥
⑦
④旅籠「羽田野」の鬼瓦は六文銭の家紋が分かる。 ⑤問屋の屋根瓦これは新しく再現されてもの。
⑥旅籠「かわちや」歴史資料館になっている。 ⑦同、上段の間からの庭の様子。
和田宿の問屋や旅籠のあるメインストリート
「羽田野」内部は資料館で農家レストランとなっており、そばの食事が摂れる。
少し料金はお高め!味はお好みがありますからねー。