だいぶ大袈裟なんだが、今までの人生であれだけショックなことはなかった。
ちょうど一年前の10月の後半、おっさんが長野へ出張で行き昼食を済ませ客先に挨拶へ向かい応接室に入ったと同時に携帯が鳴った。
去年のブログに内容は書いたが、次男坊の交通事故である。
先週の金曜日に、右大腿骨開放骨折、足首、左の脛と3箇所の骨折の治療の最終段階になる、金属の除去手術を行った。
前日から、緊張はしてるもののこれで完全に元に戻ると思えば、気持ちは楽になってるようである。
逆に、おっさんのほうが何事も無く無事に終わるようにと緊張しているようであったw
午後から、2時間半の手術は無事に終わり部分麻酔であったため本人は相当疲れたようである。入院してるフロアーにようやく戻った本人に
「お疲れだったなw」
っと一言。彼は、笑いながら無事に終わったことに対する喜びを表現していたが、これからの1週間の入院生活が思いやられると愚痴をつぶやく。
病室に戻り、体内から除去した金属を見てこれまたビックリ!大腿骨に入れてあったソレは、直径1cm長さは40cmくらい、そしてその他プレートとネジの山・・・・・
いや~~さすがに!これだけの金属を体から出すには相当な大工仕事なんだろうと関心してしまったw。
ヤレヤレ・・・・・・
これから、また骨の回復と筋肉の回復に相当時間がかかるわけだが、ここで一区切りが着いておっさんは、ほっとしたのであるwwあれからもう1年が経ったのかと改めて思うのである。そういえば!白髪が増えたようである。。。。
いつもの朝、挨拶と思って顔をのぞくと焦点の定まらない目がありました。
展望フロアで飛行機を眺めながら、顔がニヤニヤしてしまう
快晴の羽田に定刻に無事到着
カーゴコーナーへ行くと小さいゲージからその姿は見えた、数匹の小動物は他にもいたような気がするが今はまったく覚えていない、真っ黒で目がギョロギョロしてて落ち着かない表情でいる体調20センチはおっさんと目が合った瞬間
「キャン」
第一声である
きれいな小さなリードを持って初ダッコ、あまりの軽さにとまどいもあるが、おっさんの顔を舐めるその顔に惚れてしまった、しばらくカーゴコーナーの脇で散歩させてると係りの人が
「あー可愛い」
なんて
こっちが照れてしまう
そしてもう親父バカが始まるのである
おっさんの手元に来た時は、まだ生まれて3ヶ月、なよなよしながら歩く姿はなんとも形容しがたいwwそして始まるこいつとの生活なんである・・・・・・・・当然どこに行くにも一緒に行動、公共の場ではデェイパックの中に鎮座、わりと大人しくしてましたよww夜は、お腹の上か足の間、朝起きると顔中をペロペロ舐めまわす・・・ぎゃははは・・・これが毎日なんだな~~ww
あれは、2005年1月の終わり、急に発症した。内容については過去の記事(2005.5.28)の通りであるが、やはりその日は来るのである。夕べの夜10時頃おっさんの腕の中で力のない体で一生懸命ミルクを飲んでいた、しかし、その姿は1年10ヶ月の闘病で床ズレを起こし、ほとんどの体毛は抜け落ち、自分の爪でひっかいた傷も痛々しい限りで、始めてみる方は、なんで動物病院に入院させないのかと疑問に思うほどでした。最近医者からは、「おおおお!まだ頑張ってますね~~」なんて逆に驚かれていましたが、ペットを飼われてる方でしたらそのへんの気持ちは判ると思いますw。家族同然なんですよね。
7年ちょっとのお遊びでしたが、とても良い思い出を作ってくれた。
先輩のリサ・ビッキー・アミーの横に寝かせてあげます。
もう1年と6ヶ月。。。
先生からもらう薬は相変わらず変化なし。
症状も変わらず、立ち上がることもなく、横になっての生活。
食欲も変わらず、バクバク食べてますw
最近気になるのは、吠声が少し高音になったよう
