栃木県栃木市に「皆川城」なる戦国時代の城跡があります。
つーわけで、行ってきました。
調査がかなり進んでいるようでございます。
皆川氏は栃木県南部の栃木市の付近を中心に収めた地方領主。
この辺は佐野氏や宇都宮氏、壬生氏、結城氏、そして関東最大の勢力北条氏がせめぎ合う関東の激戦地です。
そしてそこにあの上杉謙信も参入してくるのですから、実にカオスな状況だったわけです。
しかし、皆川氏はこの混迷の状況を見事に生き抜き、のちに徳川家康に仕え、栃木市の中心部を任されるほどに信任されます。
そんな皆川氏の江戸時時代までの本拠地はこちら「皆川城」。
平地の中の一山全体が城です。
(井戸跡が見えますね)
典型的な「平山城」と言えます。
この「皆川城」の特徴はなんといっても正面右手の高台。
えぐいくらいの傾斜で物見が置かれています。
あと、斜面にいくつも配備される廓。
これはかなりの規模の城と思われます。
竪堀や本丸が推定されているようです。
城の中腹からも麓の眺めがいいです。
これは城としては有能ですなあ。
一つの山を城にするとはいえ、平地部分はかなり確保されており、
かなり軍事施設を建設するには余裕があったものと推定されます。
おそらく、城としてはかなり高度なものだったのでしょう。
山頂近くなってくると、地元の霊峰「太平山」などの山並みが見えます。
この辺も戦国時代の激戦地になったらしいです。
南を望むと佐野の山並みが見えます。あっちは皆川氏にとって敵地であったり、味方であったり…。
東からは結城氏や北条氏、佐竹氏が押し寄せます。
常陸(茨木)の霊峰「筑波山」が見えます。
かくも戦略上重要な拠点。
ご興味ある方、こちらをどうぞ。
→皆川広照Wikipedia
北関東のカオスっぷり、マジでパネエ…。
(´・ω・`)
【撮影日:2021/12/28】
つーわけで、行ってきました。
調査がかなり進んでいるようでございます。
皆川氏は栃木県南部の栃木市の付近を中心に収めた地方領主。
この辺は佐野氏や宇都宮氏、壬生氏、結城氏、そして関東最大の勢力北条氏がせめぎ合う関東の激戦地です。
そしてそこにあの上杉謙信も参入してくるのですから、実にカオスな状況だったわけです。
しかし、皆川氏はこの混迷の状況を見事に生き抜き、のちに徳川家康に仕え、栃木市の中心部を任されるほどに信任されます。
そんな皆川氏の江戸時時代までの本拠地はこちら「皆川城」。
平地の中の一山全体が城です。
(井戸跡が見えますね)
典型的な「平山城」と言えます。
この「皆川城」の特徴はなんといっても正面右手の高台。
えぐいくらいの傾斜で物見が置かれています。
あと、斜面にいくつも配備される廓。
これはかなりの規模の城と思われます。
竪堀や本丸が推定されているようです。
城の中腹からも麓の眺めがいいです。
これは城としては有能ですなあ。
一つの山を城にするとはいえ、平地部分はかなり確保されており、
かなり軍事施設を建設するには余裕があったものと推定されます。
おそらく、城としてはかなり高度なものだったのでしょう。
山頂近くなってくると、地元の霊峰「太平山」などの山並みが見えます。
この辺も戦国時代の激戦地になったらしいです。
南を望むと佐野の山並みが見えます。あっちは皆川氏にとって敵地であったり、味方であったり…。
東からは結城氏や北条氏、佐竹氏が押し寄せます。
常陸(茨木)の霊峰「筑波山」が見えます。
かくも戦略上重要な拠点。
ご興味ある方、こちらをどうぞ。
→皆川広照Wikipedia
北関東のカオスっぷり、マジでパネエ…。
(´・ω・`)
【撮影日:2021/12/28】
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