自分でもマニアックだと思うのですが、「日本三古碑」をコンプリートしたいなあ、と思っていました。
今回、機会を得て、その「日本三古碑」の一つ「多胡碑」を要する「上野三碑」をまとめて見に行くことにしました。
なんて素晴らしい夏休みなんだ!!!
まずは「山上碑」からです。
向かう途中、古墳群を発見。ここ高崎は昔から発展していた場所みたいですね。
「古墳群」というだけあって、古墳がすごいです。行ってみれば、当時の「墓地」のようなものなのでしょう。
周辺は民家ですが、この一帯は保存されています。
当時の面影がしのばれます。
この一帯だけ野原にして保存してあるのはありがたいですね。
こちらは前方後円墳。けっこう大きいです。
さて、山上碑はこちら、けっこう山の中にあるようです。
周囲は幟が。けっこう有名になったみたいですね。
駐車場です。碑めぐりをするためのバスも出ているようです。
古そうな石仏?仏像の板碑が収蔵されているようです。古くから信仰が厚い土地柄のようですね。
駐車場から歩いてほどなくのところに、
入り口がありました。
周辺はハイキングコースとして設定されている模様。歩いて回ってみるのも面白そうです。
さて、ここからは少し山の中に入るようです。
木道を登ります。整備されていてありがたい。
万葉集の歌。そのくらいの時代からこの辺は人が住んでいたのでしょう。
それにしてもこの日は暑かった。
階段を登らなきゃいけません。
途中の看板。
ようやくたどり着いた先には古墳が!!
周辺はこんな感じ。
奥の歌碑はまたも万葉集。
いい歌です。
ちなみに手を振るというのは「魂振り」といって相手の魂を自分の下に呼び寄せようとする呪術的な意味があったそうです。
今では無意識にしてしまいますが。
さて、その古墳はしっかり調査がなされているようです。
中はこんな感じ。
いざ、山上碑ですが、しっかりとした覆堂に覆われています。鉄筋コンクリートです。新しいです。
中の保存状態も良好。現在はガラス越しの対面しかできません。そりゃそうだ。でも、残念。
これが日本の最古碑。奈良時代の石碑がいまだに残っているのはすごい。
摩耗が激しく、とてもガラス越しの肉眼では碑文が読み取れません。そこで、書かれてる内容が表示されています。
う~~ん、あんまり上手な字ではない。しかも万葉仮名なので、とても素人には読みづらい…。
これだけ読んでもなんのこっちゃという感じなので、しっかりした解説もわきにあります。
小学生向けの解説も。これはとても分かりやすい。良作。
要はこの石碑は隣にある母親のお墓の解説なのですね。僧となった人が自分の家系と母親について解説した、と。そういうもののようです。
親想いの深い愛情が伝わるようです。
ちなみに、覆堂の前に教育委員会作成のパンフが多数用意されていますので、そのパンフもとても分かりやすく解説してあります。
歴史マニアには垂涎の品です。↓↓↓
問い合わせは高崎市教育委員会文化財保護課(027-321-1292)へどうぞ。超、いい品です。
でも、ぶっちゃけこのサイト見た方が早いかも
→高崎市教育委員会「上野三碑」のページへ
次に、金井沢碑に行きます。車で10分ほどです。
こちらもけっこう山の中ですね。
右側の歌碑。当然、万葉集です。
しっかり整備された駐車場があります。
ここから石碑まで歩きます。
入り口付近の万葉集の「長歌」ですね。
入り口の標識。
さあ、行ってみましょう。
またも木道。これだけ整備され、歩きやすいのは実にありがたい。
5分としないうちに碑の近くまで出てこれます。
