わたしがアパート住まいから無縁になってからもう20年ほどになる。ようは自宅を建ててからのことであるが、その後も単身赴任したことがあるからアパートにもしかしたら住む機会はないこともなかったが、会社の寮というものがあったから、結局そうした縁もなく暮らしてきた。とはいえ会社が最盛期だったころは寮に皆がみな入れたということもなく、アパートを借りる人もいた。わたしが自宅を建てる前の境遇はそれに近いものだったかもしれない。結婚後間もない若い人たちを受け入れるだけの部屋数が寮になかったし、わたしの場合は地元だったうえに長男ではないという境遇もあって、よそからきている人たちにのためにある寮に入るというのは、ちょっと曖昧な基準の中でありえないものだったかもしれない。したがって結婚という機会がアパート暮らしに誘ってくれたわけであるが、とはいえ安月給で二人が暮らしていくともなれば〈妻は当初から実家の農業を手伝っていくという流れだった〉、ふつうのアパートはなかなか選択肢に入らなかった。ということで県営住宅という、いわゆる所得制限のある住宅を選択していた。そこで息子の幼少時代を過ごしたわけだが、いわゆる一般のアパートと違って環境的にはそれほど良いものではなかった。また当時の寮も安い造りだったから、けして若夫婦が暮らすには、気兼ねのある環境であったことも事実。「まあ、それよりましか」程度の思いで暮らした10年ほどだっただろうか。したがって今どきのアパートには暮らしたことがない。
そういえば、と思い出すのは飯山にいた40年近く前暮らしたところ。名前は「マンション」だったが、風呂はなく〈共有だったかもしれないが入った覚えがない〉、玄関と兼用のキッチンと6帖一間の部屋だった。何より雪下ろしをしなくても良いのが良かったくらいだろうか。駐車場も建物の奥にあって、雪が積もってしまうともう入ることができない。したがって電車で実家まで毎週帰った年もあったが、さすがに飯山から飯田線の駅まで帰ってくるのは容易ではなく、なんとか車を停めるスペースを確保することに苦労した覚えがある。今のようにアパート事情が良く、加えて雪が少なくなった冬とでは大違いである。まさに賃貸アパート初体験だったのだが、当時はどんな状況であっても頷いて「よろしくお願いします」という時代だった。
ということで、この春から今いる出先にやってくる同僚の部屋探している。今まで寮があったのだが、縮小によって寮を維持するだけの人数はもう確保できないため、寮を手放すことになっている。まだ所有物ではあるが、買い手さえ見つかれば撤退する。したがって久しぶりにやってくる単身赴任者には、アパートに入ってもらうことに。ところが規模縮小時代を迎えてからすでに10年以上というわが社にとって、アパートに対する知識がない。今どき仲介業者全盛期で、簡単に見つかる時代ではあるが、それがまた、選択肢がいくつもあると慣れないものには頭が痛い。
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