
8月30日 愛知サークル「授業づくりを学び合う会」に参加しました。
浜松からは、わたしを含めて3人が参加し、全体で25人の参加でした。
8月1日の 「夏の公開研」では、教材の解釈(ごんぎつね)と、戸田先生の授業の分析(子供たちにどういう要求をしていくと「やまなし」のような子供たちが育つか)が、とても参考になりました。
今回は、石井先生の授業を通して、どんなねらいで、どんな仕掛けを、どんな構想を練って授業を作っているかの手の内を見せて頂くことができ、とても参考になりました。
まずは、「ぼくのいぬころ」という詩を使って、模擬授業を行いました。
一読しただけの「自動読み」を「追求的な読み」に変化させる実体験を味わいました。
この詩を一読して、それぞれが抱いたイメージを聞きます。
するとほぼ全員が、次のようなイメージを持ったことがわかります。
ぼくの犬は、「ゆうひ」という名前で、この犬と夕方散歩に行くと草の中にかけていき、名前を呼ぶと喜んで戻ってくる。
この詩の授業を通して、イメージが変わります。
ここに授業の本質があります。
イメージが変わるから、友だちの意見を聞く価値が生まれます。
友だちの意見との違いを見つけると、言いたくなるから、活発に発表するようになります。
人の意見を聞くと、「あれっ」と思います。
分かったつもりが、「あれっ」分からななっちゃった。と思うと、考える必要性が生まれます。
それなのに、今の授業は「分かっている」「分かったつもり」で進みます。
最初に、全体を読んで初発の感想を言わせるなんて、無意味です。
文学作品には、何カ所か「ここを学ぶと力がつく」という箇所があります。
そこだけを学べばいいのです。
ここから先がみえてきます。
分からない→分かりたい(分かる)に変えていきます。
「分かる=分析する」
分からないときは、部分に分けて分析して、最後に統合します。
そんな説明の後に、模擬授業が始まりました。
T:この詩を2つに分けると、どこで分かれるの?
S:2と3の間。
T:どうして。
S:句点がある。
T:その通り。この詩には、句点が2つしかありません。だから2文に分かれるんだね。
T:文学作品には、日常の言葉(当たり前の言葉)で書いてあるけれど、当たり前でない言葉が潜んでいます。
T:それを、一人学びで探してください。
~5分ぐらい一人学び~
T:一番気になる文を、一つ選びます。
T:すぐに見つからない場合は、カンでもいいです。(と言って、全員に意見を持たせる。)
ここで、見切り発車はだめです。全員が準備を持つまで待ちます。
それでないと、全員参加の授業になりません。
適当であっても、自分の意見を表明すると、それ以後の友だちの発言を聞く態度が違います。
自分と同じ意見を一生懸命に聞くし、違う意見が出ればそれを否定する証拠を探すようになります。
おかしな言葉が出され
「よぶでしょう」
「ころがってくるんだ」
が選ばれます。
T:「よぶでしょう。」は、さらに、分かれますね。
S:「よぶ」と「でしょう」
T:動詞が出てきたときに、その動詞が、すでに行ったのか、まだ行っていないのかを考えさせます。
S:「もうよんだ」「まだよんでない」
日本語の動詞には、過去と非過去があるので、それを判別させる。
S:でしょうだから、推測じゃないか?
T:でしょうは、推測ですか?
しょうには二通りの意味があります。
1同意を求めて確認する
2推測する
子供に、こういう言葉があったら、気づかせて財産として与えていく。
1の同意を求めるとすると、相手がいることになる。
2の推測だとすると、一人だと言うことになる。
1だったら、語尾があがる。
2だったら、語尾が下がる。
語尾が下がったら、句点になるから、1だよね。
どうも、相手がいるようだ。
他の言葉でも探してみよう。
「ころがってくるんだ。」の「だ」
だ=のだ。
犬は丸くなることはあるだろうが、丸くなって転がることはない。
それじゃ、でんぐり返りだ。
1転がって来ている
2転がってきていない
どっちだろう?
「のだ」は重要な言葉。
相手に説明する言葉。
あなたは知らないだろうが、本当は○○なのだ。
「のだ」があるということは、他人がいる。ということになる。
だいたい、ふつうはゆうひという名前は付けない。
「ぼくの犬の名前を「夕日にしよう」」といったら
相手に「なんで」と聞かれた。
だから、2文めで説明している。
そんな情景が見えてくる。
「でしょう」と「のだ」という2つの言葉で、最初のイメージを変えていく。
イメージを変えるためには、言葉の意味を、徹底的に辞書で調べる。
辞書的な意味を考えると、おのずと答えが見つかっていく。
そして、こどもは、言葉を財産として身につけていく。
「すると」も大事な言葉。
これでも、最初のイメージを変えられる。
すると=仮定 もし
つまり、ゆうひという犬はいない。
読み手が当たり前に読むこと〈丸くなって転がってくる)を、
言葉の概念に出会うこと(のだ)で、追求的な読みに変えていく。
さて、このような模擬授業のあと、石井先生のお話を聞いて、次のようなことが分かった。
ディスカッションの授業は、教師が本気で準備しないとできない。
その準備が次の表だ。
つまり、どの言葉で子供たちの意識を変化させるかという作戦が立てられている。
今まで、浜松の会では、教材解釈を行ってきた。
そのストックは、そこそこできてきた。
そのストックを、いかに授業に生かすかを今後考えていけば、
もしかしたらあの「やまなし」 の授業に近づくかもしれない。そう感じた。
わたしの「一つの花」の授業でも、指導案はこの思考を使った。
毎時間この思考を使えばいいのだと思った。
55回 |
9月12日 | 土 | 9:00 | 15:00 | 天竜壬生ホール | 第1会議室 |
56回 | 10月17日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第1会議室 |
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