栃木県足利市はけっこう栄えている街です。
なにしろ鎌倉時代には有力御家人「足利氏」を排出。
室町幕府を作った「足利尊氏」の出身地でもあります。
そんなわけで、市内の方に来てみました。
歴史ある街並み。
古い建物が目立ちます。
中でも子の写真館。
時々、映画のロケでも使われるそうです。
いまだに現役の写真屋さんのようですね。
しかし、歩いていて思うのは、
大きな屋敷が多い。
お金持ちが多いのかもしれませんね。
そして、足利といえば、何と言っても「足利学校」。
日本最古の学校とも言われる名所中の名所です。
孔子像です。
昔の「学問」といえば、まず「漢学」つまりは「儒教」を学ぶことですからね。
というわけで、行ってみましょう。
ちなみに、観光案内所(大きな駐車場つき)から行くと、こんな感じですね。
学校の周りが土塀があります。
「教育遺産群」ですって。
変わったコレクションですな。
入口にも孔子像が!
そして、有名なこの「学校」の門!!!
日本唯一ですよ。
「孟子」が原典ですって。
中に入ってみましょう。
まず、真っ先にあるのがこの「字降松」(じふりのまつ)です。
学生の質問に先生が答えを掛けてくれるという、
言ってみれば、「質問掲示板」的な役割をしていたものだそうです。
風情?ありますなあ。
まず、正面にあるのが、「孔子廟」(こうしびょう)です。
「廟」とは祖先や英霊をお祀りする建物で、中国の「神社」「お寺」みたいな感じですね。
屋根の鴟尾(しび)?いや、シャチホコが立派です。
孔子廟ですから、孔子さまが安置されています。
日本最古だそうです。
そして、面白いのは「小野篁」(おののたかむら)像があるということです。
小野篁は平安時代の歌人、貴族で遣唐使の副使を断ったことでも有名です。
野生の感性をもつということで「野相公」と言われました。
あと、昼間は朝廷に仕えましたが、夜は閻魔大王の手伝いをしていたそうであの世とこの世を行き来していた伝説などもあります。
そんな彼が「足利学校」の創始者なのだそうです。
もちろん眉唾物ですが…。
ただ、足利学校はあまりに古すぎて由来も創始者も定かではないのですよね。
もう、気付くと「坂東の大学」として有名になっていたという次第ですから。
さて、この坂東の大学にはこのような立派な庭園もあります。
砂利も手入れされています。
さて、コチラの方がメインの建物のようです。
察するに「庫裏」(くり)--台所ですね。
入口にあるのは「きき」という道具のようで、
水を満たすとひっくり返るバケツです。
物事は「中庸」(ほどほど)がよいということを教え諭すための道具のようです。
中には額があります。
昔使われていたもののようです。
で、左側に進むと、母屋というか講堂のようです。
こちらが先生の椅子。
徳川家の庇護を受けていたらしく、位牌があります。
裏庭もあります。
壺(中庭)もありますね。
なぜか「祠」(ほこら)もあります。
庫裏の方に戻ってくると、様々使われていた器が展示されています。
中国風のものが多いですね。
外には学生寮があります。
中はこんなもん。
狭いですね~。これでは一人一部屋がやっとでしょう。
四部屋なのでせいぜい四人くらいしか住めない様な…。
戦国時代のころは「学徒三千人」と言われていたそうですが、正直この規模で「三千人」は盛りすぎちゃうんかな~と思います。
