「城跡」をgoogleマップで検索していると、花巻市に見つかりました。
とりあえず行ってみるかとナビに任せて走りますと、大きな木が何本も生えた巨大なお寺に出てきました。
遠めに見ても、かなり目立ちますね。
なんだか城壁みたい…。
近づいてみますと、「光林寺」と書かれています。「寺林城」じゃないですね。
入口に松を発見。
超、目立ちます。
案内板を見ますと…、
「長慶天皇」って新郷村の「三婆羅塚」に葬られているというあの…。
こんなところにも立ち寄っていたんだ…。畿内から来れば、ここ岩手は途中だけど…。
こういう伝説もあると、「長慶天皇」が東北に来たっていうのも信憑性あるなあ…。
で、ここはお寺ですよね?
このお寺が、なんかそのまま「お城」みたい。
なんだか、石垣っぽいのも残されているし
そして、この家紋、どっかで見たことあるような…。
大きくて立派なお寺ですよ。
中に入ってみますと、お堂も立派!!
右手の鐘楼も立派です。なぜか、周辺に遊具もあります。
縁起らしき看板を発見。
読んでみましょう。
なるほど、もとは伊予の河野家の流れなんですね…。なんで岩手に来たかは本当に謎ですな。
それより、踊念仏の「時宗」、一遍上人が河野家の出身だとは知らなかったなあ。
だから、一遍上人が境内にいるわけですね。
そして、蔵には「河野家」の家紋、そういうことですか。
ちなみに、本堂の細部。
手の込んだ彫刻です。
本堂の左手から奥の雑木林に行けそうです。
googleナビに従えば、このお寺の裏側に「寺沢城跡」はあるとされます。
このお寺の西側には墓地、北側には授産施設「るんびにー園」などがありまして、雑木林があります。
「るんびにー園」は知的障碍者の手による優れた芸術作品が地元では有名です。
その雑木林の中をよ~~く目を凝らしてみてみますと、
堀の跡があります。
でも、まあ、この看板を見ないととても分からないですね。
この説明によれば、寺林城の城主は伊予の豪族「河野通信」(かわの みちのぶ)の息子「通重」が居城としたようです。
→ウィキペディア「河野通信」
どうも、ウィキペディアの記事を読むと「承久の乱」で失脚したことをきっかけに東北に下向したみたいですね。
で、どういう経緯かはよくわかりませんが、次男はここに城を築いたと。
さっきのお寺はその城跡の名残のようです。
通りでなんか「お城みたい」と思ったわけだ…。
しかし、結構な広さ…。この時代にしては珍しく平地のお城ですよ。
そして、お寺と林があるからこの辺の地名が「寺林」とか…、
よくできていますなあ。
林の中には神社がありました。
これも、ここが城跡であることを示すものでしょう。
ここから先ほどの本堂につながるわけですね。
で、城の跡地にはお寺「光林寺」がある、というわけで。
戦国時代よりも古い、南北朝期のお城でしたね。
お城は戦国時代だけのものではありませんが、本当に岩手の歴史は深い…。
けっこう戦国時代以前の城跡が残っているんですよね~~。
【撮影日:2021/8/19&9/10】
お寺のHPはコチラ→光林寺縁起
こちらのページもどうぞ→「城郭放浪記」
↓ ↓ ↓ 「寺林城」の場所はコチラ ↓ ↓ ↓
とりあえず行ってみるかとナビに任せて走りますと、大きな木が何本も生えた巨大なお寺に出てきました。
遠めに見ても、かなり目立ちますね。
なんだか城壁みたい…。
近づいてみますと、「光林寺」と書かれています。「寺林城」じゃないですね。
入口に松を発見。
超、目立ちます。
案内板を見ますと…、
「長慶天皇」って新郷村の「三婆羅塚」に葬られているというあの…。
こんなところにも立ち寄っていたんだ…。畿内から来れば、ここ岩手は途中だけど…。
こういう伝説もあると、「長慶天皇」が東北に来たっていうのも信憑性あるなあ…。
で、ここはお寺ですよね?
このお寺が、なんかそのまま「お城」みたい。
なんだか、石垣っぽいのも残されているし
そして、この家紋、どっかで見たことあるような…。
大きくて立派なお寺ですよ。
中に入ってみますと、お堂も立派!!
右手の鐘楼も立派です。なぜか、周辺に遊具もあります。
縁起らしき看板を発見。
読んでみましょう。
なるほど、もとは伊予の河野家の流れなんですね…。なんで岩手に来たかは本当に謎ですな。
それより、踊念仏の「時宗」、一遍上人が河野家の出身だとは知らなかったなあ。
だから、一遍上人が境内にいるわけですね。
そして、蔵には「河野家」の家紋、そういうことですか。
ちなみに、本堂の細部。
手の込んだ彫刻です。
本堂の左手から奥の雑木林に行けそうです。
googleナビに従えば、このお寺の裏側に「寺沢城跡」はあるとされます。
このお寺の西側には墓地、北側には授産施設「るんびにー園」などがありまして、雑木林があります。
「るんびにー園」は知的障碍者の手による優れた芸術作品が地元では有名です。
その雑木林の中をよ~~く目を凝らしてみてみますと、
堀の跡があります。
でも、まあ、この看板を見ないととても分からないですね。
この説明によれば、寺林城の城主は伊予の豪族「河野通信」(かわの みちのぶ)の息子「通重」が居城としたようです。
→ウィキペディア「河野通信」
どうも、ウィキペディアの記事を読むと「承久の乱」で失脚したことをきっかけに東北に下向したみたいですね。
で、どういう経緯かはよくわかりませんが、次男はここに城を築いたと。
さっきのお寺はその城跡の名残のようです。
通りでなんか「お城みたい」と思ったわけだ…。
しかし、結構な広さ…。この時代にしては珍しく平地のお城ですよ。
そして、お寺と林があるからこの辺の地名が「寺林」とか…、
よくできていますなあ。
林の中には神社がありました。
これも、ここが城跡であることを示すものでしょう。
ここから先ほどの本堂につながるわけですね。
で、城の跡地にはお寺「光林寺」がある、というわけで。
戦国時代よりも古い、南北朝期のお城でしたね。
お城は戦国時代だけのものではありませんが、本当に岩手の歴史は深い…。
けっこう戦国時代以前の城跡が残っているんですよね~~。
【撮影日:2021/8/19&9/10】
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