ただ、その姿は誰にも見せられないほど変わってしまった
床ずれによる脱毛
そして一度抜けてしまった体毛は二度と生えてこない
見るも無残な姿なのである
おっさんは、ずーっとその姿を見てきてるから自然に受け止めてしまったのだが
知人がその姿を見ておもわず言った言葉にショックを受けてしまった
その言葉とは
「安楽死」を選択すべきでは・・・・と言うことなのである
あまりの姿にかわいそうだと
たぶん○○ーもおっさんの愛情は理解しているが、その自由の利かない体でいるほうがもっと辛いはずだと
しかし、自分の中でまったく考えていなかったわけではないが言葉で話すことは一度もなかった
そして、○○ーが息を引き取るまではこのまま続けることが最良の選択なのだと思い続けてきた
今迷いが出てきてます。
もうダメかと思ってから
早1年が過ぎた。
君との生活は、今はこれが当たり前と普通になったが
こうなるまでは・・・・そう簡単なことじゃなかったのさ
日々具合の悪くなる君
医者は、全体良くなることはありえないと言った
それは
君が持って生まれた宿命だから
でも
仲良く遊んでくれるもんと思い続けてるわけ。。。
去年の10月26日から72日後の1月6日に退院になった。
今振り返れば、大変だったな~と他人事のように思えるおっさんがいて、ニヤけてしまうわけで
入院中の後半は、ただ決められたリハビリメニューをこなすだけで、後はブロイラーのように食べて寝るだけというきつい生活だったようで、毎日時間を潰すのにかなり苦労していたもようwしょうがないことだと思ってもさすがに気持ちも滅入るわけで、退院が決まった時の目の輝きに、思わず微笑んでしまった。
車椅子での移動しかできなかったほんの数週間前からいきなり松葉杖で立ち上がり、まだ完全には体重をかけられない足をかばいながらなんとか一人で身の回りの事もできるようになったわけで、日々回復している姿に安心する。元気になった変わりに徐々に増えてくるわがままな言動には正直困ったもんだと思うが、今暫く大目に見てやろうかとw
あれから早いもんで、1月半が過ぎた。
先週から体重をかけるリハビリに入る。
右足1/3 左足2/3
両足で立つとリハビリの部屋が一通り見渡せるのが嬉しかったとか
体重をかけることで、骨にも刺激が与えられ回復が早くなるらしい、そして今まで寝てるか座る程度の動きだけであったためか、立つことによって血液の循環も良くなるらしい。ボウズ曰く「つま先まで血液が廻るような刺激」を感じるらしい。せいぜい3分間程度の両足を使ったリハビリだが、本人はいっぱいいっぱいの状況。「ふらふら」してそれ以上は耐えられないらしい。シビレが続き足首の間接の動きもままならない状況が歯がゆいらしく、一日も早く退院できないものかと、文句が増えるのもしょうがないかと・・・かなりストレスが溜まってきてるもよう。
術後3日めからようやく顔色が良くなり、体を動かしつつ足の状態を確認するボウズw
そして4日目の朝からリハビリがスタートするw
まったく動かない右足にいらつきながら・・・・
・
・
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5日目のリハビリからは豪華な?装置を使い本格的に始まる。当然痛いのだが本人は真剣である(当たり前?)
6日目から自分の力で右足がちょっと動くようになる。これによりリハビリの大切さが実感と感じたらしく、異常なほどにいろいろな動きを痛みと闘いながら自主トレを開始する。
(整形外科の看護士さんは、リハビリとなると容赦しない。ウフフ かなり 偏見を持つボウズに ニッ)
今日は、9日目
夕方仕事をサボって病室に行くと・・・・・「痛って~~~~~!!!!」大騒ぎ
なぬ!!??
