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塩名田宿の現地学習

2020年03月23日 | 歴史の道/中山道

2020/3/19(木)塩名田宿現地学習
3/26(木)開催予定であった、歴史セミナー受講者の「現地学習」は、新コロナウィルス感染症の拡大防止ため中止になりました。
しかし、佐久歴史の道案内人の会では、野外での会員学習会を開催いたしました。
主な、ルートは浅科公民館→本陣/高札場→佐越家→佐藤家筆塚→斑稲荷神社→正縁寺→お滝の水場家→河原宿→千曲川へり/舟つなぎ石→中津橋→御馬寄→勝手神社→<戻り>→真楽寺道標→中津小学校→浅科公民館

ルートイメージMap(観光協会:観光ガイドマップより)

案内マップの大看板でのコース説明

左奥が佐越家、正面が大和屋酒店でかつての大和川蔵元です。
この付近に家には「武者隠し」とされる場所があります。


海老屋豆腐店 売り切れ・・・朝、早めに来ないと買えないとのこと
佐藤家筆塚>代々儒学者であった佐藤家の開いた寺子屋の門下生約300名により1853(嘉永6)年、建立された。
斑稲荷神社>稲荷大明神を養蚕の神様として、1787(天明7)年に勧請された。
正縁寺>浄土真宗、本尊は阿弥陀三尊像。この付近はかつてから阿弥陀信仰の僧が居住しており、正縁寺の称号もその由来とされる。創建時期は不詳であるが、戦国時代に焼失し、元和・寛永年間(1615~1644年)に、超誉一念和尚により再建された。
→河岸段丘を降りる。(ここまでの写真省略)

お滝の水場
かつて、滝明神があった。十九夜講、国土地理院水準点がある。
お隣は、「御や須み処 嘉登屋(かどや)」、続いて、河原宿の家並みを千曲川に進む。

舟つなぎ石がなんとひっくり返って、流れの方向に移動しているよう。
例の穴は石の下の部分です。
明治の木の橋脚は下がえぐられたためか、はっきり見えるようになりました。
上流の烏帽子石は、前のままの位置に残っているように見えます。

中津橋の橋上から、流れやかつての渡しの場所などを眺めながらの論議では、話に花が咲きました。
中津橋は、昭和6年に完成したものですが、しっかりした構造、その存在感に当時としては画期的な橋であったものと想像でします。この橋は日本百名橋に名を連ねています。

浅間山は佐久を見おろしていますね。ここからの眺めは、爽快で気持ちが晴れ晴らしていいですね。

千曲川を渡り、御馬寄にわたり最初の小路を南に進みます。丸三館という旅館がありました。
これは、新発見!二階の欄干のつくりはなかなか趣があります。
これから、調べる必要がありそうです。昭和30年代ごろには営業されていたのではなのでしょうか?

勝手神社創建不詳。いわゆる勝手神社の分社とされています。
境内には、他の場所から移された山の神神明社の神社があり、御嶽碑のほか道祖神などが並びます。
信玄がこの前で落馬してという逸話がある場所です。
この場所は千曲川の渡りがあったり、野沢につながる道がありました。

勝手神社の社殿。右裏には佐久市指定天然記念物の大ケヤキが立っています

真楽寺へ三里」の道標。横を通る県道(かつての国道)ができた際に、お滝のあたりの下の場所からこちらに移設された。

旧中津小学校の東側に常木用水が宿場に向かって流れています。
現在、冬ではありますが水の流れがあるのは、本来の取り入れ口とは別の場所の水が流れているようです。(調べてみる必要ありです。)



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