スローリーな余暇

のんびり、慌てず、楽しみたい

初乗りで~~す

2005年11月28日 | グルメな余暇

ほくほく線に乗って富山へ。。。

http://photo.cururu.jp/dameboku/160000064897

湯沢まで新幹線で行ってそこから「ほくほく線」で富山に行きましたw

途中新潟県の十日町を通った時は、去年の地震を想いだした、でも・・・

そして直江津まで湯沢から1時間で着いてしまうw

10年前富山へ行った時は飛行機だったので。。。

そして直江津から富山までも1時間

そして・・・・少しばかしの労働をして

なんと!

昼飯は神通川沿いの割烹料理屋

きゃはははは。。。めっちゃ旨い・・・この店 っていうか

「いけす」を囲んでカウンターがずら~っと並んでいます。確か都内にも何軒かこのスタイルの店はありますがっ!風情が違いますね~~~

昼の制約された時間では、ゆっくり楽しむわけにはいきませんが、そこはおっさん。。。ムフフ 当然お造り定食と白海老の唐揚を追加して・・・ゴックン

冬は氷見のブリ  そして春は滑川のホタルイカ

蟹もおるでよ~~~w

これからがエエ季節でんな~~

社に戻るのは3時間後、、、その間寝れるし、、、

ゆっくり北陸の旅をしてみたくなりました。当然付でw

PS:はくたか号の乗り心地はエエですぜ、、、

 

 


やっちまった

2005年11月26日 | ゴルファーな余暇

またしても!

http://photo.cururu.jp/dameboku/160000064402

三重県の青山高原カントリークラブ。。。撃沈です。。。

名古屋の飲み会の後、近鉄特急に乗って白子駅に到着。。。地元の友人に迎いに来てもらい

「さっきさ~・・・練習場で後ろの奴にボールぶつけられて。。。痛くてたまらん(笑)」

なんて会話をしながらホテルに送ってもらい、短い睡眠時間をむさぼりながら・・・

早朝にまたその友人がホテルの玄関に

「は~~~!!?? なんで松葉杖が車に乗っとるの!?」

脹脛の肉離れにより全治1ヶ月!

そんな友人にゴルフ場まで送ってもらうおっさん。。・・。。

そしてこのラウンド!

成績は103回振ってきました。

OBを4発生産しました。

ここのゴルフ場が悪い訳ではありません。とても良いゴルフ場だと思います。

綺麗だし・・・温泉だし・・・

帰りの新幹線でやけ酒を少々。。。


新大阪から

2005年11月22日 | グルメな余暇

http://photo.cururu.jp/dameboku/160000063091

地下鉄御堂筋線で一個目の駅の傍の店。。。

やはり白子の刺身は!ぴりりってくるね~~~~ナンチッテ

夕方。。。ん!?  まだ3時なんだが、店開いてるからついつい入ってしまった

しっかりいただきました。地元の連中とちょいと気が緩んだせいで・・・

18時の東京行きに乗れただけお行儀良かったw


あ~あ・・・

2005年11月19日 | グルメな余暇

あ~あ 今年もあとちょっとじゃん~~~年々1年が短く感じる~~

そしてこの頃に毎年感じることだが、1年を振り返ってみて「どうよ!?自分?」

おっさんの2005は次男坊の事故があり、彼が生まれてからこれだけ凹まさせられた事は後にも先にもこれだけにしてもらいたいと・・・願うだけ

そして世の中はどうかといえば、JR宝塚線(福知山線)の脱線事故を思い出してしまう。そして最近の構造計算を偽造して建築材料を少なくして建設費を浮かす悪徳設計士。これら人間の本質を疑いたくなる人的なこと。アフォ設計士が構造計算を偽造した建物はまだ事故にはなっていないが、自然に自重による崩壊も十分考えれる。知り合いの葬式に出たとき、坊さんが説教していた言葉がなぜか浮かんだ。「慈悲の心」生命尊重の心を普通に持ってもらえないものだろうか。。。

そして昨日おっさんは、凹んだ気持ちを一掃すべく夕日を見ながら食事をして、ボージョレー芋焼酎を楽しんだわけで

http://photo.cururu.jp/dameboku/160000062266

綺麗な景色に心が和んだ一日であった。。。


順調に。。。

2005年11月18日 | love loveな余暇

術後3日めからようやく顔色が良くなり、体を動かしつつ足の状態を確認するボウズw

そして4日目の朝からリハビリがスタートするw

まったく動かない右足にいらつきながら・・・・

5日目のリハビリからは豪華な?装置を使い本格的に始まる。当然痛いのだが本人は真剣である(当たり前?)