今日のメニューによる筋肉痛にのたうちまわってるもよう・・・ニッ
しかし
本人は、その痛みにまんざら喜びを感じてるもよう・・・・w (ウフ)
自分の力で右足が30Cmは動くようになってきてるwでも!かなりシビレが続いてるようで、おっさんにマッサージをしてくれだって・・・・・(こいつっ!恥じらいながら)
「よ~~~!! やっと終わった~~」
「・・・・・・・・・・・」
8時間にわたる手術が無事終了した。これからが治療になるわけだ。傷口が塞がれば、いよいよリハビリに移るわけだ
「自分の足って感覚がね~~な~~。。。」
麻酔がまだ効いてるからしょうがない。なんせ、8時間の手術の後だから。これから何日でまずは歩けるようになるのやら・・・・
「よっ!」
「とりあえず!握手!」 おおおお力が戻ってきたなw
「なんだって!?あんなに騒いでいたのにまったく記憶にないんだって?w」
こんな会話ができることに歓びをを隠せなくて終始ニヤニヤしていると、本人も恥かしいそうに、「何日飯我慢してたんだっけ!?」・・・・・・
鎮静剤と痛み止めを交互に打ってもらい、二日間はなんとかなったのだが、三日目からは薬の効く時間は当然短くなるわけだし、ドクターは処方の仕方を変更して長期戦になっても中毒症状が起きない方法にしようと・・・それは、微量で一定量の薬を継続的に流そうというものでした。薬が切れることがないので常に夢遊病者の状態になるわけで、正気に戻ることがない。ただ、5日目の午後「彼女」がお見舞いにきてくれて、おっさんと喋ってると薄目をあけて「今日バイトは!?」っと一言「えっ!?わかってるんか?」それからまた意味不明な事を言ってまったく気づいていない。24時間酸素マスクと点滴を取らないように見張っているだけだが、さすがに、彼女が来たときの反応を見たときは内心「ほっ」とした。
6日間の眠りから覚めた翌日は、腰が痛いの足が痛いの、もう大変な大騒ぎが始まるわけだが、今までの状態と比べればそれはそれは普通なのであるw。廊下で会う看護士の方、ドクター、みんな笑顔で「ほんとに良かった~~」って言ってくれるw。やはり尋常ではなかったのである。。。
回復からちょうど1週間、漸く本来の手術は明後日。右大腿部と脛、左の脛。1日かかりになりそうだ。順調に進めば1ヵ月後には体重をかけられるようになるハズ。これから長~~い入院生活が始まるのである。
大きい交差点でそれは起こった。
バイトで始めた産業廃棄物収集の手伝い。業務の途中昼食へ向かうため、ちょっとだけ運転を変わった。
地方から来て慣れない場所で、大型トレーラーの運転手は道を間違えて、方向転換を試みる。
大きな交差点は、一度の信号では右折を完了させることができません。交差点の中に入ると進行方向にはまた信号があり、交差点の中で停止しなければなりません。
昼食へ行くため運転を変わったバイト君は、そのまま青信号直進のため交差点へ・・・・・・・
一泊で長野までの出張が入り朝からおっさんは長野入り。午前中の所要が終わり、駅傍のソバ屋で新ソバの大盛りに舌鼓。やはり長野でしか味わえないこの香りと味、、、そしてこの店はめっちゃ安い!そして、午後の打ち合わせの後は、地元の友人と久々に一杯酌み交わす段取り
客先の応接セットに座り雑談をしているとマナーモードのブルブル。。。
