江戸時代、中山道から北国街道への分岐点にある宿場として栄えた。現在の軽井沢町にある、浅間根腰の三宿と呼ばれた軽井沢宿、沓掛宿(中軽井沢)と追分宿の3つの宿場の中で最も栄えたとされている。
天保14年(1843)「中山道宿村大概帳」には、中山道20番目の宿場で本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒記されている。
現在は多くの歴史ある建物が、所有者をはじめ関係者の努力により維持管理されていることや電線の地中化や石畳風の道路等、新たな整備もされており、多分、かつての佇まいとは異なるものと思われるが、懐かしさを感じさせる独特の雰囲気を醸し出している。
また、明治から昭和中期ごろまでは、多くの文人たちが訪れ逗留をした地でもある。特に、現在は宿場の中央に位置する堀辰雄の住居の敷地内にある「堀辰雄文学記念館」や宿場の東の林間には、歴史的資料を展示した「追分郷土館」がある。
堀辰雄の住居。日当たりのよい南斜面の庭と一角にある書庫は実に雰囲気がいい。
たまには、こんなところで一日中、読書をしてみたいですね。
記念館に通じる歩道。すっかり落葉した歩道はこの時期もいいものだ。
泉洞寺にある「カーリング地蔵」。これはちょっと変わり種。でも楽しい。
後の時代にはどのように思ってもらえるかを考えてみても「ニコ(^_^;)」としてしまう。
ほかにも、多くのユーモアお地蔵さまがありますよ。