南部吟遊詩人の写真館

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寺林城に行ってきました。

2021年09月04日 11時54分55秒 | 岩手のお城巡り
「城跡」をgoogleマップで検索していると、花巻市に見つかりました。

とりあえず行ってみるかとナビに任せて走りますと、大きな木が何本も生えた巨大なお寺に出てきました。

遠めに見ても、かなり目立ちますね。
なんだか城壁みたい…。


近づいてみますと、「光林寺」と書かれています。「寺林城」じゃないですね。


入口に松を発見。


超、目立ちます。


案内板を見ますと…、

「長慶天皇」って新郷村の「三婆羅塚」に葬られているというあの…。

こんなところにも立ち寄っていたんだ…。畿内から来れば、ここ岩手は途中だけど…。

こういう伝説もあると、「長慶天皇」が東北に来たっていうのも信憑性あるなあ…。



で、ここはお寺ですよね?

このお寺が、なんかそのまま「お城」みたい。

なんだか、石垣っぽいのも残されているし




そして、この家紋、どっかで見たことあるような…。


大きくて立派なお寺ですよ。


中に入ってみますと、お堂も立派!!


右手の鐘楼も立派です。なぜか、周辺に遊具もあります。


縁起らしき看板を発見。

読んでみましょう。

なるほど、もとは伊予の河野家の流れなんですね…。なんで岩手に来たかは本当に謎ですな。
それより、踊念仏の「時宗」、一遍上人が河野家の出身だとは知らなかったなあ。

だから、一遍上人が境内にいるわけですね。


そして、蔵には「河野家」の家紋、そういうことですか。


ちなみに、本堂の細部。

手の込んだ彫刻です。

本堂の左手から奥の雑木林に行けそうです。


googleナビに従えば、このお寺の裏側に「寺沢城跡」はあるとされます。
このお寺の西側には墓地、北側には授産施設「るんびにー園」などがありまして、雑木林があります。

「るんびにー園」は知的障碍者の手による優れた芸術作品が地元では有名です。


その雑木林の中をよ~~く目を凝らしてみてみますと、


堀の跡があります。


でも、まあ、この看板を見ないととても分からないですね。


この説明によれば、寺林城の城主は伊予の豪族「河野通信」(かわの みちのぶ)の息子「通重」が居城としたようです。
ウィキペディア「河野通信」

どうも、ウィキペディアの記事を読むと「承久の乱」で失脚したことをきっかけに東北に下向したみたいですね。
で、どういう経緯かはよくわかりませんが、次男はここに城を築いたと。
さっきのお寺はその城跡の名残のようです。
通りでなんか「お城みたい」と思ったわけだ…。
しかし、結構な広さ…。この時代にしては珍しく平地のお城ですよ。
そして、お寺と林があるからこの辺の地名が「寺林」とか…、
よくできていますなあ。

林の中には神社がありました。

これも、ここが城跡であることを示すものでしょう。
ここから先ほどの本堂につながるわけですね。

で、城の跡地にはお寺「光林寺」がある、というわけで。

戦国時代よりも古い、南北朝期のお城でしたね。
お城は戦国時代だけのものではありませんが、本当に岩手の歴史は深い…。
けっこう戦国時代以前の城跡が残っているんですよね~~。


【撮影日:2021/8/19&9/10】

お寺のHPはコチラ→光林寺縁起

こちらのページもどうぞ→「城郭放浪記」

↓ ↓ ↓ 「寺林城」の場所はコチラ ↓ ↓ ↓

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