気づいたときは、トレーラーの前部が進路を塞ぐ格好になっている。慌ててブレーキ&左にハンドル切るも間に合わず、左横の燃料タンクに運転席側から衝突。トレーラーの運転手は、前方から来る車両は止まってくれるものと思っていたらしい。信号無視の車両に気づく前に進路を塞がれたバイト君はなすすべもなくそのまま慣性のまま右足側から衝突。気づいたときは、トレーラーの燃料タンクから軽油がどんどん流れ出している。下半身を挟まれた格好でまったく身動きできない。まったくなにも感じない。周りでは、通行人やトレーラーの運転手が慌てて何か言ってるが要領を得ないもよう。バイト君は左胸から自分の携帯電話を取り出し、119番へ「挟まれて動けない!助けてくれ~~~!」その後救急車とレスキュー隊により救出されるのに40分という時間が過ぎる。抜けてく力を振り絞り、なんとか気を失わずに病院へ・・・・
「○×が事故で両足骨折で今入院した」
「えっ!?」
その後の会議はうわの空、でも、なんとか無難に終わらせ、その後のスケジュールのキャンセルとともに東京行きの切符の手配。まあ骨折だけで済んだのなら良かったと思うかな~・・・・
20時に病院に入り直接顔を見ると、笑いながら「やちゃった」っと一言。「おおおおおお、」一安心。不幸中の幸いと思ったほうがいいくらいな大きな事故だったらしい。
「開放多重骨折」
しかし・・・・
翌日の午前中に容態が一変する。多重骨折による合併症が発症したのだ。
低酸素症の症状が出る。それから6日間の戦いが始まるのである。
事故の翌日の朝、顔を合わせるといきなり「腹減ったんだけど~飯まだかな~~?」なんとケロっとしたもんだw少々気持ちが和むがこれからの治療を考えると笑ってはいられない。朝から加害者が見舞いに来てるので少しの間対応に追われ戻ってみると、「痛い~~~~!」大声で叫んでいる。ほんの10分前のあの症状とはまったく違う。そして声をかけるが、反応がおかしい。視線が定まらない。・・・そのうちへなへなと眠りに入る。担当医が飛んできて酸素をあてがい、レントゲンの撮影に移行していく。
「多重骨折による脂肪塞栓症候群」
3時間後に意識を回復したが、なにが起こったのか理解していないもよう。事故で入院してることもわかっていないもよう。ただパニックになり起き上がろうと必死にもがく。鎮静剤を打たれ一時は収まるのだがまた3時間後には、「足が潰れる~~~もうダメだ~~」うわ言を繰り返す。痛み止めを打たれその後6時間ほどスヤスヤと眠るが、目を覚ますと事故の事をしゃべっている。一瞬正気になったような視線を感じ話かけると、「ここはどこ?」っと一言。そして暴れ始める。24時間交代で酸素をはずさないよう、点滴をむしりとらないよう、見張る。
そして6日後の朝
「腹減った~~~~!!いつ飯食わせるんだ~~~~~!!?」
「酸素吸ってるから飯はまだ!。点滴で栄養補給してるから心配するな!」
「我慢できね~~~~!!」
その声をドクターが聞いて、継続的に鎮静剤を投入していたが、ここで薬を切ることにする。
それから2時間が過ぎると、視線が定まり、自分を取り戻したように・・・(良かった)
http://diary.cururu.jp/dameboku/20002897081
かれこれ10ヶ月が経ちました。急に具合が悪くなり動物病院の先生からは、あまり長くないと言われ一時はショックだったのですが、日々の生活をしながら看病しているとついついこのまま少しづつ快方にむかっているんではと勘違いしたりして・・・・最近二回り小さくなった彼女、体が骨っぽくなってきてまた軽くなってしまった。相変わらず上等な牛肉を頬張ることと牛乳をゴクゴク飲む。寝たきりの状態が続く中たまに見せるひょうきんな顔がちょっとホットしたりして、これから彼女が一番嫌う季節「冬」が来る、ちょっと辛いかな~~
彼女が目の前に!まあいいやと思いつつ背中を向け寝ようと・・・
ゴソゴソ×4・・・・ガサガサ×16・・・・・
「朝からウルサイナ~×2」
まあいつものことだが
そのうち、鼻息荒くなにかもぞもぞしてる模様
なにげに振り返ると
「!Σ( ̄□ ̄;)」
仰向けで手足を伸ばし口を開けてもがいてる!
