Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

〝何をそんなに焦っているのだ〟

2017-03-15 23:27:37 | つぶやき

 何度も触れていることを繰り返すのは、1日の中でも最も印象的な出来事だったからのこと。

 まず、朝方のことだ。いつも通りセンターラインのない県道を会社に向かって走っていると、後ろからずいぶんわたしの車に接近する車がいる。まあずいぶんといってもそれほど気になるほどでもないのだが、ふつうの車よりは接近しているし、その車間がスピードが上がっても下がってもそれほど変わらないところにあるから、ルームミラーをのぞきながら、しだいに違和感が増幅していく。赤信号で止まれば、こんな時は「いったいどんな人なんだろう」とルームミラーで後ろを確認する。「女かー」、正直な思いだ。それほど若くもないから主婦といったところだろうか。以前にも触れた通り、意外に女性には前の車の運転手の意識を悟らず、何も考えずにやたら接近する人がいる。男性ドライバーの意図的なものとはちょっと違う。が、前を走っているドライバーには、気になるもの。とまあ、朝は「気になる」程度で県道からわたしが逸れた段階でサヨナラをした。

 今度は帰途でのこと。今度はわたしは後ろを走っている。前にいる車とのご縁は、飯田市内から始まった。まだまだ通勤の車が多い時間帯だから空いているわけではない。前の車の前に遅い車がいて、「遅いなー」と思ったところから前の車を少し意識し始めた。ようはあまり接近すると前の車が嫌がるだろう、と意識的に車間を空けたからだ。繋がっているのだから煽ったところで無意味なケース。ところが前を走っている車は、後続のわたしに意識する以上に、やはり前の遅い車を意識しているようだった。しばらく走っていると、前の前の遅い車が県道からサヨナラをした。「良かった」と思うのはわたしも「遅いなー」と思っていたからだが、アクセルを踏んで気分良くなったころ、気がつくと前にいた車の姿が見えない。「あれっ、どこへ行ったんだ」と思ってしばらく行くと、再び前の前の車が遅くて前の車の後部についた。「さっきの車だ」、ようは姿が見えなくなったのは、急加速であっという間に行ってしまったからだった。わたしもそこそこアクセルを踏んだが、軽トラでは限度がある。前の前の車が再び県道からサヨナラすると、さっきと同じことを繰り返す。「また追いついた」と。そんなことを繰り返すうちに解ったのは、前の前の車の中には、そこそこのスピードで走っている車もいるのだが、後ろから猛スピードで接近してくる車がいると減速してしまう。とりわけ夕方だからすでにライトを点けている。誰だってそうだろうが、後ろから猛スピードで接近してくる車がいれば意識しないはずはない。さらに接近されるとなおさらだ。わたしだってこういう場合は、それ以上のスピードで詰められないように走るか、逆に無理に減速して走るかのどちらかだ。ようは後ろの車がふつうではない雰囲気を察すれば、抵抗するのが常人の行動。だからとりわけ混雑している時間帯には、なるべく車間を空けて前の車に意識されないように走るのが、世の中を穏便にする方策なのだが、この前を運転している車はそんな常識が解らない。繰り返すうちに解ったのは、前に車がいなくなると90キロ近いスピードでわたしから遠ざかっていく。これでは前の車にそう時間をかけずに追いついてしまうのは解るだろうに、そして、前の車が嫌がって減速するだろうに、それが解らないというか、無駄な行動をしている姿に唖然としてしまうのだ。リスクが高すぎる人生を送ることによって、得るものが何もない、とは言わないが「もうちょっと冷静に考えろよ」と思うのだ…。


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