6日目から自分の力で右足がちょっと動くようになる。これによりリハビリの大切さが実感と感じたらしく、異常なほどにいろいろな動きを痛みと闘いながら自主トレを開始する。

(整形外科の看護士さんは、リハビリとなると容赦しない。ウフフ  かなり 偏見を持つボウズに ニッ)

今日は、9日目

夕方仕事をサボって病室に行くと・・・・・「痛って~~~~~!!!!」大騒ぎ

なぬ!!??

今日のメニューによる筋肉痛にのたうちまわってるもよう・・・ニッ

しかし

本人は、その痛みにまんざら喜びを感じてるもよう・・・・w  (ウフ)

自分の力で右足が30Cmは動くようになってきてるwでも!かなりシビレが続いてるようで、おっさんにマッサージをしてくれだって・・・・・(こいつっ!恥じらいながら)


次男坊その後

2005年11月15日 | love loveな余暇

「よ~~~!! やっと終わった~~」

「・・・・・・・・・・・」

8時間にわたる手術が無事終了した。これからが治療になるわけだ。傷口が塞がれば、いよいよリハビリに移るわけだ

「自分の足って感覚がね~~な~~。。。」

麻酔がまだ効いてるからしょうがない。なんせ、8時間の手術の後だから。これから何日でまずは歩けるようになるのやら・・・・

 


入院生活の始まり

2005年11月07日 | love loveな余暇

「よっ!」

「とりあえず!握手!」 おおおお力が戻ってきたなw

「なんだって!?あんなに騒いでいたのにまったく記憶にないんだって?w」

こんな会話ができることに歓びをを隠せなくて終始ニヤニヤしていると、本人も恥かしいそうに、「何日飯我慢してたんだっけ!?」・・・・・・

 

鎮静剤と痛み止めを交互に打ってもらい、二日間はなんとかなったのだが、三日目からは薬の効く時間は当然短くなるわけだし、ドクターは処方の仕方を変更して長期戦になっても中毒症状が起きない方法にしようと・・・それは、微量で一定量の薬を継続的に流そうというものでした。薬が切れることがないので常に夢遊病者の状態になるわけで、正気に戻ることがない。ただ、5日目の午後「彼女」がお見舞いにきてくれて、おっさんと喋ってると薄目をあけて「今日バイトは!?」っと一言「えっ!?わかってるんか?」それからまた意味不明な事を言ってまったく気づいていない。24時間酸素マスクと点滴を取らないように見張っているだけだが、さすがに、彼女が来たときの反応を見たときは内心「ほっ」とした。

 

6日間の眠りから覚めた翌日は、腰が痛いの足が痛いの、もう大変な大騒ぎが始まるわけだが、今までの状態と比べればそれはそれは普通なのであるw。廊下で会う看護士の方、ドクター、みんな笑顔で「ほんとに良かった~~」って言ってくれるw。やはり尋常ではなかったのである。。。

回復からちょうど1週間、漸く本来の手術は明後日。右大腿部と脛、左の脛。1日かかりになりそうだ。順調に進めば1ヵ月後には体重をかけられるようになるハズ。これから長~~い入院生活が始まるのである。


次男坊の骨折

2005年11月03日 | love loveな余暇

大きい交差点でそれは起こった。

バイトで始めた産業廃棄物収集の手伝い。業務の途中昼食へ向かうため、ちょっとだけ運転を変わった。

 