「なに!?」
慌てて抱っこすると、ぐったりしたままベロ出して
「ハアハアハアハア」
いや~~な予感・・・
「もしかしてこのまま逝ってしまうのか?」
脳裏をカスメル
まさかそんなワケないと思いつつ、寒いから震えてるだけかと、ストーブの前に・・・
顔を見てるとめったに出さないユダレがだらだら
「?」
こりゃ普通じゃね~ヨ(不覚にも(joj))
ストーブの前で10分程いるとヨウヤク手足に力が入ってきた。
たぶんトイレかと思い歩かせると
まるで生まれたてのようにフラフラ・・・・フラフラ・・・・そして右回りばっかり
おっさんの足元でドテ・・・そして「ハアハアハアハア」
さっそく着替え、顔を洗わず頭の毛もボサボサ状態で病院へ
(ちょっとウソです。髪の毛は、寝癖のママ)
近所の病院は急患の受付もしてて、すぐに診察
症状を説明すると、先生はすぐCTスキャンで頭の中を診察
「ああああ!こりゃ重症だ~!」
「最近多いだよねこの症状、”水頭症”ですね。それも先天的ですね」
「?????なに?」
・・・・・・・・・(;_; ))(( ;_;)・・・・・・・・・
「簡単に言うと頭に水が溜まって脳を圧迫していろいろな症状が出るんですヨ」
!Σ(◎o◎;)????
「そそそれで・・・」
ここでちょっと歩かせてみることに・・・・・ヨロヨロ・・・・・・
「あ~~やっぱしね ほら!右回りしか歩けないでしょ。これがその症状の一つですね」
(;´ー`)「はあ」
「とりあえずすぐに入院させてください。まだ薬の治療で望みは持てますから・・・・」
淡々と説明する先生
そこで!
「もし、もうダメなら連れて帰りたいんですけど」
「いや、薬で症状が変わることもあるので、夕方7時頃まであずかって、投与してみましょう」
っと言うことで
半日入院をさせてきたとこ。
生まれは1999年、満5歳。
アふぉだけど・・・・・
・
・
・
本日20:30追記
今退院してきました。さすがに顔見たら騒ぎ始めたので少しは元気を取り戻したようです。点滴で発作と症状を抑えてるらしいです。さすがに今日は、おっさんも気持ちがモヤモヤしててこれから彼女とどういう付き合い方をすればいいのかと真剣に考えてるわけです。家に着くなり抱っこではなく、自分で歩きたがって床に降ろしました。朝みたいなヨロヨロではないけど、フローリングの床では普通でも滑って歩きづらいので二度ほどコケてしまい、後ろから支えるわけにもいかず・・・・・・今日一日たぶん何も食べさせてもらってなかったのか、餌に食らいつき・そしてとても美味しそうに牛乳を飲み干すと「ゲップ」して、また部屋の中をグルグル廻って・・・今ハウスに入って寝てしまいました。なんとなく安心したようです。ただ精密検査をしてもらい「重大」な事がもう一つ出てきて、さすがのおっさんもショックを受けてしまったです。「環軸亜脱臼症」「水頭症」これは、ポメラリアンとチワワに最近見られる先天性の病気です。生まれてすぐ症状が出る場合と彼女のように5歳くらいで出る時があるようです。なぜこのような病気にかかってしまうのか?素人判断ではわかりませんが、このチワワブームに何かしらの影響を受けているのではと思うわけです。おっさんは、チワワとは25年付き合っていますが、(彼女は4代目)始めての事で心が痛くなってしまいました。