こちらも立派な鉄筋コンクリート造りの新しい覆堂が。
いざ、石碑とご対面。もちろん、ガラス越しの対面です。
側面から見ることもできます。
ボタンを押せば、音声案内も流れる親切設計。
当然、解説版も詳細です。
小学生用の簡略版もまた良作。とても分かりやすい。
ようはこの碑は一族のことを書いています。自分の一族はこれこれだから記念に作りましたよ、というわけです。
これも奈良時代の石碑。えらいこっちゃ。1300年前の石碑がこうして残っているんですからね…。
さて、最後はいよいよ「多胡碑」。日本三古碑の一角です。
けっこう街中というか集落の片隅にあるのですよ。他の二碑が山の中なのに。
この辺の案内板。駐車場にありました。
で、多胡碑の周辺は公園みたいになっています。
碑の高さは1m40cmほど。笠石もあってけっこう大きいです。
ついに見ることができました。
で、解説板です。
子供向けもわかりやすい。
要はこの石碑は、この地方に新たにできた郡とその支配者の記念に作られたものだという感じです。
「羊」という人がその支配者であると。珍しい名前です。
この地元には「羊太夫」として伝説が伝わっています。
→「羊太夫」のWikiのページへ
(伝説いっぱいの謎の人物。なぜこうも伝説が拡張するのかすんごい謎)
ちなみに、この周辺を歩くと、
資料館もあります。内容は、まあ、そんなに期待しない感じで(ゴニョゴニョ…)
古墳もあります。
薄葬礼(646年)が出される前はけっこう作られていて、その後もまだ数十年は作っていたんですね。
それだけ、当時の人にとっては習慣化した大事なものだったんでしょうね。
たしかに、これだけのものを作れば、長きにわたって残るしなあ…。
昔の人は今の人よりも「去るものは日々に疎し」ということを身をもって知っていたのかもしれませんね。
それゆえに、その消失の恐怖から古墳も石碑もより永く残るものを心の底から欲していたのかもしれません。
そんなことを考えました。
いや~遺跡巡りって本当にいいもんです。
ちなみに、この辺です。
金井沢碑を頂点に三角形を結んでいます。多胡碑だけ鏑川の向こう側にあります。
【撮影日:2018/8/14】
今回、機会を得て、その「日本三古碑」の一つ「多胡碑」を要する「上野三碑」をまとめて見に行くことにしました。
なんて素晴らしい夏休みなんだ!!!
まずは「山上碑」からです。
向かう途中、古墳群を発見。ここ高崎は昔から発展していた場所みたいですね。
「古墳群」というだけあって、古墳がすごいです。行ってみれば、当時の「墓地」のようなものなのでしょう。
周辺は民家ですが、この一帯は保存されています。
当時の面影がしのばれます。
この一帯だけ野原にして保存してあるのはありがたいですね。
こちらは前方後円墳。けっこう大きいです。
さて、山上碑はこちら、けっこう山の中にあるようです。
周囲は幟が。けっこう有名になったみたいですね。
駐車場です。碑めぐりをするためのバスも出ているようです。
古そうな石仏?仏像の板碑が収蔵されているようです。古くから信仰が厚い土地柄のようですね。
駐車場から歩いてほどなくのところに、
入り口がありました。
周辺はハイキングコースとして設定されている模様。歩いて回ってみるのも面白そうです。
さて、ここからは少し山の中に入るようです。
木道を登ります。整備されていてありがたい。
万葉集の歌。そのくらいの時代からこの辺は人が住んでいたのでしょう。
それにしてもこの日は暑かった。
階段を登らなきゃいけません。
途中の看板。
ようやくたどり着いた先には古墳が!!