地方から来て慣れない場所で、大型トレーラーの運転手は道を間違えて、方向転換を試みる。

大きな交差点は、一度の信号では右折を完了させることができません。交差点の中に入ると進行方向にはまた信号があり、交差点の中で停止しなければなりません。

 

昼食へ行くため運転を変わったバイト君は、そのまま青信号直進のため交差点へ・・・・・・・

 

一泊で長野までの出張が入り朝からおっさんは長野入り。午前中の所要が終わり、駅傍のソバ屋で新ソバの大盛りに舌鼓。やはり長野でしか味わえないこの香りと味、、、そしてこの店はめっちゃ安い!そして、午後の打ち合わせの後は、地元の友人と久々に一杯酌み交わす段取り

客先の応接セットに座り雑談をしているとマナーモードのブルブル。。。

 

気づいたときは、トレーラーの前部が進路を塞ぐ格好になっている。慌ててブレーキ&左にハンドル切るも間に合わず、左横の燃料タンクに運転席側から衝突。トレーラーの運転手は、前方から来る車両は止まってくれるものと思っていたらしい。信号無視の車両に気づく前に進路を塞がれたバイト君はなすすべもなくそのまま慣性のまま右足側から衝突。気づいたときは、トレーラーの燃料タンクから軽油がどんどん流れ出している。下半身を挟まれた格好でまったく身動きできない。まったくなにも感じない。周りでは、通行人やトレーラーの運転手が慌てて何か言ってるが要領を得ないもよう。バイト君は左胸から自分の携帯電話を取り出し、119番へ「挟まれて動けない!助けてくれ~~~!」その後救急車とレスキュー隊により救出されるのに40分という時間が過ぎる。抜けてく力を振り絞り、なんとか気を失わずに病院へ・・・・

 

「○×が事故で両足骨折で今入院した」

「えっ!?」

 

その後の会議はうわの空、でも、なんとか無難に終わらせ、その後のスケジュールのキャンセルとともに東京行きの切符の手配。まあ骨折だけで済んだのなら良かったと思うかな~・・・・

20時に病院に入り直接顔を見ると、笑いながら「やちゃった」っと一言。「おおおおおお、」一安心。不幸中の幸いと思ったほうがいいくらいな大きな事故だったらしい。

「開放多重骨折」

しかし・・・・

翌日の午前中に容態が一変する。多重骨折による合併症が発症したのだ。

低酸素症の症状が出る。それから6日間の戦いが始まるのである。

事故の翌日の朝、顔を合わせるといきなり「腹減ったんだけど~飯まだかな~~?」なんとケロっとしたもんだw少々気持ちが和むがこれからの治療を考えると笑ってはいられない。朝から加害者が見舞いに来てるので少しの間対応に追われ戻ってみると、「痛い~~~~!」大声で叫んでいる。ほんの10分前のあの症状とはまったく違う。そして声をかけるが、反応がおかしい。視線が定まらない。・・・そのうちへなへなと眠りに入る。担当医が飛んできて酸素をあてがい、レントゲンの撮影に移行していく。

「多重骨折による脂肪塞栓症候群」

3時間後に意識を回復したが、なにが起こったのか理解していないもよう。事故で入院してることもわかっていないもよう。ただパニックになり起き上がろうと必死にもがく。鎮静剤を打たれ一時は収まるのだがまた3時間後には、「足が潰れる~~~もうダメだ~~」うわ言を繰り返す。痛み止めを打たれその後6時間ほどスヤスヤと眠るが、目を覚ますと事故の事をしゃべっている。一瞬正気になったような視線を感じ話かけると、「ここはどこ?」っと一言。そして暴れ始める。24時間交代で酸素をはずさないよう、点滴をむしりとらないよう、見張る。

そして6日後の朝

「腹減った~~~~!!いつ飯食わせるんだ~~~~~!!?」

「酸素吸ってるから飯はまだ!。点滴で栄養補給してるから心配するな!」

「我慢できね~~~~!!」

その声をドクターが聞いて、継続的に鎮静剤を投入していたが、ここで薬を切ることにする。

それから2時間が過ぎると、視線が定まり、自分を取り戻したように・・・(良かった)