昨日朝から病院に行き引き続き点滴による「水頭症」の治療をしてます。なんせ体重が1kgしかない彼女で流石の先生も困った様子。体の大きい犬なら手術を施すこともあるらしいですが、彼女の場合はやはり無理なので薬の治療方法しか選べないとのことでした。「環軸亜脱臼症」については、そっと見守るしかないようです。朝病院に行って夕方まで点滴をしてもらい今日で三日目、なにぶん言葉を発しないため勝手に思ってるわけですが、だいぶ調子がよさそうです。今後は、発作が起きたときに飲ます薬と「水頭症」の症状を抑える薬でなんとかなるでしょう。この時期はおっさんの布団で一緒に寝ていましたが、それができなくなるのがちと寂しいかな?(-"-;)ダブルベッドなんでスペース的には大丈夫なんですけど、なんせちっちゃいもんで登り降りが大変なんです。階段みたいなスロープを置いてあるんですが、今はヨロヨロなんで一人ではとうてい無理みたいです。(^。^/)当分は、チョ~過保護状態が続くでしょう・・・・餌も上等な肉が食べれるでしょう・・・w
これからまたイロイロとアフォな行動しておっさんを楽しませてくれるでしょう
土曜日からかかりつけの病院で今週はお泊りになりました。昼間面倒見れる一生同居人が遊びほうけてるもんで・・・・おっさんも自宅に着くのが最近忙しくかなり遅い時間になってしまい、定時の薬を飲ませてあげられないためです。(;_q))クスンあんな彼女でもいなくなるとカナリ寂しい。。。病院の看護婦さんに気に入ってもらっているのと、人見知りはないので心配はしてないのですが・・・・・・
金曜日の朝起きたとき、顔がひきつっていて、普通じゃないなと思いながら出社。出張のため土曜日の午後帰宅して様子を見ると一見普通に寝てる感じ。長男に「どお!」っと一言。「よくないみたい・・・」短い言葉で十分伝わる。金曜日から食欲がなくなり、木曜日まではヨロヨロになりながら歩いていたのが、一人で立ち上がることさえできない状態。夕方無理やり牛乳を飲ませ、特性牛肉料理を作りスプーンで喉に流しこむ。本人はかなり苦しそうに飲み込むがベロで吐き出そうとスプーンをおすしまつ。このままでは体力がどんどん落ちてしまうし、薬を飲ますためにも胃に何か入れなくてはと何度もチャレンジするが、なかなかうまくいかない。そういえば!トイレの回数が極端に減ってきてる。「ん~~~~」素人が考えても何もわからず、かかりつけの医者に相談するが、先生も「ん___」しか返事がこない。ハウスで一人で寝てるのも2時間が限界で、すぐに呼ばれ、抱っこ・・15分くらい膝の上にいるとウトウトし始め、ハウスの中に・・・そして2時間たつとまた呼ばれ抱っこ・・・ちょっと過保護な彼女だが、こんな状態でもそばにいるだけで癒されるもんだ。これから迎える現実は、逃げるわけにはいかないわけで、残された時間を楽しんでいこうと、こぼした牛乳を指に取り彼女の鼻にこすり付けて遊んでいる。
だいぶ症状が悪化してまいりました。前足で踏ん張ることもできず自力歩行が困難な状態。゛(・・ それにしても食欲だけはあるもんですから、トイレがちと大変ヽ(´∞`)ノ アウアウ、、、一日のほとんどは横になってるわけですが、調子が良い時は歩きたがるのかモソモソ前足を動かし 後足だけが立ってしまい、前のめりで、イワユルでんぐり返し。本人はなんだかわからずきょとんとしてますが、(~ペ)ウーン なんとも・・・
先週末から発作の回数が増え、かなり苦しいようですが、このまま見守るしかできないもんで、寂しい気持ちに。α~ (‐.‐")ふぅ
病院の先生は預かりましょうか?って言ってくれるのですが、それだけは可哀想なので なんとかしますから と家に連れて帰っています。回復する病気ではないのですが、もう少し一緒に遊んでもらいたいもんです。
☆彡 (-人-;) 願い事願い事...