裏手に回ると、歴代の管理人の「茂木家」のお墓があります。
コチラは歴代の庠主(しょうしゅ)つまり校長のお墓です。
冷静に考えれば、職場に自分の墓があるって嫌だなあ…。(´・ω・`)
そして、コチラ、図書館です。
中は小さいし、普通の本しかありません。
マニア心を刺激するような古書の類とかはないです。
まあ、別の場所に保管されているのかもしれませんが。
ちなみに、全景はこんな感じです。
(パンフの画像を使わせていただきました)
足利学校のすぐ近くには「鑁阿寺」(ばんなじ)があります。
本当に近くです。
で、この場所は足利氏の邸宅跡とされているのですが、
ってことは足利尊氏の足利氏も学校で学んでいたはずなんですが…。
でも、その関わりは何も出てこないんですよね~~。
もしかしたら足利尊氏のころは学校も衰退していたのかもしれませんね~。
鑁阿寺の周囲には堀がめぐらされています。
城、または館跡の名残でしょうか。
南側の正門以外の門、例えば、この「西門」も立派なものです。
さて、メインとなる「本堂」の方へ行ってみます。
本堂は大きいですよ。
鬼瓦も、超、立派!!!(・∀・)
本堂のすぐ左手に大木があります。
大銀杏ですね。
秋に来たかった…!!!!( ;∀;)
ちなみに、樹齢って実際に木を切らないと正確なところは分からないみたいで、この木も正確な樹齢は分からないわけです。
それにしても銀杏ってたいがいは長寿ですよね~ホントに。
銀杏の裏にある立派な建物は…
多宝塔ですね。お寺によくある。
江戸時代のものらしいです。
しかも、国内最大ですって。
う~む、しかし、立派だ。
実に美しい。
これを作った大工はかなりのものですよ。
名残惜しいですが、他のものも見てみましょう。
コチラの建物も立派です。
なんていうか…平安風?
経堂(おきょうのおきば)ですね。
こっちは重文だそうです。
1407年の建物ってヤバいですね。
保存状態がすっごくいいです。
あと、北側にある御霊屋(みたまや)つまり、墓所は
足利家累代のお墓。
扉が閉ざされていて中には入れません。
神域ですね。
こちらも古いお堂が。
不動明王を祀る「中御堂」(なかみどう)。
「国宝」とかありますが、マジなんでしょうか?
いろいろみることができて、満足な一日でした。
鑁阿寺を後にします。
しかし、「鑁阿寺」って変わった名前…。
どんな意味があるんでしょう???
【撮影日:2021/12/27】
なにしろ鎌倉時代には有力御家人「足利氏」を排出。
室町幕府を作った「足利尊氏」の出身地でもあります。
そんなわけで、市内の方に来てみました。
歴史ある街並み。
古い建物が目立ちます。
中でも子の写真館。
時々、映画のロケでも使われるそうです。
いまだに現役の写真屋さんのようですね。
しかし、歩いていて思うのは、
大きな屋敷が多い。
お金持ちが多いのかもしれませんね。
そして、足利といえば、何と言っても「足利学校」。
日本最古の学校とも言われる名所中の名所です。
孔子像です。
昔の「学問」といえば、まず「漢学」つまりは「儒教」を学ぶことですからね。
というわけで、行ってみましょう。
ちなみに、観光案内所(大きな駐車場つき)から行くと、こんな感じですね。
学校の周りが土塀があります。
「教育遺産群」ですって。
変わったコレクションですな。
入口にも孔子像が!
そして、有名なこの「学校」の門!!!
