大きい交差点でそれは起こった。
バイトで始めた産業廃棄物収集の手伝い。業務の途中昼食へ向かうため、ちょっとだけ運転を変わった。
地方から来て慣れない場所で、大型トレーラーの運転手は道を間違えて、方向転換を試みる。
大きな交差点は、一度の信号では右折を完了させることができません。交差点の中に入ると進行方向にはまた信号があり、交差点の中で停止しなければなりません。
昼食へ行くため運転を変わったバイト君は、そのまま青信号直進のため交差点へ・・・・・・・
一泊で長野までの出張が入り朝からおっさんは長野入り。午前中の所要が終わり、駅傍のソバ屋で新ソバの大盛りに舌鼓。やはり長野でしか味わえないこの香りと味、、、そしてこの店はめっちゃ安い!そして、午後の打ち合わせの後は、地元の友人と久々に一杯酌み交わす段取り
客先の応接セットに座り雑談をしているとマナーモードのブルブル。。。
気づいたときは、トレーラーの前部が進路を塞ぐ格好になっている。慌ててブレーキ&左にハンドル切るも間に合わず、左横の燃料タンクに運転席側から衝突。トレーラーの運転手は、前方から来る車両は止まってくれるものと思っていたらしい。信号無視の車両に気づく前に進路を塞がれたバイト君はなすすべもなくそのまま慣性のまま右足側から衝突。気づいたときは、トレーラーの燃料タンクから軽油がどんどん流れ出している。下半身を挟まれた格好でまったく身動きできない。まったくなにも感じない。周りでは、通行人やトレーラーの運転手が慌てて何か言ってるが要領を得ないもよう。バイト君は左胸から自分の携帯電話を取り出し、119番へ「挟まれて動けない!助けてくれ~~~!」その後救急車とレスキュー隊により救出されるのに40分という時間が過ぎる。抜けてく力を振り絞り、なんとか気を失わずに病院へ・・・・
「○×が事故で両足骨折で今入院した」
「えっ!?」
その後の会議はうわの空、でも、なんとか無難に終わらせ、その後のスケジュールのキャンセルとともに東京行きの切符の手配。まあ骨折だけで済んだのなら良かったと思うかな~・・・・
20時に病院に入り直接顔を見ると、笑いながら「やちゃった」っと一言。「おおおおおお、」一安心。不幸中の幸いと思ったほうがいいくらいな大きな事故だったらしい。
「開放多重骨折」
しかし・・・・
翌日の午前中に容態が一変する。多重骨折による合併症が発症したのだ。
低酸素症の症状が出る。それから6日間の戦いが始まるのである。
事故の翌日の朝、顔を合わせるといきなり「腹減ったんだけど~飯まだかな~~?」なんとケロっとしたもんだw少々気持ちが和むがこれからの治療を考えると笑ってはいられない。朝から加害者が見舞いに来てるので少しの間対応に追われ戻ってみると、「痛い~~~~!」大声で叫んでいる。ほんの10分前のあの症状とはまったく違う。そして声をかけるが、反応がおかしい。視線が定まらない。・・・そのうちへなへなと眠りに入る。担当医が飛んできて酸素をあてがい、レントゲンの撮影に移行していく。
「多重骨折による脂肪塞栓症候群」
3時間後に意識を回復したが、なにが起こったのか理解していないもよう。事故で入院してることもわかっていないもよう。ただパニックになり起き上がろうと必死にもがく。鎮静剤を打たれ一時は収まるのだがまた3時間後には、「足が潰れる~~~もうダメだ~~」うわ言を繰り返す。痛み止めを打たれその後6時間ほどスヤスヤと眠るが、目を覚ますと事故の事をしゃべっている。一瞬正気になったような視線を感じ話かけると、「ここはどこ?」っと一言。そして暴れ始める。24時間交代で酸素をはずさないよう、点滴をむしりとらないよう、見張る。
そして6日後の朝
「腹減った~~~~!!いつ飯食わせるんだ~~~~~!!?」
「酸素吸ってるから飯はまだ!。点滴で栄養補給してるから心配するな!」
「我慢できね~~~~!!」
その声をドクターが聞いて、継続的に鎮静剤を投入していたが、ここで薬を切ることにする。
それから2時間が過ぎると、視線が定まり、自分を取り戻したように・・・(良かった)