周辺はこんな感じ。
奥の歌碑はまたも万葉集。
いい歌です。
ちなみに手を振るというのは「魂振り」といって相手の魂を自分の下に呼び寄せようとする呪術的な意味があったそうです。
今では無意識にしてしまいますが。
さて、その古墳はしっかり調査がなされているようです。
中はこんな感じ。
いざ、山上碑ですが、しっかりとした覆堂に覆われています。鉄筋コンクリートです。新しいです。
中の保存状態も良好。現在はガラス越しの対面しかできません。そりゃそうだ。でも、残念。
これが日本の最古碑。奈良時代の石碑がいまだに残っているのはすごい。
摩耗が激しく、とてもガラス越しの肉眼では碑文が読み取れません。そこで、書かれてる内容が表示されています。
う~~ん、あんまり上手な字ではない。しかも万葉仮名なので、とても素人には読みづらい…。
これだけ読んでもなんのこっちゃという感じなので、しっかりした解説もわきにあります。
小学生向けの解説も。これはとても分かりやすい。良作。
要はこの石碑は隣にある母親のお墓の解説なのですね。僧となった人が自分の家系と母親について解説した、と。そういうもののようです。
親想いの深い愛情が伝わるようです。
ちなみに、覆堂の前に教育委員会作成のパンフが多数用意されていますので、そのパンフもとても分かりやすく解説してあります。
歴史マニアには垂涎の品です。↓↓↓
問い合わせは高崎市教育委員会文化財保護課(027-321-1292)へどうぞ。超、いい品です。
でも、ぶっちゃけこのサイト見た方が早いかも
→高崎市教育委員会「上野三碑」のページへ
次に、金井沢碑に行きます。車で10分ほどです。
こちらもけっこう山の中ですね。
右側の歌碑。当然、万葉集です。
しっかり整備された駐車場があります。
ここから石碑まで歩きます。
入り口付近の万葉集の「長歌」ですね。
入り口の標識。
さあ、行ってみましょう。
またも木道。これだけ整備され、歩きやすいのは実にありがたい。
5分としないうちに碑の近くまで出てこれます。
こちらも立派な鉄筋コンクリート造りの新しい覆堂が。
いざ、石碑とご対面。もちろん、ガラス越しの対面です。
側面から見ることもできます。
ボタンを押せば、音声案内も流れる親切設計。
当然、解説版も詳細です。
小学生用の簡略版もまた良作。とても分かりやすい。
ようはこの碑は一族のことを書いています。自分の一族はこれこれだから記念に作りましたよ、というわけです。
これも奈良時代の石碑。えらいこっちゃ。1300年前の石碑がこうして残っているんですからね…。
さて、最後はいよいよ「多胡碑」。日本三古碑の一角です。
けっこう街中というか集落の片隅にあるのですよ。他の二碑が山の中なのに。
この辺の案内板。駐車場にありました。
で、多胡碑の周辺は公園みたいになっています。
碑の高さは1m40cmほど。笠石もあってけっこう大きいです。
ついに見ることができました。
で、解説板です。
子供向けもわかりやすい。
要はこの石碑は、この地方に新たにできた郡とその支配者の記念に作られたものだという感じです。
「羊」という人がその支配者であると。珍しい名前です。
この地元には「羊太夫」として伝説が伝わっています。
→「羊太夫」のWikiのページへ
(伝説いっぱいの謎の人物。なぜこうも伝説が拡張するのかすんごい謎)
ちなみに、この周辺を歩くと、
資料館もあります。内容は、まあ、そんなに期待しない感じで(ゴニョゴニョ…)
古墳もあります。
薄葬礼(646年)が出される前はけっこう作られていて、その後もまだ数十年は作っていたんですね。
それだけ、当時の人にとっては習慣化した大事なものだったんでしょうね。
たしかに、これだけのものを作れば、長きにわたって残るしなあ…。
昔の人は今の人よりも「去るものは日々に疎し」ということを身をもって知っていたのかもしれませんね。
それゆえに、その消失の恐怖から古墳も石碑もより永く残るものを心の底から欲していたのかもしれません。
そんなことを考えました。
いや~遺跡巡りって本当にいいもんです。
ちなみに、この辺です。
金井沢碑を頂点に三角形を結んでいます。多胡碑だけ鏑川の向こう側にあります。
【撮影日:2018/8/14】
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