日本唯一ですよ。
「孟子」が原典ですって。
中に入ってみましょう。
まず、真っ先にあるのがこの「字降松」(じふりのまつ)です。
学生の質問に先生が答えを掛けてくれるという、
言ってみれば、「質問掲示板」的な役割をしていたものだそうです。
風情?ありますなあ。
まず、正面にあるのが、「孔子廟」(こうしびょう)です。
「廟」とは祖先や英霊をお祀りする建物で、中国の「神社」「お寺」みたいな感じですね。
屋根の鴟尾(しび)?いや、シャチホコが立派です。
孔子廟ですから、孔子さまが安置されています。
日本最古だそうです。
そして、面白いのは「小野篁」(おののたかむら)像があるということです。
小野篁は平安時代の歌人、貴族で遣唐使の副使を断ったことでも有名です。
野生の感性をもつということで「野相公」と言われました。
あと、昼間は朝廷に仕えましたが、夜は閻魔大王の手伝いをしていたそうであの世とこの世を行き来していた伝説などもあります。
そんな彼が「足利学校」の創始者なのだそうです。
もちろん眉唾物ですが…。
ただ、足利学校はあまりに古すぎて由来も創始者も定かではないのですよね。
もう、気付くと「坂東の大学」として有名になっていたという次第ですから。
さて、この坂東の大学にはこのような立派な庭園もあります。
砂利も手入れされています。
さて、コチラの方がメインの建物のようです。
察するに「庫裏」(くり)--台所ですね。
入口にあるのは「きき」という道具のようで、
水を満たすとひっくり返るバケツです。
物事は「中庸」(ほどほど)がよいということを教え諭すための道具のようです。
中には額があります。
昔使われていたもののようです。
で、左側に進むと、母屋というか講堂のようです。
こちらが先生の椅子。
徳川家の庇護を受けていたらしく、位牌があります。
裏庭もあります。
壺(中庭)もありますね。
なぜか「祠」(ほこら)もあります。
庫裏の方に戻ってくると、様々使われていた器が展示されています。
中国風のものが多いですね。
外には学生寮があります。
中はこんなもん。
狭いですね~。これでは一人一部屋がやっとでしょう。
四部屋なのでせいぜい四人くらいしか住めない様な…。
戦国時代のころは「学徒三千人」と言われていたそうですが、正直この規模で「三千人」は盛りすぎちゃうんかな~と思います。
裏手に回ると、歴代の管理人の「茂木家」のお墓があります。
コチラは歴代の庠主(しょうしゅ)つまり校長のお墓です。
冷静に考えれば、職場に自分の墓があるって嫌だなあ…。(´・ω・`)
そして、コチラ、図書館です。
中は小さいし、普通の本しかありません。
マニア心を刺激するような古書の類とかはないです。
まあ、別の場所に保管されているのかもしれませんが。
ちなみに、全景はこんな感じです。
(パンフの画像を使わせていただきました)
足利学校のすぐ近くには「鑁阿寺」(ばんなじ)があります。
本当に近くです。
で、この場所は足利氏の邸宅跡とされているのですが、
ってことは足利尊氏の足利氏も学校で学んでいたはずなんですが…。
でも、その関わりは何も出てこないんですよね~~。
もしかしたら足利尊氏のころは学校も衰退していたのかもしれませんね~。
鑁阿寺の周囲には堀がめぐらされています。
城、または館跡の名残でしょうか。
南側の正門以外の門、例えば、この「西門」も立派なものです。
さて、メインとなる「本堂」の方へ行ってみます。
本堂は大きいですよ。
鬼瓦も、超、立派!!!(・∀・)
本堂のすぐ左手に大木があります。
大銀杏ですね。
秋に来たかった…!!!!( ;∀;)
ちなみに、樹齢って実際に木を切らないと正確なところは分からないみたいで、この木も正確な樹齢は分からないわけです。
それにしても銀杏ってたいがいは長寿ですよね~ホントに。
銀杏の裏にある立派な建物は…
多宝塔ですね。お寺によくある。
江戸時代のものらしいです。
しかも、国内最大ですって。
う~む、しかし、立派だ。
実に美しい。
これを作った大工はかなりのものですよ。
名残惜しいですが、他のものも見てみましょう。
コチラの建物も立派です。
なんていうか…平安風?
経堂(おきょうのおきば)ですね。
こっちは重文だそうです。
1407年の建物ってヤバいですね。
保存状態がすっごくいいです。
あと、北側にある御霊屋(みたまや)つまり、墓所は
足利家累代のお墓。
扉が閉ざされていて中には入れません。
神域ですね。
こちらも古いお堂が。
不動明王を祀る「中御堂」(なかみどう)。
「国宝」とかありますが、マジなんでしょうか?
いろいろみることができて、満足な一日でした。
鑁阿寺を後にします。
しかし、「鑁阿寺」って変わった名前…。
どんな意味があるんでしょう???
【撮影日:2021/12/27】
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